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平和はどのように人類に訪れるかものみの塔 1959 | 12月1日
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を生き残つて,次ぎにやつてくる新しい世の平和をかきみだす人はひとりもいません。
すべての人々が神の正しい政府のもとに一つに統一されますから,人種や国籍の相違から起る衝突などはありません。すべての者が,「神は人をかたよりみないかた」であること,また,「神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さること」を認識するでしよう。(使行 10:34,35,新口)人類の統一には,それだけでも平和への偉大な貢献となる崇拝の統一が含まれています。
平和の外に,神は他の多くの良いものを,御国を通じて人類にもたらすと約束されました。「神自ら人と共にいまして,人の目から涙を全くぬぐいとつて下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去つたからである。すると,御座にいますかたが言われた,『見よ,わたしはすべてのものを新たにする。』「(黙示 21:3-5,新口)ここで約束した事がらを確かに果すということを私たちに保証して,神はさらにこう言つておられます,「書きしるせ,これらの言葉は,信ずべきであり,まことである。」
平和は私たちの世代に訪れる
ヱホバは,私たちが支配の変化,すなわち永遠の平和をもたらす支配への変化を期待できる時期を聖書の中に啓示されました。つまり,現在の組織制度の終りの日の期間中に,世界的規模で起るであろう事がらを,ご自身の預言に書かせられたのです。これらの事が現実となつてあらわれる時には住んでいる世代こそ,その変化を見るのです。1914年から1918年にわたる第一次世界大戦は,それらの預言を成就しました。ヱホバ神が,地を清掃し,人類に永遠の平和をもたらされる時がついにやつて来ました。1914年に住んでいる世代はそれを見るでしよう。「よく聞いておきなさい。これらの事が,ことごとく起るまでは,この時代は滅びることがない。」(マタイ 24:34,新口)イエスはこの言葉を述べる前に,終りの日をしるしづけるいくつかの目に見える出来事を告げられました。そしてそれらは,ずつと起つてきています。
生きて,神の御国の支配下の地に訪れる永遠の平和を見る人々のうちに加わわるためには,ヱホバ神をさがし求めて彼に従わねばなりません。「すべてヱホバの律法を行うこの地のへりくだるものよ汝らヱホバを求め公義を求めけんそんを求めよ然すれば汝らヱホバのいかりの日にあるいはかくさるることあらん。」(ゼパニヤ 2:3)今日戦争の脅威があるからといつて,神の命令をわきに押しやることはできません。諸国家がどんなことを試みようと,より良き変化をもたらすという神のお約束には信頼を置くことができます。そして神の御国が,この世代の人類に,永遠の平和をもたらすことを確信することができます。
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ヱホバの道に従つてすべてのことをしなさいものみの塔 1959 | 12月1日
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ヱホバの道に従つてすべてのことをしなさい
「また,あなたが右に行き,あるいは左に行く時,そのうしろで「これは道だ,これに歩め」という言葉を耳に聞く。」― イザヤ 30:21,新口。
1 どのようにすれば私たちは神を知ることができますか。どんな質問に対する答は必要ですか。
大いなる生命の与え主,ヱホバを知つてのみ,私たちは永遠の生命の希望を持ちます。私たち対するヱホバの指示,私たちに対するヱホバの要求,私たちが歩くようヱホバののぞまれている道を知らねばなりません。そのわけで詩篇記者ダビデは,次のように語つたのです,「主よ,あなたの道を私に教え,……私を平らかな道にみちびいてください」(詩 27:21,新口)。多数の人にとつて神の道はばくぜんとしたもので,分りにくいものですが,誠実な気持で謙遜に知識を求める人には,神の道はきわめて明白な,はつきりした道になります。私たちは,宇宙を調べることにより,また私たちの住んでいる世界を調べることにより,ヱホバを尋ね求めることができます。そして,ヱホバが創造の神,無限の力を持つ神,知恵と知識の神であることを悟ります。しかし,彼の名前は何ですか。人間の運命は何ですか。なぜ問題や不幸は,地上につづくのですか。これらのものは,神からのものですか。私たちの前におかれている道についてのそれらの質問に対する答は,神の啓示された言葉,聖書に頼ることによつてのみ得ることができます。
2 (イ)ヱホバはどんな神ですか。(ロ)私たちはどんな態度を取らねばなりませんか。
2 ヱホバは御自分の御言葉を通して,御自分が全能者なること,全能でめぐみ深く,愛と親切に満ちる宇宙の支配者なることを示しておられます。ヱホバは,創造の神,行為と仕事の神であられるだけでなく,その予言の中に示されているごとく,時間を正確に守られる御方です。(伝道の書 3:17)ヱホバは,御自分の道を私たちからかくす神ではなく,人間から隠れていたいと欲する神でもありません。むしろ,私たちが彼を知り,永遠の生命を得るための神の要求が何であるかを知るようにと,のぞまれています。ペテロは次のように語りました,「(彼は)ひとりも滅びることがなく,すべての者が悔改めに至ることを望み,あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」(ペテロ後 3:9,新口)。それで,私たちがヱホバについて学ぼうと努めるとき,ヱホバは私たちを援助するでしよう。そして,私たちが右か左にそれるとき,私たちを正しい道にみちびくでしよう。私たちの態度は,両親に従がう子供のようなものでなければなりません,すなわち理解を願い求め,受け取る正しい導きに従わねばならないのです。子供が自分の父母に見ならおうとするごとく,私たちもヱホバとその妻のごとき制度の正しい原則にしつかり従わねばなりません。そうするとき,ヱホバの道は単に平らな道,はつきりとした従い易い道であるだけでなく,また正義の道でもあります。それで,詩篇 27篇11節のダビデの祈りは,新世訳によると次のように示されています,「ヱホバよ,あなたの道を私に教えて下さい。私の敵の故に私を正義の道にみちびいて下さい」。
3 ヱホバに依り頼むことは,なぜ賢明ですか。
3 私たちの創造主であるヱホバは,私たちにとつて最善の福祉が何であるかを知つておられます。ヱホバの見地は,私たちの見地よりも,はるかに高くすぐれたものです。ヱホバは,私たちが見る時よりもずつと以前に,危険やおとし穴を見ます。彼の知恵は,人間が50年たらずの中に得る限られた知恵とか経験にもとずきません。むしろ,幾時代にもわたる神の知恵にもとずいているのです。それですから,ヱホバ神は私たちの裁き人,律法の与え主,私たちの王としての地位を正しく取ります。私たちはヱホバよりはるかに低い者であり,ヱホバに頼つて生命をいただいている故,すべてのことをヱホバの道に従い行うことにより,ヱホバをよろこばすことについての深い関心を是非とも持つべきです。私たちは,次の確信をもつてこのことをすることができます,すなわちヱホバは,私たちに祝福をもたらすだけでなく,ヱホバの御名に誉をもたらす道に,私たちをみちびくという確信を持ちます。これこそ私たちの生涯の目標でなければなりません,すなわちなんらかの仕方の中に私たちは活発に神に奉仕し,神に誉を捧げる,ということです。詩篇 23篇は,次のように告げています,「ヱホバはわが牧者なり……御名の故をもて我をただしきみちにみちびき給う」。ちようど羊が羊飼の賢明にしてたしかなみちびきに従うごとく,私たちは大いなる羊飼の指示の下に,そのみちびきによろこんで従うべきでしよう。シンゲン 3章5-7節も,次のように述べています,「なんじ心をつくしてヱホバにより頼め,おのれのさとりによることなかれ。なんじすべての道にてヱホバをみとめよ。さらばなんじの道を直くしたまうべし。自ら見てさとしとするなかれ。ヱホバを畏れて悪を離れよ」。
4 将来が何であるか,私たちはどのように知ることができますか。
4 多数の人はこんな風に感じます,つまり良い生活をして悪から離れているなら,ヱホバの道にいることであるし,それだけが必要とされるすべてのことだ,というのです。しかし,その人たちは聖書の知識をごくわずかしか持つていません。将来はどうか,また信仰の人のために地に対する神の目的は何かと尋ねるとき,それらの人々は「神だけが御存知さ」と答えます。たしかに神は御存知です。しかし,神は知りたいと望む人々に,そのことを知らせます。アモス書 3章7節は,私たちにこう保証しています,「それ主ヱホバは,その隠れたることをその僕なる予言者に伝えずしては何事をも為したまわざるなり」。ヱホバは,御自分の御言葉の頁を通して,その御目的を民に知らせました。地の将来を告げる多くの聖句の一つは,詩篇 37編11節(新世)に書かれています,「しかし柔和な者は地を所有し,平和の豊かなことにおおくのよろこびを見出すであろう」。この知らせは,私たちのために記録されています。私たちはそのことを読んで学び,ヱホバの目的を知ることができます。
5 良い生活をしさえすれば,神をよろこばしますか。
5 良い生活をするだけが,神の要求しておられることの全部でない,とイエスは認めました。もしそうなら,彼は30歳までの大工生活という静かな生活を続けたはずです。創造主に個人的な奉仕を捧げることも,ヱホバの道に従つて事柄を行うことの一部である,と彼は知つていました。そして,このことにおいても彼は私たちのための模範を残されたのです。私たちがこのみちびきに従うとき,神の御言葉を理解し,また神に奉仕することから得る大きな幸福を持ちます。シンゲン 3章13-18節(新口)は,このことについて次のような註の言葉を述べ
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