勇気を抱いて今日の諸問題に対処する
1 どんなことから世界は大きく動揺していると言えますか。
この世界は大きくゆれ動いています。何百年もつづいた伝統や制度がくずれつつあります。いままで隷属の地位に甘んじてきた何百万の人々が地位の向上を強く求めています。国際政治の舞台では西欧が主導権を失ったとも見られています。ユーラシア,アフリカの大陸では,植民地帝国にかわって多くの新しい国家が生まれました。
2 (イ)ある人は平和を求める人類の願いをどう見ますか。(ロ)この点で人間はどんな問題に直面していますか。(ハ)クリスチャンはこの重大な時代をどのように見ますか。
2 人類は平和的な手段によって理想の実現に努めると,ある人々は信じています。しかし人類は少なくとも二つの重大な脅威にさらされています。世界支配を目ざす共産主義の進出はその一つです。共産主義は人々の不満を巧みに利用して勢力を拡大し,また世界の緊張を増大させています。第二の脅威は,文明を滅ぼしかねない兵器の開発です。クリスチャンの見地から言えば,これら二つの要素のほかに現代の困難な時代の諸相には聖書の預言の成就が認められます。それによれば,私たちはすべての戦争を終わらせるハルマゲドンの戦争を目前にした苦難の時代に住んでいるのです。―テモテ後 3:1-5。黙示 16:14,16。
3,4 おそれがこの時代にどう影響しているかを述べなさい。「おそれ」を定義して下さい。
3 現代の文明が人類に与えた影響ははかり知ることができません。それは恐れや不安を増大させました。世界のどこに行っても,階層の如何を問わず,人々は恐れを抱いています。人々は飢餓をおそれ,病気をおそれ,老齢をおそれ,戦争をおそれ,知ることをおそれ,苦痛をおそれ,核時代の前途を恐れます。恐れの気持ちは人にうつります。そうではありませんか。しかし恐れとは何ですか。どうすれば各自はおそれを追い払うことができますか。
4 ウェブスター辞典によれば,恐れとは不安,恐怖,懸念をともなう苦痛の感情,恐怖や不安の心的な状態です。また畏怖とくに神に対する高度に敬虔な感情とも定義されています。
5 今日の恐れの空気は聖書に預言されていましたか。説明しなさい。
5 従っておそれは,不快な敵です。それを克服するには勇気が必要です。今日一般に見られる恐れの空気は,神の御子キリスト・イエスの次のことばの中に預言されていました。「地上では,諸国民が悩み……人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである」― ルカ 21:25,26。
6 おそれがどこから出ているかを,聖書によって説明しなさい。
6 国際共産主義,政治の腐敗,病気や死など,おそれの原因となる事柄を知っても,恐れの根本的な原因あるいは恐れをひきおこしている者の正体を知っているとは限りません。聖書によれば,恐れをひきおこしているもの,人類の直面する大問題の原因となっているのは,全能の神エホバの至上権に挑戦したサタン悪魔です。サタンは神から死に定められており,その存在は一時のあいだ許されたに過ぎません。それは神に対する挑戦が失敗に終わって,全能の創造主エホバこそ主導者であることが永遠に立証されるためです。―ヨブ 1:9-12。出エジプト 9:16。
7 サタンは悪を人格化したものではなく,実在するのであることを示す証拠をあげなさい。
7 しかし多くの人にとって,サタンの存在は物語に過ぎません。聖書を信ずるという人の多くも,サタンを実在するものと考えていません。ある人々によれば,サタンとは悪を人格化したものです。読者の中にも,そのように考えているかたがあるかも知れません。いずれにしても,使徒パウロがこの事について述べたことばに注目して下さい。「この世の神が不信の者たちの思いをくらませて……いる」。ペテロの次のことばはこの神の正体を告げています,「あなたがたの敵である悪魔が,ほえたけるししのように,食いつくすべきものを求めて歩き回っている」。イエスが誘惑されたことに関して聖書の述べているところに注目して下さい。「試みる者がきて言った,『……これらの石がパンになるように命じてごらんなさい』……それから悪魔は,イエスを聖なる都に連れて行き……次に悪魔は,イエスを非常に高い山に連れて行き,この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った,『もしあなたが,ひれ伏してわたしを拝むなら,これらのものを皆あなたにあげましょう』。するとイエスは彼に言われた,『サタンよ,退け』」。イエスはサタンがこの組織制度を支配していることを知っていました。サタンがこの悪の世の支配者だからこそ,イエスは「わたしの国はこの世のものではない」と,言われたのです。このように聖書はサタンが実在のものであること,また人間を神からひきはなすために,悪をはびこらせ,恐れの気持ちを人々に抱かせていることを明らかにしています。―コリント後 4:4。ペテロ前 5:8。マタイ 4:1-11。ヨハネ 18:36。
8,9 (イ)このような恐れから解放されるどんな希望がありますか。(ロ)この恐れの源が間もなく完全に除かれてしまうことを聖書から証明しなさい。
8 しかし真のクリスチャンは,人々を恐れの中に閉じこめているサタンが何時までも支配するのではないことを知っています。聖書はそのことを保証しているのです。それは私たちの心を喜ばせるではありませんか。イエスも,サタンの支配の終る直前に人々がおそれ,まどうであろうと述べ,それは「産みの苦しみの初め」であると言われました。そのことをひき起こしているのはサタン悪魔です。「地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り,激しい怒りをもって,おまえたちのところに下ってきたからである」。このことのために,人は恐れを抱くべきですか。そうではありません。「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。救い? そうです。いちじくの木が芽ぐんで夏の近いことを告げるように,マタイ伝 24章とルカ伝 21章にイエスの語ったおそろしい出来事は,サタンの滅びの近いこと,サタンの組織の終わりを含めてこのすべての事がいまの時代中に必ず起こることを告げています。―マタイ 24:8。黙示 12:12。ルカ 21:28。マタイ 24:3,34。
9 それを知れば間違いなく勇気を出すことができます。従ってすべてのクリスチャンが神のことばを学び,恐れの源が間もなく永久に取り除かれてしまうことを学ぶのは,本当に大切ではありませんか。どうしてその事がわかりますか。聖書の詩篇 37篇10節と黙示録 20章1-3節に,次のように書かれています。「悪しき者はただしばらくで,うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない」。「またわたしが見ていると,ひとりの御使が,底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って,天から降りてきた。彼は,悪魔でありサタンである龍,すなわち,かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき,そして,底知れぬ所に投げ込み,入口を閉じてその上に封印し,千年の期間が終るまで,諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後,しばらくの間だけ解放されることになっていた」。
今日のいろいろな恐れを首尾よく克服する
10 おそれを克服する唯一の方法は何ですか。
10 では恐れを首尾よく克服する唯一の方法はどこにありますか。それは各自が聖書を学んで神のことばから勇気を得ることです。そうする人は,悪の終わりと,おそれを増し加えているものの終わりが近いことを確信することでしょう。人類の一人一人はまだ十分に神のことばを学んでいません。人間が聖書を学んだならば,毎日の問題や恐れや不安はとうの昔に解決されているはずです。(テモテ後 3:16,17)この多難の時代にあって聖書が足のともしびになることを,自ら体験して下さい。(詩 119:105)神の律法と原則を守ることによって,クリスチャンは心に平和を得ます。ダビデは語りました,「わたしはあなたの正しいおきてのゆえに,一日に七たびあなたをほめたたえます。あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり,何ものも彼らをつまずかすことはできません」。(詩 119:164,165)この平安と確信を得たいと思う人は,ますます神のことばを学び,昔の人が示した勇気の手本から益を得ることが必要です。ダビデ,イサクその他の人の行いから学んで下さい。―ロマ 15:4。コリント前 10:11。
11-13 (イ)ダビデは勇気を得る道がどこにあることを示していますか。(ロ)「エホバを俟望」むとは,どういう意味ですか。(ハ)「エホバを俟望」む人はどんな益を得ますか。
11 勇気という資質を持つとき,人は困難や危険にも確固として立ちむかうことができます。ダビデはこのような勇気のあった人であり,勇気を得ることについて次のように語りました。「エホバよわれ汝によりたのむ,願くはいづれの日までも,はぢを負はしめたまふなかれ,なんぢの義をもてわれを助けたまへ」。(詩 31:1,文語)このように詩篇 31篇の冒頭の句は,勇気を得るためにどうすべきかを告げています。クリスチャンはエホバによりたのみ,エホバに全く依存していることを認めて,エホバに助けを求めることをはじてはなりません。詩篇 31篇全部を読んでごらんなさい。ダビデはそのすべての言動において,エホバに全くより頼んでいたことがわかります。この詩篇の最後に述べられている,全体のかぎとなる言葉に注目して下さい。「エホバを俟望む」ことは勇気の源です。―詩 31:24。
12 「エホバを俟望む」とは,どういうことですか。「俟望む」という言葉は,ヘブライ語の動詞ヤハルから来ており,忍耐する,望む,期待する,信頼するとの意味です。ダビデは自分の国民であるイスラエルの王から法外者にされた時でも,自分勝手に事態を収めようとはせず,エホバにより頼んだため,最後には祝福されました。イサクについては何が言えますか。この忠実な人は約束の地を自分のものとして与えられませんでした。しかし180年の生涯を通じてエホバにより頼みました。イサクもダビデもこの点で共通のものを持っています。エホバから与えられたわざを最後までやめなかったわけは,そこにありました。また勇気があったのもそのためでした。そのために特権と責任を喜び,忍耐し,前進して行きました。―詩 146:5。
13 今日のクリスチャンもこの手本にならって「エホバを俟望」み,エホバに全く信頼して常にその原則に従うとき,大きな益を得ます。なぜそうですか。クリスチャンは世の中で生活していても世の一部ではありません。従って献身したクリスチャンは次のことをすすめられています。「世と世にあるものとを,愛してはいけない。もし,世を愛する者があれば,父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇は,父から出たものではなく,世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」― ヨハネ第一 2:15-17。
14 真のクリスチャンが勇敢に抵抗しなければならないものをあげなさい。
14 たしかにこの世は強力な磁石のように,ますます多くの人をその流れにまき込んでいます。腐敗,不正,不道徳,物質主義,不信仰などは,世にあっても世のものではないクリスチャンに対して常に圧迫を加えます。これに抵抗するには大きな勇気が必要です。―ヨハネ 15:19。
15 清い崇拝を妨げられないようにするため,どんな手段を講じますか。
15 どうすればこの世の流れにまき込まれることなく,真理と正義の側に固く立てるかを考えてみたことがありますか。献身したクリスチャンが神の崇拝を妨げられないようにするには,悪い交わりに気をつけ,常に祈り,信仰に固く立たなければなりません。―コリント前 15:33。テサロニケ前 5:17。コリント前 16:13。
16 この難しい時代にクリスチャンは何をしているべきですか。その振舞いはなぜ非常に大切ですか。
16 「エホバを俟望」み,永遠の生命をはじめ,すべての祝福が御国によってもたらされる時を待つ献身したクリスチャンは,どんな行いをして日を過ごさねばなりませんか。よいわざを行なってエホバに対する信仰を固く保たなければなりません。御国の福音を伝道し教えるわざにはげむことが必要です。(マタイ 24:14)そうすることによって,心の柔和な他の人々も勇気を得て共に神のみ心を行なうようになります。この大切なわざをするとき,献身したクリスチャンは自分たちが天使にも人にも見せ物のようになっていることを心に留めなければなりません。(コリント前 4:9)真のクリスチャンならば,ことばと行いに矛盾があってはならないはずです。二様の行いというものはあり得ず,1日24時間,1年365日,うるう年ならば366日を通してエホバの御国の側にいなければなりません。そうしないのは偽善であって,エホバに喜ばれないでしょう。―箴言 20:23。マタイ 23:28。
あらゆる面で腐敗に対抗する
17 (イ)正直は影をひそめつつあると,どうして言えますか。(ロ)すべてのクリスチャンは,正直ということに対してどんな立場をとるべきですか。
17 商取引に不正や悪徳はそうめずらしいことではありません。正直は影をひそめつつあると言われます。正直や勤勉よりも不正と怠慢がはゞをきかすようになりました。規律のないことと悪い手本は,正直をすたれさせた一つの原因です。しかし各人はどうすれば不正や腐敗に対抗できますか。他人のものを盗むことなどは決して考えないのに,会社とか大きな団体の所有物に対しては違った考えを持ち,会社は損をするわけではないのだから,と理くつをつける人があります。理由は何であれ,うそ,盗み,ごまかし,横領,かけごとは,クリスチャンにとって,あるいはだれにとっても悪です。大ぜいの人がやっているのだから正しいという事にはなりません。正義を行ない,節操を守るには勇気がいります。人と異なっても,あくまで正しいことをするには勇気が必要です。クリスチャンの道は徳と悪徳を混同することを許しません。そのようなクリスチャンであるためには,勇気が必要です。―ヘブル 13:18。箴言 6:16-19; 11:1。
18 (イ)不正や腐敗の誘惑にうちかっため,何に警戒しなければなりませんか。(ロ)ヤコブはこの点で何を教えていますか。
18 不正や腐敗に対する誘惑に打ちかつための勇気を得るには,動機のひそむところ,すなわち心を守らねばなりません。「あなたの宝のある所には,心もある」と,イエスは言われました。(マタイ 6:21)ヤコブは罪の働きをよく指摘し,それがどのように始まるかを述べています。「だれでも誘惑に会う場合,『この誘惑は,神からきたものだ』と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく,また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。人が誘惑に陥るのは,それぞれ,欲に引かれ,さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み,罪が熟して死を生み出す」。(ヤコブ 1:13-15)少しでもまがった考えを心に抱き,従うべき標準を下げ,正しいことを愛するかわりに悪の入り込むのを許すならば,悪い欲望の力に負けてしまうでしょう。何時も正しいことに心を向けているならば,悪い欲望に負けることはありません。それは神の祝福を受ける道です。―ピリピ 4:8,9。
19 ある新聞編集者は,考えさせるどんな言葉を述べていますか。
19 道義心の低下も人々に影響を及ぼします。そのことにお気づきですか。ロッキー・マウンテン・ニューズの編集者ジャック・フォスターは,インデアナ州の新聞編集者の会合の席上,きわめて卒直に次のことを話しています。「我々は善悪をわきまえているか」と題する話の中で,次のことが指摘されました。「我々の周囲には憂慮すべきことが多い。仕事に対する無関心や怠慢が見られ,ちょっとした悪行を見つけられても,肩をすくめただけで涼しい顔をしている人間がいる。人は責任をえることを好まない。早婚の若者は大人になろうとし,責任をのがれようとする大人は若者になろうとしているかのようだ。面倒なことは,ひたすら避け,問題に取り組もうとの気はくがない。青少年の非行は急増し,問題のある家庭が多くなっている。下層社会は霊的に破産し,教育もおろそかになっている。高等学校を出ても,文章をろくに書けない者がいる」。たしかに道義の低下は否定できません。
20 クリスチャンである両親は,この挑戦にどう答えなければなりませんか。
20 真のクリスチャンは責任感のある子供を育てるために,大きな努力を払う必要があります。規律をもって臨み,生命に至る道に子供を導くことをしないならば,親は本当の愛を示していると言えません。(箴言 6:23; 15:33; 22:15。ヘブル 12:5-11)親は人生の問題と正面から取り組んでいなければなりません。宇宙を治めるエホバ神のことばは,親を導くすぐれた教えです。これを導きにする人は祝福されるでしょう。
21,22 (イ)道徳の低下はどんな問題を招きましたか。(ロ)クリスチャンは勇気と決意をもって,どのようにこの問題に対処できますか。(ハ)この点で両親はどんな役割をはたしますか。
21 1962年9月5日付インデアナポリス・タイムス紙に出た記事「道徳の低下は性病の増加となって表われる」に注目して下さい。「世界における梅毒のおどろくべき増加の原因は,とくに10台の青少年の道徳の低下にある。英国のある医師は,性病の増加のおもな原因が性の乱行を大目に見る道徳観念にあることを指摘している」。クロード・ニコルス博士によれば,今日の問題は医学によって解決できるというものではありません。問題なのは道徳観念です。科学が宗教の価値を低下させたこと,性を売りものにする商業,家族生活の弱体化,核戦争のおそれが,道徳の低下をもたらしたとされています。このため今日の一部の若者は不安定で将来に夢を持たず,「スリルと快楽を追い,何でも経験してやろうといった気持ちになっている。性もその例外ではない」と,同博士は述べています。
22 道徳観念の低下した世の中の風潮に対抗するには勇気が必要です。淫行,姦淫その他の道徳的な悪に誘われるような事態に面したならば,老若を問わずクリスチャンは,ヨセフがポテパルの妻から逃れたように逃れなければなりません。(創世 39:10-12)親のしつけを受けると共に神のことばを自分で,また会衆において学んで実行しているならば,はじめから誘惑の場所に身をおくことはないでしょう。「そこで,あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして,きよい心をもって主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい」と,パウロは書きました。(テモテ後 2:22)親として,異性との正しい関係を子供に教えましたか。からだの器官とその驚異について神のことばから子供に教えましたか。行いとことば,態度において,立派な手本を示していますか。それは子供が毎日正しく生活するのを助けるいちばん良い方法です。それにしても人は自分の無力を感じることがあります。「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる」と述べた使徒のことばから,勇気を得て下さい。(ピリピ 4:13)ゆえにクリスチャンには老若を問わず,つきることのない力の泉があり,神のことばを学んで行なうことから常に勇気が得られます。
悪を行なう者を断固として排斥
23 エホバから是認され,祝福されるのはどんな人ですか。なぜそう答えますか。
23 エホバの恵みを得て新しい秩序の下に生命を得るのは,清い人だけです。真のクリスチャンはそのことを認識しています。パウロは次のように述べました,「それとも,正しくない者が神の国をつぐことはないのを,知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,男娼となる者,男色をする者,盗む者,貪欲な者,酒に酔う者,そしる者,略奪する者は,いずれも神の国をつぐことはないのである。あなたがたの中には,以前はそんな人もいた」― コリント前 6:9-11。
24 (イ)クリスチャン会衆から悪を除くことはどのように行なわれますか。(ロ)これは愛に欠ける処置ですか。
24 コリントのクリスチャン会衆に宛てた同じ手紙の中でパウロは次のように述べています,「その悪人を,あなたがたの中から除いてしまいなさい」。(コリント前 5:13)除くというのは排斥することです。献身した神のしもべでありながら罪の行いをつづけ,悔い改めないで心をかたくなにして悪を行なう者は排斥されます。「すべてキリストの教をとおり過ごして,それにとどまらない者は,神を持っていないのである。その教にとどまっている者は,父を持ち,また御子をも持つ。この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば,その人を家に入れることも,あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は,その悪い行いにあずかることになるからである」。(ヨハネ第二 9-11)これは必要以上に厳しい,愛のない行いですか。神の見方を理解して下さい。悪人を除くことを命じているのは神です。それは会衆を清く保つためであって,神が忠実な会衆を愛しているからにほかなりません。しかし会衆の清さをそこない,不道徳のパン種となって会衆全体に影響を及ぼし,神権社会の健全な道徳的風土を害する者を排斥するとなれば,クリスチャン会衆は勇気を示さなければなりません。悪を行なう者をようしゃせずに断固とした処置をとる神権社会の会衆の委員には,勇気が必要です。キリスト教国にはこの勇気がありません。―コリント前 5:5; 9:11。
25 キリスト教国にはその組織を清く保つだけの勇気がありますか。なぜそう答えられますか。
25 「教会員の粛正問題再燃す」と題する記事の中で,次のことが述べられていました。「教会は,キリストの教えと全く相容れない生活をしている会員を除名すべきか。この問題はいま教会関係者のあいだで真剣に検討されている。この問題が採りあげられたのは,一世代以上にわたる期間のあいだで初めてのことである。この問題を提起した教会指導者の一人シャゴ神学校のフランクリン・ラテル教授は,最近の教会会議の席上で,プロテスタントのおもな宗派は会員に要求すべき一定の線というものを放棄してしまっており,最も初歩的な内部の規律まで維持できない有様であると語った」。この記事のつづきを見ても,規律は忌避されているように見えます。「ケンタッキー州ルイスビル,南部バプテスト神学校のグレン・ヒンソン教授によれば,教会は姦淫,酔酒の如き大それた不品行に対してきびしい処置をとることさえしていない……」。
26 次の記事はどんな質問に答えるものですか。
26 このようにキリスト教国は,腐敗の影響をとり除いて自らの組織を清く保つ勇気に欠けています。それと異なり,エホバの証者の新世社会においては,道徳的また霊的な清さを保つために細心の注意が払われており,神のことば聖書が最高に重んぜられています。私たちはおそれと不安のみちた世に住み,またハルマゲドンの滅びを間近にしているゆえに,私たち自身の将来に深い関心を払っていなければなりません。私たちや家族の将来をたしかなものにするには,どうすればよいのですか。人々がおそれにみたされている時に,聖書はどんな希望を投げかけていますか。ひとたび聖書の知識を得て生命の道に導かれたならば,忍耐して忠実にその道に留まるため,どうすべきですか。これらの質問や,それに関連した他の質問の答は次の記事の中にあります。
[622ページの図版]
ヨセフはポテパルの妻から逃げる