平和は地上に実現するか
世界の危機に絶え間はありません。不安から解放される時がきますか。
少女が求めたものは平和でした。しかし,少女の心には不安がありました。少女は世界情勢の深刻なことを知り,自分の生命がおぼつかない事を感じました。彼女は新聞の編集者に手紙を書きました。
私は,世界が死の穴にすべり込むのをじっと見守る16歳の少女です。
毎日私は,世の終りに向かう人間の足音を聞かないようにと思いながら,自分が触れ,聞き,見始めたばかりの世界に耳をすませます。
その時が来るなら,爆弾による慈悲ある即死や,いつまでも続く無慈悲な放射線の苦痛から逃れ得ないことを知っています……。
私は,目やのどを痛めるスモッグのような恐怖が吹きはらわれて,のびのびと生きられる日の到来を告げるしるしを待っています。
私は,成長し,結婚し,自分の子供を生む私の権利が世界の運命を握る人々によって約束されるのを待っています。私の子供たちがこのような世界に住むのであってはなりません。またたとえこの悪夢のような世界であるにしても,何時世の終りがくるかも知れない状態におびえて生きるのであってはなりません。―1961年9月18日付ニューヨークタイムズ
この少女の手紙は1961年に書かれました。それ以来,平和を願う少女の希望は実現に近づきましたか。不安からの解放はより現実的なものとなりましたか。
少女の手紙がのった同じ新聞の同じ頁に,最近,つぎのような論説記事がのりました。
世界は,ヨハネス法王が『真実と正義と愛と自由に基づく人間社会』の実現を訴えた1963年4月より,ずっと対立を深めており,一そう分かれ分かれになっている。これは恐ろしいながら,避け得ぬ事実である。いかに楽観主義で人間を信用している法王でさえも,現在の状態には失望するであろう。
いつの時代にも,それぞれの時代に応じた要素が作用して,社会の錨となり,社会を一致させる力となってきた。以前には,家族のきずな,大君主,大帝国,大宗教などがあり,現代社会では政治上の思想がその役割を果たしてきた。しかし今日,これらの要素はいずれも,社会を守り,あるいは国家や民族を平和裏に一致させる強い力とはなっていなようだ。
今は,自分の方角を失って荒野にさまよい,怒りに叫び,痛みに狂う時代である。―1965年2月18日付ニューヨークタイムズ
国家も個人もそれぞれ他に対する敵意を強め,世界はこれまで以上に核戦争の破滅に近づいています。最近,アメリカの国防長官自らが,核戦争の恐ろしさについて語りました。同長官は,ソ連が弾道兵器でアメリカの諸都市を攻撃するなら1億4900万人の死者が出ることを予測しています。一方,これに対するアメリカの報復攻撃によって,1億人のソ連人が死に,ソ連全産業能力の80パーセントの壊滅することが予測されました。
今日,平和をおびやかすものはこれだけではありません。今や,中国をも含め,米ソ両国以外で核兵器を持つ国が多くなりました。さらに10年か20年もたつうちには,中小国も手軽に核兵器を所有するようになり,なんらの中心的な管理もないままに,国家間の小さな紛争が,容易に全面的な戦争の大破滅へと発展するでしょう。
たしかに,世界の進路は正常とは思われません。人種,社会,国家ならびに国家集団相互の間に深まりゆく不和を見ると,平和の希望は単に遠のいてゆくだけでなく,その実現を期待することさえむずかしく思われます。
解決策があるか
これまでの人類史全般も決して平穏なものではありませんでした。むしろ,それは争闘と流血の連続です。覇権を目ざして次から次へと興隆する新国家は,近隣の国々をじゅうりんし,人の住む地を苦痛と暗黒のちまたにしました。科学の発達は兵器の破壊力を増大させ,苦痛はいや増し,その及ぶ範囲は世界的になりました。今日,平和はかつてないほどにおびやかされ,人類全体の生存そのものがあやぶまれるようになっています。
これは一体なぜですか。なぜ地上は血にぬれ,無実の血が繰り返えし流されてきたのですか。絶対的な平和を地上に期待することはできないのですか。これらの疑問に対して,満足のゆく確かな答えはないのですか。いいえ,あります。しかし,歴史家や思想家に答えを求めることはできません。もし,そうした人間が真実の答えを与え得たなら,これまでに試みられた各種の療法によって,世界の病状はすでに癒えていたでしょう。しかしいまだにそれはいえていないのです。人間の試みはすべて失敗しています。
真実の答えは,人間の残忍な行いを見るだけでなく,その由来するところを知り,前途にあるものと,根本の解決策とを知る者に求めねばなりません。それは人間の創造者,エホバ神をおいて他にありません。正しい方法で機械を操作しなければどうなるか,故障が起きた時にどうするかをいちばんよく知るのは,その機械の製作者です。人間の製作者とも言うべき創造者,神についても同じことが言えます。人間を造った創造者は,人間が社会にあってどう行動すべきかを知っておられます。創造者は,なぜ人間社会が崩壊に進んでおり,今日なぜその度合が強まっているかを知っておられます。また,なぜ人間が,求める平和を実現できないかをも知っておられます。それだけでなく,創造者は人間の前途に何があり,どうすれば問題を解決できるかをご存知です。そうです,全能の神エホバは,地上に平和が実現するかどうかの疑問の解答を持っておられるのです。
なぜ平和は失われたか
人類家族は理想的なすがたで始まりました。完全な人間として創造された初めの男と女はまさに平和な楽園に置かれ,楽しい仕事をも与えられ,やがてはこの好ましい状態を地の四隅に拡大するはずでした。大地は人間のために豊かな実のりを産し,動物たちさえ穏和に生息するはずでした。「神が造ったすべての物を見られたところ,それは,はなはだ良かった」のです。―創世 1:31。
人間の行動の中心である心が正しく作用するかぎり,この平和な秩序を乱すものは何も起こらないはずでした。人が創造者の声を聞き,自分に許されたのりを守って,その心を絶えず健全な思いで満たしているなら,心はいつでも正しく作用するはずでした。では,定められたのりとはなんですか。それは,他でもなく,神の律法に従う事です。正しい神の求めに従うかぎり,人間は繁栄を楽しむはずでした。人がそれを犯すなら,その繁栄は終わります。秩序の維持を目的とする今日の法律についても同じ事が言えます。人が法律を破るなら,取り締る者の手により処罰を受けねばなりません。これは社会全体の益になります。神の律法も同じであり,それに従って生きようとする人間を保護するためにあります。しかし,もし神の律法にそむくなら,人間は「必ず死」ぬ事が定められました。―創世 2:17,文語。
その時代を知る唯一の手がかりとして,私たちのため,聖書に残された記録は,悲しい事に,全人類の祖先であるアダムとエバが,自らに定められた規則を守らなかった事を示しています。二人は許されていない事を望みました。二人は神と神の律法から完全に独立する事を求め,神の定めにそむく事によってそれを表わしました。結果として,処罰が執行されました。すなわち,二人はやがて死ぬことになりました。もはや二人のからだは完全でなく,堕落と死の過程をたどることになりました。その心もからだの退歩に伴うはずでした。神の導きを受けず,その道に従わないなら,人は互いに争い,動物と争い,また自分自身とも争うはずでした。神から離れた人間は堕落の歩みを始めたのです。それは高みから落とされた小石のように下に向かいました。―創世 3:17-19。
人類に始まったものは堕落と死だけではありません。平和も失われ始めたのです。人が互に争うようになりました。憎しみと疑い,暴力と流血が人間社会をむしばみ,1600年を経た時の地上は,次の聖書のことばどうりになっていました,「時に世は神の前に乱れて,暴虐が地に満ちた。神が地を見られると,それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである」。―創世 6:11,12。
こうして,平和な世界は急速に混乱の世界となりました。しかし,これについて神に責任はなにもありません。これは,人間が神からの独立を求めた事の結果です。自由な意思に従って行動する者として人間を創造された神は,人間のこの試みをしばらくの間ゆるされました。しかし,その結果を見なければなりません。過ぐる六千年の人間の歩みは成功であり,幸福で平和であったと言えますか。もとより,そのはずはありません。人間の歴史は痛みと悲しみ,涙と死の記録であり,今日にあっては,人類の生存そのものが疑問とされているのです。
平和は回復されるか
神は反逆した人間の歩みを許してこられました。しかし,それがいつまでも続くわけではありません。愛をもたれる神は,ご自身の創造された地球とその上の被造物が長く乱される事を望まれません。それゆえ,悪が地上にいつまでも続くことはありません。神はご自身の預言者と聖書とを通して,人間と国々の不従順な行いが必ず終わる事をくりかえし予告してこられました。―テサロニケ後 1:8。ヘブル 5:9。
常軌を逸した諸国家の,核戦争による破滅への突入は,神の力により停止されるでしょう。神は約束されました,「悪を行う者は断ち滅ぼされ……悪しき者はただしばらくで,うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。しかし柔和な者は国を継ぎ,豊かな繁栄をたのしむことができる」。―詩 37:9-11。
神は,独立を求める人間の試みを十分に許してこられました。それゆえ,何人も,人間自身の解決法を見出す機会が与えられなかったと言って,神をとがめる事はできません。人間にはその機会がありました。そして悲惨な結果を見たのです。それゆえ,聖書の預言から明らかなように,今や,神が介入して一切の悪を制圧し,人事の全般を掌握すべき時が来ました。イエス・キリストも,使徒パウロも,今日あからさまな諸国家の苦もんが,この世界の「末の日」のしるしであることを示しています。(マタイ 24:3-14。テモテ後 3:1-5)それゆえ,この無秩序な世界に対する神の怒りはやがて表わされ,同時に,神を愛する者に対する神の恵みもさしのべられるでしょう。私たちの時代について聖書はこう述べています,「諸国民は怒り狂いましたが,あなたも怒りをあらわされました。そして,死人をさばき,あなたの僕なる預言者,聖徒,小さき者も,大いなる者も,すべて御名をおそれる者たちに報いを与え,また,地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました」。―黙示 11:18。
復興される平和
現存する悪の事物の制度の終結は,同時に,神が初めに意図された平和な世界の復興となります。地はもはや憎悪と暴力の満ちるところとはなりません。また,神の支配権が確立されるでしょう。その問題は最終的に答えられます。人間が全幅の自由を許されてそれぞれの考えと行動とにより,平和な秩序を乱すことは再びないでしょう。
この世の終わりを生き残る人々は豊かな平和を見るでしょう。なぜなら,詩篇記者のしるすごとく,神は「地のはてまでも戦いをやめさせ,弓を折り,やりを断ち,戦車を火で焼かれる」からです。(詩 46:9)そして,『平和は増し加わって限りな』く続きます。―イザヤ 9:7。
人間のよわいも70をもって終わることはありません。神のもたらされる新秩序の下にあっては,神のいやしの力が人間に働きます。人々は人間としての完全性に向かって次第に向上するでしょう。イエスがこの時のことを「再創造」と呼んだのはそのためです。(マタイ 19:28,新世)死人さえ,その多くが恵みに与るでしょう。神の選ばれる人々はよみがえって来るからです。―ヨハネ 5:28,29。
心とからだが再び完全になるとき,アダムに由来する死と病気はもはやありません。詩篇記者が,「正しい者は国を継ぎ,とこしえにその中に住むことができる」と述べたのはこのためです。(詩 37:29)この来たるべき事柄の壮大な絵巻きにさらに加えて,使徒ヨハネは霊感の下にこう述べました,「神自ら人と共にいまして,人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去ったからである」。(黙示 21:3,4)この事のすべては,約束されたその平和な状態がいつまでも続く事を意味しています。人間をも含め,平和を乱すもののすべてはその時除去されています。
これはとても信じられないと言われますか。「書きしるせ。これらの言葉は,信ずべきであり,まことである」と言われた神ご自身の言葉が疑心を一掃します。(黙示 21:5)正義の新秩序下の平和にかかわる神の約束の成就を,確信をもって待ち望む事ができるのです。
あなたはその平和に与りますか
たしかに,そこに平和があるのです。しかし,あなたはそこにいますか。あなたはその時代に生きて,平和の実現を見ますか。復興される楽園の喜びに与る事を願うなら,神の意図されるところは何か,神は何を求めておられるのかを知りたいと思われるでしょう。神のみ旨を行なう者だけが,神の祝福を受けるからです。
神について学ぶためには,神がご自身を啓示しておられるところに行かねばなりません。それは神のことばである聖書です。聖書を読み,創造者に対する人間のつとめを学ばねばなりません。この悪の事物の制度の終結を生き延びるのに何をすべきかをも知らねばなりません。そして,それを実際に行なわねばなりません。また,同じ事を行なっている神の民をたずね出し,その人と交わる事も必要です。その人々は,先祖アダムの忘れたもの,すなわち,神に対する従順の道をあなたが学ぶのを助けます。
神により頼む事を知り,そのみ旨を行なう事によって,今や近づいた平和な時代に自らを備える事ができます。そして,神のみ旨を行なうがゆえに神の約束の実現に与り得る事を知って心から喜び,今日の崩壊せんばかりの世界にあっても,確信をもって将来を望み見ることができるでしょう。「神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」ことを忘れてはなりません。―ヨハネ第一 2:17。