すすんで奉仕を拡大しなさい
1 今日,人々はどんなことを恐れていますか。
あなたは今日自分の周囲を見まわして,どんなことに気づきますか。いまの世界と,世界の人々とを特色づけているものは何ですか。恐怖です! 国であろうと,共同体であろうと,家族であろうと,個人であろうと,どこを見てもあらゆる場所に恐怖がみなぎっています。人々は何を恐れていますか。戦争を恐れています。不安定を恐れています。病気を恐れています。隣人を恐れています。政府を恐れています。知識を怖れています。死を怖れています。
2 ある人々はどのようにしてこの世界の恐怖から自由になりましたか。何がその自由をもたらしましたか。
2 それなのに,神を恐れる人がいく人いるでしょうか。つまり,神の不興を受けて神の是認も,祝福も,この危険な時代における保護も受けられなくなることを恐れる人がいく人いますか。そんな人は非常に少ない,とあなたは言われるでしょう。それはあなたの言われるとおりです。しかし実際には,この世界の恐怖を持たず,人の心を奮い立たせる健全な人生の目標を持っている何十万という男女子供がいます。どうしてそういうことがありえますか。なぜならそれらの人々は,神を愛しており,完全な愛は恐れを取り除くからです。(ヨハネ第一書 4:18)なにが,このグループの人々をそんなにも異なった者に,幸福に,自由にしているのですか。それは最高の神エホバに対する献身であり,その献身の公表として彼らがバプテスマを受けていることです。
3 エホバはみ子の献身とバプテスマを喜ばれましたか。なぜそう答えますか。
3 前の記事で指摘したとおり,人が創造者なるエホバ神に奉仕するために一身をささげようと心に誓ったことを公に表わすために,バプテスマはきわめて必要なものです。人がバプテスマを受けるのは,神を喜ばすためであって,人間を喜ばすためではありません。み子イエス・キリストのバプテスマを,父なるエホバはお喜びになりましたか。聖なる記録から答を得ましょう。「イエスはバプテスマを受けるとすぐ,水から上がられた。すると,見よ,天が開け,神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを,ごらんになった。また天から声があって言った,『これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である』」。―マタイ 3:16,17,新口。
4 (イ)バプテスマを受けたあとイエスは,どんなことをしてさらに神の是認を受けられましたか。(ロ)このことに関連し,私たちはクリスチャンとしてどんな結論を出すべきですか。
4 バプテスマを受けたあと,この神のみ子は,どんなことをしてさらに神の是認を得ましたか。記録は彼についてこう述べています。「エホバの御霊は私にのぞんでいる。エホバは,貧しい者に良いたよりを宣べ伝えさせるために私に油を注いだ。とらわれ人にゆるしを伝道し,盲人の目を開き,打ちひしがれた者に自由を得させ,エホバの受けいれ給う年を宣べ伝えるために,エホバは私をつかわした」。(ルカ 4:18,19,新世)ここで私たちは,神のみ子が,人間のあらゆる職のうちで最も崇高な職であるキリスト教の宣教に従事されるのを見ます。彼が神の御国を人類の唯一の希望として伝道したとき,人々は心を動かされましたか。正しい判断を示しましたか。記録はこうなっています。「彼らはみなイエスをほめ,またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して……」。(ルカ 4:22,新口)イエスがすべてのクリスチャンのために模範を示されたからには,真のクリスチャンもみな必ず奉仕者でなければならず,神の御国の良いたよりを公に宣べ伝える者でなければならないことになりませんか。(ペテロ前 2:21)ロマ書 10章の10節から15節,ヨハネ伝 21章の15から17節の聖書の命令を読むと,どうしてもそういう結論が出てきます。
5 クリスチャンはどのようにキリストに習うべきですか。「進んで」行なう奉仕とはどんなものか説明しなさい。
5 クリスチャンは,師と同じ教え方をしたいと思うだけでなく,心の持ち方においても師に習うことを願うべきです。エホバの御言葉は彼について,預言的にこう述べています。「見よ,わたしはまいります。書の巻に,わたしのためにしるされています。わが神よ,わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」。(詩 40:7,8,新口)ここにこの問題のかぎがあります。イエスは自ら進んでみ父の命令を行なわれたのです。イエスは強いられたり,条件つきで奉仕したのではなく,まごころから,寛大に,ゆたかに与えたのです。進んで行なうということには,「望む,用意がある,すぐにする,与える,許すなどの」意味があり,「ぐずぐずする,怠慢な,あるいはいやがることでは」ありません。
6 ひとりの教会指導者は,今日の宗教にぜひとも必要なものとして何を指摘しましたか。
6 今日の一般の教会員は,この描写とは何と違っているのでしょう。1961年7月2日,故ロバート・J・マックラッケン博士は,ニューヨーク市のリバーサイド教会で,「教会に必要なものは」,もっと心のこもった実行と「神と仲間への奉仕に,肉体と精神と魂をささげた人々である」と述べています。マックラッケンは,彼らの模範としてイエスを指摘しています。「イエスをすぐに信じた者はひとりもいなかった。イエスは実に気にさわる人物であったので,当局者は彼を殺さねばならなかった。真のキリスト教は常に爆発しやすい力である。聖書のことを,創世記で始まって革命<レボリューション>で終るといった少女は,自ら知る以上にかしこかった。全体的に言って今日の宗教には,自発性,進取の気象,気はく,創造性が欠けている。これほど嘆かわしいことはない」。
7 ドイツの一教会出版物は,霊的なものに無とんちゃくな一般の状態と対照させて,エホバの証者の働きをどのように述べていますか。
7 この霊的無関心に比較して,エホバの証者として知られている献身したクリスチャンたちの熱意を考えてみてください。たとえば,ドイツの教会出版物「ゲマインシャフッグルス」(社会の声)は,教会員が活動していないことを指摘していました。そして,「私たちはだれに対して恥ずかしく思うべきか。それはエホバの証者に対してである」と告白しています。エホバの証者がみなよく働くことを述べたあと,それは『働かぬ者もほんとうに会衆の一員か』という質問を提起しています。そして次のように認めています。「聖書の述べるところによると,働かぬ者は会衆の一員ではない……だからわれわれはこの宗派のまえで恥ずかしく思うべきである。しかしこの恥は二次的なものにすぎない。われわれは,あらゆる場所に神の名で呼ばれる会衆を持ちながら,その中でほんのわずかしか活動が行なわれていないことを,神の前で恥じなければならない」。
理性の力を用いる
8 どんな道は今日クリスチャンにとって危険ですか。
8 ですから神のわざを行なうのはなんと重要なことでしょう!(ヨハネ 9:4)しかしこれが問題の要点ですか。クリスチャンは神に最少限の奉仕をして満足すべきですか。そして一時的にせよ物質的目標や野望を拡大することに心を向けるべきですか。ある人にそれは望ましいことに思えるかも知れません。しかし献身したクリスチャンにとっては決して望ましいことではありません。なぜですか。危険です。聖書はこう助言しています。「兄弟たちよ。そういうわけで,神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを,神に喜ばれる,生きた,聖なる供え物としてささげなさい。それがあなたがたの理性の力によって行なう聖なる奉仕である。またこの世の組織制度に従うのをやめなさい。むしろ,神の善にしてみ旨にかなう全き御心をわきまえ知るために,あなたがたの思いをかえて変化しなさい」。(ロマ 12:1,2,新世)神と富とに兼ね仕えることはできないとイエスは言われました。―マタイ 6:24。
9 (イ)人の理性の力が,奉仕能力の増大にどのように用いられるかを説明しなさい。(ロ)家庭聖書研究をすることからどんな益が生まれるか,例をあげて述べなさい。
9 奉仕の能力を増大成長させうるこの変化を行なうさいに,各人は理性の力を用いねばならないことに注意してください。理性の一つの定義は,「ものの理を考える能力の正しい行使。正しい考え」です。ですから問題のかぎはここにあります。もし人が,キリストのように奉仕を行ないたい,クリスチャンとして成長,円熟したいと心から望むなら,正しい考えをもつことがぜひとも必要です。これは主として,第一のものを第一にし,物質的なものよりも霊的なものに重点を置くことの問題です。例をあげてみましょう。多くの人は,この終りの時に,エホバの御目的にかんする正確な知識を取り入れました。1962奉仕年度だけでも,エホバの証者は毎週65万4210の聖書研究を司会しました。そしてそのうちのいく人かは,神のみこころを行なうために,エホバに献身しました。この個人的な聖書研究が,良い土,つまり良い心に与え得る衝撃を考えてください! 真理の種は発芽して成長し,ついに実を結びます。かつてはむっつりして,気むずかしかった人が,明るい熱意に満ちた良いたよりの奉仕者になります。かつては無とんちゃくで怠慢でさえあった人が,精力的で信頼のできる人になります。以前は気短かで乱暴でさえあった人が,自制力を身につけて自重するようになります。ほんとうに個人的聖書研究は,配当を豊富に生み出す健全な投資です。しかしこれが目的ですか。決してそうではありません! クリスチャンは,人格を向上させることだけに努力しているのではありません。人格を向上させることは,クリスチャンのほまれになるだけです。むしろクリスチャンは,くちびるの犠牲をささげることによって,エホバにほまれを帰することを望んでいるのです。(ヘブル 13:15)それは,戸別伝道をする奉仕者になることを意味します。クリスチャンは,常に拡大をつづけるエホバの新世社会の中にあって,エホバのお役に立つことを願うものです。
10 霊的に円熟するには何をすべきですか。これについてパウロはどんな助言を与えていますか。
10 たぶんあなたはいままで,この目的をもって神の御言葉を勉強し,正義の新しい世にかんする神の目的をすでに学ばれたかもしれません。そして多くのことをだんだんと学んだ結果,エホバに献身すべきことを悟ったかも知れません。もしそうでなければ,命に通ずるこの最後の段階を踏むことができるように,そのような知識を取りつづけてください。(ヨハネ 17:3)第一のものを第一にしつづけてください。かならず,そして常に,物質よりも霊のものを重要視してください。毎日聖書を読む計画を立て,会衆のすべての集会に備えてよく準備してください。パウロはすべてのクリスチャンに次のような助言を与えています。「あなたがたは,久しい以前からすでに教師となっているはずなのに,もう一度神の言の初歩を,人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく,乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は,幼な子なのだから,義の言葉を味わうことができない。しかし,堅い食物は,善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである」。(ヘブル 5:12-14,新口)これです! より円熟するための努力を励ます何というすぐれた教訓でしょう! そしていまこそその努力を始める絶好の時です。エホバのみわざは全世界のあらゆる国で拡大しているので,効果的に教える者やよいたよりの奉仕者がたくさん必要です。
11 (イ)毎週どんな教科過程がありますか。それらはなぜ重要ですか。(ロ)会衆の集会に定期的に出席することは知恵の表われですが,その理由を述べなさい。
11 ではどうすれば各人は円熟へと進歩し,よく教える者になることができますか。個人的な聖書の研究に加えて,会衆のすべての集会に出席し,仲間のクリスチャンとよく交わる必要があります。エホバが私たちを奉仕に訓練するためにもうけられるあらゆる教科課程に定期的に出席するという堅い決心をしてください。実際のところ,全世界の189の国や地方にある2万2166のエホバの証者の会衆では,毎週五つの教科課程があります。これらの課程では,注意深い漸進的な聖書の通読,公開講演,公けの奉仕活動の効果的な仕方などの科目や,それに関係した他の聖書の科目が教えられ,すべて無料です。献金が集められることは決してありません。これらの教科課程は,すべての人の信仰が激しく試みられているこの危険な時代において,人を霊的に向上させかつ強くするものです。(ペテロ前 1:7)まだ出席されていないなら,これをあなたへの招待状とお考えになって,毎週行なわれるどの集会にでも,あるいは全部の集会においでください。パウロは言いました。「愛と善行とを励むように互に努め,ある人たちがいつもしているように,集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか」。(ヘブル 10:24,25,新口)彼が述べたエホバからの一つの訓戒の中に,警告と緊急性と励ましの全部が含まれているのに注意してください。宮から,エホバの伝達の経路である制度を通して流れくだる最新の真理の解明から定期的に益を得るために,ぜひこれらの集会に出席してください。そして,新世社会と交わり始めたばかりの人たちは,あなたたちの出席が会衆をずっと生き生きしたものにし,会衆に新生命を吹き込むことをお忘れにならないでください。こういう重要な理由があるのですから,まだの人は,定期的に集会に出席するよい習慣をつけましょう。それによって,クリスチャンとしての円熟は確かなものとなります。
12 なぜ「証言」はそんなに重要なのですか。
12 それに加えて,円熟し平衡がとれてくると,奉仕に対する認識も深くなっていきます。神の御国のよいたよりを人々に伝え,今日行なわれているいまわしい事がらをみて嘆き悲しむ人々の心に慰めをもたらすことは,何という大きな特権であり,喜びでしょう。(エゼキエル 9:4-6)この証言が重要であることについて,ニューヨークの一牧師,ラルフ・W・ソックマンが言った次の言葉に注意してください。「宗教が自分に対してなしていることを教会員が証言できるのでなければ,その教会は重要かつ強力な団体としての可能力を十分に発揮しているとは言えない」。「われわれには,証人席に立って自分の心にあることを証言しうる人々が必要である。……宗教は,それに関係した行動を起こして始めて生きたものになるのである」。ソックマンは例としてエホバの証者をあげ,こう言っています。「彼らは自分の信仰をニュースにしてしまう。彼らは生けるキリストが彼らのために個人的になされたことを人に告げるのである」。
13 奉仕者として進んで自分をエホバ神にささげる人々には,どんな特権と報いが与えられますか。
13 そうです,この重要な仕事において,この御国の良いたよりを他の人々に知られせる仕事において,私たちは師であるキリスト・イエスの足跡に従うことができます。これ以上に高い職をもつことができますか。キリスト・イエスと同じように,エホバ神の奉仕者となること以上に大きな特権と責任を楽しむことができますか。進んでこの報いある仕事に参加する人は,自分がエホバに全く依存していることと,宇宙で最も偉大なかたの最も効果的な説明の方法を学ぶ必要を毎日のように考えさせられます。またダビデの述べた次の保証の言葉を思い出します。「エホバは完全者のもろもろの日をしりたまふ,かれらの嗣業はかぎりなく久しからん。かれらは禍害にあふときはぢをおはず饑饉の日にもあくことを得ん」。ダビデはさらにこう述べています。「我むかし年わかくして今おいたれど義者のすてられあるはその裔の糧こひありくを見しことなし」。―詩 37:18,19,25。
より大きな活動
14,15 奉仕に対するパウロの見方について述べなさい。
14 良いたよりを公に述べ伝える者たちが,進んで奉仕に努力するとき,使徒パウロの次の言葉を思い出します。「しかし五旬節までは,エペソに滞在するつもりだ。というのは,有力な働きの門がわたしのために大きく開かれている……からである」。(コリント前 16:8,9,新口)献身しバプテスマを受けたのち,使徒パウロの肩には,活動を要求する実に多くの責任が課せられました。しかし彼はその責任をよく果し,自分の仕事に大きな喜びをもっていました。「受けるよりは与える方が,さいわいである」と彼は述べています。(使行 20:35,新口)彼は与えに与え,最後まで与えつづけました。あなたは御国のよいたよりの伝道のために進んで身をささげますか。パウロと同じように,開かれた活動への門をくぐる覚悟がありますか。
15 神を喜ばすためには,御国にかんする知識を積極的に他の人々に分け与えなければなりません。これに関連して私たちは,パウロがローマの初期クリスチャンたちに与えた助言から益を得ることができます。「わたしたちは与えられた恵みによって,それぞれ異なった賜物を持っているので,もし,それが預言であれば,信仰の程度に応じて預言し,奉仕であれば奉仕をし,また教える者であれば教え,勧めをする者であれば勧め,寄附する者は惜しみなく寄附し,指導する者は熱心に指導し,慈善をする者は快く慈善をすべきである」。―ロマ 12:6-8,新口。
16 何が円熟するための大きな助けとなりますか。この実を培う人々は,結局どんな益を得ますか。
16 こういう心構えをもっているなら私たちは感謝しながら,忠実に献身の誓を果たすことができます。そうです,バプテスマを受けるには,道徳的にも霊的にも清くなければなりません。そしてエホバの恵みのうちにとどまるには,言葉においても行いにおいても常に清くなければなりません。エホバの御名とエホバの制度に非難をもたらしてはなりません。ですから神の奉仕者は,円熟することを絶えず考えていなければならないのです。この正しい道を歩むさいに大きな援助となるのは,霊の実を培うことです。(ガラテヤ 5:22,23)それはどういう意味ですか。これらの性質(神の御霊の実)とは,愛,喜び,平和,寛容,親切,善意,忠実,柔和,自制です。バプテスマを受けたあと各人は,この実を結ぶことにおいてどれほど進歩しているか,常に自分自身を吟味してみなければなりません。たとえおそいとは思っても,そこには進歩がなければなりません。そして進歩がほんとうに遅くてもやはり,私たちひとりびとりが円熟し,霊的に向上進歩するのは非常に重要なことです。なぜですか。それは私たちがエホバの助けによって,ハルマゲドンまえのこの危険な時代における悪魔の攻撃に負けないためです。
17 (イ)私たちが神のみこころを行なうのを助けるさい,エホバの組織が果たす役割について述べなさい。(ロ)私たちはどのようにエホバの組織に対して尊敬を示さねばなりませんか。
17 神のみこころを行なうさいのもう一つの大きな助けは,エホバがご自分の民と善意ある人々の導きと益のために設けられた制度です。私たちはこれだけのことをひとりで学んだのではありません。教師がいるのです。イエスは言われました。「預言者の書に,『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある」と言われました。(ヨハネ 6:45,新口。イザヤ 54:13)私たちはこのすべての知識を,エホバがいまの時代に喜んで用いておられるご準備を通して,すなわちイエスがマタイ伝 24章45-47で説明しておられる「忠実にしてさといどれい」級で構成されるところの,油をそがれた,霊によって生まれた証者たちを通して得ました。このどれい級は,1884年以来,ものみの塔協会を法的機関として用いてきました。また1879年以来の聖書の真理を流布する主要出版物は「ものみの塔」でした。今日でもやはりそうです。この取り決めに対する尊敬を深めてください。それはエホバの喜ばれることです。(ヘブル 12:9)そして制度そのものを尊敬するだけでなく,エホバによって制度の機構の中の責任ある地位に置かれた人々をも尊敬しなければなりません。私たちは,試みられた忠実な兄弟たちを信頼し,彼らの骨折に対して感謝しなければなりません。兄弟たちは私たちの魂に対して責任をもっているのです。―ヘブル 13:17。
18 (イ)何が交わり始めたばかりの人々によい模範となりますか。(ロ)クリスチャンの忍耐を培わねばならない理由を説明しなさい。
18 円熟することは,あなたに多くの祝福や多くの喜び,多くのしあわせをもたらすだけではありません。それが,現在日毎に急速ないきおいで組織にはいってきている人々の模範となることを考えてみてください。クリスチャンの献身をしバプテスマを受けて無条件で自己をささげ,エホバの力によって堅く忠実を保っている人たちの手本ほど,神に対して善意をもつ人々の励ましになるものはありません。(マタイ 5:16)エホバに忠実を保ち,毎日エホバの祝福と導きを祈り求め,エホバの組織の指示に従って勤勉に働けば,無活動に陥ったり,命の祝福を受け損なったりしないですみます。いったん命の道を歩み始めたなら,その道を歩みつづけ,賞を目ざして絶えず努力しなければなりません。良いことをするのにうみ疲れるのでなく,反対に,ますます喜びを増して,すすんで奉仕を拡大しうる方法を考えなければなりません。―コリント前 9:24。黙示 2:10。
19,20 (イ)クリスチャンが進んで奉仕を拡大させうる方法を説明しなさい。(ロ)忠実を保つ人々にはどんな報いがありますか。
19 あなたは良いたよりの定期的伝道者となるために自分から進んで奉仕を拡大し,毎月奉仕活動で3時間から4時間伝道できますか。戸別伝道で良いたよりを述べ伝えたあと,興味のある人を再訪問してその人と聖書研究をするところまで,進んで奉仕を拡大できますか。1ヵ月に10時間を奉仕活動に用いるほど奉仕を拡大する気持がありますか。さんびの奉仕を拡大して,やがては必要が生じた時に,神の羊の群れの監督あるいは補佐のしもべとして用いられるに足る者となるように,よきわざによって自己を推薦しますか。パウロがこう言ったことを忘れないでください。「もし人が監督の職を望むなら,それは良い仕事を願うことである」。―テモテ前 3:1,新口。
20 私たちが進んで奉仕を拡大する方法はたくさんあり,エホバが献身したご自身の民にお与えになる祝福もたくさんあります。みこころを行なう者たちに対してエホバが約束された正しい新しい世のことを考えてごらんなさい! しかしいまでも私たちは,この世界の恐怖を追放し,クリスチャンの力と忍耐の生きた模範となることによって,クリスチャンの献身とバプテスマの意義を十分理解することができます。私たちは,健全で励ましとなる人生の目標をもっているだけでなく,いま満ちたりた,満足した,幸福な気持でいます。ですからエホバのご親切を味わってください。ハルマゲント前のこの危険な時に,エホバに忠実を保つ人々の上にはエホバの祝福があるからです。いまこそ私たちひとりびとりが,進んで奉仕を拡大することを願うときです。―黙示 21:1-5。詩 110:3。