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犯罪のない社会ものみの塔 1960 | 5月15日
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は共に滅ぼされ,悪しき者の子孫は断たれる。』『正しい人は地にながらえ,誠実な人は地にとどまる。しかし悪しき者は地から滅ぼされ,不信実な者は地から抜き捨てられる。』― 詩 37:38。箴言 2:21,22,新口。
人間はいま,原子炉の中や原子爆弾で非常に強力なエネルギーをつくり出していますが,そのエネルギーを原子の中にとじこめた方が,生きているすべての罪人,神の律法を犯して止めない者全部をさがし出し,滅ぼしてしまう能力をもつておられるのは言うまでもありません。ある人は自分の犯罪行為を他人に分からないように上手にかくすことができたかも知れません。しかし神の目をくらますことはできません。『神のみまえには,あらわでない被造物はひとつもなく,すべてのものは,神の目には裸であり,あらわにされているのである。この神に対して,わたしたちは言い開きをしなくてはならない。』『ある人の罪は明白であつて,すぐ裁判にかけられるが,ほかの人の罪は,あとになつてわかつて来る。』― ヘブル 4:13。テモテ前 5:24,新口。
神がいまの悪い組織制度を滅ぼされた後に,犯罪のない社会がたしかに実現するということは,その時に人類を支配する政府の性質と地に住む人々の性質によつて分かります。それは前に引用したヨハネ第一の書 2章17節の『神の御旨を行う者は,永遠にながらえる』を見てもお分かりになる通りです。神の御旨を行なうそれらの人々は,現代社会の堕落に寄与している者たちではありません。彼らは,箴言 2章21節に述べられている,『正しい人』『誠実な人』たちで,神が悪人を一掃された後の地に残こされる人々です。イエスも山上の垂訓の中で彼らのことをこう言われました,『柔和な人たちは,さいわいである,彼らは地を受けつぐであろう。』― マタイ 5:5,新口。
神の御心を行なうこれらの『柔和な人たち』を支配する政府は,聖書の中で神の御国と同一視されています。それは,キリストを王とする天の政府です。全人類はこの御国の支配下にはいりますから,犯罪は正しい人間の新世社会を腐敗させることはできないでしよう。その時こそ次のように言うことができます,『いつくしみと,まこととは共に会い,義と平和とは互に口づけし,まことは地からはえ,義は天から見おろすでしよう。』― 詩 85:10,11,新口。
『かくてわが聖き山のいずこにても害うことなく,やぶることなからん。そは水の海をおおえるごとくヱホバを知るの知識,地にみつべければなり。』― イザヤ 11:9。
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「細部にいたるまで正確」ものみの塔 1960 | 5月15日
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「細部にいたるまで正確」
ワーナー・ケラーは,「歴史としての聖書」という本に一つの例を引用して,「聖書がいかに細部にいたるまで正確であるか,またその日付と内容がいかに信頼のおけるものであるかを」その例が示していると述べています。著述家ケラーはまず,英国陸軍の将校ビビアン・ギルバート少佐の書いた「ザ・ロマンス・オブ・ザ・ラスト・クルスエイド」(英文)という本から次の部分を引用しています,『第一次世界大戦の時のことである。パレスチナに駐屯していたアレンビイのひきいる軍隊の旅団副官が,ある時のこと,ある地名をさがし出そうとロウソクの明りで聖書をめくつていた。彼の旅団は,深いけい谷の向う側の突出した岩山の上にある村を占領せよという命令を受けていたのである。それはミクマシという村であつたが,彼にはなんだか聞いたことのあるような名前であつた。
『彼はついに,サムエル前書 13章でその名前をみつけ,そこを読んだ,「サウルとその子ヨナタン,ならびに,共にいる民は,ベニヤミンのゲバにおり,ペリシテびとはミクマシに陣を張つていた。」それから聖書は,ヨナタンとその武器を執る者が,夜中にどのように向い側の「ペリシテびとの先陣」へ渡つて行つたか,またどのように二つの険しい岩を通つて行つたかを述べていた。そこには「一方に険しい岩があり,他方にも険しい岩があり,一方の名をボゼヅといい,他方の名をセネといつた。」〔サムエル前 14:4〕彼らは崖をよじ登り,いわば「一くびきの牛の耕す畑のおよそ半分の内で」敵の守備隊を倒してしまつた。敵の主部隊はその乱闘で目をさまし,サウルの軍隊に包囲された,と思つておそれおののき同志打ちをはじめた。〔サムエル前 14:14–16〕。』
著述家ケラーは,物語りの残りの部分を簡潔に述べてこう言つています,『サウルは全軍をもつて攻撃し敵を打ち破つた。……その旅団副官は,この岩の間に,すなわちこの二つの突出部の間にはまだその細い道がありその道の終点にはあの「半段の畑」があるに違いないと考えた。そこで彼は指揮官を起こし,二人でその章をもう一度読みなおした。偵察隊が派遣された。彼らはその道を発見した。トルコ軍の守備は手薄であつた。その道は,明らかにボゼズとセネである二つのごつごつした岩の間を通つていた。
『上の方には,ミクマシだけでなく小さくて平らな畑が月明りに見えた。そこで旅団長は攻撃作戦を変えた。すなわち,全旅団を展開する代りに,一中隊を暗にまぎれてこの道に送り込んだのである。彼らは出くわした二,三のトルコ人を音も立てずに倒し,また崖をよじ登つた。夜明け前になつて同中隊は「半段の畑」のところにやつて来た。目を覚ましたトルコ人は秩序もなく敗走した。アレンビイの軍隊に包囲されたと思つたからある。……「こうして,何千年もたつた後に,英国の軍隊が,サウルとヨナタンの作戦をまねて成功したわけである」とギルバート少佐は言葉を結んでいる。
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