偉大な天の組織が存在しますか
1,2 み使いに関する一般的な考え方はどんなものですか。その種の考え方は何に由来していますか。
目に見えない天の被造物である,み使い,つまり霊者たちについて語られるのをよく耳にしますが,概してその目的や活動にかんする心像は漠然としています。時として宗教画家は,み使いたちを女,もしくは翼のある赤ん坊に似た生き物として描きます。
2 しかしながら,み使いに関するこうした考え方は聖書に由来するものではありません。それは異教の考えです。この点は,古代ギリシア神話を少し調べて,花器や壁画また彫刻その他に見られるギリシア神話の神々や女神の像を見ればすぐにわかります。キリスト教世界の中世の画家は宗教画を書くさい,そうした様式に従ってみ使いを描きました。
3 み使いたちはどんな姿をしているに違いありませんか。とはいえ,み使いたちを実際に見る必要はありません。なぜですか。
3 それにしても,み使いたちの創造者は,み使いたちをどのような者としてわたしたちに示しておられますか。創造者はわたしたちのために,彼らの文字どおりの姿ではなく,その象徴的なかたちを描いておられます。聖書によれば,み使いたちはエホバのみ前に現われて,エホバの尊厳と栄光を直視するにたえる視力の所有者であることがわかります。ゆえに,エホバの威厳にふさわしく,その従者であるみ使いたちもまた非常な光輝のある存在です。もしみ使いを見るとすれば,人間の目はくらんで,見えなくなるに違いありません。それに,み使いを文字どおり見ることよりもずっとたいせつなのは,み使いたちがどんな性質を持っているかを理解することです。―マタイ 28:2-4。ルカ 24:4。ダニエル 10:5-7。
天の戦車の塔乗者
4,5 エゼキエルの幻の最初の部分では何が描かれていましたか。それで今わたしたちはどこに注目しますか。
4 最近の「ものみの塔」誌上で,「ケルブ」という位を持ったみ使いたちの付き添う偉大な天上の戦車にかんするエゼキエルの幻について論じましたが,その幻をここで再び考慮するに先立って,まず最初に,その戦車の搭乗者をみてみましょう。そうすれば,神の取り決めにおけるみ使いたちの立場や機能をよりよく理解できるでしょう。
5 ですから,今その預言者とともに,戦車の輪の上方の,輝く氷のような「大空」もしくは台に注目しましょう。そのはるか上にだれかが乗っておられました。エゼキエルはその見たことをこう描写しています。
6 エゼキエルは,その戦車の搭乗者をどのように描写しましたか。
6 「彼らの頭の上の大空から声があった。彼らが立ちとどまる時は翼をおろした。彼らの頭の上の大空の上に,サファイヤのような〔王座〕の形があった。またその〔王座〕の形の上に,人の姿のような形があった。そしてその腰とみえる所の上の方に,火の形のような光る〔こはく金〕の色のものが,これを囲んでいるのを見た。わたしはその腰とみえる所の下の方に,火のようなものを見た。そして彼のまわりに輝きがあった。そのまわりにある輝きのさまは,雨の日に雲に起るにじのようであった。〔エホバ〕の栄光の形のさまは,このようであった」― エゼキエル 1:25-28〔新〕。
7 エホバはなぜ象徴的な人間の形でご自身をエゼキエルに表わされましたか。神がこのような仕方でご自身をわたしたちに表わしておられるということはどうして有益ですか。
7 このような象徴的な仕方でご自分を表わすとは,エホバはなんと理解と愛に富まれる方なのでしょう。エホバはあまりにも強大な方ですから,その存在を文字どおり表わされるなら,人間は滅びてしまうでしょう。一介の人間にすぎないエゼキエルにとっては,神を表わすのに人間の形以上に理解しやすいものはなかったでしょう。それに,人間のかたち以上に暖かみのあるものがあるでしょうか。律法や命令でさえ,人間の経験のわく内で示されたり,人間の生活に見られる実例によって教えられたりすれば,それは暖かさをおび,人に訴えるものとなり,進んで従おうという気持ちを人にいだかせます。エホバのみことば聖書はそのような本です。その命令は,神の霊に導かれた人たち,つまり人間の用いることばで考えを書き著わし,神への従順の結果としてのりっぱな生き方をみずから経験した人たちの著作を通してわたしたちにもたらされるのです。
8 エゼキエルが見た神の象徴はどんな特異なものでしたか。それは神について何を表わしていますか。
8 さて,エゼキエルの見た形は人間のそれではありましたが,栄光に包まれ,金と銀の光輝く合金である,こはく金のように,またあたかも炉の中で火をもって処理されてでもいるかのようにさん然と光を放っていました。その人のような形の腰のあたりからは,高雅な輝きが上下両方向に発しており,したがって,人のようなその形全体は輝きに包まれていました。それは全能の神の単なる象徴にすぎませんでしたが,目に見えない領域におられる神は実際,筆舌に尽くしえないほど輝かしい方であることを示しています。
9 エホバのかたちは,畏怖の念を起こさせるものではありましたが,どうして病的な恐れを生ぜしめるものではありませんでしたか。
9 エホバの姿にかんする次の事実に注目してください。エホバのことを,まるでその地上の被造物である人間という魂を意識を保たせたまま,火の燃える地獄で永遠に責めさいなむ方でもあるかのように思わせる恐ろしいところ,残忍なところは,エホバにはみじんもありません。完ぺきな虹のように見えるものは,静けさ,のどけさ,嵐のあとの喜ばしい静寂さを思わせる状態を表わしています。それは,全地をおおった大洪水の後,ノアとその子孫であるわたしたちすべてに対して,全地をおおう洪水が二度と再び起こらないことを示す天的なしるしとなるよう,神が天に生じさせた虹を思い起こさせます。―創世 9:12-16。
10 この幻は,エホバがその属性を行使することに関してわたしたちに何を保証するものですか。
10 ですから,神の戦車は戦いの使命をおびてはいましたが,その搭乗者は穏やかさと平静さを保っておられました。その方は,そうした穏やかな態度で知恵,公正,力そして愛という属性の完全な均衡を保てるのです。知恵と,公正を欠き,力と愛に欠けているとしてその方を非難することは決してできません。その輝かしい姿は,何らかのまちがいを犯すことによって曇らされることは絶対にありません。
戦車が象徴するもの
11-13 エホバは文字どおりの王座に座しておられるのでも,文字どおりの戦車に乗っておられるのでもないことはどうしてわかりますか。
11 わたしたちは,エホバが文字どおりの王座に座しておられるとか,文字どおりの戦車に乗っておられるなどと考えるべきではありません。この点を例証するものとして,詩篇作者は同じことを別の象徴を用いて次のように描写しています。
12 「わが魂よエホバをほめまつれ わが神エホバよなんぢは至大にして尊貴と稜威とを衣たまへり なんぢ光をころものごとくにまとひ天を幕のごとくにはり 水のなかにおのれの殿の棟梁をおき雲をおのれの車となし風の翼にふりあるき かぜを使者となし焔のいづる火を僕となしたまふ」― 詩 104:1-4。
13 ここで用いられている象徴的に表現する手法は,エゼキエルの戦車の描写に解明の光を投げかけるものとなります。エホバは戦車に乗っておられないのと同様,文字どおりの雲に乗ったり,風の上を歩いたりなさるわけではありません。とはいえ,地上の人類のためにある事がらを行なうため,ご自分の代理者として確かにそうした自然現象をお用いになる場合もあります。それで,その戦車はエホバが導き,指揮し,人類に対して用いる何ものかを象徴しています。幕屋やエルサレムのエホバの神殿の調度品はそれよりもはるかに重大な霊的な事がらを表わすために,エホバの定められた型に厳密に合わせて設計されましたが,その戦車についても全く同じことがいえます。―ヘブル 8:5。歴代上 28:11,12,19。
14 では,その戦車は何を表わす,あるいは象徴していますか。その答えの理由を述べなさい。
14 では,その戦車は何を表わす,もしくは象徴するものですか。すべての聖なる被造物,つまり天の領域にいるみ使いたちで構成されている。エホバの天の組織を象徴しています。古代の王たちの戦車に走者が付き添ったと同様に,エゼキエルの幻の中ではケルブたちが戦車に付き添いました。(列王上 1:5)ダビデは,エホバがそれらみ使いたちを用いてご自分の民をどのように助けるかについて次のように書きました。「われ窮苦のうちにありてエホバをよび又わが神にさけびたりエホバはその〔神殿〕よりわが声をきゝたまふ その前にてわがよびし声はその耳にいれり……エホバは天をたれて臨りたまふ その足の下はくらきこと甚だし かくてケルブに乗りてとび風のつばさにて翔り」― 詩 18:6-10〔新〕。サムエル後 22:7-11。
15 エホバはどんな意味で,み使いたちの上に『乗って』おられますか。
15 エホバは霊者もしくはみ使いたちを支配し,ご自分の目的にしたがって彼らを用いるという意味で,単にひとりのみ使いの上ではなく,彼らすべての上に『乗って』おられます。エホバは至高の神,至上者です。ですから,みずから,また直接どこかに赴くかわりに,ケルブあるいはセラプ(特定の位もしくは務めを持つみ使いたち),またはどんなみ使いでも派遣できます。エホバはご自分の霊(ご自身の見えない活動力)をそうした使者に伴わせ,その使者を通して働かせることによって,事実上,そのような霊の被造物に『乗られる』のです。神の聖霊を伴ったひとりのみ使いがそのように用いられた例は,使徒行伝 8章26,29節に出ている,福音宣明者ピリポとエチオピアの宦官の経験に見られます。
16-18 預言者ダニエルと使徒ヨハネの幻は神の天の組織について何を明らかにしますか。
16 預言者ダニエルと使徒ヨハネはふたりとも,エホバのこの天の組織の幻を見ました。それによれば,その組織は,天的な取り決めの中でおのおの独自の場所と務めを持つ何百万ものみ使いたちで構成されていることがわかります。何世紀も時を隔てて与えられたそれら二つの幻を比べてみるのは興味深いことです。こうしるされています。
17 「我観つつあるに遂に宝座を置列ぶるありて日の老たる者座を占めたりしがその衣は雪のごとくに白くその髪毛は洒潔めたる羊の毛のごとし又その宝座は火の焔にしてその車輪は燃る火なり 而して彼の前より一道の火の流れわきいづ彼に仕ふる者は千々彼の前に侍る者は萬々」― ダニエル 7:9,10。
18 「我また見しに,御座と活物と長老たちとの周囲にをる多くの御使の声を聞けり。その数千々萬々[万の万倍]にして,大声にいふ『屠られ給ひし羔羊こそ,能力と富と知恵と勢威と尊崇と栄光と讃美とを受くるに相応しけれ』」― 黙示 5:11,12。
19 エホバの天の組織はどのように働きますか。
19 ダニエルとヨハネがこの強大な組織を描写したことばからすれば,み使いたちは神の奉仕者として,見えると見えないとを問わず,この宇宙のさまざまの所で,遂行すべき使命を受けていることがわかります。この取り決めのあらゆる部分は完全に円滑に協働し,エホバの霊,つまり結合の完全なきずなの働きのゆえに,そこには愛,知恵,公正,力その他エホバのすぐれた属性が行き渡っています。
20 (イ)ある人びとはなぜ「組織」ということばを嫌いますか。(ロ)人間の組織と神の天の組織との間にはどんな違いがありますか。
20 ある人びとは「組織」ということばを嫌いますが,それは確かに,宗教・政治・商業上の世の諸組織につきまとう圧制を見てきたためです。しかし,組織の欠如は無秩序を意味しますが,「神は乱の神にあらず,平和の神」です。(コリント前 14:33)しかしながら,国家的な組織とは違って,天にあるエホバの組織はイエスがご自分の地上の弟子たちのために定められたその同じ原則にのっとって働きます。イエスは言われました。「あなたがたは,諸国民を支配しているように見える者たちが人々を威圧し,彼らの偉い者たちが人々の上に権威を振うことを知っています。あなたがたの間ではそうではありません。かえって,あなたがたの間で偉くなりたいと思う者はだれでも,あなたがたの奉仕者で(なければなりません)」― マルコ 10:42,43,新。ダニエル 10:13と比較してください。
現代における天の組織に対する認識
21,22 エホバの証人は,神が天の組織を持っておられるということを,少なくともどれほど昔に理解していましたか。1924年「ものみの塔」誌はこのことについて何を述べましたか。
21 エホバの証人は1922年より前に,エホバがそのような組織をまさしく持っておられるということに注目させられました。そして,1924年12月15日号の「ものみの塔」誌は371ページの「神の組織」という副見出しのもとで,こう述べています。
22 「われわれはエホバの計画をよりよく理解すればするほど,エホバがあらゆる組織の中でも最もすばらしい組織を持っておられるという事実をいっそう十分に理解できる。エホバはその威厳と尊厳さゆえにご自分の命令の詳細およびその執行に直接注意を払うことはされない。至高の天のその永遠の王座から,ご自分の欲するままにご自身の力を行使されるのである。その天廷においては,それぞれの名の示すとおり,さまざまの被造物が職務についている。その中にはケルビム,セラピムそして天使と呼ばれる者たちがいる。天使たちは偉大なエホバの使者また執行官と言ってもさしつかえないであろう」。
23 エホバの象徴的な「戦車」にかんする理解を得た「忠実で思慮深い奴隷」はその感謝の念をどのように表わしましたか。
23 戦車にかんするエゼキエルの幻は,「預言」と題する本の中でも論じられました。a その本は,神により油そそがれた地上のクリスチャンの一団である「忠実で思慮深い奴隷」の手で,その法人機関,ものみの塔聖書冊子協会を通して1929年に発行されました。(マタイ 24:45-47,新)その本の第5章は,「神の組織」という題でした。次いで1931年,それらクリスチャンは,天上の戦車にかんするエゼキエルの幻をエホバの組織にあてはめた解説を含む,「立証」b と題する本の第1巻を発行しました。そして「ものみの塔」誌は1931年10月15日号から1950年8月1日号に至るまで,その表紙の右上端にエゼキエルの見たその戦車のさし絵を載せました。
24 エホバの組織にかんする象徴的な幻を与えられた点で,エゼキエルはだれのための証人でしたか。エゼキエルはそのことを,自分が書き著わしたものの中でどのように明示しましたか。
24 エゼキエルの幻は,エホバの組織が当時,つまりクリスチャン会衆が設立される645年前にも存在していたことを示しています。エゼキエルはその組織を単に象徴によって見ただけでなく,それがどのように働くかをも見ました。エゼキエルは確かにエホバのための証人です。霊感によるヘブル語聖書の創世記からマラキ書までに神のみ名エホバが6,961回出ていますが(1971年版,新世界訳,英文),そのうち439回はエゼキエルの預言者に出てきます。そしてエゼキエルは,諸国民・諸民族・個々の人びとが「わたしがエホバであることを知るであろう」という,神の不変の目的を示す神ご自身の陳述を62回引用しています。
25 今日だれが現代のエゼキエルを構成していますか。
25 エホバの天の組織は永遠のものですから,もちろんそれは今も存在しています。今日,地上に残っていて,その組織を認める,エホバのクリスチャン証人の油そそがれた者たちは,預言者エゼキエルによって表わされています。1919年以来,それらの証人はエホバの王国を宣明し,エホバの名を知らせてきました。エゼキエルの時代に,戦車に似たその組織が活動していたのと全く同様,それは今日でも活動しています。その組織はそれらクリスチャン証人と霊的な接触を保ち,証人たちの行なっている世界的なわざの面で彼らを支持してきました。
26 エホバの天の組織にかんする啓示はエホバの証人にどんな影響を及ぼしてきましたか。
26 『エホバの栄光のように見えるもの』を想見したエゼエルがひれ伏したと同様,エホバの天の組織を認めたエホバの証人は,畏怖の念とともに,エホバに対するこのうえなく深い敬意に満たされてきました。そして,エゼキエルがその戦車の搭乗者の言われることを注意深く聞いたと全く同様,エホバの証人は,エホバがそのみことば聖書を通して仰せになることに熱心に耳を傾けてきました。証人たちは,それが自分たちの生活や活動にどのようにあてはまるかを見てきたので,目に見えない仕方で聖なるみ使いたちがわざを導き,国際的な反対にもかかわらず神の王国の良いたよりをふれ告げさせているということを悟っています。―黙示 14:6,7。
27,28 現代のエゼキエル級にだれが加わりましたか。彼らはエホバの天の組織をどう見ますか。
27 天の王国でキリストとともに支配する希望をいだく,地上のそれらクリスチャン証人は少数で,今日わずか1万人ほどいるにすぎませんが,この事物の体制の終わりを生き残って,エホバの新秩序にはいる希望をいだく,「他の羊」の「大群衆」に属する,増し加わる大勢の人びとが,彼らに加わってきました。(黙示 7:9。ヨハネ 10:16,新)それでも,その人数は,150万を越えるとはいえ,30億余の世界人口からすれば取るに足りません。それで,神のそれらしもべたちはこの天の組織の保護が必要であることを認めています。
28 諸国民はそれらのクリスチャンが,全能の至高の神はエホバであるということを国々の民に知らせる点で表わしてきた勇気に驚嘆しています。そのふれ告げるわざが,何ものも抵抗できない天の勢力によって支持されていることを認識できるようになる人たちは何と幸いなのでしょう。
[脚注]
a 絶版,在庫切れ。
b 絶版,在庫切れ。