人々と諸国家を笑いものにする
1 (イ)全能の神は,苦しめられた御子にあびせられたすべての嘲笑と恥辱について笑ったのですか。それとも何を笑われましたか。(ロ)イエスの復活に関する知らせを伝えさせまいとする企てがなされたとき,そのことを笑ったのはだれですか。
全能の神についてはなんと言えますか。神は,「天の国」を伝道させ,かつそのメシヤの政府の王として統治させるべく油注がれたご自分の御子に嘲笑と恥辱があびせられるのをご覧になりました。神は笑いましたか。笑うことができましたか。はい,できました! ただしそれはいうまでもなく,ご自身のお名前と,ご自分を代表する王で,恐るべき苦しみを受けた御子イエス・メシヤにふりかかった侮べつについてではありません。宇宙の至上者であられる全能者の御心とお目的をはばもうとする弱小な人間の極端な手段と努力を笑われたのです。3日目のこと,神の天使が栄光のうちに下り,イエスのしかばねを納めた墓の封印を破り,その石をころばせてどかし,番兵が気も失わんばかりに恐れたとき,今度はだれが笑う番でしたか。番兵の報告に接した祭司長や宗教上の仲間は笑えませんでした。彼らは兵士たちを買収し,『弟子たちが夜きたりて,我らの眠れる間に彼を盗めり』と言うようにと命じたのです。(マタイ 28:2-4,11-15)しかしイエスの復活に関する多くの事実は,500人以上のまことの証人たちの証言により,一般の人々に伝えられました。ではいったいだれが笑いましたか。ほかならぬ全能の神でした!
2,3 (イ)全能の神は,いつ,また,どのようにして事の真相を一般の人々に知らせましたか。(ロ)全能の神が,イエスに対するたくらみをくじかれたいきさつを,ペテロがあかしたのはいつですか。
2 イエス・キリストを殺してメシヤによる御国支配を妨げようとする,宗教と政治の結束した努力が払われた時から51日後,全能の神はこの問題にかかわる諸事実を一般の人々に知らせはじめられました。西暦33年シワン6日(ユダヤ暦),五旬節の祝いの日,全能の神はイエス・キリストの忠実な追随者120人の上に聖霊を注がれたのです。彼らは,死からよみがえらされて自分たちの眼前に形をとって現われたイエスを見た人々です。そして,五旬節を祝おうとしていた人々のうち3000人以上の者が集まり,これら120人の証人が聖霊の奇跡的な力によって多くの国語で「神の大なる御業」について証言するのを聞きました。そして,ひとりのおもだったクリスチャン証人,使徒ペテロが立ち上がり,全能の神がご自分の油そそがれた御子メシヤに対する宗教家や政治家のたくらみをくじかれたいきさつを群衆に率直に語り,次のように述べました。
3 「ナザレのイエスは,汝らの知るごとく,神かれによりて汝らのうちに行ひ給ひし能力あるわざと不思議としるしとをもて汝らに証し給へる人なり。この人は神の定め給ひし御旨と,あらかじめ知り給ふところによりて付されしが汝ら不法の人の手をもて〔刑柱につけ〕て殺せり。されど神は死の苦難を解きてこれをよみがへらせ給へり。彼は死につながれをるべき者ならざりしなり……神はこのイエスをよみがえらせ給へり我らはみなその証人なり。イエスは神の右にあげられ,約束の聖霊を父より受けて汝らの見聞するこのものを注ぎ給ひしなり。それダビデは天に昇りしことなし,されど自ら言ふ『〔エホバ〕わが主に言ひ給ふ,我なんぢの敵を汝の足台となすまでは我が右に座せよ』と。〔詩 110:1〕さればイスラエルの全家はしかと知るべきなり。汝らが〔刑柱に〕つけしこのイエスを,神は立てて主となし,キリストとなし給へり」― 使行 1:12–2:36,〔新〕。
4 (イ)西暦33年の五旬節の日のできごとを,宗教指導者が笑い得なかったのはなぜですか。(ロ)彼らは宮でイエスとその復活を伝道した二人の使徒ペテロとヨハネの事件をどう処理しましたか。
4 ペテロと仲間の証人たちの話を聞いた約3000人の群衆が,よみがえらされて天に高められたメシヤなるイエスに関する良いたよりを信じてその追随者となったことは,エルサレムの宗教指導者にとって決して笑いごとではありませんでした。(使行 2:37-47)また,これら宗教指導者にとって,メシヤなるイエスに関する伝道がエルサレムの自分たちの宮で,しかも使徒ペテロおよびゼベダイの子ヨハネたちの手で行なわれたことはまさに笑いごとではありませんでした。約束のメシヤつまりキリストを永遠に葬り去ろうとした宗教および政治上の敵の努力を全能の神がくじいた方法,つまり復活に関する伝道を,サドカイ派の宗教家は,特に嫌悪しました。そして,使徒ペテロおよびヨハネを捕えて投獄させ,そうした行動に関するさばきを受けさせました。しかしユダヤ法廷はそのふたりの使徒をおどしたうえで釈放せざるを得ませんでした。今や神はご自分の御子なるメシヤの忠実な追随者を迫害する者たちを笑っておられました。ここにその証拠があります。どうしてそう言えますか。
5,6 (イ)ペテロとヨハネに対して不当な処置を取った宗教指導者が,エルサレムのクリスチャンに直ちに及ぼしたその影響を笑い得なかったのはなぜですか。(ロ)当時のクリスチャンたちのささげた祈りに対するエホバの答えが,支配者たちを大笑いさせる理由とならなかったのはなぜですか。
5 クリスチャンの使徒たちに対するそうした公の不当な処置が取られたのちのできごとからわかるのです。宗教上の権威者たちは,その狂信的な処置の及ぼす影響,つまりこれらのクリスチャンがそうした権威者の処置に対して取った態度を笑えましたか。笑うことはできませんでした。記録はこう述べています。「彼ら〔つまりペテロとヨハネ〕は釈放されてから,仲間の人々のもとに行き,祭司長たちや古い人たちが語った事柄を報告した。一同はこれを聞くと,神に向かって声を合わせて言った。『至上者であられる主よ,あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られたかたであり,また,聖霊を通し,わたしたちの先祖であり,あなたのしもべであるダビデの口によってこう言われました。『なぜ諸国民は騒ぎ,もろもろの民はむなしい事柄を思いめぐらしたのか。地の王たちは立ち上がり,支配者たちは一団となってエホバとその油そそがれた者とに逆らった』。はたしてヘロデとポンテオ・ピラトとは,国々の人々およびイスラエルの諸族とともに,あなたが油を注がれた聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり,あなたの御手と御旨とによって起こることのあらかじめ定められた事柄を行ないました。エホバよ,かれらのおどしに目をとめ,あなたの奴隷たちにみことばを大胆に語り続けさせてください。また,御手を伸ばしていやしをなし,あなたの聖なるしもベイエスを通して,しるしと驚異とを起こしてください」,新。
6 このことに続いて生じた事柄は,ヘロデ・アンテパスやポンテオ・ピラトはもとより,エルサレムの宗教上の支配者たちを大喜び,あるいは大笑いさせるものでは決してありませんでした。こう書かれています。「そして彼らが祈りを終えたとき,彼らの集まっていた場所は揺れ動き,彼らはみな聖霊に満たされ,神のことばを大胆に語った」― 使行 3:1–4:31,新。
7 弟子たちが祈りの中で詩篇 2篇の二つの節をその事態にあてはめたことから考え,当時エホバはキリストとその追随者への反対を笑っておられたと,どうして言えますか。
7 西暦1世紀のこれらキリストの弟子たちの示した大胆さのゆえに,全能の神は,ご自分のメシヤおよびその忠実な追随者に向けられた反対を嘲笑し得たのです。神はまさしく笑いました。弟子たちが全能の神にささげた祈りの中に引用した詩篇 2篇は,神が笑うことを予告していたからです。弟子たちはその祈りの中で,古代エルサレムのダビデ王の書いた霊感による詩篇の最初の2節の成就を述べましたから,同じ詩篇のあとの節のことばもそのとき同様に成就を見ていたに違いありません。神が笑うことについて述べたことばが出てくるのはそこです。詩篇 2篇の2節から6節(新)はこう述べています。「地の王たちは立ち上がり,高官たちは一団となってエホバとその油そそがれた者とに逆らって言った。『彼らのかせをこわし,彼らのなわを我々から捨て去ろう』。天に座しておられるかたは笑い,エホバは自ら彼らをあざけられるであろう。その時,神は怒りをもって彼らに語り,激しい憤りをもって彼らを困惑させて言われる。『わたしはわたしの聖なる山シオンにわたしの王を立てた』と」。
8 (イ)なぜエホバは反対者たちを笑うことができましたか。(ロ)エホバはヘロデ,ピラト,イスラエル民族のそれぞれに対してどのように語ってご自身の不興を表わされましたか。
8 地上の政治家および宗教指導者のどんなしぐさも事態を変えることはできませんでした。メシヤの追随者に反対し,迫害を加えても,全能の神エホバの取り決めを変えることはできません。こうした事情にもかかわらず,神はよみがえったメシヤを天のシオンの山つまり天の政府の最高位であるご自分の右にすでに置かれていました。ゆえに神は地上の敵対者をあざけり笑うことができました。また,彼らに対して怒りをいだき,かつ激しい憤りをもって彼らに語るだけの理由がありました。何年かののち,バプテスマのヨハネの殺害者でイエス・キリストを嘲笑したヘロデ・アンテパスはローマ政府によりゴール州に追放され,そのおいに当たるヘロデ・アグリッパは突如災いをこうむり,虫に食い尽くされました。(使徒 12:1-23)一般の歴史によれば,ポンテオ・ピラトは後年,ローマ帝国からきびしい仕打ちを受けました。また西暦70年には,チッスの手で聖都エルサレムとその宮が滅ぼされ,ユダヤ州が荒廃したため,ユダヤ国民は悲嘆に暮れました。しかしメシヤであるイエスは天のシオンの山で地上のご自分の追随者を引き続き治め,彼らを強めて,ローマおよびイスラエル民族からの迫害にもかかわらず,神の国の伝道を続けさせました。
9 詩篇 2篇には,西暦1世紀におけるこうした成就を予表する歴史的な背景があることを述べなさい。
9 西暦1世紀に驚異的な成就を見た詩篇 2篇には,そうした成就を予表する歴史的な背景がありました。紀元前11世紀に作られたこの詩篇 2篇は当時の国際情勢に基づいて書かれたものです。イエス・キリストの地上の先祖にあたるベツレヘムのダビデは,イスラエル12部族全部を治める王として油を注がれ,またエルサレムの町を見おろすシオンの山の敵のとりでを攻略しました。そしてダビデ王は南の町ヘブロンから王座を移し,このシオンにすえました。しかし近隣のペリシテの国民がこのことを聞くに及んで,ペリシテ人の諸都市の王たちは軍を集め,ダビデ王をその位から追い,イスラエルのこの新しい王がなわとつなとで縛られることを避けようとしました。しかし全能の神はこれら異教のペリシテ人の干渉を少しも許されませんでした。そこで神は彼らに対する奇跡的な勝利を二度にわたってダビデに得させ,彼らを壊滅させ,ダビデ王に服従させました。―サムエル後 5:1-25。
10 (イ)エホバは詩篇 2篇の中でダビデ王のために何を行なうと述べておられますか。(ロ)これはなぜ歴史的に重要な事柄ですか。
10 その後,エホバは勝利を収めたダビデに霊感を与えて,詩篇 2篇をしるさせ,首都シオンの山から約束の地全土に対してなされる,エホバの油そそがれた王ダビデの統治を妨げ得ると,むなしくも考えた王たちと諸国民をエホバが笑うであろうと書かせました。エホバは国際的な動乱と抵抗および反対にもかかわらず,ご自身が油をそそいだ王ダビデをその40年の治世の終わりまで聖なるシオンの山で統治させました。このすべては歴史上きわめて重要な事柄です。油をそそがれたダビデは,油をそゝがれた者であるイエスのすぐれた先祖にあたるだけでなく,イエスを予表する人物だったからです。ダビデという名前が「最愛の」という意味を持つように,イエスはエホバ神の最愛のかたなのです。―マタイ 3:17; 17:5。
20世紀のいま神は笑う
11 詩篇 2篇のこうした昔の成就を見て,わたしたちは今どんな質問をしますか。
11 3000年の昔にシオンの山で統治したダビデ王は,その敵をエホバ神とともに笑うことができました。ダビデの子孫のうち最大の人物であるイエス・キリストが人間としてこの地上におられたのは今から19世紀前のことです。さてわたしたちが生きている今は1969年の春です。この20世紀のできごとおよび情勢は詩篇 2篇をもう一度成就させて歴史を繰り返すものとなりますか。エホバ神はこの事物の体制に属する政治上の諸国家を再び笑っておられますか。そのとおりです! なぜですか。
12 (イ)イエスはいつ異邦人の時について話されましたか。また,それはいつ終わりましたか。(ロ)一般の歴史家は,その年に何が終わったと語っていますか。
12 あなたは「異邦人の時」あるいは「諸国民の定められた時」について聞いたことがありますか。イエス・キリストは,シオンの山をも含む当時の城壁で囲まれたエルサレムの都に関連してそのことを次のように話されました。「エルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民によって踏みにじられるであろう」。(ルカ 21:24,新)この「諸国民の定められた時」は地上で永遠に続くものではなく,いつの日か満たされ,あるいは完結しなければなりません。それはいつですか。イスラエルが1967年の6月,6日間の戦争でアラブに勝ち,城壁で囲まれた旧市街を含む東エルサレムを占領した時ですか。そうではありません! 異邦人の時はそれより幾年も前の1914年,第一次世界大戦勃発の年にすでに終わったのです。西暦1914年の何十年も前に注意深い聖書研究生は聖書の時間表と聖書預言を用いてこの年代を算出していました。その重大な年以来の世界のできごとや状態から見て,1914年に異邦諸国民にとって何事かが,あるいは一時代が終わったことはまぎれもない事実です。一般の歴史家は諸国民にとって平和と安全の時代がその年に終わったことを述べています。しかしイエスのことばによれば,1914年に何が終わったのですか。
13 (イ)イエスのことばによれば,西暦1914年に実際には何が終わりましたか。(ロ)西暦33年「エルサレム」が異邦人によってさらに踏みにじられることは,実際にはどのように生じましたか。
13 異邦諸国民(非ユダヤ人)がエルサレムを踏みにじる定められた期間が終わったのです。(ルカ 21:24)踏みにじるといってもそれはイエスの時代の地上のエルサレムを踏みにじるのではなく,神の油そそがれた王の治める政府の所在地としてエルサレムが表わしたものを踏みにじることです。すなわち,(1914年以来)もはや異邦人に踏みにじられることのない「エルサレム」とは,ダビデ王の家系の油そそがれた王が治める神の国のことです。紀元前607年,ダビデの子孫ゼデキヤ王が退位させられ,その統治下にあったエルサレムとユダの地が荒廃に帰した時,異邦人はこの意味で「エルサレム」を踏みにじりはじめました。イエス・キリストもまたダビデ王の子孫でしたから,西暦33年,「カイザルの忠臣」すなわち宗教指導者の要求に屈したポンテオ・ピラトが,イエスをローマの兵卒に引き渡して,刑柱の上の死を遂げさせた時,エルサレムは異邦諸国民によりさらに踏みにじられました。―ヨハネ 19:12。
14 (イ)よみがえったイエスが天に高められた西暦33年にメシヤによる神の国が建てられなかったのはなぜですか。(ロ)では,西暦1914年は天と地におけるどんな変化の年となりましたか。
14 全能の神エホバはご自分の最愛の御子を死からよみがえらせ,天のご自身の右に高められました。では,その時ただちに神の国はダビデ王のこの正統な子孫である相続者の手によって建てられましたか。そうではありません!(使行 1:6,7)イエス・キリストは,エルサレムの踏みにじられる異邦人の時が満了する,神のご予定の時が到来するまで,天で待たねばなりませんでした。(ヘブル 10:12,13)神のあらかじめ定められた年は西暦1914年でした。古代エルサレムとユダが異邦バビロン人の手で最初に荒廃させられてから2520年を経たその年に,エルサレム,つまりダビデ王の子孫で神により油をそゝがれた者によって地を治める神の国の権利を異邦人が踏みにじる時は終わりました。したがってメシヤによる神の国は今度は地上にではなく,天で再興されたに違いありません。それでエルサレムの象徴したものが異邦諸国民によって踏みにじられるまゝにされるかわりに異邦諸国民自らが踏みにじられねばならず,メシヤによる神の国の油そゝがれた王の足台とされねばならないのです。(詩 110:1,2)こうして西暦1914年という年は,天と地の両方にとって変化の時となりました!
15 (イ)異邦諸国民はなぜこのすべてを知らないでいることができませんか。(ロ)もし諸国民とくにキリスト教国の諸国民が御国の証言を受け入れ,それに従っていたなら,事態はどのように異なっていましたか。
15 イスラエル共和国を含め,異邦諸国家はこの事実を知らないでいることはできません。20世紀の歴史はその理由を示しています。まさしく西暦1914年以来,天に建てられたメシヤによる神の国の知らせがすべての国の民に伝えられてきたからです。イエス・キリストがマタイ伝 24章14節(新)で言われた,「御国のこの良いたよりは,すべての国の民への証しとして,人の住む全地に宣べ伝えられるであろう。それから終わりが来るのである」ということばは,決してむなしくなりませんでした。ではもし異邦諸国民とくにキリスト教国の諸国民がその証しを受け入れ,実際にそれに従い,エホバのクリスチャン証人が行なうように自らの主権を天の神のメシヤによる国に譲り渡したなら,どうなったでしょうか。世界の状態や情勢は今日のそれと異なっていたでしょうか。そうです! 神の最愛の御子,即位したメシヤなる王イエス・キリストに服従する者に対する神のお約束のすべてが彼らの上に成就してきたことでしょう。そして歴史は,1914年以来,御国の証しを行なってきたまことのクリスチャンを迫害した者という,破廉恥な刻印を彼らに押さなかったことでしょう。
16 世界の現状および情勢は,諸国民が1914年以来どんな道を取ってきたことを物語っていますか。
16 しかし,エホバのクリスチャン証人が人の住む全地で御国に関する証しを行なってきたにもかかわらず,キリスト教国とユダヤ民族を含む異邦諸国民は,1914年における異邦人の時の終わり以来,神の道ではなく自分勝手な道を取ってきました。今日の地上に見られる驚くべき悲惨な状態や一般情勢はこの事実を如実に物語っています。彼らは,この地の正当な支配者である,神のメシヤすなわちキリストに,自分たちの主権を譲り渡すことを頑強に拒んできました。そして,二度の世界大戦を行なってまで世界支配を目ざす権力闘争を続け,今また三度目の世界大戦をほのめかして全人類を脅かしています。また,世界の平和と安全については,国際連盟そしてその後身である国際連合を頼りにし,それを天の神のメシヤによる国の実際的な代用物とみなしています。そして不信心な彼らはメシヤの国を思い浮かべることも認識することもできません。
17 (イ)1914年に異邦人の時が終わって以来,どんなことが大きな問題となっていますか。(ロ)自分たちに許されていることすべてを行なえても,諸国民は神のなさるどんな事柄を無効にしたり,妨げたりすることができませんか。
17 1914年の異邦人の時の終わり以来,世界的な問題となっているのは,エホバ神のメシヤの国の支配と異邦諸国民による全地の支配のいずれを取るかという問題です。異邦諸国民が勝ちますか。勝つことができるでしょうか。できるものなら,メシヤによる神の国を全世界で宣明する者たちを圧迫させなさい。御国に敵対して行ない得ることをことごとく行なわせなさい。しかし彼らは,今天のシオンの山で位にある,エホバの油そそがれた王キリストを退位させることはできません。また,天のメシヤの国が彼らをキリストの足台とし,滅ぼし去るのを妨げることもできません。全能の神は今かれらをあざけり笑っておられます。今日すべての国の民は自分勝手な道を取るゆえに混乱し,そのゆえに神の道に逆らっています。諸国家は自分勝手な企てを推し進め,かつ宣伝して,むなしい事柄を企て,また水泡に帰する事柄をつぶやいています。聖書の歴史と預言はこのことを予告しました。―詩 2:1-6。使行 4:25,26。
18 (イ)詩篇 2篇10節から12節に勧められているとおり,諸国民はどんな賢明な道をとるべきでしたか。(ロ)彼らはどんな知恵に従ってきましたか。また,彼らにふりかかる事態はどのように予表されていましたか。
18 諸国民は1914年の異邦人の時の終わり以来メシヤに敵対してきた自分たちの歩みの実をすでにくらっています。賢明なのは神のみことば聖書を研究し,地上の王およびさばき人たちに対するその助言に聞き従い,神の最愛の御子に『口づけ』し,自発的にその臣民となり,メシヤの政府の下でエホバ神に仕えることでした。(詩 2:10-12)ところが彼らは,現代の科学技術によって称揚される人間の知恵に従うことをよしとしました。しかし彼らのこの世的な知恵がその結実またはその結果によって正しいとされることはないでしょう。彼らは災厄に直面しているのです。ダビデ王の時代のペリシテ人やイエス・キリストの使徒たちの時代の宗教および政治上の迫害者の場合と同様,彼らは災厄に見舞われるでしょう。その時,神の知恵に従う者は,次のことばに予告されたとおり,大きく笑うことでしょう。
19 その時,「まことの知恵」は何を行ない,また何を語りますか。
19 「まことの知恵はちまたで叫(ぶ)……わたしは呼んだが,あなたがたは拒み続け,わたしは手をさし伸べてきたが,顧みる者はひとりもなく,あなたがたはわたしの助言をすべて無視し続け,わたしの戒めを受け入れなかったので,わたしもまた,あなたがたの災いを笑い,あなたがたの恐れるものが来る時,わたしはあざけるであろう。それは,あなたがたの恐れるものが嵐のように訪れ,あなたがたの災いが暴風のように到来し,悩みと苦難の時があなたがたに臨む時である。その時,彼らはわたしを呼び続けるであろう。しかしわたしは答えない。彼らはわたしをひたすら求めるであろう。しかしわたしを見いだせないであろう。彼らは知識を憎み,エホバを恐れることを選ばなかったからである。彼らはわたしの助言に同意せず,わたしの戒めすべてを軽んじた。ゆえに彼らは自分たちの道の実をくらい,自らの企てに飽きるであろう。未熟な者のそむきは自らを殺し,愚かな者の怠惰は自らを滅ぼすからである」― 箴言 1:20-32,新。
20 第一次世界大戦の終わった1918年以来,諸国民はどんな行進について警告を受けてきましたか。彼らはどんな戦いを欲していますか。
20 長年にわたって,そうです,第一次世界大戦の終わった1918年以来,異邦諸国民は,自分たちが「全能の神の大いなる日の戦い」のためハルマゲドンに向かって行進していることを警告されてきました。(黙示 16:14,16,新)a 国際連盟および国際連合はいずれもこの行進を遅くさせるどころか,速めてきました。国家主義を推し進め,全能の神のメシヤによる御国ではなく異邦諸国民による世界支配をあと押ししてきたからです。諸国家は戦いを欲しています。それは国々の間の戦いではなく,宇宙の至上者でこの地球の創造者であられる神に対する一致団結した戦いです。
21 (イ)聖書の見地からすれば,今日の事態はなぜ笑うことのできるものですか。(ロ)エホバが嘲笑なさることの正しさは,どこで,またいつ立証されますか。
21 今日のこうした情勢を考えるとき,おかしさを感じます。笑われるのは諸国民です。創造者なる全能の神に比べれば,彼らは桶のひとしずく,あるいは,はかりざらのかすかなちりにすぎないからです。(イザヤ 40:15)彼らが求めているのは滅亡にほかならず,ハルマゲドンにおける大論争の最高潮に際してそれをこうむるでしょう。(黙示 19:11-21)全能の神は,世界支配を目ざす最後の全面的な決戦にいどむ諸国家を昂然と笑い,ご自分のメシヤなるイエス・キリストをつかわして,彼らに対する戦闘を開始させ,地に対する神の正当な支配にいどむそれら異邦人挑戦者を滅ぼされるでしょう。そして,神が昂然と諸国民を笑われたのは,神の正当な行為であることが立証されるでしょう。それまで,国際的な反対にもかかわらず,エホバの証人はメシヤの御国の「良いたより」を全世界で伝道し続けます。そしてその時,メシヤの御国は全地をことごとく支配し,全人類のとこしえの福祉を図るでしょう。こうして人類のうちの従順で賢明な人々はみな永遠に祝福されるのです。
わたしたちは神とともに笑いますか
22 今そして将来,神に笑われることは,わたしたち各人にとって何を意味しますか。どうすればそうした事態を避けられますか。
22 さて,わたしたちひとりびとりについてはいかがですか。諸国民の苦悩のいよいよ深まる今日,わたしたちはその中にあって,全能の神およびそのメシヤ(キリスト)に笑われていますか。神はハルマゲドンで勝利を収め,わたしたちを笑うことになりますか。そうした事態に直面するかいなかは,わたしたち各人が決めることです。わたしたちが笑われることはわたしたちの滅びを意味しています。そしてその前の今,不要な苦難,悩み,問題に遭遇します。心の正しい正気な人で,そうした事態の下で笑われたいと願う人がいるでしょうか。笑われる必要はないのです! 世界の諸国民には愚かなふるまいを続けさせなさい。しかしわたしたちはそうしないようにしましょう。わたしたちは上からの知恵,天的な知恵,つまりまことの知恵に従いましょう。
23 まことの知恵は,聞き従う者に何を約束していますか。そうした状態の下にいるのはどうして願わしいことですか。
23 まことの知恵を無視した者たちの悩みの日に,まことの知恵が笑うであろうことが述べられたのち,結論としてこうしるされています。「しかしわたしに聞き従う人は,安全に住み,災いの恐れで悩まされることがないであろう」。(箴言 1:33,新)そうした状態にあるのは願わしいことではありませんか。その状態の下では,全知全能の神の御手によってなんらかの災い,あるいは恐ろしいものがもたらされるという心配は少しもありません。それとは逆に,神はわたしたちに是認のほほえみを表わされるのです。そして,「全能の神の大いなる日の戦い」のあいだ,わたしたちは確かに神の保護を受けるでしょう。そのゆえにこそわたしたちは,笑われる諸国民の滅びに生き残り,最愛のメシヤ,大いなるダビデの治める神の国の下,正義の新しい秩序に導き入れられるでしょう。その時,全能の神は,わたしたちの生活を,健全な清い楽しみで満たしてくださり,わたしたちはともどもに大いに笑うことでしょう。
[脚注]
a 1926年5月,ものみの塔協会により発行された「神の救ひ」と題する本の第12章「最後の戦ひ」をごらんください。