「きたるべき代」に告げる
エホバの「光栄あるみわざと,その力とくすしきみわざとをきたるべき代に告げるてあろう」― 詩 78:4。
1 神から授けられた生殖力を行使するとき,どんな責任が生じますか。この責任はどの範囲まで及びますか。
子供をうみ出す能力と特権は,天地万物の創造主,生命の泉であるエホバ神から授けられたものです。(詩 36:9)人間が不完全ながらもこの能力を用いているのは,エホバ神の恵みにほかなりません。この特権にあずかった以上,親には重い責任があります。両親は真実の意義と目的ある人生を送らせるという,大切な務をゆだねられているのです。肉体の生命を与えただけで精神生活を顧みないのでは,この務をはたしたことになりません。動物でさえ子に生命を与えます。しかし神のかたちに造られ,理性を授けられている人間は動物にまさっています。文字に書かれた神のことば聖書は,宇宙の驚異を創造し,人間を創造したエホバのお目的を記録しています。その目的とは,人間がエホバをほめ,無比の創造主エホバの栄光をあらわすと共に全宇宙を治める神の道は正しく,また実際的であって人間を生命の道に導くという事実を示すことです。―詩 145:10。
2 大切な事柄を子供に教えない親があるのはなぜですか。従ってその人々はどのように見られても当然ですか。
2 たとえ短い命ではあっても,創造主にほまれと賛美を帰そうとしない人は,神から授けられた貴重な賜物を正しく用いていません。その人は心の中に「エホバはいない」と言った愚か者にまさるところがありません。(詩 14:1)このような人は創造主を無視し,創造主の存在を否定します。従ってきわめて愚かなことに自分自身の存在を否定しているのです。創造主なしに被造物の存在するわけがありません。このように不敬虔な人は,動物が子に与える以上のものを子供に与えることができません。自分自身,生を享けた理由を知らず,また理解していない人が,どうして次の世代にこれを教えることができますか。またエホバの与える宝すなわち天からの知恵を授けられずに育った子供は,どうして人生に最大の意義と幸福を見出すことができますか。
3 (イ)ノア,アブラハム,ヤコブその他の人は,親としてどんな手本を残しましたか。(ロ)エホバがアブラハムを知ったと言われているのは,なぜですか。
3 幸いなことにどの時代にも,この責任を認識し,最高至上の神のほまれと力を次の世代に忠実に告げた人がいました。それは親の手本となったノア,アブラハム,ヤコブその他多くの人々です。ノアからよい教えと訓練を授けられていたため,ノアの息子たちは危機の時に勇気をもってノアと同じ立場を守り,敬虔な家族の一員として生き残ることができました。(ヘブル 11:7)エホバがアブラハムに心を留められたのは,次のような理由のためでした。「そは我 彼をして其後のこどもらと家族とに命じエホバの道を守りて公義と公道を行はしめん為に彼をしれり」。(創世 18:19,文語)今日エホバ神の友であると思う親は,ノアやアブラハムと同じくこの恵まれた立場にふさわしく行動しなければなりません。
4 多くの両親はどんな間違った考えを抱いていますか。それは大きな間違いであることはどうしてわかりますか。
4 しかし子供が大きくなってから創造主のことを教えればよいと考えている親もあります。これは間違った考えです。130年以上も前にこのような考えを抱いたクリスチャンがありました。「子供に宗教を教えてはならない。それは特定の信条に片寄らないためである。子供が自分で選択できるようになるまで,また選択するまで放任しておくべきだ」。(申命記 第6章6-9節に関するアダム・クラークの注釈)これとは反対に神のことばは,「子をその行くべき道に従って教えよ,そうすれば年老いても,それを離れることがない」と両親に教えています。(箴言 22:6)若いヨシヤとテモテの実例は,他のすべての事におけると同様,このことにおいても神の教えが実際に益となる,受け入れるべきものであることを証明しています。(歴代下 34:1。テモテ後 3:15)世の親の多くは人間の知恵を重んじていますが,その結果は今日の激増する青少年犯罪によく表われています。
5 (イ)この点で,世の知恵はどこに人を導きますか。(ロ)天からの知恵は何を教えていますか。
5 天からの知恵を捨てる人がみじめな状態に陥ることは,1952年12月11日付トロント,テレグラム紙に出た心理学の一教授の言葉からもうかがわれます。「家族のかしらの権威が常に保たれ,かつ疑問の余地なく認められていたのは昔のことである。今日かしらの権威は存在しない。昔は上から下に命令を与える仕組が必要であった。力を合わせて働き,種をまき,収穫することは生存してゆくための条件であった。かしらである父親は権威を要求し,また実際に権威を持っていた。今日ではたとえ控え目にしろ,権威を行使すると反発される。これは新しい傾向である。事態の成行きは楽観できないが,なんとかなるには違いない」。このように当惑する必要はありません。親の権威というむちを使わないのは,神の定めによって親が家庭内で占める地位を放棄するに等しく,無秩序への道を開くことです。この問題に関する神の教えは明白です。「望みのあるうちに,自分の子を懲らせ」。「むちと戒めとは知恵を与える,わがままにさせた子はその母に恥をもたらす。あなたの子を懲らしめよ,そうすれば彼はあなたを安らかにし,またあなたの心に喜びを与える」― 箴言 19:18; 29:15,17。
6 なぜちゅうちょすべきではありませんか。何を決意しなければなりませんか。
6 新しい世代の知るべき大切な事柄を告げるのを延ばしてはなりません。大人にならないうちに,正しい知識を教え込まれていることが必要です。そうすれば不敬虔な世において信仰をためす試練に臨んでも,固く立つことができるでしょう。ちゅうちょしている時ではありません。近年の歴史を見ても,しっかりした信仰の基礎がなかったために容易に洗脳され,捕虜収容所において相手の思うままに変えられてしまった人の例があります。従って二,三年の教育では不十分です。少しずつ訓練を授けて進歩をはかるプログラムが必要です。それは幼いときから始まって成人するまでつづけられ,子供の生活を形成するものでなければなりません。
進歩的に告げる
7 子供のしつけは何時から始めるべきですか。説明しなさい。
7 赤ん坊が目を開き,また外界の音を聞くようになるや否や,頭に印象を刻み始めます。赤ん坊は何を耳にしていますか。激しいことばのやりとり,言い争い,混乱ですか。それとも物静かで品位のある話し方や行いですか。両親は子供の敏感な心にどんな印象を与えていますか。子供がやがて話すことを覚え,自己を表現するようになると,それは知的な教育を始める時です。この機会を活用していますか。母親は適当な聖書の手引を用いて子供を教えることができるでしょう。たとえば「失楽園から復楽園まで」にある沢山のさし絵を説明したり,善悪は神に対する従順,不従順また神を喜ばせるかどうかによって決まることを教えられます。またその日学んだ事柄を父親に報告させるのはよいことです。勤めから帰った父親がこうして子供の話を聞いてやれば,子供にとって励みとなり,進歩をうながすに違いありません。このように有益な訓練も,思いつくときにしたのでは,たいした成果を期待できません。これを家庭生活の一部にするならば,神のことばの真理は子供の心に根をおろし,親の喜びとなるでしょう。
8 (イ)進歩的な訓練にはどんな益がありますか。(ロ)このようなプログラムを行なうにあたって,両親は何に留意しますか。
8 やがて子供に遊び仲間ができ,学校に行くようになると,悪い考えや悪い態度を見聞きするようになります。さてこの段階で子供をしつけるにあたって,子供のした良いこと悪いことを,すでに子供の親しんでいる聖書中の出来事に結びつけて話すことができます。こうして親の言葉は,しかるにしてもほめるにしても更に有意義な,権威のあるものとなるでしょう。子供が成長して物事の原因と結果を理解するようになり,感情と態度を理解するにつれて,両親はよほど気をつけて,家庭内で常に正しい振舞いをしなければなりません。両親が1回でも言い争ったり,口を聞かなかったりすれば,せっかくのしつけも何週間ものあいだ台なしになります。親から聖書の教えを聞かされている以上,子供は聖書の良い教えにかなった生活をし,行いをすることを親に期待します。子供は親のすること話すことをおもしろがって,自分もそれを覚えようとし,その通りにやってみようとするものです。そうすることが子供のためになりますか。それは両親の示すお手本次第です。子供はまたいろいろな事を聞きます。親はどうすべきですか。うるさがって子供の好奇心をおさえつけるならば,子供はどこか別のところで答を得るでしょう。そしておそらくは世の知恵に基づいた間違った答を与えられるに違いありません。(ヤコブ 3:15)時間を惜しまずに子供の真じめな質問に答え,真実の知恵の源であるエホバ神のことばを考えにいれながら答えを与えて下さい。(コリント前 2:6-10)時間を惜しむことなく知識と理解を与えるとき,子供はエホバの目に美しいものとなります。―箴言 4:7,8。
9 十代のはじめ頃からとくにしつけるべき事柄を説明しなさい。
9 子供が自己を主張するようになる十代の初期は,非常に大切な時期です。親の監督を受けていない大ぜいの子供とも一緒になります。どの子供も自分の思う通りにしようとします。文字通りにも比ゆ的にも,権威というむちを使わなければならないのはこの時です。もっとも権威のむちは常に愛と思いやりをもって使わねばなりません。(箴言 23:13,14)またなぜそうしなければいけないのかを子供が尋ねるとき,「だまって言われた通りにしなさい」と言ってすませるのは良くありません。エホバは人間をどのように扱われていますか。文字に書かれたエホバのことばは,神の要求される事柄の理由を人間が知るように,「あげつらはん」と述べています。(イザヤ 1:18)そして神のご要求には必ずもっともな理由があるのです。また他の子供たちに許されている自由はほんとうの自由ではなく,家族に対するエホバのご要求を知らないために放任されているに過ぎないことを説明する必要も起きるでしょう。
10 子供の心にこの世の知識が教え込まれるとき,両親はその事態にどう対処しなければなりませんか。理由を説明しなさい。
10 十代の少年少女は自分たちが大人であると考え,大人のように行動しようとします。学校で少しばかり知識を得て,えらくなった気でいます。このような時期に親は永続するどんな感化を与えていますか。学齢期以前の訓練によって,子供はエホバが真実の知識の源であることを心にしっかり留めているはずです。(詩 94:10)学校で学ぶ歴史,宗教,科学の知識はナショナリズム,宗派,進化論によって歪められる危険のあることを注意するように教えなければなりません。理由を説明しなさい。これをはっきり理解させておかねばなりません。この事のために親の権威が失われしまうことがあるからです。この時期に真実の知識を与えられていない子供の多くは,親を時代おくれときめてしまいます。
11 人気を得たいという欲望はなぜ危険ですか。どうすればそれに打ち勝てますか。
11 十代も上の年頃になると,人気を得ようとの欲望が強くなるため,この欲望に負けて将来をあやまることのないように親は子供を導かなければなりません。この欲望との戦いに成功するには「測り知れない力」が必要です。エホバからのこの力を得るには,祈りと共にエホバの真の崇拝者との交わりが必要です。(コリント後 4:7)人気を得ようとの欲望は正しいもののように見え,人を欺きます。実際にはそれは金を愛する心をはぐくみます。この欲望にとりつかれた人は何事にも度を過すようになってこの世の交わりに陥り,遂にはこの世の悪徳にまき込まれてしまうかも知れません。人気を得ようとすることは,それがスポーツ,ドレス,性,社交,実業界での出世など,いずれの面においてであっても,その人の心を奪ってしまい,霊的に健全なものを受け入れる余地を残さなくなります。(テモテ前 6:9,10)このような欲望が忍び寄ってくるのに警戒しなさい。子供と一緒にヘブル書 11章を何度も読んで話し合い,信仰を抱いて神を喜ばせたこれらの人々が世にいれられず,迫害されたこと,しかしエホバの目から見れば「この世は彼らの住む所ではなかった」ことを銘記させましょう。(ヘブル 11:38)他の何よりも神の恵みを求める心を子供に与えなさい。
12 (イ)子供の性教育は大切ですか。なぜですか。(ロ)その効果的な方法は何ですか。
12 この時期において性は大きな問題です。しかし性の事柄を口にするのは下品なことと誇張して考え,この問題について子供に正しい知識を与えない親は少なくありません。それでいながら青少年の不道徳を嘆いています。聖書は上品に,しかも適確にこの問題を述べていることに注目して下さい。夫に性的な満足を与える妻を家の泉にたとえて,箴言 5章15節から19節は次のように述べています。「あなたは自分の水ためから水を飲み,自分の井戸から,わき出す水を飲むがよい。あなたの泉を,外にまきちらし,水の流れを,ちまたに流してよかろうか。それを自分だけのものとし,他人を共にあずからせてならない。あなたの泉に祝福を受けさせ,あなたの若い時の妻を楽しめ。彼女は愛らしい雌じか,美しいしかのようだ」。「自分の水ため」とは婚姻関係を結んで迎えた妻を意味していることを説明できます。未婚でありながら結婚の分に与るのは盗みに等しいことを説明しなさい。箴言 9章17節は,未経験の若者に淫婦のささやく誘惑の言葉を次のように表現しています。「盗んだ水は甘く,ひそかに食べるパンはうまい」。また聖書は,淫行をする者,姦淫をする者,盗む者,奪う者その他これに類する行いをする者が,神の国の下に実現する事物の新しい組織を継ぐことはないと述べています。―コリント前 6:9,10。
13 青少年はどうすれば性の問題について正しい釣合を保てますか。
13 性の道徳の乱れている世の中で,いまわしい病気の危険が待ちかまえていることも警告して,性の意識のかちすぎた青年の心に分別を与えなければなりません。梅毒その他の性病が増加していることは統計を見ても明らかです。性病のおそろしさ,そのもたらす苦痛と致命的な結果を明白に説明することをひかえるべきではありません。同時に異性との交際においても子供を正しく監督することが必要です。子供の自制心,正義感に頼り過ぎるのは間違いです。性の衝動は大きな力を持っています。性の問題に関する権利も責任も十分にわきまえていない青少年に誘惑となるような機会を与えるのは,自動車の運転法も他人の権利を尊重することもろくに教えないで,子供に自動車の運転を許すようなものです。世の中の性道徳が乱れていると言っても,それは標準になりません。両親も子供も,求めるべきものは神の恵みと生命であって,世の人気と死ではないことを思いおこすべきです。
子供と親しむ
14 (イ)悪い仲間から子供を守るものは何ですか。(ロ)子供に対する本当の愛はどのように示されますか。
14 悪い仲間を持ったり,何か悪いことをして時間を過すことから子供を守るには,それにかわるものを与えねばなりません。エホバがアブラハムを知ったと言われているように,お子さんと親しんで下さい。それは親の愛情の表われです。同じ屋根の下に暮らしても互に孤立していたのでは,これは不可能です。本当の意味で生活を共にするという事が必要になってきます。気持よく暮らすために必要な家の中の片づけや掃除は,小さな子供にも手伝わせることのできる仕事です。このようにすれば両親が家族と共にくつろいで有益な事をする時間もふえることでしょう。くつろぐ時間でも,家族の絆を強める方法は,創意を用いるならばいろいろあることに気づくでしょう。歴史,自然,地理,考古学その他を家族が共同でしらべるのも一つの方法です。図書館を利用するとか,博物館その他教育的な価値のすぐれた場所に連れてゆくとか,自然に親しんで創造の驚異を観察するなどのことをできます。近所の子供たちも集めて家庭で映画やスライドを見せるのは,子供が楽しみながら学ぶよい方法でしょう。子供は大きくなるにつれていろいろな仲間と交わり,悪に染まるかも知れません。そういうことのないように親が子供の仲間になってやるのは,親の愛の表われです。
15 子供と親しむにしても,何に注意すべきですか。なぜですか。
15 子供と親しむにしても,子供があまりになれて親に対する尊敬を失うことのないように心を配るべきです。親がすべての言動においてエホバをうやまうならば,子供も親を尊敬するでしょう。親は正しいことをまげない,しっかりした態度と首尾一貫した態度を示さねばなりません。良いと言えば,それはよい,いけないと言えばそれはいけないことが,はっきりしているべきです。うるさくねだる子供のわがままを許してしまう事はありがちですが,わがままにさせたり,小さな事だからといって大目に見て安易な道をとるのは,子供に不従順を教えることです。子供の将来のために,それは無責任なことではありませんか。
子供の将来を計画する
16 どのように子供は幸福な将来に導かれますか。
16 子供の将来を計画するにあたって,神を知り神の戒めを守って生きることの大切さを教えるこの教育のおもな目的を忘れてはなりません。それで最も有意義な人生を送ることに子供の目を向けさせるべきです。天からの知恵を教えることに献身した預言者のことを話し,また聖書に出てくる昔の勇敢な戦士は今日の霊的な戦士の手本であることを説明してごらんなさい。武器を持たなくても,霊的な戦士は敵を逃げ走らせ,誤謬の要塞を打ちくずし,とらわれている人々を解放します。(コリント後 10:4-6)神の国のために働く大きな機会のあることを悟らせて下さい。世の中で何をするにしても,それはエホバの大いなるみわざと目的を宣べ伝える仕事のための手段に過ぎないことを悟らせなければなりません。
17 正しい話し方を教えることは,子供の幸福な将来とどんな関係がありますか。
17 すぐれた言語能力は将来のためにも根本的に大切です。すぐれた話し方とはわかりやすい,上品な,礼儀正しい話し方です。また何よりも真実を話さなければなりません。自分を正しく表現することを子供に教えるならば,その益は多くの面に表われるでしょう。問題が起きてもそれをはっきり説明できるのでなければ,その子供を援助できません。子供の考えることや言うことをおさえつけてしまうと,自分の世界に閉じこもって家族とも余り交渉のない,また真理にかわく人々が周囲に大ぜいいても気にかけない内向型の性質にならないとも限りません。(箴言 18:1)家の中に愛と暖かさ,協力があるためには,家族だけの内輪な相談というものが必要です。(箴言 15:22)親しめる,もののわかった,話せる親であれば,親の知らない間に子供が悪い考えにとりつかれる事はまずないでしょう。(ヘブル 12:15)正しい話し方を教えるには,教える者が正しい手本を示さねばなりません。良い事柄を話題にした良い話は心をいやし,楽しませると聖書に書かれています。(箴言 15:23。詩 107:20)子供でも正しく教えられているならば,利己的で冷淡な世の中を嘆く人々に希望と慰めをもたらすことができます。
18 「きたるべき代」に告げる両親の熱心な努力に,どんな励ましがありますか。
18 エホバのくすしきみわざを「きたるべき世に告げる」という務をはたしている両親は大ぜいあります。これを神から与えられた務と心得ている両親は決して例外ではありません。このような両親は家庭で教えるにとどまらず,子供を連れて御国会館や,いくつかの家族が集まって聖書を学ぶ家庭集会に出席します。毎週きまった時間に開かれるこれらの集会は,神のもたらす新しい秩序に対する信仰と希望を強めます。近所にこのような集会がなければ,善意者が集まって聖書を学ぶ集まりをご自分の家に開くことはいかがですか。研究の資料としてこの雑誌を使うこともできます。それは神のことばから知識の宝をさぐりあてるのに役立つことでしょう。この知識は今の時代に必要です。このように健全な交わりは家族にとって大きな益となります。
19 神から与えられた務を首尾よくはたすために,両親は何に警戒すべきですか。忠実にこの務をはたすとき,どんな前途がありますか。
19 エホバは両親である皆さんに子供たちという,大きな遺産を与えられました。また永遠にわたる幸福な将来のために子供を訓練し,形づくることも委ねられました。両親のこの務に献身してはいかがですか。家族をもつ人にとって,これにまさる務はありません。これにくらべれば付随的なものとも言える会社の勤め,社会的な地位,娯楽などのために,この務がおろそかになってはならないはずです。子供は親の生活の中に生きた信仰の行いを認め,それについて尋ねることでしょう。そのとき親が信仰の理由を説明すべきことは,申命記 6章20節から25節のことばからも明らかです。「後の日にいたりて汝の子なんぢに問てこの汝らの神エホバが汝らに命じたまひし戒命と法度と律法とは何のためなるやと言ば 汝の子に告て言べし……エホバ我らにこのもろもろの法度を守れと命じたまふ是われらをして我らの神エホバを畏れて常に幸ならしめんため又エホバ今日のごとく我らを守りて生命を保たしめんとてなりき」。(文語)成年に達するまでのあいだ,それぞれの時期に応じて訓練を授けて下さい。このことに心を傾けて下さい。そうすれば子供は成人したときにも正しい道を離れることなく,両親と共に大いなる創造主に仕えることをやめないでしょう。エホバの力,すばらしいみわざ,必ず成し遂げられるお目的を子供に教え,理解させて下さい。ことばと行いによってこれらの事を「きたるべき代」に告げて下さい。
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