-
恥を避けたいですか。高ぶりを避けなさいものみの塔 1965 | 8月15日
-
-
苦しみです。
悲さんで不名誉なバビロンの最後は,私たちにとって何の警告ですか。
これは神のしもべをもって任ずるすべての人にとって警告です。指導者に追随して高ぶった行いをし,また神のことばにさからう,あるいは神のことばに信仰をおかない伝説や人間の言葉に従うことのないように,注意しなければなりません。これはまた次のことを認識させます。すなわち大いなるバビロンの大宗教帝国が支配する悪の事物の諸制度を永続させようとする人間の努力にたより,哲学者,科学者,宗教家を問わず誇り高ぶった人間の言葉を信頼するのは自滅の道です。私たちは箴言を書いた賢人の言葉を認識しています。
箴言のどんな言葉が私たちの心に銘記されますか。
「高ぶりが来れば,恥もまた来るへりくだる者には知恵がある」― 箴言 11:2。
-
-
読者からの質問ものみの塔 1965 | 8月15日
-
-
読者からの質問
● 組織の指示に時おり修正や変更のある事を考慮する時,1938年までに神の地上の組織が厳密に,ないしは完全に神権的な機構を整えたという事はどのように説明できるのですか。
まずはじめに,神の地上の組織が厳密に,ないしは完全に神権的になったという事の意味を理解せねばなりません。「神権制」とは,「神の支配」,または「神による支配」を意味します。それゆえ,一つの組織が完全に神権的になるために,その組織は神,または神の力によって完全に支配され,指導されねばなりません。もとより,1938年以前にもエホバはご自身の組織を導かれ,組織はその時代にあってエホバの意図された仕事を成し遂げていました。当時,エホバは組織の管理についてかなりの自由をご自身のしもべに与え,しもべたちの代表者として奉仕する人々を民主的な投票によって選出することさえ許しておられました。しかしながら,これは使徒時代の会衆運営の仕方ではありません。奉仕の地位に人を任命したのは会衆でなく,使徒自身であり,神の活動力も使徒を通して伝達されました。(使行 14:23; 19:6)また,諸会衆がどのように行動すべきかを決定したのは,エルサレムにいた使徒や長老からなる統治体であり,この統治体は神の聖霊に動かされていました。(使行 15:28)それゆえ,1918年,宮に来られたエホバは,この完全に神権的な取り極めを回復させ始め,地上の組織に対する管理の強化を始められました。これは漸進的な過程をとりました。それゆえ,投票によって人を長老の職に選出する民主的で,非神権的な方法は,1932年になって初めて廃止されました。
こうして神権的な管理を強化する事は1918年から1938年までの20年間にわたって続けられました。この期間は,ソロモンがエホバの宮,自分の家,さばきの廊,レバノン森の家すなわち兵器庫などを完成した,20年の建設工事期間に相当します。1938年,エホバはこれら二つの期間の対照をご自身のしもべに啓示され,それは2部からなる「ものみの塔」の記事「組織」の中に発表されました。1月1日号,および15日号に掲載されたこの記事は,その時以後,エホバの組織が,エホバご自身の任命されるしもべたちから成る地上の統治体を通して働く,エホバの霊によって導かれ,動かされるべき事を余すところなく証明しました。その記事の最終節には次の一文がありました。「今や,エホバの神権政府は,神の民を完全に支配しています」。
しかしこれは,組織が静止し,奉仕を遂行するための新しい計画や新しい方式が採用されないという意味ではありません。実際にはその逆でした。「組織」に関するこの記事の中で,「ものみの塔」誌は,20年にわたる建設工事を完了したのちのソロモンが新たに全国的な建設事業を開始した事に読者の注意を向けました。模型の成就としてこれがどのようなかたちをとるのか,また,前途に何が成し遂げられるのかは,当時まだ理解されていませんでしたが,「ものみの塔」誌はこのように書きました,「全き確信をもって私たちは待機し,見守ります」。今日,私たちは,大いなるソロモンとも言うべきイエス・キリストの世界的な建設事業の結果を見ており,これまでに成し遂げられた事柄を見る私たちは,それがただ神の霊,および神の民自身の成長と発展とによる事を悟ります。仕事に新しい分野が加えられるにつれてあたらしい方式が求められ,それは時おり見られる組織の指示の変化や修正となってあらわれました。しかし,そのすべては,エホバ神ご自身の直接の指揮下にある,全く神権的な組織の発展の過程です。それゆえ,修正や変化そのものが完全に神権的なものであり,完全に整えられた組織の神権的な機構を変えるものではありません。
-