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覚えていますかものみの塔 1977 | 8月1日
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覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● イエス・キリストが千年統治の終わりに王国をみ父に渡すのであれば,イエスの支配に『終わりがない』と述べられている聖書の言葉をどう理解すべきですか。
メシアの王国は滅びによって終わることなく,その立派な業績の実は永遠に残る。―201ページ。a
● マリアが『長い剣に貫かれる』という,シメオンの預言はどのように成就しましたか。―ルカ 2:35。
大多数の人がイエスを退けたことは,マリアに悲痛な思いをさせたに違いない。しかし,イエスが凶悪な犯罪者のように杭に付けられるのを見ることは,マリアにとって長い剣で貫かれるに等しく痛ましいことだった。―221ページ。
● エレミヤ記 22章23節でエルサレムの都が「レバノン」と呼ばれているのはなぜですか。
エルサレムは,高くそびえる場所に位置していたゆえに,堂々たる西洋杉の茂る,山の多いレバノンのようであった。また,王宮の建築に際して杉材がおびただしく用いられたので,王宮は杉が深く生い茂るレバノンのようであった。―388ページ。
● 良い聞き手であることが,監督の責任を持つ人々に特に大切なのはなぜですか。
他の人の健全な助言に耳を傾けるなら,重大な間違いを犯さずにすむ。他の人の言葉に注意を払うと,考えが鼓舞され,他の人々の感情を理解でき,ささいなことが大きな問題になるのを防ぐために必要な処置を講ずることができる。―247ページ。
● 人が交わりを持つべきでない,と箴言 13章20節に書かれている「愚かな者」とはどんな人のことですか。
単に知識が足りない人ではなく,道徳上の真理に対して鈍感で,神を恐れない人。―260ページ。
● クリスチャンはどのようにして『互いを敬い』ますか。―ローマ 12:10。
仲間の信者に深い敬意を払うことにより,また彼らの言うことを真剣に聞き,その言葉や感情に心からの,誠実な注意や考慮を払うことにより。―262,263ページ。
● 男は頭を覆わずに祈り,女は頭を覆って祈るようにという,コリント第一 11章4-6節の助言が,個人の祈りに必ずしも適用されないのはなぜですか。
コリント第一 11章4-6節の助言は会衆の集会に関するものであり,したがってそれはグループでささげる祈りに当てはまる。そのことは,預言することが祈りと一緒に述べられている事実からも分かる。明らかに,人は自分の部屋で祈りをささげている時に独りで預言を語るとは思われない。―346ページ。
● エノクはどのように「死を見ないように移され」ましたか。
エホバが,エノクに死の苦しみや,どんな死の意識をも経験させなかったことは明らかである。エノクが将来のすばらしい発展の幻を見ている間に彼の命を短くされたのかもしれない。―327ページ。
● 結婚の合法性を決定する際,民事当局の決定を絶対的なものとみなすべきですか。
そうではない。結婚に関する民事当局の見解は国によって様々である。それらが相反していることすらある。民事当局の見解が聖書と相入れない場合もある。真のクリスチャンにとって,絶対的な権威は神のみ言葉に示されている,結婚に関する神の規準である。―396,397,401ページ。
● 責任を果たせる人々を信頼するには十分の理由がありますが,それは何ですか。
エホバ神はご自分の忠実なしもべたちを信頼する面で模範を示してこられた。信頼を示すことによって,多くの場合協力が得られ,率先することを励まし,動機付けを与えて,立派に仕事を果たせたという喜びに,より多くの人があずかれるようにする。―463ページ。
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「ふうちょうぼくの実ははじける」ものみの塔 1977 | 8月1日
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「ふうちょうぼくの実ははじける」
昔から,ふうちょうぼくの実は食欲を刺激するために用いられてきました。聖書の伝道の書 12章5節(新)で,老人を描写した中に『ふうちょうぼくの実がはじける』ことが述べられています。その例えが言おうとしているのは,年を取って食欲が減退すると,ふうちょうぼくの実を用いても食欲が起こらないということです。
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