正しい交際を求めなさい
1 人の交際は,影響を及ぼすことができますか。ソロモンは,このことをどのように述べましたか。
『その仲間によつて,どんな種類の人であるかが分る』と言われています。これは人を判断する正確な仕方ではありません。しかし,仲間は,善悪のどちらにせよ,強力な影響を及ぼすことは全くたしかです。賢明な王ソロモンは,次のように語りました,『知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害をうける。』(箴言 13:20,新口)そして今日では,愛の御心を持たれる創造者の高尚で清い考えから人々を引きはなして,サタン悪魔の支配下にあるこの世の利己的な考え,肉的な物質主義的な考えに向けさせようとする,悪い影響は,いままでにかつてない程に増し加つています。それですから,正義を愛するすべての人がこの世から離れて,神とともに交わり,神の道に従つて神を崇拝することは全く肝要です。―コリント後 4:4。ヨハネ 15:17-19。
2 ノアの日に正しい交際と悪い交際の結果は,どのように示されましたか。
2 正しい交際を求めることは,生死に係る事柄です。このことはノアの日の大洪水のときに表われました。そのとき,悪鬼共は人間に化体して,人間の堕落と腐敗をすすめました。聖書にはこう書かれています,『ヱホバ人の悪の地に大なると,その心の思いのすべてはかる所のつねにただ悪しきのみなるを見たまえり。』しかし,ノアは群衆と行動を共にしませんでした。彼は群衆と交際せず,その堕落した考えと交わりを持ちませんでした。『ノアは義人にしてその世の全き者なりき。ノア神と共に歩めり。』ノアと彼の家族は,正しい交際を求めて,その世界の災に生き残りました。―創世 6:1-12。ヘブル 11:7。ペテロ後 2:5。
3 (イ)テモテ後書 3章1-5節で使徒パウロの預言したどんな事柄は,今日悪い交際をぜひ避けねばならぬ理由ですか。(ロ)私たちの時におけるどんな預言の成就により,神は正しい交際のための世界的な準備をもうけましたか。
3 ノアの時代のときに正しい交際が生命か死を決定する事柄であつたなら,終りの時に住んでいる者たちにとつてもそうでしよう。終りの時はノアの時代のようである,とイエスは言われました。使徒パウロは,末の日における人間社会の悪について述べた後に,こう助言しました,『こうした人々を避けなさい。』それは悪い交際を避けるということです。(マタイ 24:37-39。テモテ後 3:1-5,新口)私たちの時代に正しい交際を求めることは,聖書の預言の成就によつて大きな影響をうけています。その聖書の預言は,この末の日にキリストの霊的な兄弟たちの忠実な残れる者たちが集められて,大いなるノア,キリスト・イエスの支配下の神の家にこれらの者たちが復興されることに関連しています。これら油注がれた証者たちの復興した会衆は,霊的な宮の残れる者をつくりあげます。全国民からの大いなる群衆の人々は,この復興した会衆のところに来て,正しい交際を求め,神の道を学んで,その道に歩きます。―イザヤ 2:2-4。黙示 7:9,14。
悪い交際を避けなさい
4 (イ)悪い交際を避けることについてコリント後書 6章14-18節にはどんな強い助言が書かれていますか。(ロ)どんな正しい交際が述べられていますか。
4 この世の悪を避けて神の民と交際を持つことについて,使徒パウロは次のように書きました,『不信者と釣り合わないくびきを共にしてはならない。義と不義とどんな係わりがあるのか。光とやみとなんの交わりがあるか。……信者と不信者となんの分け合いがあるか……私たちは生ける神の宮である。神がこう仰せになつている,「私は彼らの間に住み,かつ出入りをするであろう。そして,私は彼らの神となり,彼らは私の民となるであろう。」だから「『彼らの間から出て行き彼らと分離せよ』とヱホバは言われる。『そして汚れたものに触れてはならない。』」「『そうすれば私はあなた方を受け入れよう。』」「『そして私はあなた方の父となり,あなた方は私の息子,娘となるであろう。』全能者なるヱホバがこう言われる。」』悪い交際を避けよ,との助言が繰り返し述べられていることに注意いたしなさい,「これらの者から離れよ」「彼らの中から出よ」「分離せよ」そうすれば「私はあなた方を受け入れよう。」不信者と係わり,交わり,分け合い,あずかり合いがあつてはなりません。別の言葉で言えば,神と交わるためには,不信者と交際を持つてはならないのです。―コリント後 6:14-18,新口。エゼキエル 37:27。イザヤ 52:11。エゼキエル 20:41。
5,6 (イ)悪い交際を避けよという助言は,何に言及していますか。また何に言及していませんか。(ロ)初期クリスチャンに対するどんな助言は,このことを強調しますか。
5 もちろん,これは献身したクリスチャンが現在のこの組織制度とのあらゆる接触から離れて孤立しなければならぬという意味ではありません。働く場所,日常の生活,伝道という場合の時には,雇主,仲間の同労者,商売上の仲間,家族,隣人そして他の者と接触します。あらゆる接触を避けるには,地上から去らねばならない,ということになるでしよう。(コリント前 5:10)しかし,「そのような者から離れよ」,彼らとの交際を避けよということは,神の考えと一致調和しない者たちの仲間にならないという意味です。つまり,それらの者の考えと行動にあずからない,ということです。物質主義的な心で一杯の人々の考えは,神の考えと一致調和していません。そのような人々が不正直でなく,不道徳でないにしても,彼らはヱホバを崇拝してヱホバに奉仕することを第一に考えてはいません。彼らと定期的に交際する者は,間もなくそれらの人々と同じような考えをいだくでしよう。彼らの考えに心を向けるなら,新しい世にたいする信仰は弱まり,熱心は消滅して忠実は消え失せ,良心は麻痺してしまい,研究と奉仕についてのヱホバの要求を真剣に取りあげなくなります。いままでにつくられた研究と奉仕という有益な習慣は,そこなわれてしまうでしよう。使徒パウロは,この危険を考えていたので,復活に希望を持たず,正しい行動をしようとしない者たちとの交際を禁ずる次の警告を述べました,『まちがつてはいけない。悪い交わりは,良いならわしをそこなう。目ざめて身を正し,罪を犯さないようにしなさい。あなた方のうちには,神について無知な人々がいる。』(コリント前 15:33,34,新口)神のことを知らず,神について何の考慮をも払わない人々の考えと,なぜ分け合うのですか。―ピリピ 3:18,19。
6 それでも,ある人々は娯楽のためにこの世の友だちや親族と交際しても大丈夫と考えます。しかし,クリスチャンはまどわしの欲望を持つ人々と交際をつづけながら,「以前の生活に属する古い人格をぬぎすて」て「神の御こころに従い,まことの義によつてつくられる新しい人格」を,どうして着ることができますか。(エペソ 4:22-24)むしろ,『彼らの仲間になつてはいけない。あなた方は,以前はやみであつたが,今は主にあつて光となつている。光の子らしく歩きなさい……主によろこばれるものがなんであるかを,わきまえ知りなさい。実を結ばないやみのわざに加わ』つてはいけません。(エペソ 5:7,11,新口)ペテロも次のようにさとしました,『肉における残りの生涯を,もはや人間の欲情によらず,神の御旨によつて過ごすためである。……今はあなたがたが……乱行に加わらない(あるいは交際しない)ので,彼らは驚きあやしみ,かつ,ののしつている。』この時代の者の行動に対しては,私たちは異国の人,一時的な住民であるべきです。―ペテロ前 4:2-4; 2:11,12,新口。
7 モーセを通して述べられた神の律法は,偽りの崇拝者との密接な関係について,何と助言しましたか。
7 悪い交際の危険は,ヱホバの律法の中で強調されました。この律法は,約束の地に入つて,異教のカナン人に接触しようとしていたイスラエル人に与えられたものです。『彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。……それは彼らがあなたのむすこを惑して,私に従わせず,ほかの神々に仕えさせるからである。』その時からのイスラエルの歴史は,この原則を破る者には悲惨な結果が生ずることを証明しています。―申命 7:2-4,新口。
8,9 (イ)ロトは,当時の不敬虔な人々の行いにどう感じましたか,(ロ)クリスチャンがこの世の人との交際を楽しみ,その振舞がこの世の人に歓迎されるならば,何が悪いですか。(ハ)このようにして不信者を真理にみちびき入れることができますか。
8 正しい良心を持つなら,すなわちヱホバの原則に自分の良心を敏感に従わせるなら,この世との交際を楽しむことができないはずです。ソドムに住んでいたときのロトがどのように感じたかを覚えていますか。聖書の記録によると,彼は『非道の者どもの放縦な行いによつてなやまされていた ― この義人は,彼らの間に住み彼らの不法の行いを日々見聞きして,その正しい心を痛めていたのである。』(ペテロ後 2:7,8,新口)ロトはそこに住んで彼らに伝道しましたが,彼らの考えにあずからず,また彼らの行動に参加しませんでした。彼の魂は,彼らの行いによつてくるしめられ,なやまされていました。もし今日のクリスチャンがこの世とその考えの交際を楽しむなら,そのクリスチャンの良心のどこかに欠陥があります。もし良心が正しく訓練されているなら,そのような交わりに心が苦しむはずです。また,その振舞と会話はこの世の人々によろこばれて,仲間に入つてもらいたいと思われるなら,その人の振舞のどこかに欠陥があります。もし,人の振舞と会話が正しいものであるなら,それはこの世の人々を叱責してせめるので,この世の人々の良心は苦しみを感ずるはずです。―ペテロ前 3:16。エペソ 5:11。
9 そのような交際をすることによつて,他の人々が真理を学ぶのを援助している,などという偽りの考えにあざむかれてはなりません。この世の仲間の悪い考えや行いにあずかつても,真理にみちびくことは決してできません。かえつて,この世の者たちは信者を真理から引きはなしてしまうでしよう。(コリント前 5:6)語ることや行いの面で神の考えを表わし,神の考えを他の者とわかち合い,そして光を分ち合うときのみ,それらの人々を暗やみから光にみちびき出すことができます。―ペテロ前 2:9。ピリピ 2:15,16。
10,11 (イ)イエスが罪人と交際を持たれたのは,なぜ悪いことではありませんでしたか。今日ヱホバの証者は,どのように彼の手本に従いますか。(ロ)この態度は,病気の患者に接する医師の態度とどのように似ていますか。
10 しかし,イエスはいやしめられた罪人や税金取立人と交際したではないか,とある人々はたずねることでしよう。たしかにそうです。しかし,彼は彼らの考えや行いと係り合いを持つために交際をしたのではありません。イエスはヱホバの長なる証者として,ヱホバの御考えをこれらの者たちと分ち合われたのです。それで今日のヱホバの証者も同じ手本に従います。ヱホバの証者は,イザヤの述べている人々のように,自分は正しい者で他の者よりもきよい者である,と言いながら,孤立するようなことをしません。彼らは,家庭でも街頭でも,あらゆる種類の人々を訪問して,話し合います。そして,人々を援助するためにその考えを聞きます。しかし,彼らは人々の考えに加わらず,その態度にもあずかりません。彼らは光と交りを持ち,他の人とその光を分ちたいと欲します。―ルカ 7:34。イザヤ 65:5。マタイ 5:16。
11 神のクリスチャン奉仕者の立場は,医者の立場にくらべることができるでしよう。この医者は,密林内に住んでいる迷信を奉ずる病気の人々に奉仕しています。そのような医者は,これらの人々の援助をためらいません。しかし,患者の迷信的な考えを分ち合うとか,病気をつくり出す習慣や,不衛生な状態と交わりを持つなどということは一瞬といえども考えないでしよう。彼は人々の病気にあずかろうとは欲しません。むしろ,病気をなおす知識や衛生的な生活の習慣を人々に分けたいと欲します。医者は人々が直ることを欲しますが,自分自身が病気になることは欲しません。人々の状態を改善することを教えたいと欲しますが,自分自身の清い生活習慣を悪くさせたいとは欲しません。それで,今日ヱホバのクリスチャン証者は,あらゆる種類の人々に伝道して,霊的な健康を得させる援助をいたします。しかし,自分の標準を低下させてこの世の考えにあずかり始めることを決してしないでしよう。―ルカ 5:30-32。黙示 22:1,2。
建て起すための交際を求めなさい
12 今日,正しい交際は誰とすることができますか。どんな例は,第1世紀のクリスチャンにより示されましたか。
12 霊的な健康を得て保つためには,霊的に健康な人々と交際しなければなりません。知恵を得るためには,賢明な人々と交際しなければなりません。ヱホバは,御自分の僕たちに良い交際を持たせるため,この末の日に世界的な一つの会衆,すなわちヱホバの証者の新しい世の社会に彼らを集めました。神の考えや,正義の新しい世の考えを分ち合いたいなら,そのような考えを持つ者たちと交際しなければなりません。最初のクリスチャンたちが集められた時でも,また今日でも,そのことは真実です。『彼らは使徒たちの教えに熱心に耳をかたむけ,互に交わり,食事を共にして祈りを捧げた。』(使行 2:42,新世)信者のクリスチャンたちは,霊的な健康を得るためと,正しいわざを行う敏感な良心を持つために,互に集まりました。使徒たちや,神の円熟した熱心な僕たちのいた会衆の交際以外のところで,そうすることができますか。
13 円熟したクリスチャンとの交際を求める利益は何ですか。どんな聖書的な助言は,この点を述べていますか。
13 パウロはこの点について次のように書きました,『神の言葉をあなた方に語つた指導者たちのことをいつも思い起しなさい。彼らの行いを見て,その信仰にならいなさい。』(ヘブル 13:7,新口)そうです,信仰の模範である者たちとの交際を求めなさい。彼らの行いを見て,その忠実な手本とあなた自身をくらべ,必要な改善をいたしなさい。あなたの良心をゆるすような人々との交際を求めず,あなたの良心を叱る人々との交際を求めなさい。『生命のいましめをきくところの耳は,知恵ある者の中にとどまる。』『兄弟たちよ。どうか,私にならう者となつてほしい。また,あなた方の模範にされている私たちにならつて歩く人たちに,目をとめなさい。』『私がキリストにならう者であるように,あなたがたも私にならう者になりなさい。』このためには,霊的に円熟している熱心な人々,すなわち会衆内の僕たちや他の者たちと正しい交際を求めねばなりません。―箴言 15:31。ピリピ 3:17。コリント前 11:1,新口。
14,15 (イ)会衆の集会に出席することは,どのように強めますか。(ロ)なぜある人は,集まりをやめますか。その結果は何ですか。
14 「言葉をあなた方に語つた」ものたち,すなわち模範の者と交際する最善の方法は,会衆の集会全部に定期的に出席することです。この世の人々の間で生活し,働かねばならない人々は,会衆の集会に出席すると,爽快な気持を感じ,強められる気がいたします。この世の人々の話す言葉や行いは彼らの魂を苦しめます。『知恵をつくして互に教えまた訓戒し,詩とさんびと霊の歌とによつて,感謝して心からヱホバをほめたたえなさい。』『御霊に満たされて,詩とさんびと霊の歌とをもつて語り合い,主にむかつて心からさんびの歌をうたいなさい。』集会に出席して経験を話したり,注解をしたり,また神の御言葉からの教訓的な話を聞くと,神と交りをなし,神の考えを分ち合う助けを得ます。人はこのような交際を持つべきです。―コロサイ 3:16。エペソ 5:18-20,新世。
15 現在のこの組織制度の全き終りが近づくにつれて,この交際はますます多くならなければなりません。『私たちの告白する望みを,動くことなくしつかりと持ちつづけ……愛と善行とを励むように互につとめ,ある人たちがいつもしているように,集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか。』正しい交際をやめると,霊的な分別はにぶくなつて,良心の感受性は弱まり,人は罪に落ちます。ちようど使徒パウロが,集まることについての助言を述べたすぐ後に語つている通りです,『もし私たちが,真理の知識を受けた後にもなお,ことさらに罪を犯しつづけるなら,罪のためのいけにえは,もはやあり得ない。』(ヘブル 10:23-26,新口)それでは,認識が足りないためか,真理に入つていない家族の者との附合とか,あるいは他の個人的な関心事のために会衆の集会に出席しない人々の習慣に,なぜ従うのですか。『神の御言葉を聞いて行う者こそ,私の母,私の兄弟なのである。』とイエスは言われませんでしたか。(ルカ 8:21,新口)神の命令に従つて神の家族と共に集まる方が,神を愛さない他の者たちをよろこばすことよりもはるかに大切ではありませんか。毎週のこの数時間は,きわめて価値あるものであり,分け合わねばならぬ考えが言い表わされるのです。集会で人の良心は目ざめ,「主に喜ばれるものがなんであるかを,わきまえ知り」「歩きかたによく注意して,賢い者のように今の時を生かして用い」そして愚かな者にならないで,ヱホバの御旨が何であるかを悟ることができます。―エペソ 5:10,15-17,新世。
社交的な交際
16 (イ)社交的な娯楽のときでも,どのようにそしてなぜ選択しなければなりませんか。(ロ)どんな聖書の規則は,ここでも適用しますか。
16 社交的な娯楽のために会合するときも,他の人々と考えを分かち合うときです。社交的に誰と交際するのを選ぶか,また何をすべきかということには,どの宗教的な集会に出席すべきかを選ぶのと同じぐらいに注意深く選択をしなければなりません。気分をくつろぐという社交の集まりの場合でも,建ておこす考え,ヱホバへの奉仕と熱心,そして誠実をはげます考え,清いこと,徳および忠実を強調する考え,そして神への感謝を言い表わす考えを分ち合いたいと欲するべきです。このときでも,「神への詩とさんびをもつて語り,すべてのことを父なる神に感謝し」なければなりません。(エペソ 5:19,20)気分をくつろぐ娯楽にも,この規則は適用します,『平和に役立つことや,互の徳を高めることを,追い求めようではないか。』― ロマ 14:19。テモテ前 4:12,テモテ後 2:22。テトス 2:6-8; 3:8。コロサイ 3:16,17。ロマ 15:2。
17 社交的な集まりを楽な気分の中にも建て起すもので興味深くするいくらかの方法は何ですか。
17 なぜこの世の考えに従う会話をするのですか。またなぜある人を自分の方に引きつけて,言葉と行いがいかがわしくて低劣な,そしておそらく不道徳であるくだらないゲームを始めるのですか。円熟している人々が,年寄りも若い者も,出席者全員を建て起す,興味深い会話が行なわれるように気を配ることは,どれほど良いでしよう。おそらくいろいろの種類の聖書のクイズをすることもできるでしよう。その質問は教育的なものですが,同時に出席している人々の知識の相違ということも考慮に入れます。一つの聖句を引用して,誰が,またはどちらの組がその本,章,句をおぼえているかをしらべます。あるいは,聖句の出ている箇所を言つて,誰がその聖句を引用できるかを知りなさい。聖書中の著名な人の特色ある点を語つて,誰がその人の名前を言い当てるかを知りなさい。場所とか歴史的な出来事についても同じことがなされます。経験を語りなさい。反対の論議に打ち勝ちなさい。「ものみの塔」や他の出版物にある新しい点や興味ある点を論じなさい。または,預言を成就する世界の出来事のニュースの記事を論じたり,興味深いことを論ずるため一般的な状態について良く知らせなさい。ヱホバの僕たちは,片よつてはいません。彼らは他の多くの事柄を論ずることや,上品な諧謔の言葉からも益を受けることができます。しかし,忘れてはなりません,すべてのものは「平和に役立つことや,互の徳を高めること」という規則に従わねばならないのです。
18 会衆内のすべての者を建て起そうとするとき,注意深くしなければならぬ他の事柄は何ですか。
18 この規則から,社交的な娯楽に何をすべきかが分るだけでなく,どのくらいしばしばするかも分ります。また,会衆内に社交的な閥のつくるのもふせげるでしよう。そのような閥は,建ておこすものではありません。神権的な思いでみちていて,霊的に円熟している者と交際し,それらの者と考えを分ち合え,という助言が与えられています。しかし,会衆内の新しい者や弱い者を無視しても良い,というわけではありません。それとは反対に,円熟している人はみな,弱い者とか未熟な人,または後ろに引つこみ勝ちではずかり屋の人々と交際しようと努力するでしよう。集会のときとか,自宅の夕食に快よく招待したり,または社交的な夜の集まりなどのとき,それらの人々と知り合おうとします。また,他の人々とも知り合うことを助けて,その人を建ておこそうとはかります。原則は,建ておこす事がらを求めよということです。しかし,この世的に顕著な者とか,経済的に裕福な者たちだけとの交際を好む,というような偏ぱな態度を示してはなりません。それは「階級差別」をつくり出します。すべての者と平等に交際し,貧しい者も富める者も弱い者も強い者も共に建て起すようにつとめなさい。この世の著名な者で,資産が十分ある兄弟たちは,そのもてなしについて注意を払わねばなりません。制度内の顕著な監督たちとのみ交際を求め,そのような交際によつて霊的に顕著な立場を占める,というようなことがあつてはなりません。もちろん,「正しく監督して語ることと教えること熱心に行なう古い人に,二重の尊敬を示す」ことは聖書的です。そして,そのような人にもてなしを示す人は,神の御言葉についての有益な会話により霊的に建て起されるすばらしい機会を持ちます。しかし,この場合でも,交際によつて霊的に建ておこされることが動機であつて,顕著な地位を求めるのが動機であつてはなりません。―ロマ 14:1; 15:1,2。コリント前 14:12。テサロニケ前 5:14。ヤコブ 2:2-5,9。テモテ前 5:17,18。
19 どんな他の面で,人は悪い交際を避けて,正しい交際を求めるよう注意するこができますか。そして,なぜ?
19 最後に,読むもの,見るもの,聞くものあるいは考えるものによる交際という極めて大切な面を検討します。ここでも,他の者と考えを分かち合います。ひとりで読書に注意を集中しているときは,心は容易に影響をうけます。神を認めず,神の言葉を嘲笑する者,不道徳で堕落している者との交際を欲しないなら,そのようなものを読んで彼らの考えや行いとひそかな交わりを持つてはなりません。もし「淫行や汚れたことが,聖なる民にふさわしく,あなた方のあいだに口に出してはならない」なら,そのようなものを聴いてもなりません。(エペソ 5:3,12)そのような事柄が「語るに恥ずかしい」なら,書いたり読んだりするにも恥ずかしいものです。新聞,雑誌,本の中に出ているそのような記事を読んだり,映画の中に示唆されている不道徳を見ることは,その行動が描写されている不道徳の人々や,物語りをつくりあげた人と交わりを持つことです。このことをする人は,その心と欲を聖なる者と一致させて行くことは決してできないでしよう。それですから,読書するとき,ラジオの番組を聴くとき,テレビジョンや映画を見るとき,ぜひ良い交わりをして正しい交際を求めなさい。多分その知らせは教育的なもの,知識を与えるかも知れません,あるいは諧ぎやくのものかも知れません。しかし,それはいつでも建ておこすべきものです。御言葉に示されている神の御考えを心に思いながら,同時に神を認めぬ,肉の思いにみちる不道徳な人々の考えを心に思うことはできません。―ペテロ前 1:13-16。ヤコブ 3:11; 4:8。
20 心の正しい者と交際する者に対する希望は何ですか。
20 たしかに,知恵の道とは悪い交際を避けて正しい交際を求めることです。『知恵が,あなたの心にはいり……考える能力はあなたを守り……悪の道からあなたを救い,偽りを言う者から救う。彼らは正しい道を離れて,暗い道に歩み,悪を行うことを楽しみ,悪人のいつわりをよろこび,その道は曲り,その行いは,よこしまである。……目的はあなたが善良な人々の道に歩み正しい人々の道を守ることである。正しい人は地にながらえ,非難のない人は地に残される。』(箴言 2:10-22,新世)この世の考えは死を意味します。神の考えは生命を意味します。『世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる。』(ヨハネ第一書 2:17,新口)悪い交際を求めてごらんなさい。それはわずかしかつづきません。正しい交際は永久につづくでしよう。正しい交際を求めて,それを永久に楽しみなさい。