目的をもつて勉強する
『あなたは真理の言葉を正しく教え,恥じるところのない錬達した働き人になつて,神に自分をささげるように努めはげみなさい。』― テモテ後 2:15,新口。
1,2 (イ)神の御言葉を勉強する人は,どんな特権をたのしみますか。(ロ)今日の人間は,どのようなみじめな状態にいますか。
たいていの人は勉強するのがきらいです。頭を使うのは余りにも骨の折れることなのです。彼らは特に,神の御言葉である聖書を勉強するのがきらいです。しかし,全能の神の是認の恩恵は,その聖なる御言葉の中に含まれている教えを勉強して心に銘記する人に差し延べられています。神の目にはその人は賢明な人です。その人は,神から安きと命を受けるでしよう。しかし,現在重要なことは,そのような人が,神の御言葉を取り扱い,命を与えるその真理を,当惑しきつた,また霊的に飢えた世界に施すことによつて神に奉仕し,神のみ前に立つことをゆるされていることです。―シンゲン 3:1-6。
2 今日,世界の人々は,混乱し途方に暮れています。彼らはこの当惑した状態から救われるために,どこに助けを求めるかを知りません。彼らは自分たちを詐取し,打ちたたいて,正義の道からますます堕落させてきた人間に,無邪気に,また無知に自分たちの命をまかせてきました。その人々に希望があるでしようか。この世の指導者たちによつて連れ込まれた混乱の迷路から,抜け出す方法はないでしようか。―詩 107:27。マタイ 9:36。
3,4 なぜ逃げ道が準備されていますか。誰によつて?
3 現在の悪い世から教育された自称宗教指導者に,生命に導く教育が依頼できない以上,国の中に行われる憎むべき事がらのために嘆き悲しむ人々は,どこに助けを求めることができますか。それはヱホバです。ヱホバは決して彼らを捨てられないでしよう。『ヱホバ(新世)は言われる,「貧しい者がかすめられ,乏しい者が嘆くゆえに,わたしはいま立ちあがつて,彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。ヱホバ(新世)のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り,七たびきよめた銀のようである。ヱホバ(新世)よ,われらを保ち,とこしえにこの人々から免れさせてください。』― 詩 12:5-7,新口。
4 『もろもろの光の父』ヱホバは,逃げ道を啓示してこられました。人がヱホバの恩恵を受けるためには,その光の道にきて,右にも左にも曲ることなく,絶えずその道に従いつづけなければなりません。―ヤコブ 1:17。シンゲン 4:18。
挑戦に対する応答
5 サタンのそしりに対して,誰がどのように答えますか。
5 サタンはヱホバをそしります。それでヱホバは御自分の僕に呼びかけられます,『わが子よ,知恵を得て,わたしの心を喜ばせよ,そうすればわたしをそしる者に答えることができる。』(シンゲン 27:11)何世紀もの間,ヱホバの御名は,サタンとその代理者たちに非難されそしられてきました。多くの人々は,人々が現在なめている苦難をヱホバのせいにします。が,実際には悪魔こそその原因です。サタンは,自分自身を光の天使にしたて,自分のものである現在の組織制度を,まるで長い間待ち望んでいた御国のように見せかけて,ほとんどすべての人々を真の崇拝から遠ざけて,貧弱な代用物の方へ誘導してきました。ヱホバの御名を負う民は,真理の言葉を正しく取り扱うことにより,またヱホバとその御目的,くらやみから神の妙なる光の中に出て来る機会などについて正確な知識を人々に与えることにより,神の崇拝に対してしかけられた挑戦に応じなければなりません。人々は,霊的に『無価値なもの』,飢えをさそう食物をこれ以上食べ続けることはできません。彼らは,ヱホバの倉から正確な知識と,栄養のある食物を必要としており,この必要は満たされなければなりません。
6 ヱホバは,このご自身の日に,どんな霊的準備をされましたか。それはどんな責任をともないますか。
6 今は預言されていたヱホバの日です。ヱホバはこの日に,御自分の民に対して,一つの『清い言葉』を与えられました。そして彼らは『心をあわせて彼につかえ』ています。この神の日に,神は飢えた者の叫びを聞くだけではなく,御自身の『忠実にしてさとい奴隷』をして,彼らに霊的栄養物を与えさせておられます。そのような滋養物なくしては,彼らは霊的飢えと死に直面するからです。例外なくすべての人が,『金なくして』食べよという招待に応ずることができます。しかし,この世の『弱くて不十分な初歩の事柄』を離れて後,そのような食物を求める人は,たいせつな責任をもつています。彼らは次のイエスの言葉に従わなければなりません,『ただで受けたのだから,ただで与えるがよい。』― ゼパニヤ 3:9。マタイ 24:45,新世。イザヤ 55:1,2。ガラテヤ 4:9。マタイ 10:8,新世。
研究
7,8 真理の正確な知識を得るには何が必要ですか。キリスト教国の誠実な真理探求者がそれを得られないのはなぜですか。
7 生長するにはどのように学ぶかを考えなければなりません。この事は,霊的な生長に関して特に真実です。賢明な人は,進んで傾聴するのみでなく,『より多くの指導を得』また,『常に学んではいるが,いつになつても真理の知識に達することができない』人ではありません。学ぶことは,一つの累積作用であつて,勉強が進めば私たちは,ヱホバを喜ばせ,その是認が得られるように,完全で正確な真理の知識に進歩したいと願うようになります。―シンゲン 1:5。テモテ後 3:7。コリント前 1:9,10,新口。
8 ヱホバは正確な知識にかわる安つぽい代用品を,黙認されないでしよう。また真のクリスチャンも,そのような代用品を受け入れることはできません。キリスト教国は,「教会の柱石」つまり教会の座席料を払う者たちを沢山うみ出しますが,しかし神の御言葉を人々に教える資格ある者をいつたい何人うみ出しているでしようか。正確な知識に欠けている現在の時代に関して,ヱホバは預言者を通じて言明されました,『わたしの民は知識がないために滅ぼされる。……それゆえ祭司も民と同じようになる。』人の受け入れる教えが真理に通じていなければ,誰も真理の正確な知識を得ることはできません。私たちはひとりびとり次のことを自問して見ましよう。私の宗教は聖書と一致していますか。それは,神による救いの良いたよりを毎日宣べ伝える活動的な神の僕となるために,私を鼓舞し,資格を与えましたか。―ホセア 4:6,9。詩 96:2。
教える者の資格を得る
9 今日ヱホバの証者は,なぜ目的をもつて勉強しなければなりませんか。
9 ヱホバの霊的食物を受ける人は誰でも,それを他の人々に分け与える義務を持つようになります。しかしその前にまず,「幼稚園」以上に進歩して,資格を備えなければなりません。今日の資格ある神の奉仕者たちは,ヱホバの正しい新しい世の側に立場をとりつつあるところの,自ら進んで学ぶ人々を,どのように正しく訓練し,円熟に導くかを知らねばなりません。ですから人が,羊のような人々を,キリストの羊のおりに導く従属の羊飼としての資格を得るためには,絶え間ない深い研究が要求されているのです。神の聖なる関心事が関係している以上,神の僕は今日目的をもつて勉強しなければなりません。―ヘブル 5:12-14。テモテ後 2:15。
10 ヱホバの証者は奉仕において,どんな三つの目的をもつていますか。
10 ヱホバの証者は,偉大なる教師イエスの指揮の下に奉仕するよう彼らを召された方を喜ばすことに,第一の関心を持つています。彼らは,もし自分たちの奉仕が神の御心にかなうならば,神から生命を受けることを認識しています。これは奉仕に対する利己的な動機ではありません。それはただ神がされた約束を要求しているにすぎないのです。彼らはまた,自分たちの指導者によつて指揮されている集めるわざに従事することから,はかり知れぬ喜びを経験します。彼らの勤勉な活動が栄え成功する時は特にそうです。―ヘブル 11:6。ヨハネ 10:16。
11,12 (イ)正確な知識の不足は,どのように罪と見なすことができますか。特にどんな事情の下で?(ロ)正確な知識が,今日そんなにも重要なのはなぜですか。
11 今世の中には,生活のためにどうにか職を得られるだけの知識を備えた人が沢山います。知識のない事は人には分らないかも知れません。そして仮りに分つたところで,おそらく面目を失う以外には何の損失もないでしよう。しかし,そのような正確な知識の不足は,時に犯罪的になることもあるのです。たとえば,正しい目的をもつて学ばない航空術の研究生は,飛行機を飛ばして着陸させるに十分なだけの知識は得るでしよう。飛行に理想的な状態下では,彼は良い飛行士だと思われるかも知れません。しかし,非常時態が起きた時には,彼の知識の足らなさが暴露されるでしよう。その時は,もう飛行の基礎的な複雑さを学ぶにはおそすぎます。彼にゆだねられている生命を保護するには,彼の準備は不足しています。
12 人々の永遠の生命が危険にさらされている時,その人々の生命に無とんちやくであることは,犯罪的であるという外はありません。この世的な知恵を持つ,いわゆる宗教的『聖職者<スカイパイロット>』は,自分の会衆の霊的生命に関して,このように無とんちやくなのかも知れません。しかし,『この世の知恵は,神の前では愚かなものだからである。「神は,知者たちをその悪知恵によつて捕える」と書いてあり,更にまた,「ヱホバは,知者たちの論議がむなしいことをご存じである」と書いてある。』人のこびを得るために,また『聖職者』になるために宗教的称号を得るという限定された目的のための勉強は,この世の標準に従えば,牧師としての資格を備えるには十分かも知れません。でも,称号を持つたり,『外見』によつて,神の信頼される僕になることもできなければ,神が,新しい世において,御自分の有望な子どもたちの将来の生命をまかされる者になることもできません。他の人々を正しく教えて,真理の正確な知識に導くには,それ以上のものがいるのです。生命に関する教育においては,いいかげんな知識は犯罪的と言わねばなりません。なぜなら,それには,教える者と教えられる者の永遠の生命が関係しているからです。それで,ヱホバが,終りのない生命のために訓練計画を指導されている現在,正確な知識は特に欠くことのできない重要なものです。―コリント前 3:19,20。テモテ前 2:3,4。エゼキエル 3:17-20。
13,14 (イ)なぜ熱心さだけでは十分でないのですか。奉仕という神からのたまものを買うことができますか。(ロ)奉仕しようという気持だけで十分ですか。
13 初期クリスチャン会衆内には,指導者や教師になり,また使徒の権威を行使するのを熱望した者がいくらかいました。彼らは他に何か資格を持つていたかも知れませんが,キリスト教の教理を教える備えはありませんでした。従つてパウロは,彼らのことを次のように書きました,『わたしは,彼らが神に対して熱心であることはあかしするが,その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら,彼らは神の義を知らないで,自分の義を立てようと努め,神の義に従わなかつたからである。』ある野心家は,使徒ペテロから地位を買おうとさえして,そのずうずうしさを強く戒められました。現在のクリスチャン会衆内でも,金銭やその他のもので,ヱホバの制度内の,教える者の地位を買うことはできません。人は,聖書に基づく資格にあわなければなりません。そして,ヱホバ神から任命されなければなりません。―ロマ 10:2,3。使行 8:18-24。
14 ヱホバから任命を受けた人々は,『奉仕のわざのために聖徒たちの訓練を目的と』し,また次のような目標をめざして勉強しなければなりません。『私たちが一つの信仰を持ち,神の御子の正確な知識を得るためである。かくして私たちは全く成長した人となりキリストの全きに達するのである。それは,私たちがもはや幼児ではなく,人間の悪企みによるいろいろな教の風に吹きまわされたり,もてあそばれたりすることがないためである。』ですから,奉仕しようという志だけでは不十分で,能力,すなわち神の与えられる能力と力がいるのです。―エペソ 4:11-14,新世。
15 私たちの聖なる責任を果すのに,聖書のうわべだけの知識で十分でないのはなぜですか。
15 今日,世界中のすべての人々が,普通のもしくはありふれた知識で満足しているわけではありません。多くの人々は,課せられた,または引き受けた責任を果すには,周到な準備が必要であることを認識しています。同じく,ヱホバの証者の新世社会にいる人々も,ヱホバの御目的を宣明するというすぐれた特権を委任されていますから,うわすべりな聖書の知識だけでは満足しません。彼らは『このよこしまな悪い時代にいて……汚れを持たず,非のうちどころのない神の純真な子供』でなければならず『この時代の中で世の光として輝いており,生命の言葉をかたくしつかりと保た』なければならないのです。彼らは,キリストの手本に従つて,『キリストの代りの大使』として奉仕し,権威を持つて語らなければなりません。そして,真理を求めている人,また真理を得る価値ある人誰にでも,真理を説明し質問に答える準備がなければなりません。これには勉強が必要です。―ピリピ 2:15,16。コリント後 5:20。マタイ 7:29; 5:14-16。シンゲン 15:28。
16 神の御言葉を毎日勉強するという点で,ヱホバの証者は誰の手本に習いますか。
16 ヱホバの証者は,神の御言葉を毎日勉強します。彼らは,サタンの制度の中の,『心のいためる者をいやし,捕われ人に放免を告げる』という,神から与えられた使命が果せるように,喜んで勉強します。そのような勉強は,たいくつで,いやなものではなく,かえつて心身をさわやかにするものです。また生活のさまざまなわずらいを忘れさせます。彼らは,主人より偉大ではありません。イエスは,伝道の生涯にはいる前に勉強をしました。そして荒野にいる間,ヱホバの御言葉と目的を熟考されました。勉強はイエスにとつて,すこしもいやな仕事ではなく,楽しい心をさわやかにするものでした。後になつて,弟子たちも,イエスの指導のもとに勉強しました。イエスが弟子たちに勉強させすぎたという記録はありません。それよりまだ後に,ベレヤの会衆が,御言葉を受けいれて,毎日勤勉に勉強したと報告されています。勉強の重要さは,今日の方が少ないでしようか。―イザヤ 61:1,新口。マタイ 5:16。使行 17:10,11。
17,18 (イ)どんな目的のために,ヱホバの証者は,「ものみの塔」協会の出版物を研究しますか。(ロ)彼らは,誰の準備する,どんな『日常の糧』を食べなければなりませんか。
17 ヱホバの証者として,またその御国の良いたよりの伝道者として資格を備えるには,絶え間ない,正しく指導された勉強が必要です。ヱホバの過分の御親切によつて,ヱホバの真の僕たちは,単なる聖書の研究生であることから,進歩してきました。聖書や,それを説明する「ものみの塔」協会の出版物を勉強することは,目的のための手段です。そしてその目的は,立派な人格を発展させることではありません。それは,尊いことに用いられる神の器となつて,『すべての良いわざに間に合うようになる』ことです。彼らは時代が邪悪であることを認識していますから,自分の歩み方に厳重に注意し,自分のために『時を生かして用い』あらゆる機会を作つて正しい知識を増進させます。―テモテ後 2:20,21。ガラテヤ 6:6。エペソ 5:15,16,新口。
18 クリスチャンは,マタイ伝 6章に記録されている模範的な祈り,特に,天の父が日ごとの食物を備えて下さるよう,くりかえし正しく祈ります。しかし,クリスチャンは自分の将来の生命が,物質的なパンではなくて,ヱホバの口から出る生命の言葉に依存していることを知つていますから,そのような霊感された言葉を理解することに心を集中します。キリストが裏切られる少し前に祈られた,祈りの一部は,神の御言葉の研究の重要さをさらに説明するものです,『父よ……永遠の命とは,唯一のまことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。』そうです。聖書を勉強する第一の目的は,その著者である御父を知るようになるためです。クリスチャンは,信仰をもつて神に近づき,神を探し求め,また神に願い求めよと勧められています。そうすれば神は答えられるでしよう。この事は,神の偉大な教科書,聖書を熟知することによつてのみなしとげられます。その教訓をよく学ぶ人たちは,まことに幸福な人々です。―マタイ 6:11; 4:4。ヨハネ 4:34; 17:1-3。ヤコブ 4:8。イザヤ 55:6,7。
19 知識に対する渇きは,どんな方法でのみ十分に満たされますか。
19 聖書は,知識が無尽蔵に貯えられた蔵です。聖書の著者は,探求者に絶えず知識を探し求めるよう勧めておられます。そしてそれはゆたかに与えられるでしよう。しかし,ただ求めるだけでは十分ではありません。ヱホバの誉に,すぐれた奉仕を捧げるためには,その僕は,神の御言葉を熟考しなければなりません。それらを深く考えて吟味しなければなりません。そしてそれらに基づいて行動するという目的を持つて,御言葉を勉強の対象としなければなりません。いくつかの聖句を暗記し,それらをオウムのようにくりかえすことを学んでも,私たちに書かれた神の「手紙」のうわべだけを読むのは無価値です。『あなたがたは喜びをもつて,救いの井戸から水をくむ。』それから沢山飲んで下さい。―ヤコブ 1:5,6。ヨシユア 1:8。イザヤ 12:3,新口。
必要な資格
20 神は,どんな清い責任を私たちの手にゆだねましたか。どのようにそれを果すことができますか。
20 ヱホバの僕たちは,『神の聖なる御言葉』を語る責任を任かされてきました。彼らはこの責任を避けることはできません。それを果すためには,人一倍勉強しなければなりません。そして『人に対してではなく,主に対してするように,心から』それをしなければなりません。新世社会と毎日交わつている,多くの善意者たちを円熟に導くためには,僕たちは『真理の言葉を正しく教え,恥じるところのない錬達した』働き人となるよう,全力を尽さなければなりません。―ペテロ前 4:11,新世。コロサイ 3:23。テモテ後 2:15,新口。
21 私たちはどのように教訓に心を傾けることができますか。
21 日曜日の集会や,週中の集会に定期的に出席し,聖書の真理に耳を傾け,それを学び,またきまつて集会所の維持費を分担する ― これらは立派な信仰の行いです。しかし,神の是認を得るには,もつと多くのことが要求されています。『あなたは真理の言葉を正しく教え,恥じるところのない錬達した働き人になつて,神に自分をささげるように努めはげみなさい』とパウロは激励しました。あなたは,集会に出席してただ聞くだけで,聞いたり学んだりした良い事がらを他の人々に伝え説明する仕事を,すべて他の人にさせておいて満足できますか。神にすべてをささげているものとしてそのような態度に満足できますか。シンゲン 23章12節の力ある言葉はこれによく当てはまります,『あなたの心を教訓に用い,あなたの耳を知識の言葉に傾けよ。』私たちが,正確な知識をとりいれることに極力心を注ぎ,それを応用し,深く考えることは確かに必要です。それこそ神が知識を準備された目的であるからです。詩篇 119篇97節から104節(新口)を書いた人のようでありなさい,『いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしよう。わたしはひねもすこれを深く思います。あなたの戒めは常にわたしと共にあるのでわたしをわが敵にまさつて賢くします。わたしはあなたを深く思うので,わがすべての師にまさつて知恵があります。わたしはあなたのさとしを守るので,老いた者にまさつて事をわきまえます。わたしはみ言葉を守るために,わが足をとどめて,すべての悪い道に行かせません。あなたがわたしを教えられたので,わたしはあなたのおきてを離れません。あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしよう。蜜にまさつてわが口に甘いのです。わたしはあなたのさとしによつて知恵を得ました。それゆえ,わたしは偽りのすべての道を憎みます。』
22 教える資格を持つには,どんな進歩をなすべきですか。
22 パウロの,次の鋭い言葉があてはまらないように,今はヱホバの僕にとつて,教えるために準備すべき重要な時です,『時間というものを考えてみると,あなた方は教える者となつているはずなのに,神の聖言の初歩の原理を最初から教える人を必要としている始末である。』それら初歩もしくは基礎的な原則は,聖書の知識の『い,ろ,は』です。しかし,『時間というものを考えて』私たちはそのような基礎の原則を卒業しなければなりません。そしてその基礎的な原則の上には,上部構造がきづき上げられているべきです。なぜなら,『かたい食物は成人に属するもの』だからです。私たちがその上に築き上げるものは,『金,銀,宝石』になぞらえられている,報いに価する仕事でしようか。それともその建物は,容易にこわすことのできる『木,草,わら』にたとえられているような仕事でしようか。どちらが主なる神に誉をもたらしますか。どちらが,教える資格を与えますか。―ヘブル 5:12-14,新世。コリント前 3:12,新口。
勉強の目的
23,24 (イ)ヱホバは,御自身の民を導くために,どのように御言葉と霊と制度を用いられますか。(ロ)この点に関して,この雑誌は特にどのように助けとなりますか。
23 ずつと昔,ヱホバはご自身のみ言葉,聖書を準備されました。今日では,それは多くの言語また地方語に訳されています。そしてもはやすたれた言葉の中にかくされてはいません。聖書の知識は,たんねんにその頁を調べ,その戒めを愛し,その命令に従う者にとつて命を意味します。ヱホバは長い間なしてこられたように,今日でもやはり聖霊,すなわちご自身の活動力によつてご自身の民を導いておられます。特にこのハルマゲドン前の重大な時に『契約の使』をともなつてご自分の宮にこられて以来,ご自身の民のわざによりいつ層の注意を向けておられます。ヱホバは,『忠実にしてさとい奴隷』で表わされているご自身の目に見える制度を用いて,全世界にご自身の目的に関する知識を広めさせておられます。その『奴隷』は,『正しい時に食物』を忠実に与えてきました。ことにこの「ものみの塔」誌に対してそういうことが言えます。―マタイ 24:45,新世。
24 「ものみの塔」は,50か国語で,すべての正義愛好者の手にはいるようになりました。霊的必要物を意識している人はすべて,この雑誌から非常に貴重な助けを得ます。「ものみの塔」は,ごく必要な聖書的忠告や教訓,また時にかなつた知識を定期的に真の神の僕たちに与えます。そして,クリスチャンたちがいつも聖書の預言の成就に関して最新の知識をもつように,油断なく努力しています。「ものみの塔」は,人を建て起し祝福するために書かれていて,いちばん興味深い,良い読物です。これは他と張合いもしなければ,他のどんな宗教雑誌とも異なつています。この雑誌は,人間の意見を述べているのではありません。なぜなら,その中の述べられている事がらは,より偉大な方の考えに基づいているからです。ヱホバの御言葉を理解することは神からのたまものであつて,真理を真剣に探求する人にとつて,今日の最良の助けです。
25 私たちは,「ものみの塔」の各号を受け取る時,どんな態度で考えるべきですか。
25 私は「ものみの塔」を受け取つた時それをどうしていますか。新しいニュースだけをざつと走り読みして,内容の考察はまた他の良い機会の時にと,その雑誌をわきへやりますか。それとも,その高い価値を認識してすぐに読むでしようか。私はそれを仕方なしに読むでしようか,それとも神の真理をもつと多く学びたいから読むでしようか。私はそれを読む時,それに没頭しますか。「ものみの塔」に普通より強く心を集中させますか。私は物質の食物を食べる前に主なる神に感謝し,その上に神の祝福を願います。では,「ものみの塔」を研究する時,私が吸収したいと思う霊的食物についてはどうですか。「ものみの塔」も聖書を研究する時と同様に研究しなければなりません。『銀やかくれた宝』のように,その中に含まれている真理を探すべきです。「ものみの塔」の各号がくるのを熱心に待つて,その内容を,おいしく食べるようにしなければなりません。
26 「ものみの塔」を勉強する時,私たちは何を考えますか。
26 私は「ものみの塔」を勉強する時何を考えているでしようか。神の御目的に関する理解を増したいということでしようか。なぜ理解の増進を望むのでしようか。自己満足のためだけでしようか。それとも,私は使徒の次の言葉を心にとめていますか,『あなたが知恵においても,霊的な分別においても,神の御心の正確な知識にみちることである。それは,ヱホバにふさわしく歩み,そしてあらゆる良きわざを行つて実を結び,神の正確な知識を増して,ヱホバを全くよろこばせるためである。』(コロサイ 1:9,10,新世)これは称賛に価する態度です。私の霊的な分別は,他の人を援助するのに大いに利用されるでしよう。しかし,あなたの勉強がどのように他の人に助けとなりますか。
27,28 (イ)「ものみの塔」を前もつて個人的に予習することは,新しい人が深い霊的真理をつかむのにどのように助けとなりますか。(ロ)家庭聖書研究で新しい人を助けるには?
27 毎週の研究集会には,多くの新しい人が出席しますが,その人たちは,真理を一度に理解することはむずかしいと考えます。『ものみの塔』の多くの記事は,堅い食物,つまり円熟したクリスチャンに必要な深い霊的なものです。神は,御霊を通してそのような深い事がらを明らかにすることを約束されました,『御霊はすべてのものをきわめ,神の深みまでもきわめるのだからである。』それであなたが他の人を援助できるのはこの研究集会です。ここで行うあなたの註解によつて,新しい人々は,不明瞭な点を理解してゆくのです。ですから自分で前もつて『ものみの塔』を良く勉強し,この特権を見逃してはなりません。傍線を引いたり,重要な点をノートしてこの目的のために準備して下さい。そして,集会中適当な時に,機敏にその註解を述べて,他の人々を啓発するために研究集会に貢献して下さい。このようにしてあなたは,他の人々も集会で『公けに述べ』て愛と正しいわざを行うようはげますことができます。―コリント前 2:10。ヘブル 10:23-25。
28 あなたが,個人的に『ものみの塔』を研究する時に,「訓練計画」によつて自分と一緒に野外奉仕をはじめたばかりの人々を援助したり,訪問する人や自分の司会している家庭聖書研究の人を援助することに心をとめることもできます。これは目的をもつて勉強していることであつて,パウロがテモテに与えた教訓と一致します,『これらのことを,さらに外の者たちに教えるのに十分な資格をもつ忠実な人々に,ゆだねなさい。』あなたが,自分の学んだことを他の人に分け与える時,沢山の利益配当を期待できることを忘れないで下さい,『与えよ,そうすれば,自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れ,あふれ出るまでに量をよくし,あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで,自分にも量りかえされるであろうから。』反面,もしあなたが真理を利己的にたくわえて,他の人に分け与えないなら,あなたは例の怠惰な奴隷のように,神に奉仕する特権はむろんのこと,神の恩恵を失うかも知れません。―テモテ後 2:2。ルカ 6:38。マタイ 25:24-30,新口。
29 (イ)会衆の集会にさきだつて研究するにはどんな方法がありますか。(ロ)そのような研究をする一定の時間に関してどんなとりきめをすべきですか。
29 研究からどのように最大の利益を得ることができますか。どの方法に従えば最も効果的でしようか。一人で勉強することですか,それとも他の人と一緒にすることですか。今日,たいていの家庭では,聖書研究や聖書の朗読が次第にすたれつつあるか,または全然行われていません。家族で,子供のいる場合,合同研究は特に効果があるでしよう。両親は,子供を肉体的に育て上げると同じく,霊的にも彼らをくん陶する責任があります。とにかくどのような方法が用いられようと,私たちは,『ものみの塔』を勉強すべき時間を特別に設ける必要を感ずるでしよう。人にはすることが沢山ありますから,時間のあるときにしようなどと仮にも考えてはなりません。それは時間がゆるさないでしよう。自ら時間を作つて勉強に当てなければなりません。神の僕となるのに,勉強が基礎的な『重要事』であることが分れば,人は,勉強のために十分の時間をつくるでしよう。ですから,勉強を私たちの時間表に含めましよう。それを表のトップに置きましよう。そのように用いられる時間に不平をこぼしてはなりません。クリスチャンは,すべてのもの(時間も含む)を,神への奉仕にささげていることを忘れないで下さい。そのような時間をかたく守つて,その持ち主を喜ばすように用いるよう注意しなさい。
30 新世社会は,なぜ勉強に重点を置くのですか。
30 教訓を軽んじる人に必ずやつて来る破滅を認識する時,勉強をするという良い習慣の養成に誠実な注意を向けることは,神の僕の義務です。この理由で新世社会は,個人的なまたグループの研究を強調するのです。世界は危急存亡の時にあります。私たちの時代は審判の時に当つています。正しい人々は有利な審判と,安定と保護を望みます。神は,この邪悪な時代にあつて,熱心に心から神を求める者のために保護を準備されました。霊感された神の御言葉,聖書に述べられている教訓こそ,そのような神からの保護と祝福を得る方法を与えるものです。―詩 50:16。シンゲン 1:30,32。