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今の時代に対してダビデのような勇気をもつものみの塔 1962 | 12月1日
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かたなと槍とほこをもて我にきたる然ど我は万軍のエホバの名すなはち汝がいどみたるイスラエルの軍の神の名をもて汝にゆく今日エホバ汝をわが手に付したまはんわれ汝をうちて汝の首級を取り…全地をしてイスラエルに神あることを知らしめん」。それから羊飼の使う石投げと,なめらかな石一つとを持って巨人に走り寄り,石投げ器で投げつけたので,巨人はその石を受けて倒れました。なんという勇気の表示でしょう!―サムエル前 17:45-50。
その後もダビデの勇気は変わりませんでした。戦いに出た時も,自分と一緒に行った男たちを非常に奮い立たせたので,イスラエルの女たちは,「サウルは千をうち殺しダビデは万をうちころす」と歌ったくらいでした。そのためにサウル王はダビデに異常なねたみをいだくようになり,いくたびとなく彼を殺そうと計ったので,ついにダビデはアドラムの洞穴に逃げました。ダビデの兄弟と父の全家および心にあきたらぬ何百人という人々がそこに来てダビデのもとに集まりました。サウル王とその兵士たちは,野獣を狩るようにダビデをさがしましたが,ダビデは勇気を保ちました。ダビデはそのことをくりかえし証明しました。サウルを思いのままにできる機会が2回もありましたが,それでもダビデは自分の生命を取ることを決意していた男の命を取ろうとはしなかったのです。―サムエル前 18:7; 22:1,2。
王になるやダビデは,軍隊による征服によって,彼の国の境を,神がお定めになっていた所まで押し広げていきました。そしてその戦が勇気の問題であったということは,ダビデが戦いに出ることについてくりかえしエホバに尋ねたことからわかります。またそれは,ダビデが単に征服欲にかられていたのではなくて,神のみこころに導かれていたことを物語っています。
ダビデの勇気の秘密はどこにあったでしょうか。まず第一に,エホバへの偉大な信仰にありました。「エホバ我をししの爪と熊の爪よりすくひいだしたまひければこのペリシテ人の手より援ひいだしたまはん」。また彼の勇気に大いにあずかって力あったのは,義に対する彼の愛でした。「悪者はおふ者なけれども逃げ,義者はししのごとく勇まし」。さらにまた,エホバ神と自分の国民に対する愛もダビデに勇気を与えました。「愛にはおそれなし,全き愛はおそれを除く,おそれには苦痛あればなり」。そうです,エホバ神への信仰,義に対する愛,神と隣人への愛こそ,ダビデの驚くべき勇気を説明するものと言えるでしょう。―サムエル前 17:37。箴言 28:1。ヨハネ第一 4:18。
いまの時代に対して,ダビデと同じ勇気をもつには,この同じ三つの基本的美質を必要とします。エホバ神に対する信仰は,同業者の不正直をまねなくてもきちんとした生活をして行くことができるという確信と勇気を与えてくれます。義に対する愛は,誤りを認める力を与えてくれます。神と同胞に対する愛は,世間の悪風に染まらないで,神の喜ばれることと,人々が必ずしもそれに感謝しなくとも,自分の交わる人々の最高の福祉となる事柄を進んでする勇気を与えてくれます。
いまの時代に対して,ダビデと同じ勇気を身につけるには,神の御言葉の研究がぜひとも必要です。この研究だけが,あなたに必要な信仰を与え,正しい事と,神および隣人への愛に対する欠くことのできない認識を与えてくれるものです。
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教室で証言ものみの塔 1962 | 12月1日
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教室で証言
これはアメリカ,ジョージア州の若いエホバの証者の経験です。「ある日,学校で授業のない時間があつた。よし,この時間を利用して証言しようと考えた。早速別のエホバの証者の友だちを何人か探した。『エホバの証者とはだれですか』という主題の聖書の話をしていた。すると担任の先生が来て,私を呼びとめて言つた,『なかなかおもしろい。気にいつた。君,クラス全体に話してみないか』。それで私と友だちはクラス全部に向かつてその聖書の話をした。皆よく聞いていた。先生も,生徒も喜んでいた。級友の一人は雑誌の予約もした」。
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