神がだれであるかを知るべきなのはなぜか
1-3 わたしたちは神が考えておられることに関心を持つべきです。なぜですか。
生ける真の神がおられますか。もしおられるとすれば,その神はどんなかたで,何を考えておられるかについて人は関心をいだくべきではありませんか。神が人類を顧みておられる,あるいは人間の事がらに関係しておられるかどうかを知るべきではありませんか。
2 なかには,「神は死んだ」― つまり神は現代の歴史に関与してはいないと言う牧師がいますが,もしその考え方が誤っているならばどうですか。もし神が人間の事がらに関心を持ち,人類に対する目的を成就しつつあるとすればどうですか。「神は死んだ」と考える人は危機に面しているのではありませんか。
3 もしわたしたちが神を知る機会に恵まれながら,神を意に介さないなら,わたしたちは災いをこうむるのではないでしょうか。
神はご自分がだれであるかを宣明される
4 人間のことを顧みる神がおられるかどうかがよくわからない人は何を考慮すべきですか。
4 人間のことを顧みる神がおられるかどうかに関する決定を延ばしたり避けたりしている人は,今こそ自分の心と思考力を吟味すべきです。責任を免れるためにそうした決定を延ばしていますか。地上の生きとし生けるものの中で人間だけが知性と推理力を備えているとはいえ,人間はより高い知的存在に依存していないとか,人間は地球を思いどおりに管理できるなどとはいえません。歴史の事実はこのことを証明しています。知性を付与された人間はそれゆえに創造者の律法に従えますし,また,それは人間自身の福利となります。
5-7 神とそのしもべたちは,神がだれであることを宣明していますか。
5 神を知っていてしかるべき人たち,つまりキリスト教の国の人びとのように神の真理のみことば聖書を持っている人たちに対して,神はこう語りかけておられます。「汝しらざるか聞かざるかエホバはとこしへの神地のはての創造者(なり)」― イザヤ 40:28。
6 エホバは創造者であられるゆえに神です。エホバはアブラハムに,「我は全能の神なり」と言われました。(創世 17:1)詩篇作者は書きました。「主権者なる主エホバに,死からのがれる道は属している」。(詩 68:20,新)クリスチャンの使徒たちもエホバをそのようなかたとして認めて,こう言いました。「主権者なる主よ,あなたは,天と地と海とその中のすべてのものを作られたかたで(す)」― 使行 4:24,新。
7 それゆえ聖書にしるされている歴史は,神が存在することを立証し,神は「死んでいる」どころか,人間の事がらに大いに関係しておられることを明らかにしています。
知らざるをえなかった世界強国
8 今日の世界の事がらに関して神が行動を起こしているのを見たいという人に対しては,なんと答えることができますか。
8 『神が全能者で,善の神であるなら,何事かを行なっているということをなぜ今日われわれに示さないのか』という人がいるかもしれません。しかしわたしたちは次のことを考えなければなりません。つまり主権者としての神は,ご自分の好む時に,またご自分の好む方法にしたがって行動する権利を持っておられるということです。また神は秩序の神ですから,ご自分の目的の進展を図るための時間の予定を持っておられるということも認めなければなりません。―コリント前 14:33。ガラテヤ 4:4。
9 時間に関する神の見方と人間のそれとを比較しなさい。
9 人は70年ほどの人生を長い時間と考え,数世紀といえばほとんど無窮の時間と感じるかもしれません。地球のはるか上に座しておられる神にとって,神に反対する地上の人間はバッタも同然です。バッタはどのくらい生きますか。しかしエホバについてはこうしるされています。「なんぢの目前には千年もすでにすぐる昨日のごとく,また夜間のひとゝきにおなじ」。(詩 90:4。イザヤ 40:22)ですから,西暦前1513年の昔つまり3,500年ほど前に起きたあるできごとは,神の時間の計り方からすれば,3日半ばかり前のことにすぎません。
10 神がだれであるかを知る必要のあることを示す実例はどこに見いだせますか。
10 その「三日半」ばかり前に起きたできごとは確かに,神がだれであるかをわたしたちが知る必要のあることを例証しています。わたしたちはそのできごとを小規模な事件として無視すべきではありません。それは当時の世界強国をほとんどまひ状態に陥れました。その強力な国民は,神がだれであるかをきわめて不承不承に,しかも災いをこうむりながら知るに至りました。穏やかで友好的な仕方で神を知るよう理性や良識を働かせていたなら,その災いは免れえたのです。
11 西暦前16世紀のエジプトの事情を説明しなさい。
11 当時起きたことは,今日ただはるかに壮大な規模で繰り返されている歴史の一部を成しています。西暦前16世紀当時の地上を支配していたのは,ノアから出た人類家族の三大支族の一つ,すなわちノアの息子ハムの支族から出た強国でした。同時に,その地つまりエジプトには,ノアの別の息子セムから出た一民族が居住していました。その民族は数こそおびただしいものでしたが,政治的扇動者ではなく,その地の平和な居住者でした。にもかかわらず,現代の一部の国に見られたと同様,そのハム人の政府はそれらセム人に対して集団大虐殺計画を実施しはじめたのです。
12 セム人はエジプトでどんな論争にかんしてしいたげられましたか。説明しなさい。
12 その集団大虐殺計画が企てられたのは,よくある人種上の論争のためでしたか。そうではありません。それは宗教上の論争のためでした。セム人はエジプトで奴隷となってはいましたが,その地の多くの神々の崇拝には加わりませんでした。それは全地の唯一の神,主権者なる主エホバを知って崇拝していたからです。
13,14 その西暦前16世紀に神が行なおうとしておられた事がらから,どんな結果がもたらされようとしていましたか。
13 エホバはかつてセム人の父祖アブラハム,イサクそしてヤコブにすばらしい約束をなさいました。しかしそれら非常に重大な約束をなお成就してはおられませんでした。それらの父祖たちは神とそのみ名エホバを知っていましたが,ヤコブつまりイスラエルの子たちの中には,神が実際にどんなかたかを知らない者がおそらくいたことでしょう。しかしながらエホバは,その地での彼らの苦難を終わらせる時を明示した預言を彼らの父祖アブラハムに与えておられました。その時が来れば,彼らはかつてなかったほど神をよく知るようになるのです。その時は前述の西暦前16世紀についに到来しました。―創世 15:12-14。
14 それらしいたげられたセム人が神によって救出された結果,エジプトの強大な軍勢もエホバがだれであるかを知るようになりました。
神はそれをどのように行なわれたか
15 神はご自分の存在と力をエジプトでどのように実証されようとしておられましたか。
15 エホバは,ご自分が人類の中でご自身の意図されるとおりに事を運ぶ主権者なる神であることを,ご自分の民を隷従させたその強大な国民に得心させるため,超人的力,奇跡的な力を行使しなければなりませんでした。こうしてエホバは実在者として認められたにとどまらず,ご自分の名を上げたので,後日その民が関係を持つ他の諸国民はもとより当時の強大な世界強国によってそのみ名は尊ばれ,実際,恐れられるようになりました。いかなる人間も持ち合わせていないほどの力と知性をそのようにして表明し,ご自分こそ正しく神であることを実証されました。
16 神は,エジプトで行なわれた奇跡的なわざがだれからのものであるかをどのようにしてエジプト人にまちがいなく見定めましたか。
16 エジプトには多数の神々と魔術を行なうその祭司たちがいました。では,どのようにして神の奇跡的なわざは,エジプト人がそれを自分たちの神々や祭司たちのわざとはみなしえないほどにきわだったものにされたのでしょうか。それは簡単で,しかも非常に効果的な仕方によってなされました。神はある人をご自身の代弁者もしくは預言者として用いて奇跡を事前に発表させました。それで,奇跡が起きた時,それも特に奇跡がエジプトの神々に災いとなる影響をもたらしたとき,人びとは,自分たちの神々がエホバの卓越した力の前には無力であることをいやおうなく知らされました。
17 (イ)モーセは神の代表者としてイスラエル人を救出するのに用いられる人物としての資格をどのようにして備えましたか。(ロ)モーセは自分の使命を説明するにさいして,イスラエルの長老たちになんと言うよう命じられまましたか。
17 神はご自分の目的を成し遂げるにさいして,資格を備えた人物を用いることができました。その人物とは,エジプトで生まれ,真の神の知識をもって母親に訓練されたモーセです。モーセは40年ほど前にイスラエル人の救出を試みましたが,まだ神の時ではないことを思い知らされ,余儀なくエジプトをのがれました。次の40年間,彼はミデアンで羊飼いとして経験を積み,辛抱強さ,忍耐,そして謙遜さの点で訓練されました。ついで,シナイの荒野のホレブ山で神はみ使いをモーセにつかわして,こう言われました。
「汝かくイスラエルの子孫にいふべしなんぢらの先祖等の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神エホバわれを汝らにつかはしたまふと 是は永遠にわが名となり世々にわが誌となるべし 汝往てイスラエルの長老等をあつめて之にいふべし汝らの先祖等の神アブラハム,イサク,ヤコブの神エホバ我にあらはれて言たまひけらく我誠になんぢらを眷み汝らがエジプトにて蒙るところの事を見たり。我すなはち言り我汝らをエジプトの苦患の中より導き出してカナレ人ヘテ人アモリ人ペリジ人ヒビ人エブス人の地すなはち乳と蜜の流るゝ地にのぼり至らしめんと 彼等なんぢの言に聴したがふべし汝とイスラエルの長老等エジプトの王の許にいた(るべし)」― 出エジプト 3:15-18。
挑戦に応ずる
18 パロのことばは,エジプトとイスラエルの間の論争が宗教上のそれであったことをどのように示しましたか。
18 パロの前に出たモーセが,エホバのために祭りを行なうべく荒野に出かけることをイスラエル人に許してほしいと願い出たとき,問題は宗教上の論争であることが明らかにされました。パロは,「エホバは誰なればか我その声にしたがひてイスラエルを去しむべき」と返答しました。ついで,偶像崇拝者パロはエホバをあたかも取るに足りない者のようにみくびっていたことを裏書きして,こうつけ加えました。「我エホバを識ず亦イスラエルを去らしめじ」― 出エジプト 5:1,2。
19 エホバはどのように挑戦に答えられましたか。
19 こうして厚かましくも神の主権に対する挑戦がなされました。神は,ご自分の崇拝者たちはもとより,その宿敵にも疑念をいだかせる余地のないような仕方で挑戦に応じました。そして,ご自分が人間の事がらに関心を持つばかりでなく,行動をさえ起こす神であられることを実証し,十の一連の悲惨な災いをエジプトにもたらして,パロを屈服させました。
20 最初の三つの災いはイスラエル人にどんな影響をおよぼしましたか。
20 最初の三つの災いは,(1)ナイル川の水を血に変え,(2)カエルを全土にのぼらせ,(3)ぶよの大群を起こすことでしたが,エジプト人もイスラエル人もそれらの災いをこうむりました。しかしながらイスラエル人は,自分たちがエホバから罰せられているのではなく,みずからも苦しむことによって,それら災いが圧倒的なエジプト人にどれほど深刻な打撃となったかを痛感できるようにされたことを知りました。こうして,疑いをいだくイスラエル人がいたとすれば,その人は疑いもなくエホバを知るようになったに違いありません。
21 三番目の災いに襲われたとき,エジプトの祭司たちは何を認めざるをえませんでしたか。
21 そうした事情ゆえに,パロとその祭司たちは,エホバがご自分の民を保護できるかどうかを疑ったかもしれません。そのうえ,魔術を行なう祭司たちは最初の二つの災いをまねることができるかに見えました。しかし三番目のぶよの災いでは,それを模倣するには全く無力で,「是は神の指なり」と言わざるをえませんでした。ここで神の名エホバを用いることを避けたのは注目に値します。しかし,だれがそれら災いを彼らとその神々にもたらしたかについては,事実はおのずから明らかでした。―出エジプト 8:19。
22 四番目の災い以後,パロはどんな二つの理由で,エホバが真の神であることを思い知らされましたか。
22 真の神,しかも人に好まれない名を持つこの神を崇拝すれば,保護されたでしょうか。四番目の災いはこの疑問にりっぱに答えました。その災いはそれ以後のものと同様,イスラエル人には影響をおよぼさなかったからです。ゆえにパロは二つの点で,つまり第一に祭司たちは三番目以後の災いを模倣できなかった,第二にエホバはご自分の民を他から分けて保護されたという点で,真の神はエホバであることを思い知らされました。事実,七番目の災いである非常に大きなひょうが降ったとき,モーセの警告に留意して家畜をおおいの下に入れた,パロのしもべたちさえ家畜が害されずにすむのを目撃しました。こうして,エホバは単なる一部族もしくは一民族の神ではなく,全地の神,ご自分に信頼する者すべての守護者であられることが実証されました。―出エジプト 9:18-21。
23,24 エホバはどのようにしてパロに寛容を示されましたか。しかし,パロは自分が箴言 29章1節に描かれているような人間であることをどのように表わしましたか。
23 その後に生じた事がらは今日の諸国民に対する警告となります。さらに三つの災いが下され,最後の災いではエジプト人のすべての家の初子が殺されました。その後,パロはあわててイスラエル人を去らせました。確かに神は,パロとその臣家に本心にかえって自分の命を救う十二分の機会を与え,彼らに寛容を示されました。しかしパロに関しては,次の原則があてはまりました。「しばしば責られてもなほ強頑なる者は救はるることなくして猝然に滅されん」。どのようにあてはまりましたか。―箴言 29:1。
24 解放されたイスラエル人が数日後,紅海のそばで野営するにおよんで,パロはもはや恵み,あるいは忍耐を示されるにはふさわしくない者であることを表わしました。もはや立ち直れないほどエホバに対してかたくなになりました。エホバがモーセに言われたとおりです。「パロ,イスラエルの子孫の事をかたりて彼等はその地に迷ひをりて曠野に閉こめられたるならんといふべ(し)我パロの心を剛愎にすべければパロ彼等の後を追はん我パロとその凡の軍勢に由て誉を得エジプト人をして吾エホバなるを知しめん」― 出エジプト 14:1-4。
25 エジプト人はついにエホバを認めましたか。それは彼らに救いをもたらしましたか。なぜですか。
25 しかしながら,わなに陥ったのはイスラエル人ではなくて,みずからの滅びを招いたエジプト人でした。その夜,過ぎ越しの月あかりのもとで幾百万人ものイスラエル人は自分たちの両側に奇跡的に分けられた紅海の底を渡ったからです。追跡してきたエジプトの軍勢は乾いた海底にはいりましたが,エホバがその進撃を妨げはじめるや,身の危険を感じた彼らは,エホバに敵して戦っていることに気づきはじめ,ついにみ名を口にしてエホバのことを認め,互いにこう言いました。「我らイスラエルを離れて逃ん そはエホバかれらのためにエジプト人と戦へばなり」。しかし手おくれでした。エホバは海の水を戻して,彼らを滅ぼされたからです。一方,無事対岸に渡ったその民イスラエル人は,彼らの滅びを眺めました。―出エジプト 14:25。
わたしたちはどんな仕方で神を知るべきか
26,27 (イ)エジプトの経験は今日の諸国民に対するどんな警告となっていますか。(ロ)わたしたちはどんな仕方でエホバを知るようになるべきですか。どうすれば,だれでもこの必要な知識を得ることができますか。
26 こうして,それらエジプト人は滅びを前にして,神がエホバであることを知りました。そのみ名に敵してパロ同然の態度を取る今日の政治指導者や諸国民は注意すべきです。諸国民の中の個々の人は,もし望むなら,この歴史上の実例に注意して同様の非運を回避することができます。神のみ名に逆らってかたくなになる人たちは滅びる直前に,神がエホバであることを知りますが,それは神にかんする事実を知る好ましい仕方とはいえません。わたしたちは今,真の神また主権者,目的の設定者,そしてご自分を信頼する人たちの守護者としてのエホバを知りたいと願わなければなりません。モーセの場合のように,またイエス・キリストが神を知るよう他の人を励ましたように,わたしたちは,神を知るべきです。それは生死にかかわる事がらです。まさしくイエスが述べられたとおりです。「これが永遠の命を意味します。彼らが,唯一のまことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになった者であるイエス・キリストに関する知識を取り入れることです」― ヨハネ 17:3,新。
27 エホバの証人は宣べ伝えられた良いたよりに留意し,みことば聖書を研究してエホバを知るようになりました。そして,そうした知識を得るよう他の人を喜んで無償で援助しています。証人たちとともに聖書をお宅で研究すれば,あなたも益にあずかれます。