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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1977 | 11月15日
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見いだすのであった。すなわち,自らが狩猟用の網であって,その心が引き網また両手がかせである女は死よりも苦いのをわたしは見いだした。彼女から逃れるなら,その者は真の神の前で善良な者であり,彼女に捕らえられるなら,その者は罪を犯しているのである」― 伝道 7:25,26,新。
ソロモンは自分が心をこめて注意深く調べた結果,男の人がかかわり合いになる最悪のものの一つとして,悪い女,つまり売春婦を挙げています。このことに注目してください。ソロモンは売春婦の誘引力を「引き網」や「かせ」に例えています。そうした女のわなにかかる人は,忌まわしい性病にかかったり,既婚者であれば家庭を破壊させたりして,死よりも苦い経験をします。さらに重大なこととして,売春婦に身を任すなら,エホバ神との関係を危うくしかねません。
ソロモンが悪い女の誘引力をことさら取り上げていることは,当時女性の間の道徳基準が非常に低かったことを暗示しています。それは外国の影響を受けたため,また,後日ソロモンが外国人の妻たちを喜ばせるために自ら進んで行なった豊じょう儀式などのバアル崇拝に傾いていたためと思われます。(列王上 11:3-8)こうした背景は,ソロモンが次に書いた事柄に光明を投じるものとなります。「見よ! このことをわたしは見いだした。……一つのことが他のことから取られているのを,全容を見いだすために。それをわたしの魂は絶えず求めたが,わたしは見いださなかった。千人の中から一人の男をわたしは見いだしたが,それらすべての中から女は見いださなかった」― 伝道 7:27,28,新。
廉潔な人を見いだすのは難しいということを,ソロモンは認めます。そのような人は千人の中に一人しかいないことでしょう。しかし,多くの妻やめかけとの経験に基づいて,また他の女性を観察した結果,ソロモンは,理想的な女性が当時,それよりさらにまれにしかいないという結論に達しました。それはりっぱな女性が全くいなかったという意味ではなく,全般的に模範的な女性が少なかったという意味です。良い妻を見いだした人は確かに幸いと言えました。箴言の書は適切にもこう述べています。「有能な妻をだれが見いだし得るだろうか。その価値は,さんごのそれをはるかにしのぐ」。(箴 31:10,新)「人は良い妻を見いだしたであろうか。その人は善いものを見いだしたのである」― 箴 18:22,新。
しかし,廉潔な男女を見いだすのが難しいからといって,その責任を神に帰せることはできません。ソロモンは次のような事柄を認めました。「真の神は人間を廉潔な者に造られたが,彼らは多くの計画を捜し出した」。(伝道 7:29,新)大抵の男女は,神の義の基準に従うかわりに,自らの計画や策略,手段などに従うほうを故意に選び,害を被ってきました。
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「菓子のことで嘲る背教者たち」ものみの塔 1977 | 11月15日
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「菓子のことで嘲る背教者たち」
ダビデは詩篇の中の一篇で,自分が耐えねばならなかったののしりについて,こう述べています。「菓子のことで嘲る背教者たちの間では,わたしに敵してさえ歯きしみがあった」。(詩 35:16,新)これら嘲る者たちは,神の忠実な民の一員とはみなされないという意味で背教者でした。そうした人々は浮浪者,社会のくずともいうべき者たちでした。そして自分たちの言葉を聞いて喜んでくれる(サウル王と思われる)人から菓子を得るだけのために,これらの者たちはダビデを嘲笑しました。また,ダビデに対して歯ぎしみしました。これは,怒り,嘲笑,そして軽べつの表われです。
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