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神のみ前で良い名を得てくださいものみの塔 1981 | 5月15日
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1 すべての人は自分のために何を得ますか。また他者に何を得させることがありますか。
だれの場合であっても,たとえ何もしない人の場合であっても,人の行為には付随的な何かが伴います。りっぱな家具を造る人なら,付随的に名工としての名を得ます。おいしい料理を作る婦人であれば料理上手という名を得ます。3番目の例として,何もしない人であれば,怠惰という名を得ます。すべての人は自分のために名を得ます。さらに,わたしたちが他者に名を得させる場合もあります。サウルとその一党は中傷によってダビデの名を汚しました。ダビデは自作の幾つもの詩により,神の名を高めました。エホバは,ダビデが自分のために良い名を得ることを可能にされました。神を代表すると唱える人の中には,宗教上の偽りや反道徳的な行為によって神のみ名を汚す人がいます。真の崇拝者は自らの言動により神の名を高め,そうすることによってエホバ神のみ前で自分たちのために良い名を得るのです。―詩 64:1-6。歴代上 17:8。エゼキエル 36:20-23。
2 伝道之書の中には,一見奇妙と思えるどんな記述がありますか。その後にどんな助言が続いていますか。
2 聖書の伝道之書の中には,ある読者にとって非常に奇妙な記述と思えるような一節があります。そこにはこう書かれています。「良き名は良き油にまさり,死ぬる日は生るる日にまさる」。どうしてこのようなことがあり得るのでしょうか。死が生にまさることがどうしてあるのですか。もしどちらかを選択するとしたら,命を終わらせるより生き始めるほうを選ぶのではありませんか。ではこの節を,後に続く幾つかの節と共にもう一度読んでみましょう。
「良き名は良き油にまさり,死ぬる日は生るる日にまさる。
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神のみ前で良い名を得てくださいものみの塔 1981 | 5月15日
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伝道 7:1-6,口語訳。
3 (イ)ここで述べられているのは古代イスラエルのどんな習慣ですか。そうした時にどんな考えは大きな慰めとなりますか。(ロ)ここで言及されている名が良い名であることはどのようにして分かりますか。
3 これで,死ぬ日が生れた日に勝るという奇妙な記述の意味がはっきりするのではないでしょうか。これらの言葉が語られた状況や背景について知るなら,確かにはっきりしてきます。この記述は古代イスラエルの習慣と関係があります。ある家で,愛されていた人が亡くなった場合,その住まいは悲しみの家となりました。友人や隣人たちがやって来て哀悼の言葉を述べるのが当時の習慣でした。愛されていたその人が神のみ前で良い名を得ていたのであれば,その人の死の日が生れた日に勝るという考えは大きな慰めになったことでしょう。原語のヘブライ語では,この段落の第1節は確かに「良き名」ではなく,ただ「名」となっています。a それでも,この名は良い名と理解されるべきものです。同じような例が次の箴言 22章1節(新)に見られます。「豊かな富よりも,名を選ぶべきである」。幾つかの翻訳では,それがどんな名のことかを示すために「良い」という形容詞を補っています。b 箴言の場合も伝道之書 7章1節の場合も,この名とは当然良い名を意味しています。そうでなければこれらの記述は全く意味を成しません。
4 わたしたちは死に際して,生まれた時にはなかったどんなものを得る場合がありますか。なぜですか。
4 良い名であれ悪い名であれ,わたしたちは生きている限り自分自身のために名を得ます。もしわたしたちの行動が神の観点から賢明なものであれば,神のみ前で自分のために良い名を得ることになります。しかしそれには時間がかかります。生れ出たその日に,わたしたちは何かの名を得るほど長い時間生きるわけではありません。さらに,わたしたちはアダムの罪の下に生まれ,死を宣告されています。(ローマ 5:12)したがって,幾年か経た後の死の日にわたしたちが神のみ前で良い名を得ているのであれば,生れた日にはなかった何かを所有していることになります。わたしたちは,キリストの王国の下で神が死者を命によみがえらせる時に思い出してくださるような名を得ているのです。「義なる者の思い出は祝福を得ることになり,邪悪な者たちの名は腐る」― 箴 10:7,新。
悲しむ人は益を受ける
5 悲しむ人は悲しみの家の中に座って何を深く考えるかもしれませんか。
5 しかし古代イスラエル人が遺族を慰めるために悲しみの家へ行く時には,その当人も益を受けました。幾つかの節を読み返してこの点を考えてみましょう。「悲しみの家にはいるのは,宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終わりだからである。生きている者は,これを心にとめる」。(伝道 7:2,口)この人は無神経に自分自身の快楽を追求するのではなく,後に残された人々に親切な態度で同情心を示しますが,それだけにとどまらず,この家で人が亡くなったこと,それは何も異常な出来事ではないこと,死は万人に臨むこと,それは自分にも臨むことなどを思い巡らします。死が臨む時,自分の死の日は自分の生れた日より勝ったものとなるだろうか。自分の死ぬ日には神のみ前で良い名を得たと言えるほど,自分は一生涯賢明に行動するだろうか。生きている者は,変化する時間があるうちにそのことを心にとめなければなりません。良い名は,臨終の時のわずか数分間の悔い改めでは得られないからです。
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神のみ前で良い名を得てくださいものみの塔 1981 | 5月15日
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さらに奇妙な記述
8 より深い理解を踏まえた上で,どんな教訓を今認めることができますか。
8 さて,このような深い理解を踏まえた上で,「死ぬる日は生るる日にまさる」という記述にもう一度戻ってみましょう。これがもはや奇妙な記述ではなく,神のみ前で良い名を得るためにどう生きるべきかに関する力強い教訓であることが分かってきました。それで死ぬ日は生れる日に勝っているのです。
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