新世社会内のあなたの立場を見出しなさい
『そこで神は御旨のままに,肢体をそれぞれ,からだに備えられたのである。』― コリント前 12:18,新口。
1,2 (イ)どんな自然の事実は,ヱホバが創造の神であることを証明しますか。(ロ)それでは,私たちは新世社会内にどんな取り極めを見出すと期待すべきですか。
月の照らない晴れた夜に,空を見上げて,できるものなら,星の数をかぞえてごらんなさい。幾千という数の星は肉眼に映ります。実際には幾十億という星があるのです。強力な望遠鏡や特別な写真装備で遙か彼方の外界を観察するとき,幾百万という星が見えます。この測り知れない非常な大きさというものから見ると,単なる人間は実に小さいものに過ぎません。ところが,ここには素晴らしい事柄があるのであつて,それを考えるとき,畏怖の念を感じさせます。すなわち数えることのできない程多くある天の星は,考えも理性もなしにいい加滅な,めちやめちやな状態に置かれているのではありません。むしろ最高の理知者の最も入念な構想に従い,それぞれ果てしない天界において定められた場所を持つているのです。かたいコンクリート内の砂は動くことができずに定着していますが,天の星はそのような砂とはちがつて動いており,もの凄い速度で進行しているのです。どの星もそれぞれの軌道を持つており,1分1秒も違わぬ正確さで定められた道を進行します。それぞれは創造者の定め給うた法則で制御されています。
2 天と地の創造者であるヱホバは,御自分の構想と取り極めによりすべての星をそれぞれの場所に置かれました。それですから,すべての星は神から与えられた地位,神から割り当てられたところ,それぞれ正しい場所を持つていると言うことができます。(創世 1:1; 2:1。ネヘミヤ 9:6。詩 8:3。イザヤ 45:12)ヱホバの創造の業すべてもそのようです。ヱホバは秩序ある取り極めを設ける神です。『神は無秩序の神ではなく』この故に彼の制度内にあるすべてのものは神からの割り当てを受けて『すべてのことを適宜に,かつ秩序を正して行う』それで次のことを期待するのはまつたく理に合うことです,すなわちヱホバの特別創造である新世社会内でも,それぞれの各成員の居るべき所が定められているということです。聖書と事実を調べるとき,まつたくその通りであると分ります。―コリント前 14:33,40,新口。
3 1918年以来,残れる者はどんな立場を占めていますか。
3 あるときキリストの『花嫁』の地上の残れる者たちは,バビロンの捕われの下にいました。しかし,それがキリストの足跡に従う清い処女級の弟子たちに対する正しい場所でなかつたことは確かです。それで1918年にヱホバが裁きを行う為に霊的な宮に来たとき,この忠実な残れる者の級はサタンの汚いバビロンの制度から出るようにと命ぜられました。彼らはその命令に従いました。すると神は復興した残れる者たちをその正しい立場,すなわち新世社会の中心に置き,主の所有全部を管理する『忠実にして慧い奴隷』に任命しました。(黙示 18:4。マタイ 24:45-47)残れる者たちは,神の霊的な宮にかんしては,地上の目に見える残れる部分となつています。そして他の聖句は,神の霊的な宮について次のように述べています,『あなた方も,それぞれ生ける石となつて,霊の家に築き上げられ,聖なる祭司となつて,イエス・キリストにより,神によろこばれる霊のいけにえを,ささげなさい。』『あなた方は使徒たちや預言者たちの基礎にもとづいて建てられた。しかしキリスト・イエス御自身は基礎の隅石である。彼にあつて建物全部は調和の中に組み合わせられ,ヱホバの聖なる宮に成長する。』― ペテロ前 2:5,新口。エペソ 2:19-21,新世。
4,5 (イ)イザヤとミカの預言によると,どんな他の級の民は新世社会内に立場を見出していますか。(ロ)この『大いなる群衆』は責任を持たない怠惰な級ですか。
4 今日,他の民の大群衆はこの神の家なる宮に来て,新世社会の中核である目に見える宮級のまわりに集まつています。預言者イザヤとミカが,この終りの日に起るであろうと預言した通りです,『末の日にヱホバの家の山はもろもろの山の頂きにかたく立ち,もろもろの嶺よりもたかくあがり,すべての国は流れのごとくこれにつかん。多くの民行きて相語り言わん,いざわれらヱホバの山に登り,ヤコブの神の家に行かん,神われらにその道を教え給わん,我らその道を歩むべしと。そは法律はシオンより出でヱホバの言葉はエルサレムより出べければなり。』― イザヤ 2:2,3。ミカ 4:1,2。
5 その数はすでに71万6000人以上で100以上の言語を話し,そして160以上の国々や海の島々から集まつています。そのすべては正しい羊飼なる小羊キリスト・イエスを中心に新しい世の社会として集合して居り,各人は制度内の自分の正しい立場を認め,自分が霊的イスラエルの残れる者であるか,又は残れる者と交わつている『大いなる群衆』の者であるかを認めることは最も大切なのです。(黙示 7:4-10。ヨハネ 10:16)『大いなる群衆』の者たちも重い責任の荷を負わねばならぬとイザヤの預言は示しています。イザヤの預言は復興した残れる者の状態を述べて後に,『大いる群衆』は群を飼う異国人,あるいは畑を耕し葡萄をつくる外人である,と述べているからです。それで,残れる者級に属する者であろうと,或はこの『大いなる群衆』に属する者であろうと,各人はこの肥沃で実を結ぶ制度内で自分の立場を取る責任を主に負うています。そして課せられた義務を遂行しなければなりません。王の奉仕が免除されている人はひとりもいません。『人はそれぞれ,自分自身の重荷を負うべきである。』― イザヤ 61:4,5。ロマ 14:4。ガラテヤ 6:5,新口。
6 ヱホバはその制度内において,非常に卓越したどんな立場,およびどんな権威の立場を持つていますか。
6 新世社会はその構成において神権的であり,また当然に神権的なものでなければなりません。つまり上から下にいたるまで神の支配を受けるということです。その制度の一番の頭には,最も妥当な場所に忠実に住まわれているヱホバ神が居られます。彼は最高至上者で,宇宙で最も栄光に輝く主権者です。『ヱホバという名を持ち給う汝のみ全地をしろしめす至上者なる』ヱホバだけが政府の3部門である司法,立法,行政のことごとくを持つておられます。『ヱホバは我らを裁きたもうもの,ヱホバは我らに律法を立て給いし者,ヱホバは我らの王にまします』『ヱホバはその宝座をもろもろの天にかたく置え給えり。そのまつりごとはよろずの物の上にあり。』― 詩 83:18。イザヤ 33:22。詩 103:19。
7 キリスト・イエスにゆだねられている特別な奉仕の特権のいくらかを述べなさい。
7 『神の独子』なるキリスト・イエスもこの新しい世の構成において全く正しい立場を持つています。彼はあがない者,贖罪者であつて,『私たちは,この御子によつてあがない,すなわち,罪のゆるしを受けているのである。』また『彼は体なる会衆の頭であられる。彼はすべてのもののうちで最初のものとなる為,死から最初に生まれた方である。』さらに『キリストもまた,大祭司の栄誉を自分で得たのではなく,「あなたこそは,永遠にメルキゼデクに等しい祭司である」と言われたかた(ヱホバ)から,お受けになつたのである。』この王なる祭司は,いまや『王の王,主の主』として天で支配しています。そしてヱホバの大いなる立証者として彼は天の全軍の頭に立ち,ハルマゲドンの戦いにむかつて指揮を取つています。このハルマゲドンの戦いのときに彼はサタンの悪しき制度をまつたく亡しつくしてしまうでしよう。古くから約束されているヱホバの新しい世の政府は「彼の肩にあり,その名は平和の君ととなえられる。その平和な政治は増し加わつて終りがない。」彼は千年間統治して,栄光に輝く完全な状態にまで楽園を復興されるからです。(コロサイ 1:14,18。ヘブル 5:5,6。黙示 19:11-16。イザヤ 9:6,7)これは神よりキリスト・イエスに委ねられた聖なる奉仕の宝です。それですから,悪魔でもまた外の暗きにいる悪鬼たち全部も,まつたく彼の敵はひとりとしてヱホバの新しい組織制度内のイエスの立場を取り除くことはできません!
多くの成員を持つひとつの体
8 人間の体はその構成において,どのように新世社会に似ていますか。
8 『キリストの頭は神である』ごとく,キリストはまた『会衆のかしら』であります。(コリント前 11:3。エペソ 5:23)中心となつているこのかしらの下にあつて,多くの制度はない,まつたくのところ二つの制度もないということは論理的に言えることです。この一つの構成の中には多くの奉仕部門や働きの部門があり,それぞれの地位は人々によつて満たされ,各人はそれぞれの責任を果して行きますが,しかし只一つの神権制度しかないのです。エペソ書 4章4-12節は次のように述べています,『体は一つ,御霊も一つである。あなた方が召されたのは,一つの希望に召されたのと同じである。主は一つ,信仰は一つ,洗礼は一つ。すべてのものの上にあり,すべてのものを貫き,すべての中におられるすべてのものの父なる神は一つである。』たしかに只一つの制度しかありません,しかし11節はこう述べています,『そして彼はある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を宣教者とし,ある人を牧者および教える者としてお立てになった。』なぜですか。『それはキリストの体を建てて,奉仕の業のために聖徒たちの訓練を目的とされた。』それは一つの体すなわち制度です。このことは次のことをも示しています。すなわち初期のクリスチャン制度内では多くの任命がなされたこと,そしてその任命は神権的になされたのであつて,民主的になされたのではないということです。―使行 10:44,45,48; 14:23; 20:28。
9 初期クリスチャンの制度は,どのようにかたく結ばれていましたか。そして,どんな結果を得ましたか。
9 第1世紀にキリスト教のひろまるにつれてローマ帝国内のいろいろの場所で多くの会衆が設立されました。あちこちに散在していたこれらの群は,孤立した独立の群にならず,手紙とか定期的に訪問する旅行代表者たちによつて,エルサレムにあつた中央の統治体にまつたく服属していました。『それから彼らは(旅行する代表者たち)通る町々で,エルサレムの使徒たちや古い人々(中央の統治体)の取り決めた事項を守るようにと,人々(地方の会衆)にそれを渡した。』つくられて間もないその制度,そして成長しつつあつたその制度内でそれぞれ自分の立場を守つた結果は何でしたか。次の節はこう答えています,『こうして会衆は信仰をかたくし,その数は日ごとに増していつた。』― 使行 16:4,5。
10 今日のヱホバの証者の基礎的な制度の構成が,第1世紀に設立された構成にどのように一致するかを示しなさい。
10 キリスト教初期の時代から現在までは約1900年の年月が経つていますが,しかしヱホバ神とキリスト・イエスという同じ上なる権威を頭とする一つの神権制度が存在しています。それは今日神の指示する制度,神の支配する制度,ヱホバの証者の新しい世の社会として地上に代表されています。この真実の初期クリスチャン協会は20世紀に驚くべき拡大をいたしました。しかしその基礎的な構成においては第1世紀に神の定められた型に従つているのです。その時と同じように現在のヱホバのクリスチャン証者の協会においても『神は御旨のままに,肢体をそれぞれ,からだに備えられたのである。』(コリント前 12:18,新口)昔の場合と同じく,現在でも中央の統治体を設立することは頭なる神の御旨であります。その統治体は全地にいるヱホバの証者に仕えると共に,ヱホバの証者を統治いたします。この中央の統治体を代表する者として多数の支部の僕や,地帯,地域そして巡回の僕といういろいろの資格で奉仕をする幾千人という旅行をする奉仕者がいます。これらの代表者たちは孤立している良い便りの伝道者たちを訪問するだけでなく,1万6883の組織された会衆に定期的に奉仕しています。これらの設立された会衆内では中央の統治体によつて任命されたいろいろの僕たちや特別な代表者がいます。彼らはヱホバの証者の各地での活動を監督いたします。
11 全地にわたるヱホバの証者のあいだの一致を述べなさい。これはどのように可能ですか。
11 上から下にいたるまで神権的な型に従つて組織されているために,ヱホバの民のあいだには一致が得られています。そのことは地上の他の群には決して見られないものです。考え,信仰,教理,教え,活動,行為,そして生活の習慣と実践においてヱホバの証者のあいだには,地理上の境界,言語上の障壁,そして国家的な習慣とか,種族の習慣を跳び越える一致があるのです。それぞれの忠実を保つて歩んでいる各人が,この社会内で自分の正しい立場を見出し,そして神より与えられた責任を正しく遂行しているからこそ,そのような一致と調和が可能なのです。
12 コリント前書 12章20-30節は,監督でない会衆の伝道者にたいして,どのように新世社会内の立場を設けていますか。
12 この新しい世の社会の各会衆内にあつて,あなたは任命を受けている監督ですか。もしそのような立場にいるなら,使徒ペテロは次のように言つています。あなたは『あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく,神に従つて自ら進んでなし,恥ずべき利得のためではなく,本心から,それをしなさい。また,ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで,むしろ,群れの模範となるべきである。』(ペテロ前 5:2,3,新口)あるいは又,あなたは特定な監督の責任を持たない会衆内の名誉ある伝道者ですか。もしそうなら,あなたも又神の取り極めた事柄の中で正しい重要な立場を持つているのです。『ところが実際,肢体は多くあるが,体は一つなのである。目は手にむかつて「お前はいらない」とは言えず,また頭は足にむかつて「お前はいらない」とも言えない。そうではなく,むしろ,からだのうちで他よりも弱く見える肢体が,かえつて必要なのであり,からだのうちで,他よりも見劣りがすると思えるところに,ものを着せていつそう見よくする……神は劣つている部分をいつそう見よくして,からだに調和をお与えになつたのである。それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。……みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。みんながいやしの賜物を持つているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。』― コリント前 12:20-30,新口。
13 ヱホバの証者のあいだに設けられている青少年に対する健全にして良い立場を取るとき,彼らは又どんな責任を取らねばなりませんか。
13 全世界に拡大しているこの新世社会内には,私たちの子供や青少年の為の場所もたくさんあります。それですから,あなた方年若い者たちよ,自分の立場を知つて,その立場を取りなさい。過去にこのことを行つた或る子供たちは,聖書に述べられています。その二,三の名前を挙げればサムエル,エレミヤ,エフタの娘,テモテ,イエスなどですが,そのような少年少女の残した良い模範に従いなさい。大きな特権に対して準備をいたしなさい。それはあなたが重い責任を遂行し得るときに課せられるでしよう。この目的の為には,個人的な研究および組織された群の研究によつて聖書の知識を採り入れなさい。その知識はあなたを賢明な者となし,救いに至らしむるものです。あなたに割り当てられた役割は,ずつと前から研究しておきなさい。そして会衆の集会には積極的な参加ができるよう準備して来なさい。熱心な研究をしたり,いろいろの種類の奉仕活動に参加することにより,霊的な知恵や理解において円熟に成長しなさい。家から家の伝道の業や毎週になされる雑誌配布に定期的に参加しなさい。興味を持つ人のところに良い再訪問をする方法や,それらの人々と家庭聖書研究を司会する方法を学びなさい。自分の両親や会衆内の監督に対して正当な尊敬を示しなさい。『なんじの若き日になんじの造り主を記えよ。』たしかにこれこそヱホバの証者内の青少年に対する立場であります。それは良い健全な立場であります。そして,ヱホバを賛えなさい! この幸福な立場を見出して,その立場を保つ賢明な青少年は,現在の悪い組織制度内の不良青少年の中にいません。―伝道之書 12:1。
あなたの立場は開拓者奉仕?
14,15 (イ)新世社会はまた開拓者や宣教者に対して場所を設けていますか。(ロ)開拓奉仕をした宣教者として,使徒パウロはどんな祝福と特権を楽しみましたか。
14 全時間開拓者や宣教者が地方の会衆と交わつている場合は沢山あります。彼らもこのクリスチャン奉仕者の社会内で立場を持つています。全時間奉仕に差しつかえとなる聖書的な責務というものがありませんから,彼らは利己的な事柄を求めるよりも先ず神の御国を求めます。そして,使徒パウロのように,この世的な地位とか物質上のぜいたく品を失おうとも,それらを屑か芥あくたのように見なします。―マタイ 6:25-34。ピリピ 3:8。
15 使徒パウロがどれ程特権に恵まれた人であつたか,一寸考えてごらんなさい。彼は異邦の諸国民につかわされた『第一番の使徒』でした。彼はローマ帝国内の広範囲にわたる地域を訪問して多くの会衆を設立しました。パウロは又他の人以上にクリスチャン・ギリシャ語聖書を多く書くという特権を持つていました。アテネでは彼は当時の最も著名な哲学者や教育家の前で証言しました。彼は又エルサレムの最高法廷,すなわちユダヤ人のサンヘドリンの前で証言しました。総督フェリックスやヘスタス,そしてアグリッパ王のような古い支配者の前において,そして遂にはローマ皇帝ネロの宮廷の前にあつて,パウロは新しい世の支配者なるキリスト・イエスについての良いたよりを伝道するという特権を持つていました。パウロは開拓者になつて部分時間奉仕から全時間奉仕に入つたとき,これらの特権や更に多くの特権と祝福を楽しんだのです。
16 (イ)すべての人は開拓奉仕に入ることができますか。(ロ)個人的な事柄に専念して開拓奉仕の特権を失う危険について,イエスのたとえ話はどのように示していますか。
16 今日,新世社会に入つている者たちの前には同じ機会の戸が開かれています。しかし或る人々は,子供がいるとか,扶養しなければならない者がいるとか,あるいは健康状態が弱いという理由でもつて開拓奉仕をすることはできないと感じています。別の人は,どうしても果さねばならぬ経済的な責務が重いから,開拓奉仕することは不可能であると感じます。一方,ヱホバの証者と交わつている大ぜいの人々は,神の奉仕に全く献身していると言い,そして聖書的な責務はすこしも無いにもかかわらず,いろいろな口実をかまえて開拓奉仕に伴う責任を逃れようとします。これらの人々は新世社会内の正しい立場からはずれていると言えないでしようか。それらの人々は軌道からはずれており,定まつた道から自由勝手に離れ出て,全時間開拓奉仕の制限や規則にとらわれたくないと努めているのではないでしようか。これはまつたく愚かな道,そして危険な道を採ることです。それは,イエスのたとえ話の中に出てくる人々のとつた態度に酷似しています。その人々は畠を買つたばかりだとか,牛を買つたところだとか,又は妻をめとつたばかりだからというような理由をたてにして特別な宴会に出席するのを断りました。宴会の席に招待された客にとつて,いまは正しい時ではありませんでしたか。彼らの言いわけはきわめて小さいもの,微々たるものではありませんか。言いわけを申し立てて利己的な事柄に専念していた人々に対して家人が怒りを発したのも当然です。彼らは生涯に只一度の機会を逸しました! たしかに,その特別な招待を受けるためには,個人的な事柄を止めたり,延期したり,または再び取り極めたりしてすこしの不便はまぬかれないでしよう。しかし,差しのべられた非常な特権を受け入れたならば,なんとすばらしいよろこびと祝福を持つたことでしよう!―ルカ 14:16-24。
17 自分の宣教に対する開拓者パウロの態度は何でしたか。
17 全時間奉仕の機会についても同じことが言えます。今日この機会は,全時間奉仕を受け入れることのできる立場の人々にさし伸べられています。開拓奉仕をすることは易しいことではありません。全時間の開拓者奉仕をする為には,個人の計画,たとえば大学教育とか特定な生涯を止めることは必要でしよう。多くの障碍や多くの反対に打ち勝たねばなりません。パウロも,開拓者としての大きな活動分野に入る為に,同様な障碍を踏みこえねばならなかつたのです。『有力な働きの門が私の為に大きく開かれているし,また敵対する者も多いからである。』とパウロは言つています。主なる神に仕えたこの全時間奉仕の僕は,次のようにも書きました,『だれが,キリストの愛から私たちを離れさせるのか。患難か,苦悩か,迫害か,飢えか,裸か,危難か,剣か。』今日パウロが地上にいるとすれば,彼は次のような言葉をつけ加えるかも知れません,「この時代の物質主義やぜいたくは,全時間奉仕を行つて神に捧げる私たちの愛の妨げとなるか」彼は積極的にまた力づよく,そのような質問全部に対して次のように答えています,『私は確信する。死も生も,天使も支配者も,現在のものも将来のものも,力あるものも,高いものも深いものも,その他どんな被造物も,私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から,私たちを引き離すことはできないのである。』他の『被造物』の中には,生物のことだけでなく,この現代文明にある無生のぜいたく品や無必要なものも入つているのです。パウロと同じ心構えを持つ人々は,全力をつくして神への愛を立証しようとしますから,それらのものの介入を許して神に捧げる愛が妨げられるというようなことをいたしません。―コリント前 16:9。コリント後 4:7-11。ロマ 8:35-39,新口。
18 今日の人も,パウロの持つていたのと同じ心の平和や満足を持つことができますか。
18 パウロはいろいろ辛いことを経験しましたが,生活における心の平和とか,満足,よろこび,そして幸福はすこしも害われなかつたのです。生活を楽にするものが多く無くても,彼の火と熱心を消したり,弱めたりしませんでした。パウロの書いたものは,熱心と楽観的な見方で溢れており,彼がキリストのごとく生活したように他の人々も彼に従えと強くすすめています。使徒としての宣教を行いつづけて行く為に,この世の仕事をすこしの時間しなければならない時でも,彼は一度たりとも不平を述べたことはありません。あなたも,パウロや他の者の楽しんだのと同様な祝福を持つことができます。しかし,それには彼らのなしたと同じように同じ奉仕の特権に入ることが条件です。
19 新世社会内で正しい立場を見出したことをたしかめる為に,私たちは自分自身に対してどのように尋ねるべきですか。
19 新世社会内で自分は正しい奉仕の立場を見出しているかどうかを自問いたしなさい。開拓奉仕をするのに差しつかえとなる家族の責任がありますか。もしそうなら,あなたはそのような責任を是非果さねばならぬと聖書は述べています。(テモテ前 5:8)あなたは,正しい聖書的な責務を持つておらず,開拓者奉仕の活動にみちびく大きな門を通つて中に入ることができますか。あなたは宣教者になつて外国の地に旅行し,そして伝道者の援助を必要とするところで奉仕したいと心から願い希望していますか。あなたにはその気持があり,希望はしていますが,外国の地に行つて奉仕するだけの健康に恵まれていないかも知れません。キリスト教国のどの国でも全時間奉仕者は非常に必要です。いわゆるキリスト教と言う国々も,他の世界の国々と同様にクリスチャン宣教者を必要としています。あなたと同じ言語を語る国民の中に孤立した区域はたくさんあり,その場所で開拓者を絶対に必要としているのです。あなたの属している会衆も,新世社会に群らがり入る『他の羊』を養い,訓練し,そして世話をする為に,更に多くの全時間奉仕者を必要としていることは疑いありません。種々の割り当ての働きを持つこの制度内で,あなたの正しい立場が全時間開拓者か或いは宣教者であるなら,この古い世の組織制度の心づかいとか心配を持つために,あなたの正しい立場をしめることができない,というのは全く悪いことでもあり又愚かなことでもあります。
20 新世社会の群の中の立場を見出して保つことは,いまなぜ緊急に重要ですか。
20 ヱホバ神は,宇宙の幾百億幾千億という星のそれぞれに対して場所を与えておられるごとく,神の制度内にいる私たち各人に対しても立場を与えておられます。ヱホバとキリスト・イエスの下にあつて,残れる者も『他の羊』の者も,任命を受けている僕であつても会衆の伝道者であつても,年を取つている者も若い者も,部分時間の奉仕者も全時間の奉仕者も ― まつたく高度に組織された新世社会内には各人のすべてに対して正しく割り当てられている正しい立場があるのです。この交わりをしている各人が,正しい立場を早く見出すことは一番大切なことです。そして又,もしハルマゲドンを生き残り,永遠の平和と幸福の中に永久に住みたいと希望するなら,次の記事の示すごとく,新世社会の群の中における自分の立場を見出してからは,その中に忠実にとどまることも極めて大切なものです。