精力的に努力しなさい
「狭い戸を通ってはいるよう,精力的に努力しなさい。なぜなら,あなたがたに言いますが,多くの者がはいろうと努めながら,はいれないからです」― ルカ 13:24,新。
1 ギレアデの卒業生はどんな実際的な助言を与えられましたか。
まだ比較的最近のことですが,ものみの塔ギレアデ聖書学校の卒業式の主要な話の中で,講演者は宣教者として巣立とうとしていた卒業生に次のような助言を述べました。「わたしたちは日々,その日一日の生活のゆえに,夜には喜びと満足をいだいて休むことができます。なぜなら,一生懸命働くゆえに,善を行なっているということを知っているからです。……一生懸命働きなさい。そうすれば,自分の行なっている事がらのゆえに大いに喜べます」。ものみの塔協会の会長のこの助言は,実際的であり,また聖書にものっとったものでした。一生懸命働くことは,幸福にとって不可欠です。きたるべきエホバの新しい事物の体制をふれ告げるわざに携わっている人たちの場合は特にそうです。
2 今日の世界に広く見られる,仕事に対する態度について述べなさい。
2 もしあなたがそれに携わっておられるなら,クリスチャンの奉仕の務めであるその仕事をどのように見ていますか。自ら進んで勤勉にその仕事に打ち込んでいますか。それは生きる喜びの主要な源ですか。宣べ伝えることと教えるわざに純粋の喜びを見いだし,その仕事に熟達しようと努力し,その益を他の人びとと惜しみなくわかち合っておられますか。そうするのはたいへん良いことです。今日の世界に広く見られる,仕事に対する態度に逆戻りしたいと思う人がはたしているでしょうか。しかし仕事にほんとうに打ち込もうとはしないような人が至る所にいますし,雇用者は,従業員がますますのろまで,怠慢で,無関心になっていると不平をこぼしています。「ゆっくりやれそうすれば,仕事を失わないですむ」というのが多くの職場代表者のスローガンとされており,多くの国ではストライキが社会の害毒になっているといわれ,不穏な労働情勢は雇用者にとってますますやっかいな問題となっています。仕事に対する態度の変化を示すものとして,ある若者はこう言いました。「仕事のやり方など教えてもらう必要はありません。わたしは別の世代の人間なので,一生懸命働くことなどまっぴらです」。
3 職務怠慢の問題の別の面とは何ですか。
3 一生懸命働くことは,ますます好まれなくなっているだけでなく,多くの人は仕事を完全に回避する方法をも黙認しているようです。1971年2月8日号,USニュース・アンド・ワールド・リポート誌は,「窮地に立たされた厚生事業」と題する記事の中で職務怠慢の問題のこの面を取り上げ,アメリカ,ニューヨーク市の典型的な事態が各地に広まっている憂慮すべき実情を報じましたが,同市では生活保護を受けている人のうち6人に一人はおもに,働くのを嫌って妻子を養う責任を回避する夫から「財政的に遣棄」されたという理由で生活保護を受けているとのことです。1971年1月22日の年頭教書の中で米大統領はこの重大な問題の解決策を提唱して,「われわれはまた,働く励みとなる効果的な誘因と効果的な労働条件とを確立しなければならない」と言明しました。
4 (イ)クリスチャンはしいられなければ仕事をしませんか。(ロ)人間はなぜ自分の行なう仕事に喜びを見いだすべきでしょうか。
4 真のクリスチャンは働くよう強制される必要はありません。聖書はそのような怠惰な態度を非として,こう教えています。「我らが前に命ぜしごとく力めて安静にし,己の業をなし,手づから働け」。(テサロニケ前 4:11)人間は自分の仕事に喜びを見いだし,それによって深い満足感を味わえるように神によって作られました。この定めはほんとうにエホバからの賜物であり,祝福です。「人はみな食飲をなしその労苦によりて逸楽を得べきなり是すなはち神の賜物なり然ば人はその動作によって逸楽をなすに如はなし是その分なればなり 我これを見る」― 伝道 3:13,22; 2:10,24; 5:18。
5 神の民は仕事に対するこの世的な態度を避なけければなりません。その理由を述べなさい。
5 したがって,神の民は仕事に対するこの世的な態度を避けなければなりません。自分自身,また自分の愛する者たちを養うために,「エホバのみ前だけでなく,人の前でも正直な備えをする」よう働くのは肝要です。(コリント後 8:21,新。テサロニケ後 3:10。テモテ前 5:8)怠惰は,物質面での扶養に関してだけでなく,特に霊的な事がらに関して貧困と破滅を招くものであることを彼らはよく知っています。(箴 10:4; 24:33,34; 21:25)こうした問題を生活上の単なる一小部分と考えるのでは,悲惨な事態を招きます。怠惰な態度がその人の霊的なわざに影響を及ぼし,霊性をそこなう場合は特にそうです。確かに,「懶惰は人を酣寝せしむ 懈怠人は飢べし」と言えます。―箴 19:15。
エホバの証人が忙しくしている理由
6 (イ)エホバの証人はなぜ非常に忙しい人たちですか。(ロ)忙しくしているおかげで,どのように守られ,また幸福を味わっていますか。
6 あなたのお考えどおり,エホバの証人は非常に忙しい人たちですが,一生懸命働かねばならない立場にあるゆえに,証人たちは気の毒な人でしょうか。彼らは個人的にも聖書を相当勉強し,毎週行なわれる会衆の五つの集会に出席します。また,自分自身と家族の生計を立てるほかに,神の王国の良いたよりを宣べ伝え,人びとを弟子とするために毎月多くの時間を費やします。忙しく働く証人たちは,エホバのみ名に誉れをもたらし,真理を求める人たちに慰めをもたらして喜びと満足を味わうとともに,永遠の命の報いという約束を持っています。また,忙しくしているおかげで,この世と自らの肉と悪魔の誘惑やわなから守られています。ですから,エホバの証人の会衆を尋ねてみると,証人たちが幸福な民であり,中でも特に幸福なのは,たいてい他の人びとに神のみことばを宣べ伝え,また教える点でたいへん多くの仕事をかかえている人たちであることに気づかれるでしょう。―詩 144:15。使行 20:35。
7 (イ)クリスチャンが一生懸命働かねばならないどんな理由がほかにありますか。(ロ)会衆内でしもべとして仕えることが特権とされる理由を述べなさい。他の人たちはしもべたちの熱心な働きをどうみなすべきですか。
7 良心的で勤勉なクリスチャンが忙しい別の理由は,集会の種々のプログラムに関連した準備その他があるほかに,仲間のクリスチャンの兄弟たちが援助を必要としているからです。会衆内のしもべたちにはさらに多くの果たすべき責務があります。エホバのおりのそれら謙遜な「羊」を援助して感謝され,深い満足を味わうのはなんという特権でしょう。(テサロニケ前 5:14。ピリピ 2:3,4。コリント前 10:24,33。ロマ 15:1,2)諸会衆のそのような勤勉な監督たちは仲間の兄弟たちから大いに感謝され,また尊ばれます。―テモテ前 5:17。ヘブル 13:7。
8 クリスチャンが熱心に働かねばならないもう一つの理由を述べなさい。
8 それら奉仕者たちがなすべき仕事をたくさんかかえているもう一つの理由は,この事物の体制にほんのわずかの時間しか残されていないということです。ですから,勤勉に働かねばなりません。「勤めて怠らず,心を熱くし,〔エホバ〕につかへ,望みて喜(びなさい)」。この時代が緊急な時代だけに,「〔エホバ〕に事ふる如く心より行」わねばなりません。それは命を救うわざです。ある時イエスが,「我を遣し給ひし者の業を我ら昼の間になさざる可からず。夜きたらん,その時は誰も働くこと能はず」と言われたとおりです。―ロマ 12:11,12〔新〕。コロサイ 3:23,24〔新〕。ヨハネ 9:4。
9 (イ)この奉仕の仕事は退屈であるどころか,人を鼓舞するものです。なぜですか。(ロ)今日の若者はどんな職業を求めていますか。
9 決して二度と繰り返されることのない,命を救うこのわざそのものは,なんと人を鼓舞し,さわやかにする挑戦なのでしょう。この仕事には,若い人たちの求める魅力的な見通しを呈示しえない仕事に見られる退屈で,型にはまった,あるいは無味乾燥なところは少しもありません。ハーバード大学の1970年の卒業生に関する報告は述べました。「大学卒業後,何をするかについては学生の不安は深まっており,手仕事につく者,またそれを歓迎する者さえ少なくない。……最近の卒業生の多くはタクシー運転者,倉庫係り,書店の店員,職工などの職業についてきた。なぜなら,伝統的な職業につくと個性は埋没され,精力は誤った方向に向けられるのではあるまいかと恐れたからである」― 1971年3月3日付,ニューヨーク・タイムズ紙。
10 イエスは若いころ,どんな仕事をしましたか。その仕事で満足されましたか。
10 手を用いる仕事は健全で,満足をもたらします。それは成し遂げる喜びを働く人にもたらすからです。しかし,それが人の携わりうる最も意義深い職業だというわけではありません。人間の創造者は,人間を満足させるにはどんな仕事が必要かを熟知しておられます。創造者がそのみ子を導いてどんな仕事を行なわせたかに注目するのはたいへん興味深いことです。時が来て,イエスは大工としての世俗の仕事をやめてそれよりもはるかに重要で,計り知れない意義のある務めにつき,喜んでそれを行なわれました。(ヨハネ 5:17。詩 40:8。ヘブル 10:7)エホバから割当てられた仕事を行なわれたイエスは,それが報いのあるもの,食物のように元気づけるものであることを知りました。ある時,食事をするよう弟子たちから勧められたイエスは,「わたしの食物は,わたしを遣わされたかたの意志を行ない,その仕事をし終えることです」とお答えになりました。その仕事が終わったとき,イエスは,成し遂げた喜びで元気づけられ,純粋の満足感を味わわれたことでしょう。―ヨハネ 4:34,新。
一生懸命に働くことは喜びをもたらす
11 (イ)イエスは一生懸命に働く人でしたか。その仕事はイエスに喜びをもたらしましたか。(ロ)マタイ伝 25章14-30節にあるイエスのたとえの要点は何ですか。
11 「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であられるイエスをひたすら見つめ(ましょう)。彼は自分の前に置かれた喜びのために」刑柱上の恥辱の死に至るまでも耐え忍びました。(ヘブル 12:2,新)イエスの生涯は,喜びをいだいて奉仕の務めに一生懸命に従事した模範的な生涯でした。また,のろまで無精な奴隷をイエスが,断固としてとがめられたことも思い起こしてください。その奴隷は託された資金を全然運用しなかったので,主人がやって来たとき,何の利益も上げていないことがわかりました。しかしイエスのたとえは,仕事が喜びという独特の報いを与えることを示しています。5タラント預かった奴隷は勤勉に働いてそれを倍にふやし,2タラント預かった奴隷も同様に倍にふやしました。ふたりはどんな報いを得ましたか。「なんぢは僅なる物に忠なりき。我なんぢに多くの物を掌どらせん,汝の主人の歓喜に入れ」。働こうとしなかった怠惰な奴隷についてはどうですか。その奴隷はタラントを取り上げられ,喜ぶどころか,泣きながら去ってゆきました。(マタイ 25:14-30)幸福であるためには確かに,働いて責任を果たさなければなりません。
12 (イ)因襲的な職業,また一生懸命に働くことに対して,若い人びとはどんな態度を取っていますか。(ロ)どんな仕事は空しいものですか。どんな仕事は満足と幸福をもたらしますか。
12 今日の若者は伝統的な職業にいよいよ疑問をいだいており,そうした仕事に従事している人がほとんどそれに喜びを見いだしていないのを見て取っています。また,それらの人びとの不安や神経症,精神的また身体的不調は,彼らの歩みの失敗のほどを示しています。ある皮肉屋は幻滅感をふざけた調子でこう表現しました。「一生懸命に働いて貯金をしようではないか。そうすれば,年取ってから,若者だけが楽しめるものを買えるだろう」。昔,ソロモンは神に忠実だったとき,人間の仕事の挫折感や空しさについて多くを書きしるすべく用いられましたが,その伝道之書の内容は,この世の実りのない空しい仕事から神の民を召集して,彼らの献身した神にふさわしい仕事につかせようとする趣旨のものであると言えるでしょう。物質主義に立脚した職業は結局は空しいものであり,失望に終わります。しかしソロモンは,若者に対して偉大な創造者を覚えるようさとしています。それは空しい結果に終わるどころか,永遠の幸福をもたらします。―伝道 12:1。詩 128:1,2。
13 (イ)イエスはそのたとえ(マタイ 25:14-30)の中で何を積極的に強調されましたか。(ロ)なぜルカ伝 13章23,24節に注目すべきですか。
13 老若を問わず,エホバを喜ばせて『救い出され』る以上に幸福なことがあるでしようか。「とほく旅立ちせんとして」いたある人にかんするたとえの中でイエスは,その人が帰ってきたとき,役にたたない奴隷を追い出したことを述べる一方,そのたとえの積極的な教訓を強調し,勤勉な奴隷は主人の喜びにはいるということを確言しておられます。(マタイ 25:14-30)また,「主よ,救われる者は少ないのですか」と尋ねたある人に対するイエスの返答は積極的で率直なものでした。イエスは次のように答えて,心からの努力以外のものを非としておられます。「狭い戸を通ってはいるために精力的に努力しなさい。なぜなら,あなたがたに言いますが多くの者がはいろうと努めながら,はいれないからです」。(ルカ 13:23,24,新)わたしたちはみな,このことばに注目し,特にそれが今自分にどうあてはまるか,またクリスチャンが精力的に努力するとはどういう意味かを考えてみるべきです。
14 イエスは精力的に努力するよう勧めることによって,何を言わんとしておられましたか。
14 狭い戸を通ってはいるよう精力的に努力すべきことを述べたイエスは,わたしたちをはいらせまいとするこの世が,わたしたちの行く手に多くの障害物を置くということではなく,むしろ神の要求はふさわしくない者を除外するものになるということを暗示されたのです。義を愛さず,魂をこめて献身しようとはしない者をエホバは望まれません,「われ曾て惰人の田圃と智慧なき人の葡萄園とをすぎて見しに荊棘あまねく生え薊その地面を掩ひその石垣くづれいたり 我これをみて心をとゞめ これを観て教をえたり しばらく臥し暫らく睡り手を叉きて又しばらく休む さらば汝の貧窮は盗人のごとく汝の缺乏は兵士の如くきたるべし」。(箴 24:30-34)エホバは真実の働き人でない人を新しい事物の体制に生き長らえさせるでしようか。
15 クリスチャンはなぜ勤勉でありたいと願うべきですか。そうすれば,どんな結果がもたらされますか。
15 クリスチャンにはキリストのように真に勤勉な者になるよう励ますものが十分にあります。彼らは是認された者としてキリストの前に立つことを望んでおり自分たちの仕事の質をもってキリストとそのみ父を喜ばすべく勤勉に仕事に打ち込みます。「汝その業に巧なる人を見るか 斯る人は王の前に立ん かならず賤者の前にたたじ」。(箴 22:29)そのような人は,聖書の正確な知識を増し加え,霊的に向上し続けることにより,エホバを喜ばせたいという最初の願いや,奉仕において最初に努力を払った状態にとどまることなく,「われらの信仰を増したまへ」と言った,イエスの使徒たちと同様の願いをいだきます。―ルカ 17:5。箴 27:11。
16 エホバは心からの献身と働きを要求しておられます。理由を述べなさい。
16 救われるには精力的に努力しなければならないのであれば,なまはんかな努力をして安んじておられる人がいますか。イエスは,永遠の命を得る方法について質問した人に対して,心と思いと魂と力とを尽くしてエホバを愛さなければならないことを指摘されました。(ルカ 10:27)さほどの気力あるいは熱意もしくは誠意をいだいていないなら,何を成し遂げられますか。価値あるものは何一つとして容易に得られるものではありません。中途半端な努力は中途半端な結果どころか,たいてい何の成果ももたらしません。永続する成果を上げる唯一の方法は,たゆまず勤勉に,そして一生懸命に働くことです。
エホバの要求は道理にかなっている
17 エホバは道理をわきまえておられますか。それとも,あまり多くを要求しておられますか。
17 人は救われるためにはエホバの要求を行なわねばなりません。しかしエホバは多くを要求しすぎておられるわけではありません。エホバは道理をわきまえた寛大で親切で,愛のある,考え深いかたです。また邪悪な者の死を喜ばず,人間が救われるよう,大いなる忍耐と寛容を示してこられました。その意志は,クリスチャンが「敬虔と謹厳とを尽して安かに静に一生を過」すことです。(テモテ前 2:2-4。エゼキエル 33:10,11)命は賞,つまり計り知れない貴重な宝であり,エホバはそれをふさわしい者にお与えになります。自分がふさわしい者であることを実証しているのは,キリスト・イエスに心から従う人たちです。あなたは,イエスが資産家の若者に命じられたことを思い起こせますか。「観よ,或人みもとに来りて言ふ『師よ,われ永遠の生命をうる為には如何なる善き事を為すべきか』イエス言ひたまふ『なんぢ若し全からんと思はば,往きて汝の所有を売りて貧しき者に施せ,さらば財宝を天に得ん。かつ来りて我に従へ』」。(マタイ 19:16,21。使行 4:12)数えきれない祝福と全き健康に恵まれて永遠に享受できる命は,きわめてすばらしいものですから,イエスの別のたとえに出てくる人のようにそれを評価するのはもっと現実的で道理にかなっているのではないでしようか。「天〔の王国〕は畑に隠れたる宝のごとし。人,見出さば之を隠しおきて,喜びゆき,有てる物をことごとく売りて其の畑を買ふなり」― マタイ 13:44〔新〕。
18 そうした要求はなぜ実際的で,愛のあるものといえますか。
18 エホバが要求しておられる事がらは,ほんとうに道理にかなっています。(ヤコブ 3:17。ミカ 6:8)そのうえ聞く耳を持つ大勢の人々になお「王国の良いたより」を伝えなければならないのですから,それは愛のある実際的なことです。そのたよりを宣べ伝える人たちは大勢おり,数の点では急速にふえています。しかし,「神の誡命を守り,イエスの証を」する仕事に携わっている人たちは比較的少数であり,その仕事のための残りの時間は縮まっているので,なすべきことがまだたくさんあります。―マタイ 24:14。黙示 12:17。
19 精力的な努力を定義し,それがなぜ必要かを説明しなさい。
19 奉仕の務めにあずかるのは楽しい仕事ですが,それは重大な務めですから,単に少しあずかるだけでなく,できれば,なるべく多くあずかるようにすべきでしよう。精力とは有効なエネルギーもしくは力つまり勢力のことです。精力的に努力するとは,勢いよく,もしくは気力に満ちて働くことです。それは強力な活動です。クリスチャンは弟子を作り,バプテスマを施さねばならないということを忘れないでください。(マタイ 28:19,20)真の弟子を作るのは取るに足らない事ではありません。それには何か月,あるいは何年にもわたるたゆまぬ熱心な努力がいります。しかし,他の人びとを教えて,その進歩を見るのは大きな喜びです。愛ある献身的な親は子どもが身体的,知的そして感情的に成熟するよう喜んで助けます。それと全く同様に,エホバのクリスチャン証人は,聖書研究生が進歩するよう助けたいとひたすら願い,また自分といっしよに聖書を勉強する研究生が知識と理解の点で進歩し,ついには活発に神に仕えるしもべとなるのを見るという特異な喜びを経験します。
20 初期のクリスチャンは熱心でしたか。どんな結果がもたらされましたか。
20 初期のクリスチャンは模範とすべき人物に従ったので,非常に活動的な働き人,つまりほんとうに熱心な福音宣明者でした。西暦33年の五旬節にペテロが『多くの言をもって証し』た結果,その日に3,000人が加えられましたが,それ以降,キリスト教は,力強い勢力となり,精力的に,また大胆に押し進められました。反対や迫害が生じましたが,クリスチャンは大胆にわざを続行しました。「斯て使徒たちは大なる能力をもて主イエスの復活の証をなし,みな大なる恩恵を蒙りたり」。獄から奇跡的に解放され,エホバのみ使いによりわざを続行するよう励まされた使徒たちは,彼らの教えでエルサムを満たしたとして罪に問われました。そしてむちで打たれたうえ,わざを禁じられましたが,使徒たちは教えることと宣べ伝えることをたゆまず続行し,「御名のために辱しめらるるに相応しき者とせられたるを喜びつつ,議員らの前を出でされり。斯て日毎に宮また家にて教をなし,イエスのキリストなる事を宣伝へて止」めませんでした。(使行 2:40; 4:33; 5:28,41,42)迫害のために散らされたクリスチャンは,「歴巡りて御言を宣べ」伝え,やがて,「ユダヤ,ガリラヤ及びサマリヤを通じて,〔会衆〕は平安を得,ややに堅立し,〔エホバ〕を畏れて歩み,聖霊の祐助によりて人数いや増せり」。(使行 8:4; 9:31〔新〕)当時のクリスチャンにとって,それは忙しい,しかし胸の躍るような喜ばしい時だったに違いありません。
生気を回復させられた現代のクリスチャン
21 現代のエホバの証人の活動の特徴となっているのはどんな精神ですか。
21 現代になって,初期クリスチャンの特徴であった精力的に努力する精神が再興され,回復されました。「なんぢのいきほひの日になんぢの民は…よろこびて己をささげん」という昔の預言はどのように成就されることになりましたか。(詩 110:2,3)エホバの用いる王であるみ子は今や即位して権を執り,『もろもろの仇のなかに王となって』おられます。現代のある歴史家は今日のクリスチャン証人の活動に対するかたよらない広い見方を取って,こう述べました。「エホバの証人は文字どおり自分たちの証言でこの地をおおってきた……王国の良いたよりを広める試みの点で確かにエホバの証人以上に熱意と根気強さとを示した宗教団体は世界に類がないと言えよう」― C・S・ブレイデン著,「これらの人々も信じている」(ニューヨーク,1950年,マクミラン社)370ページ。
22 近年におけるそのわざの全世界に及ぶ拡大については何と言えますか。
22 現代になってエホバの民は宣べ伝えるわざを文字どおり地の四隅に拡大しましたが,歴史家ブレイデンが評した証人たちの努力はほんの始まりにすぎませんでした。その後の状態については,「神の目的とエホバの証人」(ニューヨーク,ブルックリン,1959年,ものみの塔聖書冊子協会)と題する本が次のように述べています「したがって,特に1945年以降,全世界に及ぶ拡大がまさしく進展していた。大いなる群衆がさらに数えきれないほど現われる時が到来し,文字どおり幾千人となく新世社会との交わりに加わり続け,宣べ伝えるわざに参加した。神権的奉仕への扉は今や少なくとも数年間,広く開け放たれ,神の王国の良いたよりの,熱心なこの一致した一団の布告者たちは続々とその扉をくぐり,豊かに実って収穫を待つばかりになっていた野外にこぞって赴いていった」。(221ページ)霊的な鈍さはここには見られません。全世界に及ぶ拡大のわざに十分にあずかってきた人たちにとってそれは,なんと祝福された幸福な時代だったのでしよう。
23 エホバの証人はなぜ忍耐しながら一生懸命働き続けますか。
23 エホバに忠実にそして熱心に仕えることには働くことが関係しています。このことには疑問の余地がありません。エホバのしもべたちは引き続きたゆみなく精力的に努力しますし,エホバの祝福は引き続き彼らの上に注がれます。彼らは単調さ,あるいは退屈さとは無縁の忙しい,しかし幸福な生活を送り,奉仕の特権を感謝し,忙しい生活を喜んでいます。彼らはエホバに全く献身しており,ほんとうに魂をこめてエホバへの奉仕を行なうべく決意しており,またそうすれば命が得られることを知っています。(ルカ 10:27,28)そして,クリスチャンの奉仕の務めの点でほんのわずかの努力をするだけで,物質上の持ち物,個人的な慰安もしくは安楽を生活の中で第一にしようなどとはしません。この「終わりの日」の進展状況に目ざめている彼らは,ヤコブが唱道したように,前途の収穫を忍耐強く待ち望む農夫のような勤勉な生き方をします。「兄弟よ,主の来り給ふまで耐忍べ。視よ,農夫は地の貴き実を,前と後との雨を得るまで耐忍びて待つなり。汝らも耐忍べ,なんぢらの心を堅うせよ。主の来り給ふこと近づきたればなり」― ヤコブ 5:7,8。
24 どうすれば,引き続きエホバを喜ぶことができますか。どんな結果がもたらされますか。
24 救われたいと願う人びとすべてに対してイエスは,「精力的に努力しなさい」と勧めておられます。これに和してパウロは,「あなたがたの務めをぐずぐず行なってはならない」とさとし,それが急を要するものであることをクリスチャンに思い起こさせています。これこそ,常にエホバを喜び,命のある間になすべき事がらを,自らの手でしっかり捕えて行なう方法です。そうすれば,エホバが輝かしい新しい事物の体制を招来される前に死の刺にさされることなく生き続けるにしても,あるいは死の眠りにはいって復活を待つにしても,エホバに覚えられて,「十分の報施」を与えられるでしよう。「したがって,わたしの愛する兄弟たち,主の仕事においてなすべきたくさんのことを常に持ち,あなたがたの労苦が主に関連してむなしくないことを知り,しっかりした,動くことのない者になりなさい」。―ルツ 2:12。コリント前 15:58,新。伝道 9:7,10。
[430ページの図版]
真のクリスチャンは怠惰ではない。彼らは正直に働いて家族を扶養している
[432ページの図版]
怠惰な人は,単に物質面だけでなく,神の是認を得ることにおいても失敗する。わたしたちはこのことを心に銘記する必要がある
[434ページの図版]
あなたは,関心のある人たちを再び尋ねて弟子を作るわざに精力的に努力していますか