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ペテロはいま天国のかぎを使いますかものみの塔 1966 | 5月15日
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であると思いなさい。このことは,わたしたちの愛する兄弟パウロが,彼に与えられた知恵によって,あなたがたに書きおくったとおりである。彼は,どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には,ところどころ,わかりにくい箇所もあって,無学で心の定まらない者たちは,ほかの聖書についてもしているように,無理な解釈をほどこして,自分の滅亡を招いている」― ペテロ第二 3:15,16。
17 (イ)ペテロあるいは法王が,人を天国に入れたり,あるいは天国から閉め出したりできるかどうかにつき,聖書は何を教えていますか。(ロ)天国に召された人が実際にその報いを得るかどうかは,何によってきまりますか。(ハ)御国にはいる機会が開かれたこと,また御国によって人類が祝福されることに対して,だれにほまれを帰するべきですか。
17 ペテロは自分が不可謬の法王であるとは思わず,また天国の番人であるとも考えませんでした。このすべては,ペテロではなくてエホバ神が神の民の偉大なさばき主であり,その下にある審判者としてキリスト・イエスを用いられることを教えた聖書の他の部分と一致しています。天国にはいる人は,地上にいる間にその機会をとらえ,忠実な生涯を送らなければなりません。人が天国にはいるとすれば,それは地上においてイエスの足跡にまったく従ったためです。天国への道を開き,キリストとともに天国を継ぐ人々を選ばれた過分の恵みに対して,エホバ神にほまれを帰さなければなりません。同様に,御国が地を支配することを定め,西暦1914年に御国を建てられたことに対して,エホバにほまれを帰するのが当然です。エホバの過分の恵みによって,御国はこの時代のうちにあふれるばかりの祝福を人類にそそぎはじめます。
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読者からの質問ものみの塔 1966 | 5月15日
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読者からの質問
● 伝道の書 3章11節には,神が人間の心に「永遠」を思う思いを授けられたとあります。これはどういう意味ですか。―アメリカの一読者より
伝道の書 3章11節は次のとおりです。「神〔エホバ〕のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠(不定の時)を思う思いを授けられた。それでもなお,人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(新世訳)新世界訳聖書(英文)中のこの句および他のことばの中で「不定の時」と訳されている語はヘブル語のオーラムです。この語は次のように定義されています。「秘密の時,すなわち不明確で長く,その始めあるいは終わりは不確実で,不定である」。伝道の書 3章11節を,神は人の心に「永遠」を思う思いを授けたと訳している翻訳も他にいくつかあります。(リーサー訳,改訂訳,ア標)この聖句の文脈からわかるように,時間が考慮されています。(伝道の書 3:1-8,17)この事とオーラムの根本的な意味とのゆえに,「永遠」あるいは「不定の時」を伝道の書 3章11節で用いるのは適切です。
エホバはすべての事柄のために時を定めます。(ダニエル 2:21,22。使行 17:26,31)神のなさる事柄はすべて美しく,またその時にかなっています。たとえば季節の移り変わりに見られる自然界の秩序と美はこの事実を物語っています。もちろん伝道の書 3章11節は,神が文字どおり時間の働きに関する考えを人間の心に与えたという意味ではありません。時間の経過が物事に対する人間の理解に影響することを,それは明らかに示しています。この聖句から,人間は決して神を完全に知りつくし得ないことを認識できます。エホバのみわざは完全であって,神の約束された新しい秩序のもとに住む完全な人間でも,神の知恵の深さを測り知ることはできないでしょう。(申命 32:4。イザヤ 40:28; 55:8,9。ローマ 11:33-36)伝道の書 3章11節のことばにも,人間は「神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」とあるとおりです。人間はエホバのみわざの何物かを常に学ぶことでしょう。このゆえに,神について学び,あるいは驚嘆すべき神の創造物を研究することにおいて,人間は決して興味を失うことはないでしょう。神の新しい秩序の下に住む人々は,「神のなされるわざを……見きわめることはできない」にしても,人間は1年が過ぎ去る毎に,非常な変化に富む神の知恵についてますます多くのことを学び,認識して行くでしょう。
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