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伝道之書 ― 真の価値に関する教えものみの塔 1980 | 6月1日
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そのような人にとって,当面の賢明な道とは,日常生活の不快な面に関して健全な判断を下し,自分に課せられた仕事を行なうことです。―伝道 3:1-13と比較してください。
不測の事態に対処する
多くの人間の努力が不首尾に終わる別の理由は,伝道之書 9章11節(新)に次のように述べられています。「わたしは引き返し日の下で見たが,速い者が競走をものにするのでも,力のある者が戦いをものにするのでもない。また賢い者が食物を得るのでも,理解力のある者が富を得るのでもなく,知識を持っている者たちといえども恵みを得るわけではない。なぜなら,時と予見しえない出来事はそのすべてに降りかかるからである」。
速さ,強さ,知恵といった特質があれば,どんな事業に携わっても成功するかに思えます。ところが多くの場合に不測の事態が生じます。予見し得ない事態は良いものである場合もありますが,大抵は事故や病気などの災難として降りかかってきます。死に関しては『人が獣に勝るところはありません。すべては空だからです』。―伝道 3:19-21,新。
この点に関して,この賢い聖書筆記者は,特に二つの事柄を挙げています。それは(1)毎日勤勉に働くこと。(2)現在持っているものを楽しんで,自分の労苦の「良いことを見る」ことです。そうした趣旨のことが伝道之書 5章18-20節(新)に書かれています。
「見よ,わたしが見た最善のこと,美しいもの,それは真の神が与えられた命の日数の間,日の下で労苦するそのすべての労苦ゆえに,人が食べ,飲み,善いことを見ることである。それは彼の分だからである。また,真の神が富と物質の所有物を与えたすべての人,その人にそれから食べ,自分の分を持ち去り,その労苦を歓ぶ権利をお与えにさえなった。それは神の賜物である。彼が自分の命の日々を思いに留めることはそうひんぱんにはないからである。なぜなら,真の神は心の歓びをもって人を忙しくさせておられるからである」。
大きな圧力,不公正など,今の人間生活には悪い面がありますが,賢明な人は,そうしたことによって,正しく行なわれている物事を喜ぶ気持を失ってしまうことはありません。それよりも,わずかではあっても自分の持っている物を喜ぶことによって,是非とも現在の祝福の『自分の分を持ち去ろう』とします。
誌面の関係で,伝道之書に織り込まれている知恵をここでこれ以上説明することはできませんが,前述の幾つかの例が,この書全体を注意深く読むための刺激になれば幸いです。そうすることによって,あなたは無益な事柄に時間とエネルギーを費やさずにすみ,自分の人生と才能を,真に価値あるものへと向けることができるでしょう。
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鳥でさえ『自分の時を知っている』ものみの塔 1980 | 6月1日
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鳥でさえ『自分の時を知っている』
エレミヤの時代のイスラエル人は悲しむべき状態にありました。彼らの生活の仕方は残念ながら渡り鳥のそれと対照的でした。このように書かれています。「天のこうのとりでさえ ― その定められた時をよく知っている。山鳩や,あまつばめや,ブルブル ― それらも各々そのやって来る時をよく守る。しかしわたしの民は,エホバの裁きを知るに至っていない」― エレミヤ 8:7,新。
こうのとりや,山鳩や,あまつばめや,ブルブルは,そのやって来る時と帰る時を守りますが,イスラエル人はエホバの裁きに関心を示しませんでした。渡り鳥の場合,やって来ることと帰ることは命にかかわる重要な問題でしたが,同様に,イスラエルの幸福と繁栄はエホバの裁きに従うかどうかにかかっていたのです。しかしイスラエル人はこの点で失敗し,渡りの時を守る理知のない鳥たちが持っている良い判断力という特質を示すことさえしませんでした。
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