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高ぶる者とへりくだる者ものみの塔 1967 | 7月1日
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―「ものみの塔」1965年5月15日号295,296ページ,11-16節.をごらんください。
20 劇的な逆転を描写するのにイザヤは類似のどんな方法を用いていますか。
20 しかし,きわめて劇的な事柄を説明するためにイエスは死人が生きていて語るという手法を用いられましたが,そのようなことは許されているのか,あるいはそのような先例があったのかとお尋ねになるかもしれません。わたしたちはこの点でもイエスと預言者イザヤとの表現の類似性を見ることができるのです。霊感を受けたイザヤはバビロン王朝の劇的な倒壊と滅亡を予告しました。それはきわめて恐るべき逆転的なでき事であるので,シェオールの大穴の壁がんにそれぞれ正式に安置された他国の王の遺体が目をさまし,「バビロンの王」が来たことを驚いてものを言うほどの大事件として描かれています。彼らはこう言います「あなたもまたわれわれのように弱くなった……あなたの栄華……は,〔シェオール〕に落ちてしまった。うじはあなたの下に敷かれ,みみずはあなたをおおっている」。さらに,この者は他の王たちに加わって自分の壁がんに置かれず,「踏みつけられる死体のように……墓のそとに捨てられ」ます。(イザヤ 14:4,10,11,19)欽定訳その他多くの訳の中でイザヤ書 14章12節は「バビロンの王」をさして「ルシファー」という語を用いており,これは一般に悪魔サタンを表わすと考えられています。この見解に従えば,サタンは地獄を支配し,その火をたいているのではなく,自分の領域においてさえさげすまれ,排撃されていることになります。キリスト教国の注釈者が永劫の苦しみという彼らの教義を説明するのにこの預言をあまり使わないのも不思議はありません。
21 イエスのたとえ話は字義どおりにとるべきものですか。そうでなければ,イエスのたとえ話の目的はなんですか。
21 このとき急に,イエスは実際に起きる事柄を字義どおりに説明したと結論するのは不合理であり,聖書にも合いません。たとえもしくは比ゆはある一定の真理またはでき事を寓意的に説明し,絵のように言い表わすものです。ほかのたとえ話の場合と同じように,イエスはここである事柄,この場合には二つの級の人々にすでに起きていた事柄を描くのに,生き生きしたことばの絵もしくは物語を用いられました。この特別のたとえ話にこうして描き出された事柄がイエスご自身の時代と今の時代にそれぞれどんな意味を持っているかを知るのは次号の「ものみの塔」誌にまたねばなりません。
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愛人の手による淫婦の最後ものみの塔 1967 | 7月1日
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愛人の手による淫婦の最後
1 不義の愛人同志が冷たくなる原因はたいていどこにありますか。しかし時には何が起きますか。
女が冷たくなったのを恨んで情夫が女を殺したというような恐ろしい事件が新聞に報ぜられます。たいていそれは三角関係のもつれとねたみが原因です。淫婦が愛人に殺され,裸にされ,捨てられるといった事件も起きます。多くの場合,それは淫婦があまりにも汚れに染まり,堕落して愛想をつかされたか,何かの約束をほごにしたためです。
2 この記事の中でしらべるのはどんな種類の淫婦ですか。彼女はどうなりますか。
2 しかしここで論ずる淫婦はふつうの淫婦ではありません。彼女は王や支配者を情夫にしています。それにもかかわらず彼女は彼ら
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