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「からだを殺す者どもを恐れるな」ものみの塔 1965 | 3月15日
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国家主権および国家の崇拝が形を変えて登場し,盛んに行なわれています。天の神の国の主権に敵対する諸国家のハルマゲドンへの行進は,ますます速度を早めているのです。神の国を支持し,神の国を伝道する人々は,イエスが使徒たちに与えたマタイ伝 10章28節のことばを,今までのどの時にもまして心に留めなければなりません。
30 それで信仰と忍耐を求める黙示録のどの聖句が今日にあてはまりますか。これらの聖句に述べられている人以外にだれがこれに関係していますか。
30 世界政治の象徴的な「獣」と,その像である国際連合の崇拝が全人類に強制されようとしている現在,「ここに,聖徒たちの忍耐と信仰がある」と述べた黙示録 13章10節の言葉は大きな意味を持ってきます。「ここに,神の戒めを守り,イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」と述べた黙示録 14章12節も同様です。これら「聖徒たち」の「残れる者」だけではありません。今日,「他の羊」の「大ぜいの群衆」がぞくぞくと「残れる者」に加わり,御国の伝道にすすんで参加しています。世界情勢の進展を考えるとき,「他の羊」の「大ぜいの群衆」にとっても,クリスチャンの忠実を守るために信仰と忍耐が必要です。からだを殺す人間をおそれるならば,「他の羊」はクリスチャンの忠実を守ることができないでしょう。
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なぜからだを殺す者をおそれないかものみの塔 1965 | 3月15日
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なぜからだを殺す者をおそれないか
1,2 (イ)イエスは追随者に対し,だれを恐れるなと告げましたか。その者たちはどんな状態にありますか。(ロ)神はその民を強めるため,預言者イザヤにどんな言葉を語らせて,この事実に注意をひきましたか。
マタイ伝 10章28節において,イエス・キリストはだれを恐れないようにと追随者に告げましたか。それはどんな人々ですか。それは私たちと同じく死ぬ人間です。彼らは政治的,軍事的あるいは経済的,宗教的に権力をふるい,その支配下におかれた人々からは神と崇められているかも知れません。しかしそれにもかかわらず,彼らは死を避けることのできない単なる人間です。彼らは最初の罪人アダムから,今日地上に住む人々を含めてすべての人に及んだ死を免れることができません。生ける唯一の真の神は,むかしの神の民が世界強国バビロンから解放されることを預言したとき,この事実を指摘しました。バビロンは神の民をしいたげ,その解放を妨げていたのです。神の民に次の言葉が告げられました。
2 「我こそ我なんぢらを慰むれ,汝いかなる者なれば死べき人をおそれ草のごとくなるべき人の子をおそるるか いかなれば天をのべ地の基をすえ汝をつくりたまへるエホバを忘れしや,何なれば汝をほろぼさんとてそなへする虐ぐる者の憤ほれるをみて常にひねもすおそるるか,虐ぐるもののいきどほりはいづこにありや」。(文語)
3 (イ)ヤコブの国民にとって,この言葉は何時,適切なものでしたか。(ロ)この同じ言葉は今日だれに適切ですか。なぜそうですか。
3 イザヤ書 51章12,13節のこの言葉は,紀元前539年に世界強国バビロニアが倒れ,紀元前537年になって征服者のクロス大王が解放の布告を出してのち,ヤコブの国民によくあてはまりました。かつてしいたげられていたユダヤ人の捕われ人は,この布告によってバビロンを去り,その愛した故郷のパレスチナに帰ることができました。しかし現代のエホバの証者についてはどうですか。彼らは西暦1919年,大いなるバビロンから解放されました。その年以来,現われた独裁者は,エホバの証者が,マタイ伝 24章14節にあるイエスの言葉に従って全地に御国を伝道するのを阻止しようとしてきました。それでイザヤ書 51章12,13節のことばはおもに現代のエホバの証者にあてはまるのです。何千人に上るエホバの証者のからだを殺した独裁者たちはどうなっていますか。
4,5 (イ)エホバの証者とかかわりのあった現代の独裁者や圧制者はどうなりましたか。(ロ)これらの圧制者は何に過ぎませんでしたか。なお存在する圧制者に対して私たちはどんな態度をとるべきですか。
4 1922年から1943年までファシストの独裁者だったムソリーニはどうなりましたか。1945年に彼は処刑され,イタリア人はその死体をはずかしめました。1933年から1945年までナチスの独裁者だったヒトラーはどうなりましたか。彼は捕えられることをいさぎよしとせずに自殺しました。カトリック教徒の独裁者ムソリーニおよびヒトラーと政教条約を結び,またカトリック・アクションの推進者でもあった法王ピオ12世はどうなりましたか。1958年10月以来その柩はバチカン市の墓所に安置されています。29年間ソ連独裁者の地位にあり,ヨーロッパにあるソ連の国土においてもシベリアにおいても,刑務所や強制収容所でエホバの証者を苦しめたスターリンはどうなりましたか。1953年3月5日,スターリンは脳溢血で死にました。1930年以後ドミニカ共和国を支配した独裁者トルヒヨはどうなりましたか。彼は1961年5月30日,陸軍の将校に暗殺され,悪名高いその支配は終わりを告げました。
5 人々を圧迫したこれらの支配者は,エホバ神の言われた通り「死べき人」であり,死の鎌に刈り取られて「草のごとくなるべき」人です。ゆえに天の神の国を伝道するエホバの証者は,なお残る独裁者に対しても恐れを抱く必要がありません。
従いながらも伝道する
6 全体主義の支配者に対し,エホバの証者はロマ書 13章1節に従ってどのように行動しますか。またどんな場合に,使徒行伝 5章29節に示された使徒の立場をとりますか。
6 今日,御国の伝道者は,政治権力の座にある全体主義の支配者の命をねらうような事をしません。彼らは支配者に反抗せず,むしろロマ書13章1節にある使徒の命令に良心的に従います。「すべての人は,上に立つ権威に従うべきである」。全体主義の支配者がエホバの証者に圧迫を加え,神の国に従うことをやめさせ,伝道をやめさせようとするとき,エホバの証者はイエス・キリストの使徒が残した手本にならい,「人間に従うよりは,神に従うべきである」と言います。(使行 5:29)しかし神に絶対に従うという立場をとるにしても,迫害者や圧迫者に対して政治的な反対運動を起こしたり,身体に危害を加えるようなことはエホバの証者に許されていません。
7 迫害されるエホバの証者は,迫害されたダビデがサウロ王に対してとったどんな態度を,政治権力に対してとりますか。
7 政治支配者から迫害されるとき,エホバの証者は,ベツレヘムのダビデと同じ態度をとります。ヤコブすなわちイスラエルの国の王サウロにねたまれたダビデはゆえなくしてその存在を非合法化され,迫害されました。しかしダビデは追われながらも,サウロ王に危害を加えようとせず,またサウロ王の支配下にあった国民と戦おうとはしませんでした。サウロ王は「エホバのあぶらそそぎし者」であり,それゆえにサウロを王の地位から除くのはエホバのみ心次第であることを,ダビデは忘れなかったのです。そこである時,サウロ王の生命がダビデの手中にあり,おいのアビシャイがサウロ王を殺す許しを求めたとき,ダビデは次のように答えました。「エホバは生く エホバかれを撃ち給はんあるひはその死ぬる日来らんあるひは戦ひに下りて死にうせん」― サムエル前 26:10,文語。
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