告げる者の足はうるわしい
1 解放を告げる使者はとくに何時から遣わされていますか。パウロは当時存在したどんな類似の状態について書いていますか。
1919年以来,解放を告げる使者がつかわされています。クリスチャン使徒の時代にもこれに相当する事が見られました。そのとき使徒パウロは次のように述べました,「なぜなら,『主〔エホバ〕の御名を呼び求める者は,すべて救われる』とあるからである。しかし,信じたことのない者を,どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を,どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして宣べ伝えることがあろうか。『ああ,麗しいかな,良きおとずれを告げる者の足は』と書いてあるとおりである」― ロマ 10:13-15,新口。ヨエル 2:32およびイザヤ 52:7の引用。
2 イザヤ書 52章の解放の預言は,どんな3つの時期に適用されますか。
2 使徒パウロは霊感の下にイザヤ書 52章の預言を引用しました。この預言はシオンすなわちエルサレムに解放の音信を告げる使者のことを述べています。この預言は,キリスト前6世紀に地上にあった実際のシオンすなわちエルサレムに初めて適用されたものです。しかしパウロがこの預言を引用していることから明らかなように,これは大いなるシオン,天のシオン,上なるエルサレムの上に大規模な成就を見ます。その成就はキリストの使徒の時代に終ったのではなく,最終的かつ全き成就は今日に及んでいます。
3 霊感されたイザヤはどんな解放の命令を語りましたか。
3 紀元前6世紀のこと,イザヤのこの預言は地上にあった実際の都にむかって述べられました。「シオンよ,さめよ,さめよ,力を着よ。聖なる都エルサレムよ,美しい衣を着よ。割礼を受けない者および汚れた者は,もはやあなたのところに,はいることがないからだ。捕われたエルサレムよ,あなたの身からちりを振り落せ,起きよ。捕われたシオンの娘よ,あなたの首のなわを解きすてよ」。
4 予影においてこの言葉は何時からイスラエルにあてはまりますか。その時以前にはなぜあてはまりませんか。
4 紀元前537年,実際のシオンの都エルサレムは,バビロニアの軍隊がもたらした荒廃の中にまだ埋もれていました。しかしこの都は生き残った町の人々および他のイスラエル人によって代表されていました。紀元前607年までシオンはこれらの人々を治めていたのです。そこで前に述べたイザヤ書 52章1,2節の預言はシオンの子たちに語りかけたものであり,彼らが神の命ずるままに何をするかを預言したものです。紀元前539年,古代バビロンがペルシャのクロスの手で倒される前,この言葉はシオンすなわちエルサレムにあてはまりませんでした。バビロンの倒れないうちは,捕われのイスラエル人すなわちユダヤ人も束縛を破って自由になることを命ぜられていませんでした。それでバビロンの倒れた後まで,そしてバビロンを征服したクロス大王が解放の布告を出すまで待たねばなりません。クロスはバビロンのユダヤ人が故国に戻り,エルサレムにエホバ崇拝の宮を建てることを可能にしました。そのとき初めて,ユダヤ人はバビロンから出ることを許されました。それで荒廃したユダヤ人の故国も十分の安息を得て彼らを再び迎えることができます。
5,6 クロスはユダヤ人解放の布告を何時出しましたか。なぜその時はこの布告を出すのに良い時でしたか。
5 エホバ神はユダヤ人の土地に70年のあいだ住む者がなく,土地に安息の与えられることを定めました。この安息が70年目にはいったのは紀元前538年の初秋,ユダヤ人のあがないの日の頃です。クロスは治世の第1年目に解放の布告を出しました。クロスの手によってバビロンが倒れたのは紀元前539年であり,聖書の年代学者はクロスの即位第1年が翌年すなわち紀元前538年のニサンの1日に始まったものと算定しています。これはユダの地の安息の70年目が始まる6ヵ月前です。クロスが即位第1年の紀元前538年,しかもその初頭に解放の布告を出したとすれば,ユダヤ人は安息が70年目にはいらないうちに故国に戻り得たはずであり,それではエホバの預言に合いません。また10月から3月にかけての雨季に旅行しなければならなかったことになります。それはちよっと考えられません。
6 右に述べた計算によってクロスの即位第1年が満了するのは紀元前537年の3月末すなわち雨季の終る頃になります。ユダヤ人を思いやったクロスは紀元前537年3月5日の少し前,雨季の終り近くに布告を出したに違いありません。こうしてユダヤ人は4月から9月にかけての乾期に旅行できました。ユダヤ人がバビロンを出て旅をした4ヵ月間は明らかに乾期でした。10月までには人々はその愛した故国に戻って,陰暦の7月にはいらないうちに土地に定着したからです。―エズラ 3:1。
7 シオンのこの解放は何を意味しましたか。シオンは何の象徴となりましたか。
7 紀元前537年以降「捕われたシオンの娘」はエルサレムが再建されたことによって,70年の眠りからさめ,バビロンが首にかけたなわを解き,荒廃のちりを振り落して力を着,美しい,聖なる衣を着てエホバ崇拝の宮を建てられた聖都となりました。彼女はもはや捕われて地にすわる者ではなく,厳然と存在する都のひとつに数えられました。エルサレムはイエスが「大王の都」(マタイ 5:35,新口)と呼んだものになり,天のシオン,上にあるエルサレムの象徴となりました。
8 (イ)1914年,神の国の誕生にもかかわらず,当時,神の国の民は地上でどんな状態におかれていましたか。(ロ)大いなるバビロンは「完成せる奥義」の本に対してどんな態度をとりましたか。
8 異邦人の時が終った1914年の初秋,神の「女」である天のシオンすなわち上なるエルサレムは,メシヤの国を生み出しました。エホバ神はこの国によってご自身の王権と至上権を地に表明されます。しかし地上では「女の残りの子ら」が第一次世界大戦のさなかにおかれていました。戦争に対するクリスチャンの厳正な中立と「上にある権位」に対する相対的な服従の問題を正しく理解していなかったために,残れる者は大いなるバビロンに捕われました。1917年7月,残れる者は「聖書研究第7巻」「完成せる奥義」を,ものみの塔聖書冊子協会から出版しました。この本は聖書の黙示録とエゼキエル書を説明しており,大いなるバビロンに関して多くの事を暴露しています。何千人がこの本の配布に携わり,1918年にはいってからも配布はつづけられました。これを喜ばなかった大いなるバビロンは,カナダのみならず1918年3月までにはアメリカにおいても第7巻を禁止させました。
9,10 (イ)「完成せる奥義」の発禁後にもわざはつゞけられましたが,神の民に対するどんな処置が更にとられたのを見て,大いなるバビロンは喜びましたか。(ロ)なぜそれはつかの間の喜びでしたか。解放された神の民はまず何をしましたか。
9 その後も伝道のわざは他の聖書文書を用いてつづけられましたが,地上にいたシオンの子たちは大いなるバビロンに捕われた状態となり,1918年7月に,ものみの塔協会のおもだった役員と他の者たちが逮捕されたとき,黙示録 11章3節から10節に預言された象徴的な「二人の証人」は殺されました。大いなるバビロンは歓喜し,祝いましたが,それはつかの間の喜びでした。黙示録 11章11節から13節は「二人の証人」が生き返り,全世界の注視を集めて敵を驚かせることを預言しています。この事は戦後第1年目1919年の春から起きました。
10 シオンの霊的な子たちの残れる者は突然に自由の中に歩み出て,大いなるバビロンをはじめすべての敵を狼敗させました。残れる者は前途にある地上のわざを見,神の女シオンの生み出した神の国の奉仕に喜びいさんで立ちあがりました。9月1日から8日までオハイオ州シーダーポイントに開かれた大会に6000人が集まり,「苦悩せる人類の希望」と題する日曜日の講演を聞いた人は7000人に達しました。
11 解放者を助けるため,更にどんな出版物が出されましたか。すべての人は何をするように励まされましたか。
11 現在の「目ざめよ!」誌が発表されて聴衆は熱心な拍手を送りました。1918年に至るまで第7巻を配布して大いなるバビロンに対する音信を伝えた会衆の組織は復興を見ることになりました。「御国を宣べ伝える」と題する記事が1919年9月15日号「ものみの塔」にのせられました。黙示録 15章2節とイザヤ書 52章7節を中心の聖句としたこの記事は神の国の下におとずれる「黄金時代」を告げるわざを述べ,更に新しい雑誌「黄金時代」を用いて良いたよりを他の人に伝える方法を述べていました。「黄金時代」は後に改題されていま「目ざめよ!」となっています。「第7巻のわざを行なった組織は大成功をおさめた。この特別な運動に参加した人々は7000人に上る。この組織を復興させ,ととのえることを,我々はあらゆる場所のクラスに呼びかける。キリストの精神をもって一致団結することは力である。正しい心を持ち,愛によって固く結ばれるとき,神は我々のために力を表わされるであろう」。(281頁3節)これはその年の記念式すなわち主の夕食に集まった17961人以上の人々にむかって述べられました。a
12 シオンのすえの地上に残る者は,目ざめたことをどのように示しましたか。それは何が倒れたことの確かな証拠ですか。
12 地上にいるすえの残れる者によって代表された天のシオンは悲しみと眠りの状態から「さめ」,「力を着よ」との言葉に従いました。そして「身からちりを振り落」し,大いなるバビロンや悪魔の組織の他の部分が彼女をふみつけることをもはや許しませんでした。首のなわを振り捨てた彼女は,大いなるバビロンに奴隷のようにひき回されることを拒絶しました。死と無力の状態から起きあがった彼女は高められた座につき,「聖都」となることを決意していました。汚れた宗教家や心に割礼のない者が勝ち誇った侵略者のようにこの都にはいることはなくなります。彼女はほこりにまみれた奴隷の衣を脱ぎ捨て,永遠の王エホバ神と結ばれた組織にふさわしく美しい衣を着けます。これは大いなるバビロンが倒れた確かな証拠です。
「あなたの神は王となられた」
13 (イ)この解放はどなたの力によってもたらされましたか。(ロ)ご自身の民を解放することに対するエホバのお考えを,イザヤはどのように述べていますか。
13 シオンの霊的な子たちの地上に残れる者は,金を出して,あるいは敵と妥協して解放されたのではありません。全能の神が大いなるクロスである王イエス・キリストを用いて彼らを解放したのです。大いなるバビロンに対する勝利を得たのは神とキリストでした。神は解放される前のご自身の民の状態をごらんになり,預言的にこう言われました。「エホバ宣はくわが民はゆえなくして俘れたり,されば我ここに何をなさん,エホバ宣はく彼等をつかさどる者さけびよばはり,わが名はつねに終日けがさるなり。この故にわが民はわが名をしらん,このゆえにその日にはかれらこの言をかたる者の我なるをしらん,我こゝに在り」― イザヤ 52:5,6。
14 解放されたシオンのすえの残れる者が抱いた深い認識は,どのように示されましたか。
14 昔のイスラエルの場合と同じく,大いなるバビロンはシオンのすえの霊的な残れる者をふみつけたとき,叫び呼ばわり,彼らの神の名を汚しました。そして「汝の神エホバはいずこにあるや」と叫んで残れる者を嘲笑しました。しかし1919年,エホバは宗教的な圧制者の手から残れる者を救い,解放者であるご自身の御名に栄光を加えられました。以来彼らは以前にもましてエホバを知り,その無比のみ名を知るようになったのです。シオンのすえの残れる者はエホバを深く知るようになったため,1931年,全世界において採決された決議によって「エホバの証者」の名を受け入れました。エホバは「その日」にこの事が起こると言われました。1919年以来おとずれたその日に,この事は起きています。それはエホバの言だからです。
15,16 解放に関するイザヤの預言のどの部分にこんど注目しますか。それはなぜ大切ですか。
15 さてイザヤ書 52章の預言を読むと,バビロンにおける神の民の虐待ではなく,シオンすなわちかつて聖なる山の上にあったエルサレムの荒廃の状態に読者の注意がむけられます。山のかなたを見ると,近づいてくる者があります。それは荒廃したシオンにつかわされた者です。イザヤは預言的な意味を含めてこの使者を次のように描写しました。「よきおとずれを伝え,平和を告げ,よきおとずれを伝え,救を告げ,シオンにむかって『あなたの神は王となられた』と言う者の足は山の上にあって,なんと麗しいことだろう」。(イザヤ 52:7,新口)それは解放の良いおとずれを告げる神の使者です。
16 平和を告げ,救いを告げ,神が王となったことを告げる良いたよりが,荒廃したシオンにもたらされました。この事を告げる者の足はシオンにとって何とうるわしく見えたことでしょう。神が王となったという事は,奴隷の主人バビロンが倒れ,紀元前537年クロス大王によって捕われのイスラエル人に崇拝の自由が与えられたという事にほかなりません。
17 解放を告げる使者が喜んで迎えられた時として,ほかにどんな時がありましたか。
17 何世紀ものちの使徒時代,シオンの霊的な子らの残れる者に遣わされたクリスチャンの使者の足も,同じくうるわしいものに見えました。(ロマ 10:15)しかしうるわしい足をした使者はとくに1919年以降ふたたび遣わされ始めました。その年シオンのすえの残れる者にとって,彼らの足は何とうるわしく見えたことでしょう。それは残れる者がその神エホバの御国を愛し,御国を宣べ伝えるために自由を求めていたからです。彼らは全世界に神の国を宣べ伝える神の見える組織が再建されることを願っていました。
18 解放を告げる現代のたよりの中には,どんな良いことが含まれていますか。
18 この良いたよりは昔シオンにもたらされた良いたよりに相当するものです。この良いたよりは大いなるバビロンの倒れたこと,異邦人の時の終った1914年以来治める大クロス,イエス・キリストが大いなるバビロンを倒して,シオンのすえの残れる者に解放の布告を出したことをも告げていました。大いなるバビロンに捕われていた残れる者は勝利の支配者の下に来たのです。良いたよりは地上に良いものが到来すること,神の地上の組織が再建されて神への奉仕のためにその状態が改善されること,宮の成員すなわち象徴的な「生ける石」が以前よりも清い崇拝を,唯一の生ける真の神にささげるために建てられることを告げていました。大いなるバビロンの倒れたことは,彼女が少なくとも残れる者に対してはもはや支配者ではなく,彼らの王,シオンの王が治めているという証拠です。神は王となり,大いなるバビロンのかつて支配した地をも治めています。それでいま神の国を全地に宣べ伝えなければなりません。それは他の人々に解放を告げる音信となります。
喜び
19 シオンの見張りの喜びがシオンの捕われの子たちの喜びをどのように反映しているかを説明しなさい。
19 70年の荒廃ののち,捕われていた子たちを取り戻し,再びその神エホバの崇拝者のみちる都となったシオンは,大きな喜びを得ます。その霊的な利害を見守るシオンの見張りの喜びは,シオンの喜びを反映しています。捕われの人々を連れ戻し,道みち彼らを支えたのはどなたでしたか。それはエホバです。それは明らかにエホバであるゆえに,捕われの人々がエホバの見えない導きの下にバビロンを出てシオンに近づき,見張りの目の届くところに来るとき,シオンの見張りはエホバを目のあたりに見,目と目と相見たかのようになります。イザヤの預言(52:8)は荒廃のシオンにむかって述べています。「なんぢが斥候の声きこゆ,かれらはエホバのシオンに帰り給ふを〔その捕われの子らを導き帰ることによって〕目と目とあひあはせて視るが故に,みな声をあげてもろともにうたへり」。
20,21 解放は明らかにエホバのみわざであるゆえに,解放された人々は何をますます重要視しましたか。そこで彼らは1931年に何をしましたか。
20 1919年以降,シオンのすえの残りの子らを神の自由の「女」シオンに導き帰したのは,大いなるクロスつまり即位したみ子イエス・キリストによるエホバのみわざです。エホバのクリスチャン証者の統治体はこの事実を目ざとく認めました。これら霊的なものみはみな喜び,大いなるバビロンの捕われからぞくぞくと戻る人々を見て喜び歌いました。霊のことを悟る彼らの目は憐れみにみちたエホバの目と相みて,エホバがこの解放をもたらしたことを知るゆえに,解放された人々の見える組織の中でエホバはますます崇められました。当然のことながらエホバのみ名は,み子イエスの名よりも高められ,エホバはみ子イエス・キリストよりも崇められました。すべての非難を一掃して崇められるべきものは,エホバの宇宙至上権だからです。すべての生ける者の前におかれた最大の論争はエホバの宇宙至上権でした。
21 そこでエホバによってシオンのすえの残れる者が事実上解放された1931年に,彼らは名前だけのクリスチャンから自らを区別するためにエホバの証者という名を受け入れました。―イザヤ 43:10-12,21; 44:8。
22 イザヤの記録したエホバ神のどんなご命令をはたすことが,解放された神の民の責任になりましたか。
22 捕われのシオンの子らがエホバによって導き帰されたゆえに,シオンとそのまわりの様子は一変しました。シオンに関係あるものはみな喜び,美しさをおび,喜びをあらわすことができました。慰められた民,あがなわれた組織に告げられたイザヤ書 52章9,10節の言葉は神のみわざに感謝すべきことを告げています。「エルサレムの荒廃れたるところよ声をはなちて共にうたふべし,エホバその民をなぐさめ〔再びご自身のものとするために〕エルサレムを贖ひたまひたればなり,エホバそのきよきみ手をもろもろの国人の目のまへにあらはし給へり,地のもろもろの極までもわれらの神のすくひを見ん」。
23 エホバの民は大いなるバビロンから解放されたことをどのように証明しましたか。
23 1919年,エホバは心をいためた残れる者を解放し,慰めることによって,大いなるバビロンをはじめ諸国民の目のまえにご自身のきよいみ手をあらわされました。忠実な残れる者はそのとき以来クリスチャン証者として地のはてにまで行き,1914年から天で支配しているメシヤの国の福音を伝道して,神の民が大いなるバビロンから解放された事実を知らせました。彼らが大いなるバビロンになお捕われていたならば,その事は不可能であったに違いありません。今年1964年に御国の音信は,この慰められ,あがなわれたシオンのすえの残れる者の監督下に194ヵ国に宣べ伝えられています。彼らがあらゆるところに神の国を伝道して自由に活動していることは,エホバが彼らを解放した証拠です。こうして「地のもろもろのはて」は,神の民に施された神の救いを実際に見ました。神は解放を告げる使者として彼らをお用いになっています。
24,25 (イ)解放を告げる使者として用いられるため,エホバの民は何から離れることが必要でしたか。(ロ)この事は大いなるバビロンに関して何を証明しましたか。バビロンから離れることはどのように行なわれましたか。
24 崇拝の自由を愛する全地の人々に解放を告げる使者として用いられるために,1919年以来シオンのすえの残れる者は,大いなるクロス,イエス・キリストを通して神から与えられた解放の音信をまず自ら実行に移すことが必要でした。それでイザヤ書 52章11,12節の述べる神のご命令に従わなければなりません。「なんぢら去れよされよ,かしこをいでて汚れたるものに触る勿れ,その中をいでよ,エホバの器をになふ者よ,なんぢら潔くあれ なんぢら急ぎいづるにあらず はしりゆくにあらず,エホバはなんぢらの前にゆきイスラエルの神はなんぢらの軍後となり給ふべければなり」。
25 このような命令が出され,それに従った行動がとられるには,大いなるバビロンがまず倒れ,その征服者大いなるクロスが解放の布告を出さなければなりません。大いなるバビロンは倒れました! それゆえにシオンのすえの油そしがれた残れる者は1919年以来大いなるバビロンを去ることを始め,いまではその全部が集められています。彼らは汚れたものにふれることを望まず,汚れたものの中に留まることを望みません。むしろその神エホバの前に清く,汚れのない崇拝をするために,宗教的に清くなることを望んでいます。彼らはバビロン的な宗教のならわしと伝統,悪鬼の教えを携えることなく,エホバ崇拝の清い器を携えました。それは紀元前607年にエルサレムの滅びたとき,バビロニア人がエホバの宮から盗んだ聖なる器によって表わされていたものです。この世の革命のような混乱を伴うことなく,彼らは神の導きの下に神権的な秩序をもって大いなるバビロンから出ました。エホバは彼らの前にゆき,後をつける敵を防いで彼らのしんがりとなられたのです。このゆえに今日彼らは大いなるバビロンのそとにいます! 1964年のいま彼らは解放を告げる自由の使者としてここにいます!
26 解放された残れる者にいまだれが加わっていますか。神に自由に奉仕したいという願いを表わして,その人々はいま何をしていますか。
26 しかも残れる者だけではありません! 解放をもたらす神の国の福音を,残れる者が大胆に宣べ伝えた結果,「地のもろもろのはて」はシオンと,その霊的な子たちの残れる者に施された神の救いを見ました。紀元前537年,ユダヤ人の残れる者がバビロンを出たとき,7537人に上る奴隷と歌うたう者がユダヤ人の残れる者と行動を共にしました。それと同様なことが今日にも見られます。「地のもろもろのはて」の「大ぜいの群衆」が霊的イスラエルの忠実な残れる者に施された神の救いを見,崇敬の念にみたされて,解放をもたらした栄光の神の崇拝に転じました。そして霊的イスラエルの残れる者と共に大いなるバビロンを離れてその汚れから全く身を清め,エホバ神の清い,聖なる崇拝のために勇気をもって献身しました。(エズラ 2:64,65。ネヘミヤ 7:66,67。黙示 7:9-17)崇拝の自由を享受するようになったこの人々は残れる者と共に解放を告げる使者として自分をささげ,神の是認を得て遣わされました。
27 解放のわざはあとどれだけの間つづけられますか。だれのためにこのわざは行なわれますか。
27 倒れた大いなるバビロンには,恐ろしい滅びが迫っています。その中に留まる者は大いなるバビロンの罪にあずかって共に滅びるでしょう。大いなるバビロンはエホバに対して罪を犯しました。エホバのみ手によって大いなるバビロンが滅ぼされるまで,なすべき解放のわざがあります。いまなおその中に捕われ,唯一の生ける真の神を崇拝する自由を求めるすべての人のために,このわざをしなければなりません。これらの人々の目は,良いおとずれを告げる者のうるわしい足を見ることを望んでいます。残された時は短いのです。ゆえに解放を告げる自由の使者である皆さん,宣べ伝えるために働こうではありませんか!
[脚注]
a 1919年5月15日号「ものみの塔」は,1919年4月13日の晩,記念式に集まった人の数を17961人としるしていますが,これは「その時までに30人以上の出席を報告したクラス」を含むに過ぎず,全世界で実際に集まった人の数はこれを上回ります。
[305ページの図版]
「御国を宣明する」現代の告げる者