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神の目的とエホバの証者(その44)ものみの塔 1962 | 8月15日
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べきであろう ― に負うところは何であろうか。l
エホバの証者は,その証言で文字通り地をおおった。……証者ほど聖句をたえず使用し,たくさん記憶するクリスチャンは現代いない。聖書的な根拠について証者と論じて成功をおさめるには,今日の正統派キリスト教会の多数の成員以上に聖句を良く知っていなければならぬ……
彼らはあらゆる種類の反対に直面しても前進しつづける。彼らはその民権を守るためにあらゆる合法的な手段を用いて戦う。彼らは公開集会の権利 ― 時には彼らに与えられない ―,文書配布の権利,他のすべての忠節よりも神を第一に置く良心の権利のために戦う。彼らはその民権を守るための戦いをすることにより,民主主義にすばらしい貢献をしたのである。彼らはその戦いにより,アメリカ内の少数者の群れのために,それらの権利を確保したのである。ある一つの群れの民権が侵害されると,他の群れの権利も安全でなくなる。したがって,彼らは,我々の民主主義において最も貴重なもののいくつかを保存するのにすばらしい貢献をしたのである。a
ロイス: 私も,それに「アーメン」と言いたいと思うくらいです。それらの判決は,エホバの証者の神権的な目的に良く貢献したものですね。
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読者よりの質問ものみの塔 1962 | 8月15日
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読者よりの質問
● イエスと使徒が行なったいやしのわざは,いやされた者たちの信仰に左右されなかったと,ものみの塔の出版物にはありますが,「彼らの不信仰のゆえに,そこでは力あるわざを,あまりなさらなかった」と書かれているマタイ伝 13章58節を,どう理解すべきですか。―アメリカの一読者より
今日の信仰治療者たちは,自分がある人を治せないという事実に直面すると,それは患者の信仰が不足しているためだと主張します。しかしこれは,彼らに治す能力がないことをうまく言抜けるための口実にすぎません。ところが,イエスや使徒たちの場合はそうではありませんでした。ナインのやもめが,自分のむすこがもう一度死からよみがえらされるという信仰を持っていたことを示す記録はまったくありません。イエスはただ悲しんでいる母親を見たので,むすこをよみがえらせてその母親をなぐさめただけでした。ペテロとヨハネも,宮の門のところで,不具者をいやしましたが,それはその不具者が信仰を表わしたからではありません。不具者は何か施物がもらえるのだろうと期待してふたりを見ていたのです。そして,全く驚いたことに,彼は健全なからだにされたのです。―ルカ 7:12-15。使行 3:18。
聖書のマタイ 13章58節に述べられていることは,彼らに信仰がなかったためにイエスが多くの力あるわざを「しなかった」とか,そこでわざが「できなかった」という意味ではありません。察するところそこでは,イエスを見に出てきた者,いやしてもらうために出てきた者は多くいなかったようです。これは,つぎのように書かれている他の場所とは著しく対照的です。「すると大ぜいの群衆が,足なえ,不具者,盲人,おし,そのほか多くの人を連れてきて,イエスの足もとに置いたので,彼らをおいやしになった」。これらの人々をイエスのもとに連れてくること自体,すでに信仰を示す十分の行いでした。イエスが彼らの信仰について質問されたことを示す箇所はありません。―マタイ 15:30,新口。
● 「天と地にあるあらゆる家族の名の起るところの父」と述べられているエペソ書 3章14節(新世)は,どのように理解すればよいのですか。天にたくさんの家族があるのですか。また,どうして地上にあるあらゆる家族の名が神にゆらいしていると言えるのですか。―アメリカの一読者より
ここであらゆる家族と訳されている表現は,「パサ パトリア」で,「全家」(欽定訳)または「あらゆる家族」のどちらかに訳されます。現代訳ではたいてい新世訳と同様に「あらゆる家族」となっています。
もちろん天には,地上にあるような家族,つまり,父と母とが各家族の上にあって,他のメンバーはその両親の子どもであるような家族はありません。なぜなら,天ではめとることもとつぐこともないからです。(ルカ 20:34,35)しかしながら,エホバ神は,ご自身の制度と結婚しておられ,彼女による子どもたちをもっておられます。(イザヤ 54:5)イエス・キリストは,彼の会衆である花嫁と婚約しておられ,成員たちを天の領域に受入れつつあります。(コリント後 11:2)地上にいる油そそがれた成員の残れる者は,神の家族の成員に含められており,今日の「他の羊」は,その家族の将来の成員です。―ロマ 8:14-17。ヨハネ 10:16。
「地にある…あらゆる家族の名」は,一緒に住んでいるあらゆる小さな家族というグループのことを言っているのではなく,名前を保存する家系に言及しているように思われます。モーセの律法によると,家系を保存することがエホバ神のみ旨だったので,逆縁のおきてにも見られるとおり,エホバはいつも,相続者が家族の名前を伝えるような対策を講じられました。(申命 25:5,6。ルツ 4:3-10)もしエホバの創造的力がなかったなら,それぞれ名を持って,その名を後世に伝えて行くような家族は決してなかったことでしょう。ですから,あらゆる家族が名前をもっているのはエホバのおかげです。それは,各家系にひとつひとつ名前を与えるというように直接的なものではなく。間接的なものです。なぜなら神は地上に名前を持った家族の存在を可能にされたからです。この意味であらゆる家族は,すなわち天にある一つの家族と,地上にある多くの家系は,その名をエホバに負っています。それらが,異なった名前をもつ機会と特権をもって存在しているのはエホバのお陰です。
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