神の考えを得て与える
製作者は製品よりも偉大です。故に,人間の頭脳は,頭脳の考え出す考えよりも勝れています。すると,人間の頭脳をつくられた神は,頭脳よりもずつと偉大であり,神の考えは人間の考えよりもはるかに高いことになります。
言葉は人間の心理戦争に用いられる弾丸です。そして,ありとあらゆる宣伝の武器から,この弾丸は発射されます。また,絶えず耳に鳴りひびき,心を人間の考えと約束で充そうとします。しつように聞かされている中に,各人はその言葉に同意するようになり,その言葉に反対する考えを心から取除くようになります。その言葉で絶えず心が充されるなら,他の考えは,心に入りこむ余地がなく,押し出されてしまいます。そのような戦術を用いて言葉の弾丸は連続発射されます。つまり,その狙いは大洋の浪のごとくに絶えず繰返すということです。そして,いろいろの群はいろいろの教理を私たちの心に入れ,またいろいろの宣伝で私たちの心を充してしまいます。
しかし誰の考えが正しいでしようか。誰の考えが最高の智恵を持つていますか。誰の言葉は真実のものですか。誰の約束は成就しますか。悪をひとつも持たない全く正義な人を知つていますか。イエスは,『神ひとりのほかに良い者はいない。』と言いました。パウロは,『義人はいない。ひとりもいない』という聖書の言葉を引用しました。それで,聖書は次のように諭しています,『悪しき者はその途をすて,よこしまなる人は,その思いをすててヱホバに反れ。』なぜヱホバ神に反るのですか。次の聖句に耳を傾けなさい,『ヱホバ宣わく,わが思はなんぢらの思とことなり,わが道はなんぢらの道と異なれり。天の地よりたかきがごとく,わが道はなんぢらの道よりも高く,わが思はなんぢらの思よりもたかし。天より雨くだり,雪おりて復かえらず,地をうるおして物をはえしめ,萌を出さしめて,播く者に種を与え,食う者に糧をあたう。かく我が口よりいづる言葉も空しくは我にかえらず,わが喜ぶところを成し,わが命じ送りし事をはたさん。』― マルコ 10:18。ロマ 3:10,新口。イザヤ 55:7-11。
神が人間を創造されたとき,神は考えをすることのできる頭脳を人間に与えられました。人間の考えの或るものは,美しくて賢明であり,考えをつくることのできる頭脳のすばらしさを反映しています。しかし,ヱホバがこの頭脳をつくられたのです。ヱホバの御考えによつて,頭脳はつくられたのであつて,人間の頭脳は神の無限の智恵をすこしだけ反映しているものにすぎません。人間の一番高い考えは,丁度地が高い天よりもずつと低いように,神の考えからはずつと低いものに違いありません。まつたくの愚か者だけが,神の考えと競います。蝗の智が人間の智に勝ることのないごとく,人間の考えが神の考えに勝るようなことは絶対にありません。ヱホバの考えは朽ちないものです。ヱホバの言葉は常に真で,成就されており,空しくヱホバに戻ることがないのです。述べられた言葉は,丁度,降る雨や雪が地をうるおして,人間と動物の食物をつくり出す仕事を成し遂げる,のと同じく必らず成就します。
年々歳々,人間の約束は破られており,人間の考えは間ちがいのもの,と示されています。しかし,『ヱホバの言葉は永遠に続く。』神の考えを得ることによつて,人間の考えよりも高く,かつ信頼できる智恵を得ることができます。ヱホバの言葉は,私たちを正しい道に導き,私たちは確信をもつてヱホバの言葉に頼ることができます。『智者の言葉は刺鞭のごとく会衆の師の釘たる釘のごとくにして,一人の牧者より出でし者なり。』むかし,鉄の刺のついている長い鞭は,牡牛を正しく導くのに用いられました。神からの賢明な言葉は,私たちを正しく導きます。私たちがもし悪の道に入るなら,神からの賢明な言葉は私たちの良心を責め,行を改めさせます。唯一つ真の神ヱホバの与え給うたこれらの賢明な言葉は,板に打こまれた釘のように,私たちをしつかりと保ち,安定の状態にならせます。イエスは,自分の考えを述べずに神の考えを述べた,と語つています。また,その言葉を聞いて守つた人は,岩の土台の上に家を建てた慧き人のようである,とも語つています。こうするのを拒絶する人々は,砂の上に家を建てているのであり,嵐が来るときにその家は崩壊してしまうでしよう。人間の約束に希望を置く人は,砂の上に建てているのです。一ペテロ前 1:25,新世。伝道之書 12:11。
神の考えを得る
ヱホバの創造したもうた御業は,ヱホバの栄光と力を表わします。しかし,ヱホバの特定な考えとかいましめを表わしません。私たちは,聖書に記録されているヱホバの言葉から,その考えやいましめを得なければならないのです。あなたは,その言葉を受けいれて耳を傾け,そして理解するよう努めますか。『我が子よ,汝もし我が言葉をうけ,我がいましめを汝のこころに蔵め,かくて汝の耳を智恵に傾け,汝の心をさとりにむけ,もし知識を呼求め,聰明をえんと汝の声をあげ,銀のごとくこれを探り,祕れたる宝のごとくこれを尋ねば,汝ヱホバを畏るることを暁り,神を知ることを得べし。そは,ヱホバは智恵を与え,知識と聰明とその口より出づればなり。かれは義人のために聰明をたくわえ,直く行む者の盾となる。』それで,聖書を研究することにより,ヱホバの考えを探し求めねばなりません。なぜなら,私たちに対する健全な智恵は,その書物である聖書に述べられているからです。ヱホバの考えを知つて理解するなら,この世の人のなす悪い宣伝から心を守ることができます。―シンゲン 2:1-7。
人柄は,その人の考えによつてきまります。考えが変るなら,その人柄も変ります。しかし,考えが以前と同じものなら,表面だけの変化は正しいものではないのです。ヱホバに仕えるためには,神の考えと反対矛盾する人間の考えを無くさねばなりません。このことのない変化は,表面だけの見せかけです。パウロは次のように述べました,『以前の生活に属する古い人格を脱ぎ棄てなさい。』『あなたの心に働きかける力によつて新しくされなさい。』神の考えの正確な知識によつて私たちは変化するのです。『古い人格をその行と共に脱ぎ棄て,そして正確な知識により,新しい人格を着なさい。』私たちはもはや,この世の考えとか,宣伝の影響をうけないでしよう。『この世の組織制度に従うのを止めなさい。むしろ,あなたの心を入れ代えることによつて,新しくなり神の御旨にかなう善き御意を全くわきまえ知るべきである。』― エペソ 4:22,23。コロサイ 3:9,10。ロマ 12:2,新世。
『自ら悟りなさい』という諭しの言葉に注意を払つて下さい。もし,聖書から神の考えを自ら悟るならば,どのようなことがあつても,神の考えが心から無くなるようなことはないでしよう。何を信ずるかを知るだけでは十分でありません。なぜそれを信ずるかを知りなさい。1956年2月24日のアメリカニュースと世界報告(英文)は,陸軍少佐との会見談を出版しました。それは,『なぜ多くのアメリカ兵士は屈服したか』という問題に関する会見談でした。驚くことにアメリカの兵士の3分の1は,共産主義者の捕虜収容所にいるとき,共産主義に同意したり,共産主義の協力者になつた,と少佐は語りました。その理由として,兵士には民主主義原則についての十分の知識がなく,また深い理解にもとづく真実の忠節心とか確信がなかつた,ためであるとのことでした。兵士の宗教的な確信について尋ねたところ,少佐はこう答えました。すなわち,宗教的な確信が深くて日常生活の一部になつているなら,決して屈伏するようなことはない。しかし,戦場で感情の興奮しているときとか,危機のときに抱いた宗教的な確信であるなら,とうてい長続きしない,とのことです。そのような確信は,自分のものにならなかつたからです。それは『単なる抽象の観念でなく,活潑なもの,働くもの,実際的なもの,自分自身のものとなつている意味深い道徳律でなければならない。他人の中で振舞うときの生活の仕方でなければならない。』
1954年5月9日のニューヨーク・タイムス誌は共産主義者の巧妙な手口について論じた後,こう結論づけていました,『人間の確信に対する全体主義的な攻撃には,ただ一つの防禦手段しかない。』その一つの防禦手段とは,自分の信仰について深い確信を持ち,かつ十分に理解することです。もしそうしないなら,『簡単にしかもよろこんで,共産主義の犠牲者になる。そして,狼共といつしよに森の中で吠えるであろう』と記事は述べていました。イエスは羊の衣をつけた狼のことについて語りました。そのような狼は偽の宣伝の言葉を話すことにより,人々から神への信仰を取去るよう努めるでしよう。また黙示録 16章14節(新世)は,サタンとその制度の偽りを語つています。この偽りのために人々は神と戦うようになるのです,『それらは,実際に悪鬼共によつて霊感された表現であつて,徴を行うのである。そしてそれらは全地の王たちのところに行き,全能の神の大いなる日の戦争のために,かれらを集める。』それで,サタンとその世の制度の巧妙な宜伝に対抗するため,私たちは神の言葉を十分に研究し,神の考えを得,そして知識と理解により神の考えを強固なものとし,かつ毎日の生活に応用しなければなりません。
神の考えを与える
神の言葉,もしくはいましめのひとつは,神の考えを他の人に伝道せよ,ということです。私たちはこのことを生活に適用しなければなりません。神の考えを他の人に与えるとき,神の考えは私たちの心の深くに入り,つよくなります。神の考えを得るときに多くの幸福と心の満足を得ます。しかし,それを他の人に与えるときに,より大きな幸福を得ます。パウロはイエスの言葉を引用して,こう述べています,『受けるよりは与える方が,さいわいである。』― 使行 20:35。
効果的な伝道をする為には,神の考えを良く知ることが必要です。それだけでなく,力強く確信をもつて神の考えを述べ伝えるよう研究しなければなりません。私たちの伝道の言葉は,すでにこの世の宣伝や,この世の人の考えで充ちている心に入らねばなりません。私たちの伝道の言葉は力強くて確信に充ちるものであり,古いものを追い出す程のものでなければなりません。パウロはこう述べました,『私たちの戦の武器は,肉のものではなく,神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。私たちはさまざまな議論を破り,神の知恵に逆らつて立てられたあらゆる障害物を打ちこわし,すべての思いをとりこにしてキリストに服従させる。』人々の偽りの考えは,多くの人の心にこびりついています。これらの考えは,しばしばヱホバの言葉と反対しています。心が神の考えを思い,キリスト・イエスの教えに従うためには,偽りの考えを打ちこわさなければなりません。―コリント後 10:4,5,新口。
神の考えは銀や金よりもはるかに値打のあるものです。しかし神の考えを与えることは難しいものです。多くの宣伝を為している『この世の組織制度の神は,不信者の心をめくらにし,神の像であるキリスト・イエスについての栄光ある良いたよりの光を輝かせまいとしている。』サタンは人々の心を無意味なもの,偽りのもので一杯にしてしまつているため,幾百万人という人々は暗やみの状態に居り,ヱホバについての啓発の真理を受けいれる余地はありません。悪鬼共を通して精神的な攻撃をするサタンは,自分の考えを幾百万人の人々に押つけて,人々の心に植え,人々の心に自分の仕方を充します。しかし,その仕方があまりに巧妙であるため人々はその考えは自分でつくり出したものである,と思いこみます。私たちは,大抵信じたいものを信じます。そして,私たちは自分自身で考え得る,ということを信じたいと欲します。悪智に長けた宣伝家にとつて,彼らの考えをあたかも自分自身のものであるかのように私たちに思いこますのは,そう難しいことではありません。彼らは考えを植えて養います。しかし,その仕方は巧妙であるため,私たちはその考えが自分自身のものである,と思つてしまうのです。―コリント後 4:4,新世。
『サタンに欺かれることのないためである。私たちは,彼の策略を知らないわけではない。』私たちはサタンに従う宣伝家たちの巧妙な手口を知るべきです。その手口は沢山あります。しかし,その一つを言うならば,彼らに反対するものには何にでも悪い名前がつけられてしまう手口があります。もし頭が良いと,頭でっかち,と言います。もし良い音楽が好きだと,古臭い音楽が好きな人,と言います。もし行儀が良いと,女々しい人と言います。もし良い本を読むなら,本に凝り過ぎた人と言います。もし真の崇拝を真剣になすなら,その人は熱狂家だ,と言われます。しかし,良い趣味を持つていて,しかも几帳面でないなら,その人は気持の良い人と言われます。だが,人々の言うことに押しまくられ,人々の言葉に恐れて,その言いなりになることはまだ円熟していないことを示すものです。その人は自分自身で考えることができず,賢明な確信に欠如しています。私たちは,自分自身のために正確な知識を得るべきです。『私たちはもはや子供ではないので,だまし惑わす策略により,人々の悪巧みによつて起る様々な教の風に吹きまわされり,もてあそばれたりすることがない』ためです。―コリント後 2:11。エペソ 4:14,新口。
悪企みを図る人々に欺かれて,なぜ彼らの考えを持つのですか。彼ら自身,サタンの罠に陥り,その有毒な教えを吹込まれてしまい,丁度腹話術者の無言役者のように,サタンの見えざる指示の下に,言葉を発しているのです。悪魔の手先共になぜ欺かれてしまうのですか。悪魔の手先共は,自分たちが精神的に束縛されていることを忘れているのです。幾百万人という多くの人の頭脳は洗う心要があります。しかし,サタンに属するこの組織制度の政治的な宣伝や宗教的な宣伝で洗つてはなりません。すべての人は,『水で洗うことにより,ヱホバ神の言葉によつて』定期的に清めることが必要です。かくして,人間の考えやサタンの考えではなしに,神の考えを得ることができます。そうすることにより,すべての人は最高の知恵を持つて満足を感じるでしよう。『上からの知恵は,第一に清く,次に平和,寛容,温順であり,あわれみと良い実とに充ち,かたより見ず,偽りがない。』― エペソ 5:26。ヤコブ 3:17,新口。