聖書に基づいた御国証者の社会
神の御国の設立は,あらゆる人々と国民にとって最重要のニュースです。(ダニエル 7:14)生き残ることはもちろん,永遠の生命を得るかどうかは,ハルマゲドンの大戦争の始まる前に,神の王および御国と平和な関係にはいることに依存しています。(詩 2:1-12。黙示 16:14,16)この大切な事柄を全世界に知らせるため,エホバ神は187の国々で活動している御国証者の社会を建て起こされました。この人々は「エホバの証者」として知られています。
おそらくあなたも,毎週エホバの証者を迎え入れて聖書を興味深く学んでいる何十万人の善意者の一人かも知れません。そしてエホバの証者は,だれから権威を受けてこの事をしているのか,どのようにして聖書の知識を得たのか,どんな組識を持っているのかを疑問に思われたことでしょう。
これらの質問に答えることは大切です。なぜなら使徒パウロは,ヘブル書 10章23-25節(新口)に次のことを命じているからです,「また,約束をして下さったのは忠実なかたであるから,わたしたちの告白する望みを,動くことなくしっかりと持ち続け,愛と善行とを励むように互に努め,ある人たちがいつもしているように,集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか」。
どれでも便宜のよい教会にはいるというだけでは,神からのこの命令に従ったことになりません。使徒のすすめは,エホバの日の近いことを知り,定期的に,また熱心に信仰を言い表わしている真のクリスチャンと交わることです。神と隣人に対する愛を深め,よいわざに励ます集会を持つクリスチャンとの交わりです。そのわけで以下の事柄をしるしました。聖書に基づいた御国証者の社会を認め,「集会をやめることはしないで」その社会と交わることは,生命の問題です。
なぜ「エホバの証者」と呼ばれるか
エホバの証者は人間や人間の作った組織に従わず,キリスト・イエスに従います。そのわけでエホバの証者の組織は人間の名で呼ばれていません。そのおもな務はイエスと同じく。「真理についてあかしをする」ことです。(ヨハネ 18:37,新口)神の言葉は真理であり,従って彼らは,エホバという名をお持ちになる神のために証言のわざを行なっています。(ヨハネ 17:17。詩 83:18)神のために忠実に語る者たちを,エホバは御自分の証者と呼ばれます,「エホバのたまはく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり」。(イザヤ 43:10)昔のエホバの証者は,さまざまな信仰の行いによってエホバの御名にほまれをもたらしました。(ヘブル 11:4–12:2)現代のエホバの証者は,設立された神の御国の良いたよりを「すべての民に対してあかしをするために,全世界に」宣べ伝えています。(マタイ 24:14,新口)当然のことながら,彼らの神の名とその重要なわざは,「エホバの証者」という聖書的な名の中にはっきり示されています。
どの証者も奉仕者
聖書の言葉の本当の意味においてそう言えます。神の奉仕者とはエホバ神の公のしもべ(ギリシャ語,ディアコノス,「ほこりにまみれて」)であり,イエスの足跡に従って人々の間で公に,時には砂ぼこりの立つ道を旅行して,神の御国の良いたよりを宣べ伝える者です。使徒パウロも強調したように,これは緊急なわざです,「神のみまえと……キリスト・イエスのみまえで……おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい」。(テモテ後 4:1,2,新口)真のクリスチャンはだれでも,このような宣教奉仕を喜んではたします。ロマ書 10章10節(新口)にあるように,それは救いに導く崇拝に欠くことのできないものです,「人は心に信じて義とされ,口で告白して救われるからである」。奉仕者としての権威は,献身した男女,若者が最高者の神から授けられます。「地よりエホバをほめたたへよ……わかきをのこ,若きをみな,老いたる人,をさなきものよみなエホバの聖名をほめたたふべし」。(詩 148:7,12,13)神の是認を望むすべての人は,ヤコブの言葉を心に留め,この命に従います,「これでわかるように,人が義とされるのは,行いによるのであって,信仰だけによるのではない。霊魂〔息,新世〕のないからだが死んだものであると同様に,行いのない信仰も死んだものなのである」。(ヤコブ 2:24,26,新口。黙示 22:17)聖書の教えを受け入れ,信仰に生きる人は神の奉仕者となります。
だれがエホバの証者を任命するか
クリスチャン宣教に対する唯一の有効な任命は,神からのものです。(コリント後 3:5,6。イザヤ 61:1,2)人間の組織によって任命される者は,その組織の奉仕者です。しかし神から任命される者は神の奉仕者です。神は御自分の奉仕者となる者の資格を,聖書の中に定めています。人は神の言葉を学んで神の御心を知り,それに従った生活をしなければなりません。そうするとき,御心を行なうために献身するのは,神の要求です。(ロマ 12:1)人はキリストを通してエホバ神にささげるひそかな祈りの中で,この献身すなわち神の御心を行なうことを誓います。次いでこのような献身を象徴するため,イエスと同じく水のバブテスマを受けなければなりません。(マタイ 3:13-17)このようにして人は神から任命された奉仕者となります。
神に奉仕することを誓ったからといって,自分で自分を任命するのではなく,バプテスマを施す者から任命されるのでもありません。神の御心を行なうために献身する人々は神から使命を与えられます。その使命が奉仕者としての任命になるのです。そして神は聖霊によってその人々をささえます。男子にかぎらず,婦人も,また資格のある子供も,聖書的な任命を受けられます。(詩 68:11。使行 2:17,18。ロマ 16:1。伝道之書 12:1)御国の良いたよりの伝道を命ずる神の言葉は聖書に書かれていて,だれでも読むことができます。しかしそれが任命の働きをするのは,神の要求にかなう人々の場合だけです。これは学校の卒業生に卒業証書を授けるのと似ています。卒業証書の文句はどれでも大体同じであり,だれでもそれを読むことができますが,その言葉がだれにでもあてはまるわけではありません。資格を持つ人でなければ,その名前は卒業証書にしるされません。同じく聖書に記録された神からの使命がその人の任命となるには,まず研究,献身,バプテスマを経なければなりません。しかし神学校教育や任命などの証書は,聖書的な任命に不必要なものです。(ヨハネ 7:15。使行 4:13。ガラテヤ 1:11,12,15-17)エホバから任命され,聖霊を持つ奉仕者は,人の心に書かれたすいせん状を持っています。(コリント後 3:1-3)聖書を学ぶ本当の目的はこのような任命の資格を身に着けることです。まじめに神の言葉を学ぶ人はだれでもこの事を理解すると思います。それは自分と他の人々の生命を意味します。(テモテ後 3:16,17。テモテ前 4:16)もちろん御国証者の社会と交わって学ぶ新しい人も,公の証言に加わることができますが,献身して,神の御心通りバプテスマを受ける時にはじめて任命された奉仕者となります。(マタイ 28:19,20)それを目ざして,熱心な勉強がつづけられます。
なぜ家から家に伝道するか
エホバの証者が良いたよりをたずさえて家々をおとずれるのは,イエスと使徒の手本にならっているのです。「そののちイエスは,神の国の福音を説きまた伝えながら,町々村々を巡回し続けられたが,十二弟子もお供をした」。これはルカ伝 8章1節の言葉です。使徒行伝 5章42節は使徒たちのことを述べています,「そして,毎日,宮や家で,イエスがキリストであることを,ひきつづき教えたり宣べ伝えたりした」。パウロはエペソのクリスチャンに「公衆の前でも,また家々でも」。伝道する方法を教えました。(使行 20:20,新口)初期クリスチャンは興味を抱いた人々に訪問を重ねました。エホバの証者も同じことをします。ラジオ,印刷物など思想伝達に今日使われる手段を広く利用していますが,その根本となるのは初期クリスチャンと同じく家から家に行くことです。これは義に飢えかわく人々を一人も見落さないようにするたしかな方法です。(マタイ 5:6)クリスチャンは愛の動機で家から家に行きます。
エホバの証者はどんな集会を開くか
初期クリスチャンと同じく現代のエホバの証者も,聖書を学ぶため,また御国の音信を伝道する備えを身につけるために集まります。「ふたりまたは三人が,わたしの名によって集まっている所には,わたしもその中にいるのである」と言われたのはイエスでした。(マタイ 18:20,新口)イエスの追随者が個人の家に集まっても,あるいは「御国会館」と呼ばれる簡素な集会所に集まっても,この事は真実です。(ロマ 16:5。使行 20:8)会衆は次の通り毎週5時間の集会を開きます。
会衆の書籍研究
週のはじめ頃,エホバの証者また一緒に聖書を勉強している善意者は,会衆の定めた近所の家に集まり,聖書とものみの塔協会の手引を用いて1時間の勉強をします。ここでは,エホバに奉仕して正義の新しい世に住みたいと願う近隣の人々と親しむことができます。(マラキ 3:16-18。ペテロ後 3:13)小人数の集まりですから,自由に発言することができ,人の前で自分の信仰を言い表わすことにもなれてきます。(ヘブル 13:15)またこれは他の人の述べる言葉を聞いて,自分の知識をみがく機会です ― 箴言 27:17。
書籍研究の開かれる場所は奉仕中心地と呼ばれています。ここに集まる人々が都合のよい時にここから連れ立って近所の家に出かけ,神の御国の良いたよりを伝道するからです。学んでいる人やバプテスマを受けて間もない証者は,円熟した証者から必要なだけの援助と訓練を受けます。戸口で効果的な証言をする方法,興味を持つ人々を記録する方法,まいた種が実を結ぶまで,このような人々をひきつづき援助する最善の方法が教えられます ― コリント前 3:6。
神権宣教学校
19世紀前のエホバの証者は,伝道する能力の改善に深い関心を寄せていました。それでパウロはテモテに次のことを書き送っています,「言葉にも……信者の模範になりなさい……聖書を朗読することと,勧めをすることと,教えることとに心を用いなさい。すべての事にあなたの進歩があらわれるため,これらの事を実行し,それを励みなさい」。(テモテ前 4:12,13,15,新口。テモテ後 2:15)今日のエホバの証者も常に進歩することを望んでおり,そのため毎週一晩,御国会館で開かれる神権宣教学校にはいります。これは男子にも女子にも子供にも,終ることのない訓練を授ける学校です。聴衆にむかっての短い話,一人の人に対する聖書の話の練習,聖書の朗読が行なわれます。特別な教科書,助言用紙があり,有能な助言者がいて進歩するために役立つ提案をします。この訓練課程のすすむに従って,聖書の全部が朗読され,聖書の教え,いろいろな題目が広範囲にわたってとりあげられます。有益な聖書の講演をしたり,婦人や子供でさえ家から家に行って上手に聖書の話ができるようになるのは,このすぐれた訓練の賜物です。御国会館の集会に出席し,神を賛美するわざに上達して満足を味わいたい人は,だれでもこの学校にはいって,無料の訓練を受けられます。
奉仕会
たいていは神権宣教学校と同じ晩に,毎週,奉仕会が開かれます。これはイエスや使徒たちが教訓を与えるために開いた集まりにならったものです。(ルカ 10:2-16。使行 4:23-31。コリント前 14:26)イエスの残した手本通り,正しい伝道方法が教えられます。奉仕会は「御国奉仕」と題する月刊のパンフレットに従って進められ,色々な人が立って新しい聖書の話,聖書文書の配布を増加させる方法,配布の後どうするか,家庭聖書研究の正しい司会方法などを話したり,実演で示したりします。経験を積んだ証者も新しい人も奉仕会に出席すると,神に奉仕する能力を改善できます。このようにして伝道のわざは神にいっそう喜ばれるものとなり,更に成果をあげ,ますます楽しいものになります。―箴言 1:5; 11:14。
公開講演
たいていの会衆では日曜日の朝を利用して,家から家に伝道します。それで会衆が御国会館に集まって講演を聞いたり,「ものみの塔」を研究するのは日曜日の午後か夜になります。他の人々を講演会に招待するビラが用意されていて,会衆の集会で入手できます。講演会は初期クリスチャンの時代に行なわれた聖書の話にならったものです。(マタイ 5:1–7:29; 13:1-36。使行 5:42)その会衆の者が講演することもあり,他から招かれた証者が話すこともありますが,講演者は訓練を受けた円熟した人で宣教に熱心な,従って資格のある人です。毎年,ものみの塔協会は新しい話の筋書を作っており,講演者はそれに基づいて1時間の有益な聖書の話を準備します。どの年にも24以上の異なった主題の話が計画されます。どの講演を聞いても,聖書の理解が深められるでしょう。会衆の徳を高め,エホバの証者と学んでいる人の益のために講演者は多くの時間を費やして資料をしらべ,話を準備します。「宣教と教とのために労している」これら円熟した講演者の努力を,会衆は忘れません。(テモテ前 5:17,新口)1時間の講演を聞くことは,講演者が何時間もかけて聖書をしらべた益を得,「金を出さずに,ただで」貴重なものを手に入れることです。―イザヤ 55:1-3,新口。
「ものみの塔」研究
たいてい日曜日の講演につづいて,最も大切な会衆の集会である「ものみの塔」研究が開かれます。これは「ものみの塔」誌の記事を研究するという事と,会衆全体がひとつの場所に集まるという点を除いては会衆の書籍研究と余り変らず,質問と答えによる討議で進められます。「ものみの塔」の資料はどちらかと言えば個人の行いに関するものが多く,この点でも書籍研究の討議とは異なっています。「ものみの塔」は聖書の預言を適用し,クリスチャンの原則を日常生活に適用することを教え,クリスチャンにふさわしくない行いという落し穴を警告します。(ロマ 12:2。コリント後 13:5)エホバは「ものみの塔」を通して,増し加わる神の言葉の光を照らしています。(箴言 4:18)最近の記事には次のようなものがありました。「なぜ洗礼を受けるか」「分裂した家庭におけるクリスチャンの行い」「信仰によって勇気を持ち強くあれ」「血の神聖さを尊重する」「落し穴を避けなさい」「終りの時における交わりに注意しなさい」「クリスチャンの行儀を示す」「識別力を訓練する」「我慢と忍耐」。これらの事柄は非常に大切ですから,「ものみの塔」はすべてのエホバの証者と善意者にとってきわめて重要な集会です。これによってすべての人が考えをひとつにできます。(コリント前 1:10)準備して出席し,参加して下さい。箴言 15章23節(新口)の言葉の真実を体験するでしょう,「人は口から出る好ましい答によって喜びを得る。時にかなった言葉は,いかにも良いものだ」。
エホバの証者の大会
エホバの民が大きな集まりを開くことは,真の崇拝ときってもきれない関係がありました。(申命 16:1-16; 31:10-13)西暦33年の五旬節のあいだ,15の諸国諸州から集まった敬虔なユダヤ人は,イエスの弟子たちがキリストに関する良い音信を余すところなく証しするのを聞きました。(使徒行伝 2章)同じく今日でもエホバの民の大会は,神の御国に大規模な証しを立てる機会になっています。大ぜいのクリスチャンが集まったという事実だけでも,五旬節の時と同じく人々の注目を集めます。遠い外国から集まった大群衆の中に世の偏見や不一致に代ってクリスチャンの愛と一致を見れば,神の聖霊が働いていることは明らかです。(詩 133:1)またクリスチャン兄弟のために愛の動機で時間と労力を惜しまずに働く証者たちの手で大会の各部門が運営されていることも,世の人の感嘆のまとです。これもまた証言となります。(ヨハネ 13:34,35)「巡回区」を構成する諸会衆は年に2回,3日間の巡回大会に集まります。特別な話や実演のほか,献身した人々がバプテスマを受けて献身を象徴する機会が設けられています。巡回区を集めて地域大会が開かれるほか,全国および国際大会も開かれます。このすべての大会は神の御国を証言する機会となり,エホバの奉仕者が「互に慰め合い,相互の徳を高め」る機会となります。―テサロニケ前 5:11。
監督奉仕者がいますか
各会衆には会衆の僕あるいは監督と呼ばれる監督奉仕者がいます。この者は他の奉仕者の「リーダー」ではなく,神の群れを牧し,正しい手本を示すように聖霊によって任命されています。(マタイ 23:8-12。ペテロ前 5:2。使行 20:28)会衆の僕の資格は,年功によるのではありません。それを左右するのは,クリスチャンとしての霊的な円熟です。監督の資格は聖書のテモテ前書 3章1-7節とテトス書 1章5-9節に定められています。会衆に割り当てられた区域に住むすべての人を定期的に訪れて余すところなく証言するわざを監督し,会衆内のすべての人が神に受け入れられる奉仕をして献身を全うするように援助するのが,監督の務です。この務に備えて監督は御国宣教学校で特別な訓練を受けます。これはたいてい協会の支部に設置されており,この目的で運営されているのです。監督はキリストにならって「羊」や,会衆と交わる見知らぬ人に愛と親切を示さなければなりません。王キリストの見守るうちに各監督は「風をさける所,暴風雨をのがれる所のようになり,かわいた所にある水の流れのように,疲れた地にある大きな岩の陰のように」ならねばなりません。(イザヤ 32:2,新口)神の群れを牧する責任を持つ監督を助けるため,何人もの補佐の僕がいます。―テモテ前 3:8。ピリピ 1:1。
補佐の僕の務
補佐の僕となるには,テモテ前書 3章8-13節にしるされた要求にかなっていなければなりません。監督と同じくエホバとキリスト・イエスにならい,神の民をやさしく牧することが必要です。(イザヤ 40:11。ヨハネ 10:11)補佐の僕が任命されているのは単に監督を助けるためだけでおく,会衆内の人々に個人知な援助を与えるためです。(コリント前 10:24)ここにその務を解説しましょう。
会衆の僕の補佐
この円熟した奉仕者は監督の不在のとき会衆を監督します。各奉仕中心地を通してすべての人に援助の及ぶように図るのがその務です。この僕は各人の出す報告を集計するので,だれが援助を必要とするかを知っています。聖書時代と同じく,今日のエホバの証者も,宣教の正確な記録をつけます。(エゼキエル 9:11。使行 2:41; 4:4)証者の各人は伝道に費やした時間,配布した文書,再び訪問した回数,司会した聖書研究の数を報告し,それは各人の伝道者記録カードにのせられます。これによってどの伝道者を援助すべきかが分かるだけでなく,会衆は特別な奉仕の任に資格ある人をものみの塔の協会にすいせんできます。(テモテ前 3:10; 5:22)月に1度,会衆の報告は支部事務所に送られ,ニューヨーク,ブルックリンの協会本部には各国の支部から報告が送られてきます。それをもとに作られるエホバの証者の年鑑には,全地にわたる御国伝道者の社会の経験と報告がのせられます。会衆の僕の補佐は,証言のわざに定期的に加わるようにすべての人をやさしく励まします。―マタイ 24:14。
聖書研究の僕
すべてのエホバの証者は教える者であり,興味を持つ人々に訪問を重ねて家庭聖書研究を司会します。(ダニエル 11:33; 12:3。ガラテヤ 6:6)聖書研究の僕は各奉仕者の提出する聖書研究報告を検討して,有益な提案をします。また新しい聖書研究を始めて上手に司会するように会衆内の人々を熱心に助けます。この僕の忍耐強い,忠実な努力によって大ぜいの人が神の言葉を学び,神の御目的を知るようになります。
文書の僕
エホバの証者は印刷物を用いて教えます。聖書の手引となるこれらの本や冊子を注文し,取扱うのが,この僕です。はじめての人でも,友人や知り合いに配布するための文書を,この僕から入手できます。―テモテ後 4:13。伝道之書 11:6。
雑誌 ― 区域の僕
会衆がその区域で配布する「ものみの塔」と「目ざめよ!」は毎号大きな数に上ります。これらの雑誌を注文し,また取扱うのが雑誌 ― 区域の僕です。会衆と交わって間もない人々も,家から家の伝道の手はじめとして雑誌を用いる証言を容易にできます。この補佐の僕は,新しい人も経験を積んだ人も,すべての証者が効果的に,また沢山の雑誌を配布するように援助します。各人は配布用の雑誌を毎号,必要数だけ予約しておき,この僕から入手できます。雑誌,本,冊子のいずれを使うにしても,手当り次第に家々を訪問したのでは混乱を招きます。そこで各会衆は協会から一定の区域を割当てられているのです。(マタイ 13:38。コリント後 10:13-16)この区域の小部分を各奉仕者に割当てることにより,雑誌 ― 区域の僕は会衆の区域内にあるすべての家に秩序正しく伝道が行なわれるようにします。―コリント前 14:33。
会計の僕
監督や補佐の僕に給料を払うことはありませんが,御国会館の維持,文書の注文には経費を必要とします。それは自発的な寄付によってまかなわれるのです。寄付の盆,什一,封筒,寄付をする人の名簿などはありません。(マタイ 6:1-4)各人は「いくらでも収入に応じて」,自由に寄付箱に入れます。(列王下 12:9。コリント前 16:2,新口)会計の僕はこれらの資金を管理し,伝道のわざの御国の事柄をすすめるために寄付を用います。
他のしもべ
神権宣教学校,「ものみの塔」研究,書籍研究のことを先に述べましたが,このそれぞれを司会するため,ものみの塔協会により任命されているのが学校の僕,「ものみの塔」研究の僕と書籍研究の司会者です。他の補佐の僕と同じく,これらの僕のおもな関心は,それぞれの司会する集会から最大の益を得るように,会衆内の各人を親切に助けることです。(テサロニケ前 2:8)それで新しい人,援助を必要とする人に勉強の仕方を親しく教え,神の僕として常に進歩するように助けます。―ピリピ 2:4。
協会はいろいろな奉仕の地位に奉仕者を任命することもします。献身した人々に開かれている。これらの奉仕の特権は休暇,正規,特別開拓者,巡回,地域あるいは地帯の僕,宣教者ベテルに生活する支部事務所の要員等に選ばれることです。エホバの制度のどこで奉仕しても,人は自分と隣人の救いを念頭においています。―マタイ 22:36-40。
清い制度
不道徳な生活を送っている人,酒に酔う人,商取引に不正直な人に,証言のわざをすすめることはできません。神に受け入れられる奉仕をささげて神の新しい世にはいるには,そのような生活と行いをやめなければなりません。(コリント前 6:9-11)このような行いをやめて清く洗われたならば,清いままに留まるのがエホバの御要求です。(ペテロ後 2:20-22)神の御霊を得て繁栄するため,会衆は警戒を怠らず,クリスチャンのものでない行いを大目に見てはなりません。会衆の監督,会衆の僕の補佐,聖書研究の僕から成る委員は,おもにこの責任をもっています。未熟また不完全さのため知らないうちにあやまちをした人があって,心から悔いているならば,委員はあわれみを示し,その人に試験期間を課するでしょう。(ガラテヤ 6:1)しかし罪の行いをやめない者は排斥されます。(コリント前 5:9-13。ヨハネ第二 10,11)排斥されてのち復帰を許された者は,監督また補佐の僕にすいせんされません。僕は非難のない人でなければならないからです。(コリント後 2:5-11。テモテ前 3:1,2,7。テトス 1:7)献身した奉仕者で悪を行なう者があれば,委員と協会は制度内の地位の如何にかかわらず,その者に対して適当なこらしめの手段をとります。各クリスチャンは人間に従うのでなくキリストに従うゆえに,義を愛する人にとってこれがつまづきになることはありません。(ヘブル 12:1,2。ルカ 17:1。ペテロ後 2:1,2)むしろそれは神の祝福する清い制度と交わっているという保証です。―エペソ 5:27。ペテロ前 1:15,16。
家庭における崇拝
家族がエホバを崇拝し,神の言葉をたびたび話し合うことの重要性は,申命記 6章6,7節に示されています。食卓での祈り,寝る時の各人の祈り,個人的な勉強のほか,家族そろっての聖書研究など,この事をする機会は沢山あります。家庭がクリスチャンの原則に従って運営されるとき,両親,子供,老いも若きも家族全員がいちばん幸福になります。(エペソ 5:22–6:4)エホバの証者は朝食の食卓の有益な話題として年鑑にのっている日々の聖句と注解を討議します。御国をまず求めて毎日を正しく始めることを家庭で始めて下さい。―マタイ 6:33。
要約
ここに述べた事柄から,聖書に基づく御国証者の組織がだいたい分かると思います。ここに引用された聖句から明らかな通り,それは聖書の原則にのっとって運営されています。これは,生命をもたらすエホバの言葉の御国の音信を家々に伝えている組織です。(ヨハネ 17:3)これは人を愛と善行に励ます会衆であり,神への忠実を励ますクリスチャンの社会です。(ヘブル 10:23-25)その存在は,この社会の造り主であるエホバ神にほまれをもたらしています。この社会は神の御霊によって支えられているので,この社会を見る世界中の誠実な人々は歴史学の教授チャールス・サムエル・ブレイドンがその著「これらの人々もまた信ずる」の中で述べているのと同じ結論に達せざるを得ません。
「差し迫ったこの時代の終りと神権政府の到来を知らせることを神より命ぜられている証者として,彼らは考え得るあらゆる手段を用いてその音信を人々に伝える。彼らが何かの新しい方法を考え出しても,決して驚くにはあたらない。エホバの証者は,その証言を文字通り地に満たした……御国の良いたよりをひろめるために,これほどの熱意と不屈の精神を示した人々は,世界中の宗教の中でもエホバの証者以外にはない」。
神の御心を行なうことを望み,いま全世界に行なわれている御国伝道のわざに加わることを望まれるならば,エホバの証者は,あなたが証者と交わることを歓迎すると共に,神から委ねられた御国証言のわざに備えるためエホバ神の設けられたこれらの御準備から益を受けられることをおすすめします。