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読者よりの質問ものみの塔 1958 | 1月1日
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読者よりの質問
● 黙示録 2章17節に述べられている『新しい名』は何ですか。それは『ヱホバの証者』の名ですか。イザヤ書 62章2節と65章15節も同様なことを述べていますが,それについてはどうですか。―アメリカの一読者より。
イザヤ書 62章2節は次のように述べています,『もろもろの国はなんぢの義を見,もろもろの王は皆なんぢの栄をみん,かくてなんぢはヱホバの口にて定め給う新しき名をもて称えらるべし』『新しい天と新しい地』の233頁から236頁に説明されているように,シオンの子供たちは1919年に実体的なバビロンの囚われから連れ戻されて喜びのうちにその『母』と一緒になりました。そのとき以来,神は彼らに繁栄の状態を与えて,彼らの『土地』に人が住むようにされました。神が御自身の『女』すなわち天の組織に新しい名を与えられたのはその時でした。それはエレミヤ記 33章16節に記されている名,すなわち『ヱホバわれらの義』という名です。これは彼女にふさわしい名であり,ヱホバ御自身の与えられた名です。名を変えたことは彼女の状態が変化したことと一致して居り,その状態をよく描写しています。そして,地上の彼女の霊的な子供たちに関係する彼女の地的な事柄に関して特にそう言えるのです。
イザヤ書 65章15節にある予言,『なんぢらが遺す名はわが撰みたる者の呪詛の料とならん,主ヱホバなんぢらを殺し給わん,されどおのれの僕らをほかの名をもて呼び給うべし』について。これらの言葉はヱホバを捨てた者たちに向けられたもので,彼らの名は悪しき者に対する神の刑罰を表わすもの,つまり象徴となつています。一方(右に挙げた聖書研究の手引きからも分るように)ヱホバの選び給う者,ヱホバに忠実に奉仕するシオンの霊的な子供たちを呼ばれるのに,ヱホバは悪しき背教の僕の名とは異なる名を以て呼ばれます。『それは,神の民に与えられる神の恵みと祝福を表わし,そして神の宇宙的制度内の一員となつて,神に奉仕する誉ある特権を持つということを表わす名前または名声であります』― 『新しい天と新しい地』,235頁。
従つて,イザヤ書のこれらの聖句は特に『ヱホバの証者』という名を指すのではなくて,むしろ1919年以来神の女すなわち天的の組織とその霊的な子供たちが持つ祝福された状態とほまれを指しているのです。しかし,右のすべてのことと一致して,シオンの子供たちの残れる者は1931年7月26日,『ヱホバの証者』という新しい名前を確かに受け入れました。この名前は彼らがヱホバの偉大なることを証すると共に,宇宙至上権の論争においてヱホバの側を支持することを表わすからです。イザヤ書 43章10-12節に聖書が述べていることと調和して,彼らはこの事を行つたのです。『ヱホバ宣給わく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり,…汝等の中には他神なかりき,なんぢはわが証人なり,われは神なり,これヱホバ宣えるなり』
さて,黙示録 2章17節について。そこに,キリストは勝利を得る者に『白い石を与えよう。この石の上には,これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』とあります。マクリントックとストロングの百科辞典(英文)はこの小さな白い石について解説し,こう述べています。これが「何を指すかは色々に言われ,ギリシャの法廷で用いられた無罪放免の小石とも,またギリシャで選挙の時に投げられた賽であるとも,あるいは大祭司の胸板につけられた石,また石の上に書く習慣とも言われてきた」
石の上に書くという考えについて,古代ギリシャおよびローマ人の間には友情のしるしとして白い石を用いる習慣がありました。その石は二分されて,各々がその半分に自分の名前を書きその半分を交換しました。どちらの半分が提示されても,それは友情を証し,まさかの時には助けが与えられることを確証するに十分なものでした。そして,後の世代の人々にとつてさえも効力があつたのです。このようにして,分けられた石は身分証明および友情のしるしとなりました。
黙示録 2章17節にある新しい名は,特に『ヱホバの証者』という名前を指しているとは思われません。なぜですか。一つには,これがサタンと世に勝つた報いとしてキリストの体の成員に与えられるという事に注意して下さい。従つて,これは第一の復活によつて彼らが報われるときに受けるものに適用されるので,外のものに適用されません。これは同じ章そして次の章に述べられている報い,たとえばキリストと共に位に坐すること,生命の冠を与えられること,諸国民を治める力を与えられることなどと一致しているものです。さらに,それを受ける者の外は誰も新しい名を知らないのです。
ゆえに,黙示録 2章17節に述べられている新しい名は親しい関係という地位を指しているように思われます。この地位は第一の復活に与る人々だけが持つもので,他の人が持ち得ないものであり,そのうえ,勝利を得て天的の報いを受けるまでは勝ちを得る人々自身でさえもが知らないものです。
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その時そして今ものみの塔 1958 | 1月1日
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その時そして今
1832年のこと,英国で選挙法改正案が通過し,牧師でラグビーの校長アーノルド博士はこう述べました。『英国教会はいま何の力もないから救うことはできない』1957年に出版された本,『キリスト教の新しい試練』の中でパウロ・ハツチンソンは述べました。『英国の新教の教会 ― この中には自由教会ならびに英国教会を含めるが ― に関して最も驚くべき事実とは,その大部分がもつ空虚さである』
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