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読者からの質問ものみの塔 1971 | 12月1日
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を啓示したのです。それは預言者たちを奮い動かすものであり,彼らは話さずにはおれませんでした。預言エレミヤが「忍耐につかれて堪難し」と語ったとおりです。―エレミヤ 20:9。
エホバの霊がそれら預言者に臨んで『能力を満たした』とき,彼らは非常なことを行なっただけでなく,その表現や挙動は感情の強烈さを反映するものだったに違いありません。自分自身のことを考えてみてください。何か楽しい,あるいは憂慮すべき重大なニュースを知って,他の人に話す場合,たいてい話し出さないうちに,「様子がいつもと全然違うのですが,どうしたのですか」と尋ねられるのではありませんか。
ですから,『預言者のようにふるまった』という表現は,預言者たちの異常な話し方,もしくは挙動を示唆しているようです。彼らは自分の使命の遂行に全く専念し,その点で熱心かつ大胆だったので,そのふるまいは時に他の人びとにとって奇異に,また無分別にさえ見えました。たとえば,エヒウに油を注いで王に任命した預言者は,軍の頭たちにとって気が狂っているように見えました。しかし,その男が預言者であることを知るや,彼らはその音信を真剣そのものの態度で受け入れました。―列王下 9:1-13。
サムエル前書 18章10節(新)には,ダビデが立琴をひいたとき,サウルは『預言者のようにふるまった』とありますが,だからといって,サウルが預言を述べはじめたわけではありません。彼は,預言を述べる直前,もしくはその最中の預言者のように,身体的動揺を表わしたのです。そうした異常な動揺した状態に陥ったサウルは,ダビデめがけて槍を2度投げつけました。
後に,サウル王がダビデを捕えるため使者をナヨテに派遣したところ,それらの使者も『預言者のようにふるまい』だしました。つまり,預言をする直前,もしくはその最中の預言者のしぐさに類する挙動をしたのでしょう。神の霊がそれらの使者たちに働いて,その使命をすっかり忘れさせてしまったようです。―サムエル前 19:20,21。
その後,みずからダビデを追跡しようとして出かけたサウルも『預言者のようにふるまう』ようにさせられ,衣服を脱ぎ,「其一日一夜裸体」で横たわりました。その間にダビデはのがれたようです(サムエル前 19:22–20:1)これは預言者たちがしばしば裸で歩いたという意味ですか。そうではありません。預言者が裸で現われた例はわずか2度しかないからです。それはイザヤとミカの例で,ふたりともそれぞれの預言のある面を表わすという明確な目的をもって裸で歩きました。(イザヤ 20:2-4。ミカ 1:8-11)サウルが裸になった理由は述べられてはいませんが,それは王者の衣服を脱がされたサウルがエホバご自身の王権や権能に逆らっては無能な一介の人間にすぎないということを示すためだったとも考えられます。ダビデにかかわる神の目的に反する事がらに関するかぎり,サウルが首尾よく事を運べるという見込みはありませんでした。
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科学と聖書は一致しますかものみの塔 1971 | 12月1日
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科学と聖書は一致しますか
科学的な知識は年々増加しています。事実,科学の教科書はわずか2,3年で時代おくれになりますから,百年前の教科書があるとすれば,それはあやまりで満ちていることでしょう。きのうの重大な発表も,明日は単なる空論として片付けられることがあります。
では,その大半が3000年以上も昔に書きしるされた聖書についてはどうですか。聖書はそれ自体は純然たる科学書ではありませんが,科学的な事柄にまさしく触れている場合,その記述は時代おくれですか。それとも最新の知識と合致しますか。
ご自分で事実をお調べになってはいかがですか。「聖書は現代科学に反する本だ」と人々が言うのをお聞きになったことがあるかもしれません。しかし,そうした人は,聖書中の科学的な事柄に触れている箇所がまちがっていることを実証しましたか。
確かに,人は事実を知らねばなりません「聖書はほんとうに神のことばですか」と題する啓発的な手引きをお読みになれば,事実を学べます。この本は「神が偽ることのできない事柄」と題する416ページの本とともにわずか300円のご寄付です。送料は当方が負担いたします。
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