解放を待つ国民
バビロンに捕われていたユダヤ人は,とくに70年の満ちたいま,自らを解放するために反逆すべきでしたか。なぜ?
エホバが出来事の時を定めるならば,その成就を妨げ,あるいは延ばし,あるいは早めようとしても,それは空しいことです。この事を示す一つの例は,バビロンに捕われていたイスラエルの場合に見られました。その捕われが70年に及ぶことは,預言者エレミヤにより神から告げられていました。そこで時期尚早に解放を目ざしてバビロンを倒そうと図るのは無駄なことです。それとは反対に,神の言葉は,バビロンに住んで家庭を持ち,安らかに住み,神の解放の時を待つことを,イスラエル人に告げていました。70年が満ちた時でさえも,彼らはバビロンを滅ぼすために立ち上るべきではなく,解放のために戦ってはなりません。彼らを解放するのは神です。そのために神が用いる器は,捕われのイスラエル人ではありません。―エレミヤ 29:4-10。
ユダヤ人の忠実な残れる者にとって,神をまち望むにはなぜ信仰と忍耐が必要でしたか。
信仰と共に辛抱と忍耐が必要でした。バビロンに奴隷となったイスラエル人の多くは自分たちの国の行なった悪を悔い改めていました。バビロンにいた彼らのまわりで始終行なわれていた,堕落した悪鬼の崇拝は,彼らを嫌悪させました。神の真の崇拝をエルサレムに復興することは,イスラエルの大きな願いでした。しかしバビロンは捕われ人を解放しないことで知られ,バビロニア人はイスラエル人を,嘲笑しました。―詩 137:3,4。イザヤ 14:17。
ユダヤ人の解放に役割をはたした国々は,そうすることによって神とその民に仕えようとしたのですか。説明しなさい。
解放をもたらすのはエホバご自身であるゆえに,解放にむかって事を運ぶのはエホバです。興味深いことにエホバは,異教を奉ずる異邦人がその利己的な目的を追求するのを許しながら,なおかつ彼らがエホバの目的をはたすようにされました。しかもその目的は定められた時に成就したのです。
バビロンの世界支配をおびやかす
(イ)ダニエルの預言書の8章によれば,何がダニエルに啓示されましたか。(ロ)バビロンの占めていた地歩を考えるとき,この幻に関してどんな疑問が生じますか。
神は預言者ダニエルに幻を見させ,バビロンを征服する神の器としてメデア・ペルシャが用いられること,ついでマケドニアすなわちギリシャ帝国がペルシャを倒すことを示しました。(ダニエル 8:2-22)しかし不滅であるかに見える強力なバビロンをおびやかす事態は,神の導きによってどのように生じましたか。
どんな出来事があってのち,ナボニドス王はリデア帝国およびエジプトと同盟しましたか。
カルデア人の軍隊の長であったネブカデネザルは,紀元前633年,アッシリアの首都ニネベを滅ぼしたメデア人とスキト人か加わっています。この事に注目しなければなりません。2年後にメデア人の王はアッシリア軍をハランに敗ってメソポタミア北部をとり,一方バビロン王はメソポタミア渓谷地方を治めました。ペルシャ湾の東にあるペルシャの領土はメデア帝国に従属しましたが,その王たちはエラム州を領有し,アンシャンあるいはアンザンaに首都を置いていました。興隆しつつあったこの勢力の侵略を恐れて,バビロンのナボニドス王は,その治世のはじめにリデアおよびエジプトと同盟を結びました。
(イ)バビロン,メデア,ペルシャの国々の間でどんな婚姻関係がむすばれましたか。(ロ)メデアとペルシャはどのように併合されましたか。ペルシャ帝国はどこまで版図を拡大しましたか。(ハ)これら出来事は,バビロンにとってどのように脅威となりましたか。いまや支配権のどんな交代が起きも知れませんか。
アンシャンを治めた王クロス1世にカンビセス(1世)と名づけられた息子があり,彼はメデアの王アスタゲスの娘マンダーヌと結婚しました。(ネブカデネザルもまたアスタゲスの娘を妻に迎えています)カンビセス1世の息子クロス(2世)は,父の後を継いでアンシャンの王となりました。クロス2世はアスタゲスに反逆し,一戦も交えずに紀元前550年,メデア人の首都エクバタナを占領し,更にメデア帝国を降そうと西方に進撃して,リデア帝国の東境にまで達しました。ついでリデアの富んだ王クロイソスを紀元前546年に破って,ペルシャ帝国をエーゲ海とヘレスポントすなわちダーダネルスまで拡大しています。今やバビロンの辺境がおびやかされることになりました。クロスがバビロンを征服するならば,中東におけるセム人の支配を終わらせ,アーリア人すなわちペテから出た人種の支配を確立することになります。
(イ)これよりもほとんど200年前,イザヤは何を預言しましたか。(ロ)イザヤとミカは,シオンとバビロンをどのように預言的に対比させていますか。
バビロンにいたエホバの民は,バビロンのくつがえされる経過や,事態の成行きを知ることができました。190年以上も前にエホバの預言者イザヤは,バビロンがメデア人,ペルシャ人の前に倒れることを預言していたからです。イザヤはエルサレムの滅びを正確に預言した預言者です。イザヤはニレオンとバビロンとを明白に対照させています。イザヤはエホバの組織シオンの救いを述べ,(イザヤ 12:6)ついでバビロンの事を述べています。「アモツの子イザヤに示されたバビロンについての託宣」。(イザヤ 13:1)同時代の預言者ミカも同様な預言をしました。「シオンの女よ……くるしみて産め汝は……バビロンにゆかざるを得ず彼処にて汝救われんエホバ汝をかしこにて汝の敵の手より贖ひ取りたまふべし」。(ミカ 4:10,文語)それでバビロンに対する託宣は,エホバ神のことばです。それによればバビロンからの解放をもたらすのはユダヤ人ではなくてエホバです。エホバはバビロンの敵に対して,攻撃開始の合図をします。
エホバは諸国をバビロンにむかわせる
(イ)イザヤ書 13章2,3節において,国々はどんな旗に集まることを求められていますか。(ロ)「きよめわかちたる者」はだれを指していますか。彼らに集まることを命じているのはどなたですか。(ロ)きよめられた者はどんな願いに動かされていますか。彼らは何を喜びますか。
「あなたがたは,〔遠くから見えるように〕木のない山に旗〔メデア・ペルシャ人の新世界強国〕を立て,声をあげて彼ら〔エホバの刑執行者であるメデア人とペルシャ人および他の国々の連合軍〕を招き,〔バビロンの門を攻めるように合図する〕手を振って彼らを貴族の門に,はいらせよ〔城壁に囲まれた町の人口を破り,町を占領せよ〕。わたし〔エホバ〕は聖別した者ども〔イスラエルにおいて兵士は聖別され,また異教の国においても,戦争を始める時には宗教儀式が行なわれた〕に命じ,わが勇士,〔多くの国々に怒りの杯を飲ませたバビロンをくつがえしたことに〕勝ち誇る者どもを招いた」― イザヤ 13:2,3。ヨエル 3:9。
(イ)イザヤ書 13章4,5節は,第4世界強国を支持して国々が集まることをどのように描いていますか。(ロ)集まったこの軍隊は,どのように「そのいきどほりをもらす器」となり,また「全国をほろぼ」しますか。
紀元前539年直前における世界の動きを見ているかのように,預言者イザヤは語っています。「山におほくの人の声きこゆ大なる民あるがごとし,もろもろの国民のよりつどて喧めく声きこゆ,これ万軍のエホバ〔エルサレムにあったその宮はバビロニア人に破壊された〕たたかひの軍兵を召したまふなり,かれらは〔バビロン帝国の外にある〕とほき国より天の極〔天の下にある遠い国々〕よりきたる,これエホバとそのいきどほりをもらす器〔バビロンに対する裁きを執行するエホバの器すなわちクロスの軍隊〕とともに全国〔世界強国バビロンのすべての土地〕をほろぼさんとて来るなり」― イザヤ 13:4,5,文語。
(イ)イザヤ書 13章6節から8節にあるようにバビロンに対してエホバの戦う時が近づいているのはなぜですか。(ロ)どのようにすべての手はたれ,すべての人の心は消え去りますか。(ハ)何がバビロニア人をおののかせ,彼らに産みの苦しみをさせますか。なぜ彼らはおどろき,その顔は焔のようになりますか。
イザヤは大胆な言葉をつづけています,「なんぢら〔バビロニア人〕泣叫ぶべしエホバの日ちかづき〔エルサレムの荒癈に対するエホバの,報復は近い(クロスがリデアを従えてのち,それはいっそう明白になった)〕全能者よりいずる敗亡きたるべければなり,この故にすべての手はたれ凡の人の心は消えゆかん〔クロスの軍隊に追われてバビロニア人は城壁の町々に逃げ込み,ナボニドス王はボーシッパに避難した〕かれらをののきおそれ艱難と憂とにせまられ〔彼らが諸国民に飲ませた敗北の杯を自ら飲むとき〕子をうまんとする婦のごとく苦しみ〔その敗北は急であり,信じられないものであるため〕互におどろき相みあいてその〔高慢な〕面は〔当惑で赤く〕焔のごとくならん」― イザヤ 13:6-8,文語。
イザヤ書 13章9節から13節の預言において,(イ)バビロンはエホバに対してどのように罪を犯しましたか。(ロ)天の光はバビロンに対してどのように消え去りますか。(ハ)バビロンはどのように高慢でしたか。神はどのように人間を精金よりも少なくしますか。(ニ)エホバの怒りにあって,天はどのようにふるい,地はその処を失いますか。
「視よ,エホバの日〔バビロンが苛酷であったように〕苛くしていきどほりとはげしき怒とをもて来りこの国をあらしその中より〔エホバの宮に対して罪を犯したバビロンの〕罪人を絶ち滅さん,天のもろもろの星と,ほしの宿は光をはなたず,〔それはバビロンにとって暗い日,暗い夜であり,世界強国バビロンをとりまく情勢は暗黒となるであろう〕日はいでてくらく月はその光をかがやかさざるべし〔バビロンがその征服者の前に倒れたのは実際に夜のことで,紀元前539年10月5日から6日にかけての晩であった〕われ悪しきことのために世をつみし〔バビロンに同様な報いを帰し〕,不義のために悪しきものをばっし驕れるものの誇をとどめ〔バビロンは神の至上権に敵対し,模型的な神の国を滅ぼしたことを誇った。バビロンは世界を永遠に治める力を持つものと自負したのである〕あらぶるもののたかぶりをひくくせん〔バビロンの支配者および将軍たちは,捕われのエホバの民に対し,横暴に振舞った〕われ人をして精金よりもすくなくオフルの黄金よりも少なからしめん〔高慢で横暴なバビロンの支配階級の一人といえども,当時まれな黄金のように,また珍重されたオフルの黄金のように見出すことは難しくなるであろう〕かくて亦われ万軍のエホバのいきどほりのとき,はげしき怒りの日に天をふるはせ〔バビロンの上の天すなわち悪鬼に支配されたバビロニア人が,メロダクなどの偽りの神々で満たされていると想像した天は,それを頼みとする者を救わない〕地をうごかしてその処をうしなはしむべし〔バビロニア帝国の地は世界強国としての地ではなくなり,ペルシャ帝国の単なる一つの州になる〕」― イザヤ 13:9-13,文語。
バビロンにとって苛酷な日
イザヤ書 13章14-16節から次の事を説明しなさい。(イ)バビロンにエホバの日が臨むとき,バビロンを支持していた他の国々は何をしますか。(ロ)バビロンに従いその支配を支持する者はどうなりますか。(ハ)みどり児が投げ砕かれ,婦人が犯されることは,どんな結果となりますか。
捕われのユダヤ人は,神の約束による救いを待ちながら,これらの出来事を目撃するに過ぎませんが,バビロンは倒れて,これを救う者はありません。イザヤはそのことを次のように描いています。「彼らは追われた,かもしかのように,あるいは集める者のない羊のようになって,おのおの自分の民に帰り,自分の国に逃げて行く。〔バビロンに加勢した他の国々はすべてバビロンを見捨てて逃げ,新しい世界強国となる征服者と新たな関係を結ぼうとする〕,すべて見いだされる者〔バビロンの側についてその支配を支持する者〕は刺され,すべて捕えられる者はつるぎによって倒され〔バビロンにつき従っている者は一掃される〕,彼らのみどりごはその目の前で投げ砕かれ〔こうして家系と家の名は滅び〕,その家はかすめ奪われ〔その富は征服者の手に帰し〕,その妻は汚される〔夫にではなく兵士に暴行され,家の名をつがない子をはらむ〕」― イザヤ 13:14-16。詩 137:8,9。
イザヤ書 13章17,18節から次の事を説明しなさい。(イ)メデア人が金銀をかえりみないのはなぜですか。(ロ)ペルシャ人の弓はどのように若者を射砕くことができましたか。彼らはどのように腹の実をあわれみませんか。(ハ)(注bを含む)イザヤはバビロンの征服者としてメデア人だけをあげていますが,これにペルシャ人も含まれると考えなければならないのはなぜですか。(ニ)(注c)イザヤの預言(13:18)がペルシャ人の弓について述べているのは,歴史的に見て正しいことがどのように示されていますか。
神は,バビロンをくつがえすにあたって指導的な役割をはたす人々の名を予め告げました。「見よ,わたしは,しろがねをも顧みず,こがねをも喜ばないメデアびとを起して〔メデア人とペルシャ人は金銀ではなくて征服することを求め,第3世界強国バビロンをくつがえすことを求めたのである。それで彼らに金銀を与えて征服を思いとどまらせることはできない〕〔メデアびとという語はペルシャ人を含むと考えられる(イザヤ 21:2-9〕)。d 彼らにむかわせる。彼らの弓eは若い者を射殺し〔射くだき,文語〕〔ペルシャ人の弓は金属製で,若者を射くだくことも可能であった〕,腹の実をあわれむことなく,幼な子を見て,惜しむことがない〔彼らは敵を滅ぼすことを心にかけているので,バビロニア人の腹の実をもあわれまない〕」― イザヤ 13:17,18。
(イ)イザヤ書 13章19節から22節によれば,エホバが,弓を持つメデア人とペルシャ人をおこすことは,どんな結果をもたらしますか。(ロ)バビロンは,アラブ人の放浪者と羊飼からどのように見られますか。
エホバの言われた通り,弓を持つメデア人がバビロニア人に立ちむかう時どうなりますか。エホバは次のことを言われました。「国々の誉であり,カルデヤびとの誇である麗しいバビロンは,神に滅ぼされたソドム,ゴモラのようになる〔火と硫黄による如き完全な滅び(創世 19:23-25)〕。ここにはながく住む者が絶え,世々にいたるまで住みつく者がなく,アラビヤびともそこに天幕を張らず,羊飼もそこに群れを伏させることがない〔そこは人の恐れるさびしい場所となる〕。ただ,野の獣がそこに伏し,ほえる獣がその家に満ち,だちょうがそこに住み,鬼神がそこに踊る。ハイエナはその城の中で鳴き,山犬〔新世訳では大へび。バビロンの神マルドウクを表わす龍すなわちサーラッシュではなく,荒地に住むへび〕は楽しい宮殿でほえる。その時の来るのは近い,その日は延びることがない」― イザヤ 13:19-22。
バビロンに対する神の刑罰を表わす荒廃は,バロンがクロスの前に倒れた時に臨みましたか。
このような荒癈は,世界にひろまった偽りの宗教の発祥地であり,ニムロデの時代にその基礎をすえて以来,神の敵であったバビロンに対してエホバ神が刑罰を下したことのあらわれと言えるでしょう。紀元前539年,バビンロンがメデア人とペルシャ人の手に陥ってのち,この荒廃の臨むまでに何世紀もの年月が経過するにしても,それを免れることはできません。
(イ)このすべての世界的な出来事が起きていたとき,バビロンにいたユダヤ人はそれに加担しましたか。なぜ?(ロ)昔おきたこれらの出来事は,クリスチャンにとってどんな保証になっていますか。(ハ)それはクリスチャンにとっての正しい行動の規範をどのように示していますか。
70年に及ぶユダヤ人の捕われの期間が終わりに近づくにつれ,バビロンの倒壊も近づきました。それでエホバ神に信仰を持ち,エホバ神の真の崇拝が確立されることを願ったユダヤ人は心を悩まさず,またバビロンに反逆して自らを解放するような,先走った行動をしませんでした。今日大いなるバビロンが存在しており,倒壊と恐るべき荒癈がそれに臨もうとしています。f しかし神のことばを読み,神の目的が定めの時に従って正確に成就してきたのを知る人は,大いなるバビロンが間近い将来に倒れて完全な荒癈に帰することを知っています。またそれを成し遂げるために力を用い,肉の武器を使うのが自分たちの務めではないことも知っているのです。それをするのはエホバと,見えない天の軍勢であり,そのようにして神に栄光が帰せられます。大いなるバビロンは,いま廃虚と化した古代バビロンと同じく永遠に滅びてしまうでしょう。そして清い崇拝は地にみち,大いなるクロス,イエス・キリストの支配は,その御国を喜ぶすべての人を全く解放するでしょう。バビロンに関するイザヤとエレミヤの預言は,本誌の後の号において更に論議されます。―黙示 18:21。
[脚注]
a 首都スサあるいはシュシャンの名をとって,古典地理学者はエラムをスジアナとも呼びました。
b 大英博物館古代西方アジア部長D・J・ワイズマンの論文「バビロンの終末」は,バビロニア文字を刻んだ石碑の発見について述べている。それはナボニドス王自らの記述で,王がバビロニアを治めた期間の出来事をしるしている。このハラン石碑の中で,バビロンのナボニドス王は紀元前546年にメデア人の王のことに言及している。それはクロス大王がメデア帝国を併合する何年か前であった。ゆえに預言者イザヤとエレミヤがバビロンの征服者を「メデア人」としているのは正しい。ダニエルの預言はメデア人ダリヨスの国のことを述べているが,それはバビロン滅亡後の,エクバタナを首都とする独立したメデアの国のことではない。ワイズマンの論文は,1957年11月25日付「今日のキリスト教」第2巻第4号に出ています。
c 「すべてのイラン人と同じく,ペルシャ人の主要な武器は弓であった。ゆえにベイヒストーンの岩や貨幣に刻まれた王の肖像は,弓を持つ王を示している。弓のほかに,ペルシャ人は短い槍と短剣を携えた。しかしペルシャ人の勝利はこれらの武器あるいは白兵戦によって得られたのではない。彼らは矢を射かけて敵を圧倒した。そして敵の接近を許さなかったのである。歩兵が射るためにひざを折るとき,騎兵は敵を囲んで隊列を混乱させ,彼らを敗走させた。突撃の場合に歩兵は槍や短剣を使ったかも知れないが,肝要なのは,矢を射る者が自由に動き弓を使うのを妨げられないことであった」― ブリタニカ百科事典1911年版第21巻207頁。
d 大英博物館古代西方アジア部長D・J・ワイズマンの論文「バビロンの終末」は,バビロニア文字を刻んだ石碑の発見について述べている。それはナボニドス王自らの記述で,王がバビロニアを治めた期間の出来事をしるしている。このハラン石碑の中で,バビロンのナボニドス王は紀元前546年にメデア人の王のことに言及している。それはクロス大王がメデア帝国を併合する何年か前であった。ゆえに預言者イザヤとエレミヤがバビロンの征服者を「メデア人」としているのは正しい。ダニエルの預言はメデア人ダリヨスの国のことを述べているが,それはバビロン滅亡後の,エクバタナを首都とする独立したメデアの国のことではない。ワイズマンの論文は,1957年11月25日付「今日のキリスト教」第2巻第4号に出ています。
e 「すべてのイラン人と同じく,ペルシャ人の主要な武器は弓であった。ゆえにベイヒストーンの岩や貨幣に刻まれた王の肖像は,弓を持つ王を示している。弓のほかに,ペルシャ人は短い槍と短剣を携えた。しかしペルシャ人の勝利はこれらの武器あるいは白兵戦によって得られたのではない。彼らは矢を射かけて敵を圧倒した。そして敵の接近を許さなかったのである。歩兵が射るためにひざを折るとき,騎兵は敵を囲んで隊列を混乱させ,彼らを敗走させた。突撃の場合に歩兵は槍や短剣を使ったかも知れないが,肝要なのは,矢を射る者が自由に動き弓を使うのを妨げられないことであった」― ブリタニカ百科事典1911年版第21巻207頁。
f 大いなるバビロンおよび現代におけるイザヤの預言の最終的な成就についてくわしくは,「大いなるバビロンは倒れた! 神の国は支配する」および1949年10月1日号「ザ,ワッチタワー」291-299頁,「それは思ったよりも近い」「この世に臨んだエホバの日」をごらん下さい。(いずれも英文)
[249ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
エレミヤ時代(647-607B.C.)のバビロニア帝国とそれに対立した諸帝国
(黒海)
ビザンチウム
ギリシャ
アテネ
イオニヤ
ルキヤ
キリキヤ
タルソ
キッテム
カフトル
地中海
キレネ
リビヤ
エジプト
ノフ
ナイル川
テーベ
紅海
リデア帝国
サルデス
(カスピ海)
メデア帝国
アララテ
(バン湖)
ガウガメラ
エクバタナ(アクメタ)
アラビア
テマ
ガザ
エルサレム
ツロ
ダマスコ
カルケミシ
ハラン
ユフラテ川
バビロン
エレク
ウル
昔の海岸線
チグリス川
(ペルシャ湾)
スサ
エラム
ペルシャ
[252ページの図版]
ダリウス王時代のペルシャの射手