エホバは預言を必ず成就させる
人間はどの程度まで,出来事を預言できましたか。それに従った人々はどんな結果になりましたか。
人間は情勢を分析して預言をしようとします。預言することは事実行なわれてきましたが,人間の預言はばくぜんとしており,大体を述べるだけで,詳細を述べることができません。また全く正確で信頼できる預言があったためしもありません。それを信じてそれに従った人は,多くの場合みじめな目にあいました。
(イ)真実の預言をできるのはどなただけですか。それはなぜですか。(ロ)エホバが預言する理由は何ですか。またエホバはどのように預言を成就させますか。
真実の預言をできるのはエホバだけです。エホバは,人間の心のみならず,出来事に関係のある要素は生命のあるものも無いものも一切を完全に理解しているからです。また預言の成就となるようにすべての事を動かすのに必要な力と能力をお持ちになっています。エホバはその民がエホバのお目的を知るように,預言をされます。そして目に見えない強力な天使の組織を用い,また何者も抵抗できない聖霊すなわち活動力を用いて,預言のことばを成就させます。それでエホバは,どんなことがあっても必ず預言が成就するようにされるのです。エホバはご自身のよいお目的を成しとげ,しかもご自身の正義の原則をまげることなく,そのことをされます。
エルサレムに施行された裁き
(イ)どんな理由で,エホバはエルサレムとユダの荒廃を預言されましたか。(ロ)バビロニア人はエルサレム自体に何をしましたか。(ハ)彼らは宮の器物をどうしましたか。彼らは契約の箱を持ち去りましたか。
昔のエルサレムに警告を与えるため,また今日の私たちの益のためにも,エホバはその預言者によってエルサレムの滅びとユダの荒廃を預言され,その詳細を告げられました。エホバは時をたがえずに世界強国の王を器として用い,これらの預言を成就させました。この裁きが定められた理由およびエルサレムの包囲によってどのように裁きが施行され始めたかについては,以前の号の中にとりあげました。遂にバビロニアの軍隊は,ユダのゼデキヤ王の11年,第4の月の9日にエルサレムにはいり,第5の月アブの10日(紀元前607年8月2-3日)には宮と宮殿,町の石壁を破壊しました。目撃者の一人エレミヤは,バビロニア人が宮の銅の柱と巨大な銅の水盤,「青銅の海」を砕いたことを述べています。彼らはまた金,銀,銅の器を持ち去りました。十戒を刻んだ2枚の石板を入れた黄金の契約の箱はその時すでになかったようであり,従って異教徒の手には落ちませんでした。―エレミヤ 52:12-14,17-23。
エホバは,エゼキエル書 9章6-8節に預言された裁きをどのように施行されましたか。
神はまたエゼキエル書 9章6節から8節の預言通り,汚れた宮の不忠実な祭司たちの上にも裁きを臨ませました。「侍衛の長は祭司長セラヤと次席の祭司ゼパニヤと三人の門を守る者を捕え,また兵士をつかさどるひとりの役人と,町にいた王の側近の者七人と,その地の民を募る軍勢の長の書記官と,町の中にいた六十人の者を町から捕え去った……バビロンの王は,ハマテの地のリブラで彼らを撃ち殺した。こうして,ユダは自分の地から捕え移された」― エレミヤ 52:24-27。
バビロニヤ人は,「エホバの油そそがれた者」に対して何をしましたか。ダビデの王統を尊重した人々はその事をどう感じましたか。
執行者は残酷であり,ユダヤ人のつかさを片手だけでつり下げるような事をしました。彼らはシオンのただ中で婦女に暴行しました。彼らはゼデキヤ王の息子たちを王の目の前で殺し,彼をバビロンに連れ去りました。ゼデキヤはバビロンで死にます。王に対するこの仕打ちは,ダビデの王統を尊敬する人々を打ちのめしてしまうかに見えました。「かの我らが鼻の気息たる者エホバにあぶらそそがれたるものはおとしあなにて執へられにき,是はわれらが異邦にありてもこの蔭に住んとおもひたりし者なり」― 哀歌 4:20,文語。
ダビデとの契約はなお効力をもつ
バビロンに捕われていた間,王統はどのように保たれましたか。
エホバは預言の通りに裁きを施行されましたが,ダビデとの不変の契約をお忘れになったのではありません。それで約束のシロの出る王統の一人が生きながらえるように,配慮されました。それはゼデキヤのおいエホヤキンで,彼は紀元前617年,捕えられてバビロンに連れて行かれていました。バビロンにおいて,エホヤキンはシャルテル,マルキラム,ペダヤ,セナザル,エカミア,ホシヤマ,ネダビヤという息子たちをもうけました。このうちシャルテルはゼルバベルの父とされています。ゼルバベルはペルシャの支配の下にユダの総督となり,復興されたエルサレムに宮を再建した人です。―歴代上 3:15-19。エズラ 3:2,8。マタイ 1:12。ルカ 3:27。
アロンの祭司職の家系も,同じくどのように保たれましたか。
同様にしてエホバは,大祭司セラヤの殺された時にもその子ヨザダクが生き残り,バビロンに捕えられて行くように配慮されました。(歴代上 6:14,15)彼にはエシュア(あるいはヨシュア。七十人訳イエス)と名づけられた息子があり,このエシュアは復興されたエルサレムに宮を再建するにあたってゼルバベルに協力しました。このようにしてダビデの家系も,大祭司アロンの家系も断えることなく,イエス・キリストが地上に現われるまでつづいたのです。―エズラ 3:2。ネヘミヤ 12:26。ハガイ 1:1。ゼカリヤ 3:1。ルカ 3:1,2。
エルサレムの陥落後,土地はすぐに荒廃しましたか。
侍衛の長ネブザラダンは,土地の貧しい人々の一部をあとに残し,ぶどうを作る者および強制労働に従事する者としました。そしてシャパンの子であるアヒカムの子ゲダリヤをその人々の上に立てました。(列王下 25:12,22)しかしエホバは,「エルサレムを荒塚とし,山犬の巣とする。またユダの町々を荒して,住む人もない所とする」とすでに告げられていました。(エレミヤ 9:11; 4:7; 6:8; 26:9; 32:43; 33:10,12。ゼカリヤ 7:5,14)エホバはどのようにしてこれを成就させますか。
(イ)エレミヤは,ユダの荒廃に関するその預言の成就を,どのようによく見ることができましたか。(ロ)総督のゲダリヤはどうなりましたか。その後人々は,エレミヤを通して与えられたエホバの助言をどう見なしましたか。(ハ)残った者は逃れてどこに行きましたか。そこでエホバの裁きの執行を免れることができますか。
やはりその人々と共に留まることを許されたエレミヤは,王家に属するエリシャマの子ネタニヤの子であるイシマエルが,共にいた人々と共にゲダリヤを暗殺し,ミダからアンモンに逃げ去ったことを報じています。残された人々の指導者たちは,エホバの導きを祈り求めることをエレミヤに願い,その結果,ネブカデネザル王のしもべとしてユダの地に留まるようにと告げられました。しかし人々はこのすすめを受け入れず,エレミヤとその書記バルクをも連れてエジプトに下り,タパネス,ミグドル,ノフ(メンピス)およびパテロスの地に住みました。(エレミヤ 41:1–44:1)しかしそこでも神の裁きを逃れることはできません。エホバは,エジプトのパロ・ホフラをその敵の手に渡すと彼らに告げられたからです。―エレミヤ 44:2-30。エゼキエル 29:17-20; 30:22-26とくらべて下さい。
70年間は野獣の住みかとなる
(イ)エホバの安息の律法は,いま土地の上にどのように施行されましたか。(ロ)その施行の時期は,どのように注目に値しますか。
第7の月チスリあるいはエタニムすなわちグレゴリー暦で紀元前607年の10月1日頃,人々のこの動きによって,ユダの地は人と家畜の住まない荒れた地となりました。ここでエホバの預言の成就の時に注目しなければなりません。「国中のすべての住民に自由をふれ示」すため,ラッパを吹いたのは,第7の月エタニムの10日,贖罪の日であったからです。それは神から与えられた土地の安息の始まりでした。(レビ 25:8-22)それで不従順なイスラエル人が守らなかった安の息の年すべてに代わるものとして,そのとき以来つづく安息の年は,1年の適当な時期に始まったことになります。比喩的に言って,土地は安息の年の完全な数すなわち70年のあいだ安息を享受することになりました。それは住む人のない,そして通りすがりの人の忌む荒れはてた土地になります。後日に書かれた次の記録は,ご自身のみことばを成就させるエホバの力を立証しています。
歴代志略下 36章は,ご自身のことばを成就させるエホバの力をどのように証明していますか。
「カルデヤ人の王を之に攻めきたらせ給ひければ彼……神の室をやきエルサレムの石垣をくづし……また剣をのがれし者等はバビロンにとらはれゆきて彼処にて彼とその子等の臣僕となりペルシャの国の興るまでかくてありき 是エレミヤの口によりて伝はりしエホバの言の応ぜんがためなりきかくこの地遂にその安息を享たり即ち是はその荒れをる間安息して終に七十年満ぬ」― 歴代下 36:17-23,文語。ダニエル 9:1,2とくらべて下さい。
(二つの節)ヨセハスは,カルデヤの歴史家ベロサスの言葉を引用して,ユダヤ全土が70年間さばくのような状態にあったことを,どのように裏づけていますか。
エルサレムの荒廃に関して,西暦1世紀のユダヤの世俗の歴史家フラビウス・ヨセハスが書いたものは,聖書のことばを裏づけています。
彼〔紀元前3世紀のカルデヤの歴史家ベロサス〕はノアの子孫の系図を書いており,ノアから始まってバビロニア人およびカルデヤ人の王ナブラザルに至る系図を書き加え,あわせて王の偉業をしるしている。それによれば,彼はその子ネブコドノゾルの率いる大軍をエジプトとユダヤにさしむけた。その地において反逆の報を聞くや,彼は人々を征服し,エルサレムの宮に火をはなち,我々の国民全部を捕えてバビロンに連れ去った。その後我々の町は,ペルシャ王クロスの時代に至るまで70年のあいだ荒廃したのである。―アピオンに答えるユダヤ人古代史について,エパフロダイタスへ。第1巻36部。
ユダの土地は,サマリヤの地が捕われた時とは異なるどんな扱いを受けましたか。
これがヘブル人の国民の最後であった。彼らはユフラテ河を二度越えた。十支族の人々は,ホセア王の時代にアッシリア人の手によってサマリアから連れ去られた。その後,エルサレムが占領された時に残った二支族の人々は,バビロンおよびカルデヤの王ネブカデネザルによって連れ去られた。シャルマネセルについて言えば,彼はイスラエル人を彼らの国から移し,かつてペルシャおよびメディアの奥地に属したクテ人の国の人々をそこに植民させた。この人々はその植民した国の名に従ってサマリヤ人と呼ばれた。しかし二つの支族を連れ去ったバビロンの王は,彼らの土地に他の国民を住ませなかった。それゆえにユダ,エルサレム,宮は,70年の間荒廃したままであった。―ユダヤ人古代史,ウイストン版。第10巻9章最後の節。
(イ)70年にわたるユダの荒廃を,紀元前626年から数えることができないのはなぜですか。(ロ)70年の期間を紀元前617年から数えることができますか。説明しなさい。
では預言されたユダとエルサレムの70年にわたる荒廃は,何時から数えるのですか。それはエホヤキム王の3年にあたる紀元前626年ではありません。そのときバビロンに捕われていたユダヤ人はいなかったからです。エホヤキムの第9年すなわち紀元前620年においてさえも,彼はバビロン王の進貢者となったに過ぎません。その治世の11年目すなわち,紀元前618年に,エホヤキムは反逆し,ネブカデネザルから攻められました。a エホヤキムの11年目が終わる直前に,その息子で王位継承者のエホヤキンは3カ月と10日のあいだ治めただけで,当時町を包囲していたネブカデネザルに降服しました。ネブカデネザルは,エホヤキンの代わりとして,そのおじゼデキヤをエルサレムの王にしました。ゼデキヤの治世第1年が始まったのは,紀元前617年ニサンの1日(春)です。(列王下 24:12-18)従ってこれは荒廃ではなく,比較的小人数すなわち3023人のユダヤ人とその妻子の捕われに過ぎません。―エレミヤ 52:28。
荒廃は何時始まって終わったか
(イ)預言された70年は,紀元前607年,太陰暦7月のエタニムになって初めて,数え始めることができます。それはなぜですか。(ロ)ユダが荒廃したとすれば,その後になって更にユダヤ人が連れ去られたことを述べたエレミヤ記 52章30節をどのように説明できますか。
エホヤキム王がネブカデネザルに反逆したとき,また後にゼデキヤがその治世の終わり頃,誓いを破ってネブカデネザルに反逆した時に,国民がバビロンに捕われたという事はできません。それで70年間バビロンに全く捕われることは,残った人々がエジプトに下り,土地が全く荒廃した紀元前607年エタニムの月になってようやく始まったのです。その時エルサレムの王を失った,一国民としてのユダヤ人のバビロン捕囚が始まりました。この捕われは,とぎれることなく70年のあいだ続きます。(ダニエル 9:1,2)エレミヤ記 52章30節に述べられている745人のユダヤ人は,荒廃したユダの地から連れ去られたのではなく,後にエホバの象徴的な杯であるネブカデネザルが,ユダの国と境を接した国々に苦杯をなめさせ,それらを征服した時に捕えられた人々です。―エレミヤ 25:17-29。
(イ)70年の期間が,紀元前607年に始まったことを証明する,他のどんな証拠がありますか。(ロ)土地が70年の安息を得るようにするため,エホバはどのようにその預言を成就させましたか。
荒廃が終わるのは何時ですか。それは紀元前537年,ペルシャ王クロスがユダヤ人の残れる者を解放し,彼らがバビロンを離れて,ユダの土地に再び住むことを始めた時です。この年は,世俗の歴史の記録からも確定できます。ユダの地の荒廃は70年前の紀元前607年に始まりました。サマリアを占領したアッシリアの王と異なり,ネブカデネザルはユダの地に植民を行ないませんでした。エホバは奇跡的な手段によって預言を成就させ,ユダの土地は全く荒廃して,預言された通り70年の安息を得ることになりました。―歴代下 36:21-23。
捕われの11年目にあったエゼキエルに,その預言を変化させるどんな知らせがもたらされましたか。
はるかかなたのバビロニアにいたエゼキエルは,バビロンに捕われて11年目に滅びのことを聞きました。それはネブカデネザルの軍隊が凱旋してくる以前のことに違いありません。エゼキエルは次のように述べています。「第十二年,〔ある計算によって〕の十月五日に,エルサレムからのがれてきた者が,わたしのもとに来て言った,『町は打ち破られた』と」。(エゼキエル 33:21)それ以後エゼキエルは,70年の荒廃の終わりにおける復興について預言することができました。―エゼキエル 36:1から37:28。
荒廃がもたらされたことは,エホバとその預言者エレミヤを喜ばせましたか。
エホバはご自身の預言を成就させましたが,この出来事はエホバと忠実な預言者エレミヤにとって喜びを与えるものでしたか。そうではありません。エホバはエレミヤを霊感して,エルサレムの悲しむべき状態を描いた聖書の本エレミヤ哀歌を書かせました。
エレミヤ哀歌は,エルサレムの没落に関してエホバとエレミヤの気持ちをどのように示していますか。
「ああ哀しいかな古昔は人のみちみちたりし此都邑いまはさびしき様にて坐し,やもめのごとくになれり……その仇は首となり……そのとがの多きによりてエホバこれをなやませたまへるなり,そのわかき子等はとらはれて仇の前にゆけりシオンの女〔都〕よりはその栄華ことごとく離れされり」― 哀歌 1:1-6,17; 2:13; 5:16-22。文語。
(イ)エホバは悲しんで,ダビデとの契約を無効にしましたか。(ロ)シオンの敵はどのように「かしら」となりましたか。
しかし神のみ名を負い,しかもエホバに罪を犯したために苦難を受けた民のこの悲しむべき状態も,エホバの契約を無効にすることはなく,そのお目的を妨げることはありません。紀元前607年,たしかにシオンの敵は「首」となり,シオンにあった「エホバの位」はくつがえされました。模型的な神の国は過ぎ去りました。模型的な神の国が地上から姿を消したいま,異邦人すなわち非ユダヤ人の国民が妨げを受けることなく世界を支配することができました。神の許しによって,異邦人は意のままに支配しました。
神の国は何時までも覆えされていない
(イ)紀元前607年,預言的な意味をもつどんな長い期間が始まりましたか。(ロ)エホバはなぜこの事を悲しまれませんでしたか。(ハ)いまどんな疑問が生じますか。
エホバ神はなぜ悲しまなかったのですか。紀元前607年,ユダヤ人の7月に「異邦人の時」すなわち「諸国民の定められた時」が始まったにしても,それは当時覆えされた神の国の権威を持つ者シロが来る時までつづくに過ぎないからです。その時神は,彼に位,王のかぶりものと王権を与え,彼の敵である諸国民すなわち異邦人の只中で治めさせます。しかし王となるダビデの子は何時位につくのですか。天の永遠の王はその時を定めました。そしてこの時を預言し,霊感によってみことばの中にそれを記録させています。またその預言を必ず成就させます。「異邦人の時」の長さについては,次号の「ものみの塔」にとりあげます。―創世 49:10。ルカ 21:24。エゼキエル 21:25-27。詩 110:1-6。
(イ)きたるべきエホバの王に関する預言は,預言者の時代よりも初期クリスチャンの時代に,どのようにいっそう確実なものとなりましたか。(ロ)使徒ペテロはそのことをどのように述べていますか。
預言者イザヤ,エレミヤ,エゼキエルおよびダニエルは,その当時,エホバの数多くの預言の成就を見ました。それで出来事を預言すると共に,その預言のことばを必ず成就させるエホバの力を確信していました。従ってこれらの人々が霊感を受けて書いたものをも含め,権威を持つ者に関する預言およびこの者が来てエホバの位に座し,王権を行使する事を述べた預言は,使徒たちや第1世紀のクリスチャンにとっていっそう確かなものでした。彼らはこれらの預言者の預言の成就をしるした記録を持ち,また一部の預言についてはその成就を自ら目撃したからです。ペテロはこの確信を次のように述べています。「こうして,預言の言葉は,わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも,夜が明け,明星がのぼって,あなたがたの心の中を照すまで,この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして,それに目をとめているがよい」― ペテロ後 1:19。
(イ)今日の私たちは,どのようにいっそう確信を強めることができますか。(ロ)神のことばの預言が成就することは,なぜ,確実ですか。
使徒時代から19世紀を経た今日の私たちは,1世紀のクリスチャン以上に確信を持つことができます。なぜならば,以来きわめて多くの預言が成就しているからです。権威を持つべき者は,諸国家の手から世界主権を完全にとりあげ,それを永遠に保持して全世界の人々を祝福します。ペテロが言葉をつづけているように,私たちは次のことを心に留めなければなりません。「聖書の預言はすべて,自分勝手に解釈すべきでないことを,まず第一に知るべきである。なぜなら,預言は決して人間の意志から出たものではなく,人々が聖霊に感じ,神によって語ったものだからである」。預言の与え主である全知の神は,それを成就させる全能者でもあります。―ペテロ後 1:20,21。
[脚注]
a これはネブカデネザルの第8年に起きました。その年は紀元前618年ニサンの1日から617年アダルの29日(春から春)にわたります。エホヤキンと他のユダヤ人が連れ去られた時までには,ネブカデネザルの第9年が始まっていました。(紀元前617年ニサンの1日)― 歴代下 36:9,10。