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「御心が地に成るように」(その18)ものみの塔 1959 | 9月15日
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する手を差しのべて行う仕方に頼つたのではありません。それは民主主義的な方法です。しかし,パウロの指示に従つて行われた任命は,神権的な方法でした。彼はクリスチャン統治体の中で霊感を受けた一員です。(テトス 1:5)それで,使徒行伝 14章23節のギリシャ語の聖句は,神権的な任命を否認する民主主義的な方法,または,会衆の方法と正しく解釈することはできません。
38 地上におけるヱホバの生ける聖所にとつて,なぜ民主主義的な方法は正しい方法ではありませんか。しかし,地上で忠実に奉仕することに対して,聖なる者たちはどのように報いを受けますか。
38 ヱホバの御名の民になるため新しい契約の中にいる霊的なイスラエル人は,彼の『聖なる者』です。彼らは,彼が御霊によつて住みたもう生ける聖所をつくり上げます。彼らは『岩』であるイエス・キリストと彼の12使徒の上に組織されねばなりません。それは神権的な取り極めと一致するものであり,民主的な方法ではありません。民主的な方法は,下の人々によつて制度の支配がされることで,人々を力と権威の源と見なすことです。神権的な方法は,上から下に制度を支配する,つまり最高者から下にくだつて制度を支配することです。それは,聖なるもので成り立つヱホバの生ける『聖所』にとつて,清い平和にみちた,有能な仕方です。彼らはヱホバの証者として地上で奉仕するために組織され,それは祝福の道です。彼らは死にいたるまで忠実に奉仕することにより,天にいるイエス・キリストと共に支配するでしよう。かくして,彼らが神により油注がれて入つた御国の契約は,成就されるでしよう。
第8章
反対の『小さな角』
1 ベルシャザル王の最初の年にダニエルの受けたまぼろしは,なぜその年に時機にかなつて与えられましたか。それは,どのようにダニエルに影響しましたか。
無残にも打ちのめされてから,遂にはこの緑の全地を支配する永遠の御国が与えられる ― これは予言者ダニエルの見たまぼろしの中で見られるごとく,最高の神の聖なる者たちの異常な経験と言えます。バビロンの世界強国の光輝は,まさに消えかかろうとしていました。カルデヤ王朝の最後の王は,世界政府の王座についていました。それはバビロンの王ベルシャザルの最初の年でした。第三次世界勢力であるバビロンが終る年に,ダニエルが夢とまぼろしを見たことは,過ぎ行く世界強国と幾部分か関係を持つものです。それですから,バビロンの高い王朝が亡びる前に,その夢がダニエルに送られることは時機にかなつた適当なものでした。ダニエル,ゼルバベル,そしてユダヤ人の大祭司エシュアのごときヱホバの聖なる者たちの残れる者は,バビロンに捕われて奴隷になつていました。その夢と,その夢についての御使いの短い解明は,ダニエルをたいへん驚かせました。彼の顔色は変りました。しかし,今日までの過去2500年間,歴史上の事実は解明されてその夢についての解釈は殆ど完成しています。しかし,極めて劇的なある部分は将来に成就されるでしよう。それで,ダニエルがそれ程までに驚いた理由もなる程とうなづけます。
2,3 その恐ろしい夢について,ダニエルはどんな描写をしましたか。
2 ダニエルは,その恐ろしい夢を次のように描写しました。
3 『私は夜の幻のうちに見た。見よ,天の四方からの風が大海をかきたてると四つの大きな獣が海からあがつてきた。その形は,おのおの異なり,第一のものは,ししのようでわしの翼をもつていたが,私が見ていると,その翼は抜きとられ,また地から起されて,人のように二本の足で立たせられ,かつ人の心が与えられた。見よ,第二の獣は熊のようであつた。これはそのからだの一方をあげ,その口の歯の間に,三本の肋骨をくわえていたが,これに向かつて「起きあがつて多くの肉を食らえ」と言う声があつた。その後私が見たのは,ひようのような獣で,その背には鳥の翼が四つあつた。またこの獣には四つの頭があり,主権が与えられた。その後,私が夜の幻のうちに見た第四の獣は,恐ろしい,ものすごい,非常に強いもので,大きな鉄の歯があり,食らい,かつかみ砕いて,その残りを足で踏みつけた。これは,その前に出たすべての獣と違つて,十の角を持つていた。私が,その角を注意して見ていると,その中に,また一つの小さい角が出てきたが,この小さい角のために,さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ,この小さい角には,人の目のような目があり,また大きな事を語る口があつた。』― ダニエル 7:2-8,新口。
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円熟に向って進歩するものみの塔 1959 | 9月15日
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円熟に向って進歩する
韓国では,伝道者を必要とする場所がたくさんあります。一姉妹の報告によると,京城からチェジュ島に移つて小さな会衆内で会衆の伝道者として働いたとき,京城の大きな会衆にいたとき程はやく円熟しないだろうと心配しました。後になつて,その姉妹は次のような手紙を書いてきました,すなわち小さな会衆では前よりも集会に参加する回数が多くなり,京城にいたときより集会の割当てはずつと多くなりました。おかげで前よりもずつと早く進歩して,いまでは開拓奉仕をさえしています。―1959年のヱホバの証者の『年鑑』より
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