この時代にかかわるダニエルのことばを聞きなさい
「すると彼は続けて言った,『ダニエルよ行け。これらのことばは終わりの時まで秘密にされ,封じておかれるからである』」― ダニエル 12:9,新。
1 預言者ダニエルのことばはいつ人間に理解されることになっていましたか。わたしたちはなぜとくに特権に恵まれていると感じますか。
預言者ダニエルは,わたしたちがいま住んでいる重大な時代の到来を預言しました。この時代にかかわる預言的な意味に富んだダニエルの預言書は,今日のクリスャンに対する力と励ましの源泉です。彼らは,この「終わりの時」にかんするダニエルの驚くべき幻と預言に心を打たれます。そうです,「終わりの時」ということばはこれに,つまりダニエルの記録に由来しているのです。ダニエルは,その預言の成就にきわめて深い関心を抱いていたので,そのことにかんし,神の御使いに尋ねました。御使いがダニエルに告げたところによると,その成就は「終わりの時」まで秘密にされ,封じておかれます。そしてわたしたちはまさにその終わりの時に住んでいるのです。彼の預言書が人間に理解できるようになった現在,もしダニエルが生きていたならば,どんなに感動したことでしょう。また彼の預言のことばが最高潮を迎える歴史のこの時点に達したのをどんなに歓喜したことでしょう。したがってわたしたちは,ダニエル自身さえ知りえなかった事柄を理解する大きな特権を考え,この時代にかかわる彼のことばを調べることに大きな喜びをもたねばなりません。―ダニエル 12:4,8,9,新。
2,3 ダニエルがバビロンにきたいきさつを述べなさい。ダニエルは彼とその友だちが長くバビロンにいるようになるということを,何から知りましたか。
2 この預言者はどんな人でしたか。ダニエルはおもにバビロンで預言をしるしました。彼は,王宮に仕えるための特別訓練を受けるべく選ばれたある人々とともに,ネブカデネザル王によりバビロンに連れて行かれました。ダニエルとともにいたのは,ハナニヤとミシャエルとアザリヤでしたが,ネブカデネザルは彼らの名前を,わたしたちになじみの深い,シャデラク,メシャク,アベデネゴという名前に変えました。ユダの支族の者であったこの4人は,14歳から18歳くらいまでの若者だったようです。―ダニエル 1:1-7。
3 彼らはバビロンの奴隷でした。そしてダニエルは,彼らが長期間,流刑の身でいなければならないことを知っていました。彼は,エルサレムが紀元前607年に破壊されるよりも前にバビロンにきていました。そしてこの事件のあと,ユダの全土が70年間荒廃することを知りました。なんと長いあいだ故国を離れていなければならないのでしょう。―ダニエル 9:1,2。エレミヤ 29:10。
神の国樹立の幻
4,5 バビロンの王ベルシャザルの第1年にダニエルはどんな幻を得ましたか。そして天の法廷が開かれるのをどのように描写しましたか。
4 歳月は流れて,世界強国バビロンの栄光が永久に消え去る日は近づいていました。世界支配の位にいたのは,カルデヤ人の王たちのバビロニア王朝の最後の王でした。それはバビロンの王ベルシャザルの第1年でした。(ダニエル 7:1-8)この年にダニエルが床にあって見た夢と脳中に得た幻は,恐ろしい獣によって象徴された世界強国の興亡と関係がありました。第4の恐ろしい獣から目を転じたとき,預言者ダニエルは,わたしたちの時代と重要なかかわりもつ,天におけるひとつの場面の幻を与えられました。
5 「我みつつありしに遂に宝座を置列ぶるありて 日の老たる者 座を占めたりしがその衣は雪のごとく白く その髪毛は漂潔めたる羊の毛のごとし またその宝座は火の焔にして……彼の前より一道の火の流わきいづ 彼に仕ふる者は千々 彼に侍る者は万々 審判すなはち始りて書を開けり」― ダニエル 7:9,10。
6 (イ)日の老いたる者とはだれですか。天で法廷が開かれるこの幻はいつ成就しますか。(ロ)どんな書が天の審判者の検閲を受けますか。なぜですか。
6 なんと驚くべき幻でしょう。天で審判が行なわれています。場面は,西暦1914年以降のわたしたちの時代です。この期間に諸国民のさばきが行なわれます。まもなくエホバ神は,ダニエルが描写した凶暴な獣によって表わされる国々に刑を執行されます。日の老いたる者はほかならぬエホバ神です。西暦1914年の秋以来,異邦人の支配した「七つの時」のあいだに諸国民がつくった数々の書,すなわち記録が開かれています。その凶悪な記録は,偉大な審判者の検閲を受けます。「諸国民の定められた時」は終わりました。(ルカ 21:24,新)諸国民はこれ以上,地に対する主権を借用する資格をもちません。それでこの歴史上重大な時に,ダビデ王の永遠の相続者が王として即位する時がきました。
7 (イ)日の老いたる者の前に立つ天使の幻にわたしたちはなぜ驚きますか。(ロ)この幻は,神の民,とくに監督や補佐のしもべたちにとりどんな励ましになりますか。
7 1億もの天の御使いが日の老いたる者の前に立ち,彼の正しい判決を聞いて喜ぼうと待ちかまえている光景を頭に描いてごらんなさい。最高の審判者の前に立つ1億の天使にはまったく驚くでしょう。考えてみれば,100万の天使が仕えるだけでもたいへんなことです。このようにいく百万という天使を扱うには大変な技術を要するにちがいありません。どのようにして一度にそのすべてを見,またそれだけの数の天使を扱うことができるのでしょうか。エホバ神がおひとりでこれらの天使すべてを扱われる仕方は,わたしたちの想像を絶するものがあります。なんと偉大な,なんとすばらしい組織者でしょう! 1億の天使が神と交渉をもち,ひとりびとりが自分の仕事を割り当てられているのです。このことは,今日目に見えるエホバの組織内にいる人々に強い励みを与えるはずです。この偉大な組織者は,ご自分の民が御国のわざを組織するのを助けることができます。そしてさらにわたしたちは,それらの仕える天使たちが,まさかの時にわたしたちを助け,またわたしたちが御国伝道のわざを成し遂げるように援助してくれる,という確信をもつことができます。天の兄弟であり,日の老いたる者の前に立つこれらの天使と,わたしたちは一緒に働くようにしなければなりません。―箴言 16:3。ヘブル 1:14。
8 ダニエルはつぎにだれが日の老いたる者の前に行くのを見ますか。何が彼に与えられますか。
8 しかしいまやダニエルは胸のおどる光景を見ます。「我また夜の異象の中にみてありけるに 人の子のごとき者 雲に乗て来り日の老たる者の許に致りたればすなはちその前に導きけるに これに権と栄と国とを賜ひて諸民 諸族 諸音をしてこれに事へしむ その権は永遠の権にして移りさらず またその国は亡ぶることなし」― ダニエル 7:13,14。
9 (イ)「人の子」とはだれのことですか。なぜそう言えますか。(ロ)詩篇に預言されていることと一致して,どんな時が到来しましたか。
9 この神の法廷に導かれたのはだれですか。それは「人の子のごとき者」でした。しかしこれは天における場面ではありませんか。そうです,しかし,ここの「人の子」ということばは,神の天の子が地上の人間となり,イエス・キリストとして知られていたときを指します。今彼は天の栄光に高められています。しかしやはり「人の子」という称号をもっています。これは彼が,地上における忠実な歩みによって得たものです。この幻の中でダニエルは,「人の子」,すなわち主イエス・キリストを見ます。(マタイ 25:31)彼が日の老いたる者の前に現われて,全地を治める御国の契約にしたがい,正当に彼に属するものを求めうる時はついにきました。(詩 110:1-6)目に見えるものにせよ,霊的なものにせよ,すべての証拠は,イエス・キリストが,『もろもろの国を嗣業として受け,地の極てまでご自身の所有として与えられて』,ダニエルの幻が成就したことを示しています。(詩 2:8)今はなんとすばらしい時代なのでしょう。イエス・キリストは現在,御国の権を与えられ,王として支配しておられるのです。
崇拝の問題をめぐる試み
10 クリスチャンは今日とくにどんな問題に直面しますか。それに打ち勝つ助けとなるどんな模範がありますか
10 神の国が天に建てられたからには,クリスチャンであることを公言する人すべてが直面する問題は重大です。彼らはだれを崇拝しますか。御子をとおして王として支配される至高者エホバを崇拝しますか。それとも人間が作った神々や偶像を崇拝しますか。(黙示 11:15,17; 13:11-18)クリスチャンをして偶像崇拝に決して屈服しないという決意をさせるものは,ダニエルの3人の友,シャデラク,メシャク,アベデネゴが残した忠実の模範です。彼らは依然として奴隷でしたが,バビロン州の事務をつかさどる任務を与えられていました。すべてのエホバのしもべは,ついには信仰の試みに直面しなければなりません。サタンは,それらの忠実なエホバの証人が,崇拝の問題をめぐって王と正面衝突するように策略をめぐらしていました。
11,12 (イ)ネブカデネザル王はどんな像を立てましたか。彼はどんな目的をもっていたと思われますか。(ロ)王の伝令者はどんなことをふれ告げましたか。
11 ネブカデネザル王は,大きな金の像を立てました。(ダニエル 3:1-3)それは9階建てほどの高さの厚さ3メートル近くもあるしろものでした。それから王は,その像の落成式に臨ませるため,長官,知事,参議,庫官,法官,刑官,諸州の高官たちを召集し始めました。それにしても彼はなぜそのような高価な金像を立てたのでしょう。歴史によると,ネブカデネザル王はたいへん宗教心の厚い人物でした。バビロンの年代記は,彼の軍事活動よりもバビロンの神々の崇拝と宗教にかんする活動により多くの注意を向けているほどです。この宗教心の厚い王が,ここドラの平野で,その世界帝国を,崇拝の点で一致させようとしたことは疑えません。聖書はこの像の名前を示していませんが,それは,王の好む神マルドークをたたえるために建立されたのかもしれません。すべての者に宗教的な感情をもたせようと考えたのか,王はある音楽を奏させました。王の伝令者は,王の命により大声に呼ばわって言いました。
12 「諸民 諸族 諸音よ汝らはかく命ぜらる汝ら喇叭 簫 琵琶 琴 瑟 篳篥などの諸の楽器の音を聞く時は俯伏しネブカデネザル王の立たまへる金像を拝すべし すべて俯伏し拝せざる者は即時に火の燃る炉の中に投こまるべしと」― ダニエル 3:4-6。
13 3人のヘブル人が彼らになしうるぎりぎりのところまで国に従ったことについて説明しなさい。
13 3人のヘブル人は,集まれとの王の命に服従して,ドラの平野に現われました。しかしこのダニエルの3人の友はどうするでしょうか。彼らは他の者たちと集まるという,彼らになしうるぎりぎりのところまで行きました。しかしひれ伏して拝そうとはしませんでした。全員がこの儀式に参加することをネブカデネザルがあれほど望んでいたにもかかわらず,この3人はそれに参加しようとしなかったのです!
14 (イ)エホバの民がいまの時代にも同様の事態に直面するのはなぜですか。(ロ)悪魔が今日においても,3人のヘブル人になしたと同様の過激な手段を用いることが予期されるのはなぜですか。
14 エホバの忠実なしもべたちは,今日でも同様の事態に直面します。黙示録 13章は,神の天の御国が建てられたことを述べる前章につづいて,「獣」と獣の「像」の崇拝について語り,かつこの偶像崇拝がなんらかの仮装を施されて,全世界に押し広められることを告げています。したがって問題は今日でも同じです。それはエホバ神の崇拝か,それとも偽りの神々の崇拝かということです。また今日の悪魔の目的も以前と同じで変わっていません。彼はすべての者が彼らの仕事と生活を犠牲にして偶像崇拝に加わるよう強制しています。悪魔は極端で,過激な手段を用います。その非道な努力は,黙示録 12章17節で言及されています。それによると象徴的な竜は,イエス・キリストの真の追随者たちに戦いをいどみます。
15 現代においても,崇拝の問題が大きな問題であることについて述べなさい。神に忠実を保つためのどんな励ましがありますか。
15 エホバの証人は30年まえ,ナチス・ドイツで,この激烈な崇拝の問題に直面しました。かぎ十字に向かって手をあげ,ヒトラー万歳と言わない者はみな強制収容所に送られて虐待されました。今日では,鉄のカーテンの背後の国が,口頭による伝道,印刷物による伝道のいかんを問わず,建てられた神の国の伝道を禁じています。共産主義国の不敬虔な要求にひれ伏すことをせず,良いたよりの伝道をやめなかったために,幾年かのあいだに何千人というエホバのクリスチャン証人が投獄されました。多くの国で国家主義の問題が表面化しました。国家は神にのみ属する崇拝を自分に要求します。こうした危機にさいしてクリスチャンの助けとなるのは,きわめて恐ろしいおどしにもかかわらず,エホバへの専心の献身を守りとおした,3人の忠実なヘブル人のりっぱな模範です。
16,17 ネブカデネザルは,3人のヘブル人が金の像を拝さないと聞いてどんな反応を示しましたか。
16 今日,支配者や役人たちの中には,全市民に,国家または自分たちの宗教の神々を拝するよう要求する者がいます。そうした人々と同じように,ネブカデネザルも,シャデラク,メシャク,アベデネゴがひれ伏さないと聞いたとき,たいへん怒り,取り調べを命じました。そこで彼らはネブカデネザルの前に引き出されました。激怒した第三世界強国の王の前に立って,つぎのように尋問されるところを想像できますか。「シャデラク,メシャク,アベデネゴよ 汝ら我神事へず また我が立たる金像を拝せざるはこれ故意にするなるか」。(ダニエル 3:13,14)他のことにおいては彼らは申し分のないしもべでした。なぜ今になって独立行動をとり,このちょっとしたことをしようとしないのですか。『ただひれ伏せばいい。わたしがお前たちに要求するのはただそれだけのことた』。ネブカデネザルは彼らにもう一度機会を与えるつもりでした。
17 「汝らもし何の時にもあれ 喇叭 簫 琵琶 琴 瑟 篳篥などの諸の楽器の音を聞く時に俯伏し 我が造れる像を拝することをなさば可し 然ど汝らもし拝することをせずば 即時に火の燃る炉の中に投こまるべし 何の神か能く汝らをわが手より救ひいだすことをせん」― ダニエル 3:15。
事前に決意をかためておくことの益
18 3人のヘブル人はどうするかを決意するのになぜ時間をかける必要がありませんでしたか。そして王になんと答えましたか。
18 彼らは決意をするのに少しの時間もかけませんでした。決意はすでにできていました。彼らは幼いときからだれに仕えるかを知っていました。シャデラク,メシャク,アベデネゴは即座に答えました。「ネブカデネザルよこの事においては我ら汝に答ふるにおよばず もしよからんには王よ 我らの事ふる我らの神 我らを救ふの能あり 彼その火の燃る炉の中と汝の手のうちより我らを救ひいださん 仮令しからざるも王よりたまへ 我らは汝の神々に事へず また汝の立たる金像を拝せじ」― ダニエル 3:16-18。
19 (イ)忠節にかんする試みを通過したいと願う今日のクリスチャンは何をすべきですか。(ロ)今日のわたしたちには,多くの場合,3人のヘブル人になかったどんな道が聞かれていますか。(ハ)現代にも,その3人のヘブル人に似たどんな忠実の模範がありますか。
19 彼らが行なえと命ぜられたのは明らかに崇拝でした。わたしたちの時代には,この問題はそれほど明白でなく,明示されることもありませんが,何らかの形で存在します。今の時代の試みに忠実に耐えるにも,真のクリスチャンは自分の歩む道をやはり前もって決めておくべきです。国の象徴や国家をたたえる歌に対して,彼らはどんな立場にありますか。3人の忠実なヘブル人は,ネブカデネザルの像の前に出なければなりませんでしたが,今日の献身したクリスチャンは,多くの場合,困難な事態を避けるよう手を打つことができます。しかしどうしても避けられなくて,神のしもべが偶像崇拝か,エホバに対する忠実かの二者択一を迫られるとき,真のクリスチャンは,他の神々に妥協してひれ伏すことを拒む場合のおどしがいかに恐ろしいものであっても,シャデラク,メシャク,アベネゴと同じく,妥協してはなりません。何年か前,アフリカのある国で,大勢のクリスチャンが大会で静かに集まっていたところ,武装した兵隊が踏み込み,彼らを政府の建物に連行して彼らが国家の象徴に敬礼することに同意するまで,そこで彼らを打ちたたき,侮辱し,ごう問しました。敬礼をするか,死ぬか,二つにひとつの道しかないように見えました。エホバに頼って,妥協しなかった人々はエホバの豊かな祝福を得ました。ちょうどダニエルの時代の忠実なエホバの証人の場合のように,彼らは迫害者の手から解放されました。―出エジプト 20:4,5。コリント前 10:14。
20 3人のヘブル人が火の燃える炉に投げ込まれたあと何が起きました。
20 そのヘブル人たちが火の燃える炉に投げ込まれたあと,ネブカデネザルは恐ろしいものを見ました。事実,ダニエルはネブカデネザルがあわただしく立ち上がり,大臣たちにつぎのように言ったと伝えています。「我らは三人を縛りて火の中に投いれざりしや……今我見るに四人の者なはめ解て火の中に歩みをり すべて何の害をも受けず またその第四の者の容は神の子のごとし」。(ダニエル 3:24,25)それから彼は,火の燃える炉の口に近より,大声で呼びました。「至高神の僕シャデラク,メシャク,アベデネゴよ 汝ら出きたれ」― ダニエル 3:26。
21 3人のヘブル人の忠実な態度は結果として並み居る者すべてにどのように大きな証言となりましたか。
21 彼らが出てきたとき,すべての者は,火も彼らの身を害する力がなく,彼らの頭の毛1本も,そして彼らの衣服さえ焼けていないのを見ました。それどころか火のにおいさえついていなかったのです。試みに耐えた彼らの忠実さは,並み居る者はいうにおよばず,王に対してさえ,大きな証言となりました。この経験から明らかに衝撃を受けた王は感動して言いました。「シャデラク,メシャク,アベデネゴの神は讃べきかな 彼その使者を遣りて 己を頼む僕を救へり また彼らは自己の神の外には何の神にも事へず また拝せざらんと王の命をも用ひず 自己の身をも捨んとせり……かくのごとくに救を施す神他にあらざればなり」― ダニエル 3:28,29。
22 (イ)根本的な問題は,今日もダニエルの時代と同じであることについて述べなさい。(ロ)試みはほとんどの神のしもべのうえに臨むのであれば,どんな道をとることは賢明ですか。
22 彼らと同じように,今日のエホバの証人も妥協することはできません。ある国では彼らは御国の良いたよりを,地下にもぐって伝道しなければなりません。またある国では,前途のわざに備えて力を得るためにひそかに集まります。彼らは法をよく守るクリスチャンですが,エホバへの忠節が関係する問題に直面するときには,国家主義的な支配者の粋狂や命令に屈服することはできません。今日のエホバの民も,ダニエルの時代と同じく,『だれを崇拝するか』という問題に直面しています。この試みは,遅かれ早かれ,ほとんどのクリスチャンの上に臨みます。前もって堅い決意をしている人は,忠実をまっとうする望みがあります。したがって試みに直面するまで問題を延ばすよりも,いまその決意をしておくのはよいことです。昔のこの忠実な人の記録は,なんと時機を得たものでしょう。他の神々の崇拝を拒否した者たちにエホバ神がもたらした結果を見ることは,今日の忠実な神のしもべたちにとって大きな励ましと言わねばなりません。
預言的な木の夢
23 死の8年余り前,ネブカデネザルはどんな夢を見ましたか。ダニエルはその解き明かしにおいて何と言いましたか。
23 ネブカデネザルは,その死の8年余り前のある晩,恐ろしい夢を見ました。魔術師だったバビロンの祭司たちはだれも,その解き明かしを王に示すことができなかったので,ダニエルが王の前に呼び出されました。この世界の大統治者は彼に言いました。「我が夢に見たるところの事等を聞きその解明を我に告げよ」。(ダニエル 4:9)それは大木の夢で天からくだったひとりの天使は,それを切りたおせと命じました。切り株は鉄と銅のなわをかけられたまま,「七の時」が過ぎるまで,野の草の中に置かれます。夢の中の天使は言いました。「その心は変りて人間のごとくならず獣の心を禀て七の時を経ん」。しかしこの夢は何を意味しましたか。その解き明かしも同じほどネブカデネザル王を驚かせましたか。ダニエルのことばに耳を傾けてください。「汝が見たまひし樹……是はすなはち汝なり」― ダニエル 4:10-22。
24,25 (イ)ネブカデネザルには何が起きることになっていましたか。なぜですか。(ロ)どんな時に木の夢は彼に成就しましたか。どのように?
24 このことばが,そのあとのダニエルの説明を注意深く聞くネブカデネザルの関心をどんなに高めたか想像してごらんなさい。ダニエルの説明によると,彼は王位を追われて野に行き,牛のように草を食べます。しかし,かの二重に縛られた切り株のように,彼の国は,彼がその卑しめられた状態で「七の時」を過ごすまで,彼のために保たれます。その時はじめて彼は正気にかえり,いと高き神が最高の支配者で,ご自分の欲する者に人間の国を与えられるということを告白させられます。1年後その夢はネブカデネザルのうえに実現しました。それは彼が,壮大な町と,「世界の七不思議」のひとつであるバビロンのつり庭とを望みながら王宮の屋上を歩いていたときでした。彼はその栄光を眺めながら大いに心に高ぶり,誇らかに言いました。「この大なるバビロンは我が大なる力をもて建てて京城となし これをもてわが威光を耀かすものならずや」― ダニエル 4:29,30。
25 ネブカデザルがそのことばを言うか言わないうちに天から声があって,木の夢は今彼の上に成就すると言いました。彼はそのとき直ちに狂気にとりつかれ,野に出て牛のように草を食い,7年のあいだそこにいました。その期間の終わりに彼は正気に帰り,いまや彼は,自分ではなく,いと高き神にほまれを帰しました。この夢と,ネブカデネザルの身に起きた直接の成就とは,20世紀にまでおよぶ預言的なものでした。
26 (イ)紀元前607年のエルサレムの崩壊とともに,支配権のどんな移行が生じましたか。(ロ)木と縛られた切り株とは何を表わしましたか。
26 ネブカデネザルが神の模型的なイスラエル王国を滅ぼしたとき,支配権は,勝利を収めた異教の世界強国に移りました。今後は異邦諸国が,模型的な仕方にせよ,エホバ神の国のいかなる干渉をも受けずに,「七の時」が終わるまで地を支配します。神の国による世界支配を表わす木はなわで縛られ,その切り株は地の中に残されました。これは最初に世界を支配されたかたが,永久にその支配権を手放されるのでない,ということを象徴しました。切り株が縛られたことは,木が枯れておらず,その根はふたたび芽を出すよう定められていることを保証しました。
27 (イ)ネブカデネザルの狂気の振舞いは何を象徴しましたか。(ロ)聖書の示すところによると,預言的な7つの時の長さはどれだけですか。どの時代にまでおよびますか。
27 預言的に言って,神の国は異邦人の支配するその「七の時」のあいだ,木の切り株のように低くされた状態にあります。文字どおりの7年が経過するあいだのネブカデザルの狂気の獣的な振舞いは,異邦人の支配者たちが,その世界支配の期間中いかに獣的に振舞うかを表わしました。聖書の示すところによると,異邦人の支配の「七の時」の長さは,2520年間で,紀元前607年から西暦1914年,そうです,この20世紀まで続きます。
28 象徴的な7つの時の終わりに何が生じましたか。エホバが諸国家の存続をなおしばらく許しておられるのはなぜですか。
28 1914年,神はその象徴的な木からなわを取り除き,主イエス・キリストを立てて,彼に世界の支配権を付与されました。神の国は今や支配します。異邦人の列強が残存するのは,ひとえにエホバの寛容によります。というのは,神は神の国の再建直後の年々に諸国家を拭い去ることができたからです。気づいていても,いなくても,異邦諸国が今日支配しているのは,ひとえに神の許しによります。エホバは,あらゆる国の羊のような人々が,この事物の体制から,ハルマゲドンで国々が滅びるまえに出てこられるように,諸国家の存続をなお数年許しておられるのです。