第8章
「終わりの時」における定めの日
1 「終わりの時」にはどんな時間的区分がありますか。
「終わりの日」にはそれ自身の終わり,あるいは終局があります。その大団円は「苦難の時」に到来しますが,それに等しい事態は諸国民が今だかつて経験したことも,また二度と経験することもありません。問題の「終わりの時」にはある定めの日があります。それは,「至上者に属する聖なる者たち」すなわち天でイエス・キリストと分け合うよう定められている,霊によって生み出された,キリストの弟子の残されている最後の者たちに直接かかわりのある期間です。これらの「日」は非常に重要な意味を帯びており,遠い昔,年老いた預言者ダニエルに告げられるだけの価値がありました。―ダニエル 7:25。
2 「聖なる者たち」を迫害する諸国民は最終的にどうなりますか。
2 ダニエルは自分の記した預言の書,11章の後半で,現在の二十世紀を預言的に指し示し,民主的,保守的,資本主義的な国家集団と非資本主義的な国家形態との互いに譲らぬ抗争を描いています。それら両方の国家集団は共に,今日エホバのクリスチャン証人として知られている,霊によって生み出された,エホバ神の「聖なる者たち」の残りの者たちを迫害してきました。(イザヤ 43:10-12; 44:8)ダニエルは11章の終わりで,霊によって生み出された証人たちの残りの者が無神論的な「北の王」により最終的に攻囲される状況を預言的に描き,次いでこう述べます。「彼は自分の終わりに至らねばならない。彼を助ける者はいない」。世界支配をめぐってこれに対抗する政治的敵手,民主的な「南の王」もその終わりに至ります。彼を助ける者も,救う者もいません。―ダニエル 11:45。
3,4 ミカエルおよび「[ダニエルの]民の子ら」とはだれのことでしたか。
3 「北の王」と「南の王」両者の完全な滅びはどのように生ずるのでしょうか。エホバの預言に関係を持つみ使いは,それを次のようにダニエルに説明しました。「また,その時の間に,ミカエルが立ち上がる。あなたの民の子らのために立つところの大いなる君である。そして国民が生じて以来その時に至るまで臨んだことのないような苦難の時が必ず臨む。そして,その時の間に,あなたの民,書に記されている者はみな逃れ出る」― ダニエル 12:1。
4 ものみの塔協会の他の出版物の中で確証されているように,西暦前六世紀当時,ダニエルの民の子らのために立ち上がった天の大いなる君ミカエルとは,主イエス・キリストとなられた神のみ子のことです。(ダニエル 10:13,21。ユダ 9。啓示 12:7)その当時におけるダニエルの民の子らとは,バビロンを去って,エルサレムおよびそこにエホバの神殿を再建したイスラエル人の忠実な残りの者たちでした。
5 『大いなる君ミカエル』は今やだれのために立ちますか。
5 今日のダニエルの民とは,メシア ― ダニエルはその出現を予告した(9:24,25)― を退けた,肉の割礼を受けたイスラエル人のことではなく,今日の霊的イスラエル人の残りの者,つまりこの二十世紀に霊によって生み出された,エホバのクリスチャン証人のことです。栄光を受けたメシア・イエスは,それら霊的イスラエル人のために,再び天の『大いなる君ミカエル』として立ち上がり,その霊的な残りの者のためにご自分の力と権威を行使されます。その行動が発端となって,「国民が生じて以来その時に至るまで臨んだことのないような苦難の時」が突如として到来するのです。
6 だれが来たるべき「苦難の時」に生き残りますか。
6 この空前の「苦難の時」は,イエスが啓示の書で述べておられる「大患難」のことであり,イエス・キリストの予告された西暦70年のエルサレムの滅びはその例証となりました。(啓示 7:14。マタイ 24:21,22)今や終局を迎えようとしている「終わりの時」は,この「大患難」をもって大団円になります。前例のないその「大患難」また「苦難の時」の間に,象徴的な「北の王」と「南の王」は滅びを免れません。しかし滅びを逃れる他の者たちがいます。それはだれですか。今日のダニエルの民,霊的イスラエル人の残りの者,すなわち「書に記されている者はみな」です。(マラキ 3:16とヘブライ 12:23参照)さらに,啓示 7章9-17節は,ダニエルの神を崇拝し,メシア・イエスを信じる「大群衆」が霊的残りの者と共に生き残ることを保証しています。神はご自分の忠実な崇拝者たちの記録を保たれるのです。
7,8 死者は永遠の命へと,あるいは恥辱へと目覚めます。どのようにですか。
7 わたしたちの前には何と壮大な前途が開けることでしょう。人類史上類例のないその「苦難の時」が過ぎ去った後,メシア・イエスすなわち『大いなる君ミカエル』の手中にある,神の世界政府の下で死者の復活が始まります。み使いがダニエルに告げるところによると,それが物事の順序です。ダニエルは次にこう述べています。「また,地の塵の中で眠る者のうち目覚める者が多くいる。この者は定めなく続く命へ,かの者は恥辱へ,またいつまでも定めなく続く憎悪へと至る」― ダニエル 12:2。
8 それら地の以前の住民が生前どのような行動を取ったかは,メシアの世界政府の下に置かれる地上での当初の立場に当然影響を与えます。しかしその後は,この千年期の世界政府の下にあって彼らが自分の生き方をどのように調整するかが問題で,楽園の地で永遠の命を受けるにふさわしい者として裁かれるか,恥辱と永久に続く憎悪の対象として永遠の滅びに値する者として裁かれるかはそれにかかっています。イエス・キリストはヨハネ 5章28,29節で,復活してくる死者に対するそうした可能性について話されたのです。
9 輝くどんな者たちが多くの人を義に導きますか。いつですか。
9 メシア・イエスすなわち『大いなる君ミカエル』と共に天の王国と支配権を与えられる,「至上者に属する聖なる者たち」のその時の立場と特権は,栄光に満ちたものとなります。この点に関してみ使いはダニエルにさらにこう述べました。「また,洞察力のある者は天空の輝きのように照り輝く。多くの者を義に導いている者たちはまたいつまでも,まさに永久にわたり星のように輝く」。(ダニエル 12:3)メシアの世界政府の下で義に導かれる者は,楽園の地で「定めなく続く命」を得ます。しかし,この「終わりの時」の現在でさえ,「至上者に属する聖なる者たち」は霊的洞察力を働かせており,それゆえに「大群衆」を義に転じさせる業に忙しく携わっているのです。その業は彼らに楽園の地における永遠の命を得させることを目的としています。―マタイ 25:46。
今や封印を解かれた書
10 わたしたちの時代はなぜ聖書預言に関する啓発の時ですか。
10 わたしたちは今日,多くの人を義に導いている者たちの中に,あるいは,とこしえの命の約束を与える義へ導かれている者たちの中に入っているでしょうか。そうであれば,自分たちが恵まれた時に住んでいることを認識するはずです。異邦人の時の終了した1914年以来,わたしたちは「終わりの時」に住んでいます。それは霊的啓発の増し加わる時,ダニエルの預言をも含め,説明の与えられていなかった聖書預言の多くがわたしたちの思いと心に開かれる時です。わたしたちの時代は,み使いがダニエルに次のように述べて指し示した時なのです。「そして,ダニエル,あなたは終わりの時までこれらの言葉を秘し,この書を封じておくように。多くの者が行き巡り,真の知識が満ちあふれる」― ダニエル 12:4。
11 ダニエル 12章4節に預言されている『多くの行き巡る者』とはだれですか。
11 今日,幾十億もの人々は速い現代の種々の交通機関を使って絶えず敏速に動き回っています。しかしそうした人たちが,ダニエル 12章4節で予告されている「多くの者」ではありません。第一次世界大戦の終わった1918年以後,「行き巡り」始めた国際聖書研究者は「多く」いました。『行き巡る』といってもどのようにですか。ダニエルの預言をも含めて,聖書預言を深く研究することにより,つまり知力の面で行き巡るのです。久しく秘められていた神の言葉の秘義が解き明かされようとしていました。そのため,それら霊的な意味で『行き巡る者たち』は,今や封印を解かれた神の言葉の書に関する「真の知識」を自分たちのために「満ちあふれ」させました。彼らは利己的な態度を取ることなく,この「真の知識」を口頭で,あるいは印刷物を通して広めています。神の世界政府の下での永遠の命を願う人すべてがその知識に基づいて行動し,その結果義に転ずるようになるためです。―啓示 22:17。
12,13 み使いはその預言がどれ程の「時」に及ぶと誓いましたか。
12 ダニエルの幻に現われたみ使いの一人は,わたしたちの関心をも引き起こす次の質問をしました。それをダニエルと共に聴くことにしましょう。「驚くべき事柄の終わりに至るまではどれほどか」。つまり,ダニエルの見たこれら前兆となる事柄がその成就の終わりに至るまでにはどれ位の期間があるかということです。その質問に対する答えは別のみ使いによって与えられます。彼は両手を挙げて誓い,自分の答えが真実であり,信頼できることを保証します。ダニエルはこう述べています。
13 『彼はその右手と左手を天に挙げ,いつまでも定めなく生きておられる方にかけて誓いながら,こう言った。「それは,定められた一時,定められた二時,そして半時の間である。聖なる民の力を打ち砕くことが終了する時に,これらすべてもその終わりに至る」』― ダニエル 12:5-7。
14 「聖なる者たち」はなぜ「小さな」角の手に渡されましたか。
14 この三時半の『定められた時』がダニエル 7章25節に述べられている三「時」半と同じ期間に相当すると考えるのは道理にかなっています。後者の「時」あるいは「年」の間,苦しみに遭った「至上者に属する聖なる者たち」は,第四の『野獣』の頭にある,目と口を備えた「小さな」角によって象徴される,第七世界強国の手中に渡されます。至上者がその期間ご自分の「聖なる者たち」を第七世界強国の手中に渡される目的は,「聖なる民の力を打ち砕く」ことです。至上者がそうした行動を許されることにより,至上者の宇宙主権につき従う「聖なる民」に対する,象徴的な「小さな」角(いえ,「第四の獣」全体)の敵意ある態度が白日の下にさらされるでしょう。
三時半の『定められた時』
15 その角の打ち砕く力はいつ無力になりますか。
15 三時半の『定められた時』あるいは太陰年の終わりは,「聖なる民の力を打ち砕くことが終了する」事態によって印づけられることになっていました。(ダニエル 12:7,新; 改訂標準訳; ロザハム; ヤング)これは言うまでもなく,エホバの「聖なる民」の力を打ち砕く政治的代理者の能力もその終わりに至る,そうする能力が効力を失うことをも同時に意味しています。ジェームズ・モファット博士の聖書翻訳が訳出している通りです。「それは三年と半年であって,神聖な民を打破する者の力が尽きる時,すべて[の事柄]の終わりが到来する」。(アメリカ訳,新アメリカ聖書も参照)このように,三年半の間打ち砕くことを行なった政治的代理者はその後も生き続けましたが,エホバの聖なる者たちの力を打ち破る能力は尽きてしまいました。打ち砕かれ,離散させられた「聖なる民」は再び集合して再組織を行ないます。二度と彼らの「力」が取り除かれることはありません。
16 「聖なる民の力」はいつ打ち砕かれましたか。どのように。
16 「聖なる民の力を打ち砕くことが終了」したのは,明らかに1918年6月21日と思われます。その日アメリカの連邦裁判所は,ものみの塔聖書冊子協会の会長と会計秘書および本部職員五人に,合計140年に及ぶ長期の懲役刑を言い渡しました。それら協会役員とその主立った同僚たちが連邦職員によって逮捕されたのは1918年5月7日のことではありましたが,彼らが裁判を受け,保釈を認められないまま刑を言い渡されたのはその後のことでした。したがって,第一次世界大戦の終了した1918年11月11日,国際聖書研究者の指導的立場にあった代表者七人とその親密な協働者一人は,アメリカ合衆国ジョージア州アトランタの連邦刑務所に拘禁されていました。彼らは1918年7月4日,ニューヨーク,ブルックリンから同刑務所に送られたのです。こうして英米二重世界強国の高等法院は1918年6月21日,エホバの「聖なる民」に壊滅的な打撃を与えました。
17,18 すると,その陰暦三年半はいつ始まりましたか。
17 では,献身し,バプテスマを受けたクリスチャンを打ち砕くこの行動を最高潮とする三年半の期間はいつ始まったのですか。その始まりはどのように特徴づけられていましたか。
18 聖書太陰暦によると,1918年6月21日は1918年タンムズ11日に当たります。それから太陰年三年前は,1915年タンムズ11日,つまり1915年6月23日になります。それから太陰年半年つまり六か月さらにさかのぼると,1914年テベテ11日,1914年12月28日になります。―「ユダヤ一般百科」(英文)の“200年間のユダヤ暦”の項,634-639ページをご覧ください。
19 創造の写真-劇は諸国民にどんな通告を与えましたか。
19 その1914年12月28日は非常に適切な日といえます。ものみの塔聖書冊子協会は同年一月初旬から,有名な創造の写真-劇を上映していました。その聖書の写真-劇は各部分が二時間を要する四部から成っており,世界強国の「像」に関するネブカデネザルの夢と,海から上ってくるのをダニエルが見た四つの政治的な「獣」に関する夢とに注意を向けていました。つまり,異邦人の時が終わり,それに続いて世の諸国民すべてに悲劇的結末が臨むことが諸国民に通知されたのです。さらに,ハルマゲドンの戦いに関する警告が与えられ,その後に続いて到来する「新しい天と新しい地」に関して説明がなされました。(“創造の写真-劇”の台本,50,51,92,94ページをご覧ください。)異邦人の時が終わって,第一次世界大戦が激しさを加えていた10月までに,その劇はアメリカ,大英国,ドイツ,スイス,デンマーク,スウェーデン,フィンランド,オーストラリアおよびニュージーランドの大勢の観客に上映されました。―「ものみの塔」誌1914年12月15日号,371,372ページ。
20 1914年12月28日後に出版された「ものみの塔」誌は,第一次世界大戦の終わりを祈願する祈りに関して何と述べましたか。
20 1915年1月1日号の「ものみの塔」誌は,“ものみの塔からの展望”を述べ,冒頭でこう記しています。「尊敬すべき我らが大統領[トマス・ウッドロー・ウィルソン]および教皇聖下は,ヨーロッパの戦争終結を願って祈りを捧げるようクリスチャンの民に要請しましたが,わたしたちはその時,その祈りが神の取り決めに反しており,答えられることはないと宣言しました。わたしたちは,聖書によると,2,520年に及ぶ異邦支配が1914年9月に終わり,その戦争が聖書の中で予告されている全能の神の大いなる日 ―『われらの神の刑罰の日』と関連があることを指摘し,さらに,すべての諸国民をエホシャファトの谷 ― 死の谷に集めることに関する預言者ヨエルによる主の言葉を指摘しました。―ヨエル 3:1-12」。この考えに即して,同誌の最初の研究記事の主題は「最初のハルマゲドンの戦い」となっていました。―7ページ。
21 1915年の年句は苦しみが予期されていたことをどのように示していましたか。
21 当時,国際聖書研究者の諸会衆は迫害を予期していました。というのは,「1915年 ― 年の聖句 ― 1915年」の見出しの下に,同号の「ものみの塔」誌は冒頭で次のように述べていたからです。「わたしたちは年の聖句として,十字架上で死ぬすぐ前に主の語られた言葉を選びました。それは,主と共にその王座に座らせてくださいと頼んだご自分の親愛なる弟子の二人に対する答えであり,その主の言葉をわたしたちは今年の聖句として選びました。『汝らは我が酒杯を飲み得るか』― マタイ 20:20-23」。(11ページ)その時までには十を数える国家や帝国が戦争に突入しており,1915年およびそれ以後にはさらに多くの国々が参戦し,ついには28の国々や帝国が第一次世界大戦に巻き込まれることになりました。そのため,当時国際聖書研究者として知られていたエホバの「聖なる民」は,自分たちの主,イエス・キリストの『酒杯を飲』むことに含まれる迫害や苦難を回避することはできませんでした。
22 1876年以来,彼らは1914年について諸国民に何を警告して来ましたか。
22 ものみの塔聖書冊子協会および国際聖書研究者協会と結び付きを持つようになった人たちは,異邦人の時が1914年の初秋に終了することを1876年以来公に宣言してきました。したがって,彼らはそれら異邦諸国民が滅ぼされ,栄光を受けたみ子イエス・キリストの手中にある神の千年王国のために道が開けられることを全世界に警告したのです。それら献身し,バプテスマを受け,霊によって油そそがれたクリスチャンが,大英帝国および北アメリカ合衆国を含む世の諸国家すべてに間もなく臨む滅びをふれ告げたため,それら諸国家はキリストによる神の王国をふれ告げる者たちを滅ぼそうと乗り出しました。そのために彼らは第一次世界大戦の作り出した状況を利用しました。―啓示 11:3-10; 13:1,2,5,7。
23 1917年,どの本が迫害のさらに加えられる根拠となりましたか。
23 1917年7月17日,ものみの塔聖書冊子協会は「終了した秘義」と題する本を出版しました。同書は啓示とエゼキエルの預言を扱っており,当然のこととして宗教上の大いなるバビロンとその政治,軍事,司法,商業上の友人たちの滅びを強調していました。(ヤコブ 4:4)これは,官憲たちが大いなるバビロンの僧職者に唆されて,『エホバの聖なる民の力を打ち砕くため』の根拠をさらに提供することとなり,その打ち砕く業は予告された三年半の終わり,1918年6月21日までに成し遂げられました。したがってこの期間は,1914年12月28日,第一次世界大戦の北方の最初の冬に始まったことになります。肉の戦闘に対して良心的兵役忌避者の立場を取っていた国際聖書研究者たちは,戦いに加わっていた大英帝国,ドイツ帝国,オーストリア・ハンガリー帝国,フランス帝国,ベルギー,および世界闘争の拡大に関係を持っていた他の五か国において,妥協させようとする圧力がのしかかっているのをすでに感じていました。彼らが1915年の年句として選んだ聖句がその事を示していました。このように,三「時」半の期間は,はっきりと印づけられていたのです。
24 ダニエルは幻を理解しましたか。どんな理由が与えられましたか。
24 言うまでもなく預言者ダニエルにとって,自分に解き明かされた前兆となる事柄すべてが現代史においてどのような形を取るかは想像すべくもありませんでした。彼自身こう述べています。「さてわたしは,これを聞いたが,理解することができなかった。それでわたしは言った,『我が主よ,これらの事の最終部分はどうなるのですか』。すると彼はさらにこう言った。『行け,ダニエルよ。これらの言葉は終わりの時まで秘せられ,封じておかれるからである。多くの者が身を清め,白くし,錬り清められる。そして邪まな者は必ず邪まに振る舞い,邪まな者は一人として理解しない。しかし,洞察力のある者は理解する』」― ダニエル 12:8-10。
25,26 したがって,ここに述べられているどの級にわたしたちは加わりたいと思いますか。
25 ダニエルは当時,自分の聞いた事柄を『理解できませんでした』。しかし1914年以来始まった「終わりの時」の今日にいるわたしたちは,それを理解することができます。とはいえ,『邪まに振る舞う』なら,理解は得られません。わたしたちはどのように振る舞っていますか。邪まにですか,それとも霊的洞察力を持って行動していますか。そのいかんによって結果は違ってきます。
26 み使いが,今にも起ころうとしている「苦難の時」に関してダニエルに告げたこと,すなわちダニエルの「民,書に記されている者はみな逃れ出る」ということを真剣に考えてみなければなりません。(ダニエル 12:1)わたしたちはダニエルの「民」と関係を持つことを望みますか。そうであれば,この終わりの時に邪まな振る舞いをしている者たちの中に見いだされることのないようにしなければなりません。わたしたちは自分の名が神の「書に記されている」よう望みます。そのためには,神のみ言葉を調べ,この危機の時代に対する教訓の音信から学び,さらに神のご意志と調和した行動を取ることにより「洞察力」を働かす必要があります。わたしたちのために「真の知識」が満ちあふれますように!
1,290日と1,335日
27-29 「終わりの時」に関して他のどんな期間が予告されましたか。
27 み使いはダニエルに与えられた預言的な情報に関し,「これらの言葉は終わりの時まで秘せられ,封じておかれる」と言いました。(ダニエル 12:9)しかしかつては秘せられ,封じおかれた「言葉」が,今や封を切られ,明らかにされています。この事実は,異邦人の時が1914年に終わって以来,わたしたちが感動的な「終わりの時」にいることを示す数多くの証拠にさらに証拠を加えるものとなります。わたしたちはダニエル 12章7節の「定められた一時,定められた二時,そして半時」がどのようにこの「終わりの時」のわく内に位置づけされるかが分かります。その三年半は今や過去のこととなりましたが,それはダニエルの現代の「民」の残りの者たちの歩みに関して転換期を画し,今日生きているエホバのクリスチャン証人に影響を与えました。しかしこのほかにも,エホバがこの興味深い「終わりの日」に付された期間があります。ダニエル 12章11,12節は今度はその点に注意を引いています。
28 「そして,絶えざる捧げ物が取り除かれ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが置かれた時から,千二百九十日がある。
29 「ずっと待ち望んで,千三百三十五日に達する者は幸いである」。
30 だれが荒廃をもたらす「嫌悪すべきもの」を立てますか。
30 ここでわたしたちの理解を導く点として,宗教的大いなるバビロンは「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を置くことも立てることもしない,という点を銘記しておくべきです。それをするのはこの事物の体制の政治的要素です。「千二百九十日」が開始されるためには,両方の要求事項がかなえられねばなりません。つまり,「絶えざる捧げ物」が取り除かれ,そして「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が置かれねばなりません。「絶えざる捧げ物」を取り除くことは,第一次世界大戦中に経過した「定められた一時,定められた二時,そして半時」,つまり1914年12月28日から1918年6月21日の日没に至るまでの期間に生じました。「絶えざる捧げ物」は,その期間に霊的な「力」を打ち砕かれた,エホバの「聖なる民」と関係がありました。
31 ダニエルの民が捧げた「絶えざる捧げ物」は何でしたか。
31 西暦前537年,ダニエルの民は征服者ペルシャ人のクロスにより古代バビロンから釈放され,ユダヤの地に帰還してエルサレムにエホバの崇拝を再興しました。70年にわたる故国の荒廃が終わったその時,彼らは『イスラエルの神の祭壇を築きました。これは真の神の人モーセの律法に記されている通りに,その上に焼燔の犠牲を捧げるため』でした。(エズラ 3:1,2)それ以来,西暦前二世紀のレビ人マカベア家の時代にシリア人による一時的な中断が生じた以外には,祭司により日ごとの「絶えざる捧げ物」が捧げられました。(出エジプト 29:38,39)それにしても,「終わりの時」の初めに相当する1914年当時,霊的イスラエル人が捧げていた日ごとの「絶えざる捧げ物」は何でしたか。
32 西暦1914年以来の「絶えざる捧げ物」は何から成り立っていましたか。
32 それは中東エルサレムの祭壇の上に捧げられる動物の犠牲によるものではありませんでした。そのような犠牲がそこで捧げられることは,西暦70年エルサレムとその善美を尽くした神殿がローマ軍団によって破壊された時に中断されました。その数年前,クリスチャンの使徒ペテロはこう書き記しました。油そそがれた霊的イスラエル人は「聖なる祭司職のための霊の家に築き上げられて行くのです。それは,神に受け入れられる霊的な犠牲をイエス・キリストを通してささげるためのものです」。(ペテロ第一 2:5,9)その霊的な犠牲には,「賛美の犠牲……すなわち,そのみ名を公に宣明するくちびるの実」が含まれています。(ヘブライ 13:15)異邦人の時が1914年に終わり,神のメシア王国が天で誕生した時以来,霊的イスラエル人が捧げる「絶えざる捧げ物」の一部である「賛美の犠牲」は,特に,イエス・キリストの手中にある樹立された天の王国の証しをする業から成り立っていました。―マタイ 24:3,14。
33 「絶えざる捧げ物」が完全に取り除かれたのはいつですか。
33 油そそがれた王国の証人たちを苦しませ,地上における人間製の諸政府すべてに取って代わる神の王国をふれ告げる彼らの霊的「力」をついに打ち砕くことにより,戦争に加わっていた諸国家は王国の証人たちを抑圧し,その「絶えざる捧げ物」を取り除いてしまいました。それは1918年6月21日までに成し遂げられました。その後八か月と四日,刑を受けたものみの塔聖書冊子協会の役員とその協働者たちは連邦刑務所にとどまり保釈されるのを待たねばなりませんでした。それから再審を受け,すべての偽りの告訴に対して責任解除を受けたのです。彼らが長期間不当に投獄されたことは,王国の証人たちが「絶えざる捧げ物」を捧げるのを大いに妨げました。しかし荒廃をもたらす「嫌悪すべきもの」についてはどうですか。
34 「嫌悪すべきもの」はどのように存在するようになりましたか。
34 「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」は,世界の平和と安全のための国際組織です。この組織は1919年1月18日,フランスのベルサイユで召集された平和会議において初めて立案されました。戦勝国側は平和条約を作成し,1919年5月7日これをドイツ代表団に提示し,同年6月28日,ドイツと連合国側の代表はベルサイユで同条約に調印しました。当時,国際連盟として知られていた世界の平和と安全のための国際機関の設立は,同平和条約のかなめを成しており,関係諸政府が調印された平和条約を批准した時,国際連盟は発足しました。
35 キリスト教世界の僧職者たちはどのように国際連盟を支持しましたか。
35 それより前,国際連盟成立への道を開いた平和会議が1919年1月18日に開かれた時,英国教会およびアメリカのキリスト教会連邦会議の僧職者は,提案された連盟に賛意を表し,その誕生を要望しました。僧職者はそれを「地上における神の王国の政治的表現」として歓迎したのです。
36 それで,1,290日はいつ始まって,いつ終わりましたか。
36 さて,ものみの塔聖書冊子協会の八人の代表者がアトランタの連邦刑務所になお監禁されていたあの定めの日すなわち1919年1月18日から1,290日を数えると,どの日にたどりつきますか。聖書によれば,その1,290日は太陰暦の三年と七か月です。1919年1月18日は,太陰暦の1919年セバテ17日に相当し,それから太陰年の三年を経ると1922年セバテ17日あるいは1922年2月15日になります。それからさらに太陰月の七か月を数えると,問題の期間は1922年エルル16日すなわち1922年9月9日に終わることになります。では,1,290日あるいは太陰暦の三年七か月という期間は,何か意義深い日をもって終了していますか。歴史の事実はその通りであることを示しています。
37 その翌日,すなわち1922年9月10日はどのように印づけられましたか。
37 その翌日,1922年9月10日,日曜日は,アメリカ合衆国オハイオ州シーダー・ポイントで開かれていた九日間にわたる国際大会の六日目に当たります。その日は「活動の日」と名付けられており,当日の主要なプログラムは1万8,000人の聴衆を前にものみの塔聖書冊子協会会長の行なった公開講演でした。口頭で論議を述べた後,講演者は世界のすべての支配者に挑戦を告げる「布告」と題する決議を聴衆に提出しました。この布告は,単に大会出席者に対するためだけではなく,世界のすべての支配者に対するものでした。シーダー・ポイントの大会後,同決議は小冊子に印刷され,多くの言語で数千万部配布されました。
38 何が1922年9月9日当日と9月8日を特徴づけましたか。
38 その前日,9月9日,土曜日は「聖別の日」と名付けられ,361人の大勢の男女がキリストを通して行なった神に対する献身の象徴としてバプテスマを受けました。しかし9月8日,金曜日は「かの日」と名付けられ,マタイ 4章17節,「天の王国は近い」(欽定訳)を主題とする協会の会長による講演が主要なプログラムとなりました。講演の最高潮に至って講演者は次のように述べました。
「では,理解しない者たちになぜ音信を伝えるのですか。だれか聞く者がいるのですか。主の預言者はこう答えます。『目あれども瞽者のごとく耳あれども聾者のごとき民をたづさへ出よ 国々はみな相集ひもろもろの民はあつまるべし 彼らのうちたれかいやさきに成るべきことをつげこれをわれらにきかすることを得んや その証人をいだして己の是なるをあらはすべし 彼らきゝて此はまことなりといはん 〔主〕のたまはく なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり 然ばなんぢら知てわれを信じわが主なるをさとりうべし 我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからん たゞ我のみ我は〔主〕なり われの外にすくふ者あることなし われ前につげ また救をほどこし また此事をきかせたり 汝らのうちには他神なかりき なんぢらはわが証人なり われは神なり これ〔主〕のたまへるなり』― イザヤ 43:8-12〔欽定〕。
「したがってわたしたちは今日,神殿級の者たちが明らかに主の証人として指名されているのを見ます。それは,人々に天の王国は近いとの慰めの音信を携えて行くためなのです……」。
こうして,極めて適切にも,協会の会長は心を鼓舞するその講演を,「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」との激励の言葉で結ぶことができました。
39 1922年9月11日,月曜日はどのように印づけられましたか。
39 公開講演が行なわれ,挑戦的な決議が大会出席者全員によって採択された日の翌日,宣べ伝える機会が直ちに提供されました。1922年9月11日,月曜日は「奉仕の日」と命名され,大会出席者は自分たちが神の輝かしい王国を公にふれ告げる代理者であることを以前にも増して強く意識しつつ,意気揚々と野外奉仕に出掛けて行きました。
40 こうして,神の憤りのどんな表明が公に始まりましたか。
40 後日,この公の音信およびそれに関連して採択された決議が,啓示 8章から16章に予告されていた事柄の成就の始まりであることが理解されました。それはどんな事柄でしたか。七つのラッパを吹き鳴らすことと,滅びに定められたこの事物の体制にエホバの憤りの七つの最後の災厄を注ぎ出すことです。
41 こうして,どんな最重要な論争が全宇宙において注目されるようになりましたか。
41 ダニエル 12章11節の1,290日をここで述べられている方法で計算すると,その期日は非常に重要な時に終わるでしょうか。そう信ずる十分の理由があります。このようにして計算される1,290日という期間が,この終わりの時におけるエホバの「聖なる民」にとって特別な時期を印づけることに疑問の余地はありません。その時,全宇宙の前に提出されている最重要な論争が注目されることになったのです。それは,エホバの宇宙主権に関する論争でした。
1,335日の後に訪れる幸い
42 1,335日の終了は何によって印づけられることになっていましたか。
42 次に,ダニエル 12章12節に指摘されている1,335日についてはどうですか。その日がいつ始まるかに関してみ使いは何も言いませんでした。ただ,その期間の終わりに待ち望んでいる者たちが注目に値する豊かな幸いを味わうことを明らかにしただけです。「ずっと待ち望んで,千三百三十五日に達する者は幸いである」。明らかにこの1,335日の期間は,1922年のオハイオ州シーダー・ポイントにおける国際聖書研究者協会の大会中に終了した,前述の1,290日の延長です。そのような時間の延長 ― さらにもう1,335日 ― は,第一次世界大戦を生き残ったエホバの「聖なる民」の残りの者に,さらに忍耐を要求することになりました。当時彼らは,忍耐してその1,335日の終わりに達することによりどのような幸いが与えられるか想像もしていませんでした。では,その期間はいつ始まり,いつ終わったのでしょうか。
43 聖書暦によると,1,335日はいつ終わりましたか。
43 シーダー・ポイントにおける第二回目の大会は1922年9月13日に終わりました。それで,その翌日の9月14日あるいは聖書暦の1922年エルル21日から数えると,1,335日はいつ終わることになりますか。1,290日が太陰暦の三年と七か月に相当したのですから,1,335日は太陰暦の3年8か月か15日です。1922年エルル21日(すなわち9月14日)から数えると,その日から太陰年の三年は1925年エルル20日(すなわち9月9日)に終わります。これに8か月と15日を加えると,1926年シワン6日(すなわち5月19日)になります。その日は,エルサレムにいたイエスの弟子たちに聖霊の注ぎ出された,西暦33年のあの幸福なペンテコステの日の1893年目の記念日に当たります。
44 その日の直前また直後に何が起きましたか。
44 この少し前,1926年5月13-16日,ドイツのマグデブルクで全国大会が開かれ,ものみの塔協会の会長は2万5,000人の一般聴衆に向かって「民の慰め」と題する講演を行ないました。さて5月19日には1926年の際立った国際大会を開く準備が進展し,5月25-31日にかけて英国ロンドンのアレグザンドラ宮でその大会が開催される運びとなりました。多くの幸福な代表者たちが遠くの国々から集まって来ました。
45 その時までにクリスチャンの聖書研究者たちはだれを敬うことを決心していましたか。
45 このロンドン大会は,預言者ダニエルの民すなわち霊的イスラエル人の残りの者たちをたいへん幸福にさせました。当時,ファシストがイタリアの政権を握ったことを本当の意味で幸福に感じている人は多くありませんでした。ドイツのナチス(国家社会主義ドイツ労働党)の動きが活発になるにつれ,人々は恐怖感を抱きました。しかし6年目を迎えた国際連盟は強力な存在を保ち,戦後のドイツの加盟を認めようとしていました。その加盟が認められたのは1926年9月8日のことです。それにもかかわらず,国際聖書研究者協会(I.B.S.A.)は,連盟が異邦人の時の終わった1914年以来天で政権を取得した神の王国に代わる人間製の政治機関であることを暴露しつづけました。それらクリスチャンの聖書研究者は,1926年1月1日号の「ものみの塔」誌が読者に提出した「だれがエホバを敬うか」との質問にこたえ応じ,エホバとその王国を敬う道を選びました。
46 1926年のロンドン大会において何が5月28日の金曜日を印づけましたか。
46 5月28日,金曜日,ものみの塔聖書冊子協会の会長J・F・ラザフォードは,ロンドン大会の出席者に「世の支配者たちへの証言」と題する決議を提出しました。これは,国際聖書研究者協会の年ごとの大会で採択された一連の決議の五番目に当たり,このロンドンでの決議およびそれを支持する音信は,啓示 16章10,11節に予告されていた第五の「災厄」を注ぎ出す始まりとなりました。極めて意義深いことに,第五の災厄は聖書歴史の上で第七の世界強国に相当する史上最強の世界強国,すなわち英米二重世界強国の英国側,大英帝国の首都,イギリス,ロンドンで注ぎ出され始めたのです。国際聖書研究者協会の法人事務所はロンドンにありました。
47,48 1926年5月29日,土曜日を印づけたのは,普通とは違うどんな活動でしたか。
47 5月29日,土曜日は,全日野外奉仕に費やされました。印刷された大会のプログラムには次のように記されていました。「この日は野外奉仕のための日です。大会に出席するすべての聖別された人は,王と王国を宣べ伝える業にあずかるよう招待されています。できるだけ早くアレグザンドラ宮に来て,奉仕部門で奉仕の取り決めを行なってください。遠い場所に出掛けて行く人のためには自動車による奉仕の取り決めができています」。
48 この時のロンドン大会に出席した人で今も生きている人たちは,グループを作って市バスに乗り,町の至る所に行って歩道や地下鉄の入り口で新しい小冊子を配布したことを思い出されるでしょう。こうして「民のための旗」と題する小冊子が12万部通行人に手渡されました。当時としては異様に見えた王と王国を宣べ伝えるこの方法について,1926年7月15日号の「ものみの塔」誌はこう述べています。「大会の奉仕の日にこのような光景が見られたことはありませんでした。友の者たちは熱意に沸き立っており,『なんぢらは我の神なることの証人なり』とのエホバの命令に従うため最善の努力をしたと感じました」。
49 ロンドンにおいてどんな出来事が1926年5月30日,日曜日を印づけましたか。
49 日曜日,5月30日は,この幸福で,祝福された歴史的大会を飾る最終日となり,約4,000人の聴衆が出席しました。午後2時アレグザンドラ宮でバプテスマの話が行なわれ,その後,至高の神に献身した証人として184人が水の浸礼を受けました。その夜,大会出席者は当時としては英国最大の公会堂であったロイヤル・アルバートホールに会場を移し,国際聖書研究者協会の会長J・F・ラザフォードによる「世界の諸勢力はなぜよろめいているのか ― その救済策」と題する講演を聴きました。会場は1万人以上の出席者で超満員となりました。「世の支配者たちへの証言」と題する決議を読み上げた後,ラザフォード会長は話を始めました。その内容は聖書預言に予告されている第八世界強国にまで及び,次いで国際連盟が取り上げられ,世界の平和と安全のためのそうした国際組織が失敗に帰すことが指摘されました。人類の人間支配は空前の悲劇的結末を迎え,その後に救済が,すなわちキリストによる神の王国が到来します。それにより,全人類に平和,繁栄,健康,命,そして幸福がもたらされるのです。講演者は結びの言葉を次のように述べました。
50 結論として,講演者は聴衆に訴えるどんなことを述べましたか。
50 「地の王また支配者たちは今,主に忠誠と献身を誓い,エホバが神であること,キリスト・イエスがその油そそがれた王であることを認めるべきです。そうすることにより,彼らは民に真の奉仕を捧げ,エホバから永遠の祝福を受ける立場に身を置くことになるのです」。翌日ロンドンの一新聞は,この公開講演の全文を一ページの紙面全体を割いて掲載しました。ですから,この挑戦的な王国の音信は,ロイヤル・アルバートホールで直接講演を聴いた人に加え,さらに幾千人もの人々が読んだことになります。したがって,予告されていた第五の「災厄」は確かに注ぎ出されていたのです。
51 大会の最終日である5月31日はどのように印づけられましたか。
51 1926年5月31日,月曜日,大会の最終日,大会の出席者はロンドンに住むユダヤ人に彼らのために特別に書かれた紙表紙の本を手渡すため野外に出て行きました。その夜,大会出席者は再びロイヤル・アルバートホールに会場を移し,エホバのメシア,すでに統治しておられるみ子イエス・キリストに帰るようにとの,ユダヤ人に対する最終的かつ大規模な公の訴えとなった集まりに出席しました。公の宣伝にこたえて数千人のユダヤ人が会場に集まり,当然彼らの慰めとなったであろう感動的な音信を協会の会長から聞きました。彼らの唯一の希望はエホバのメシアにのみ存していました。そしてそれを選ぶ機会が,割礼を受けたイスラエル人に提供されたのです。
52 1926年5月28日,金曜日には胸を躍らせるどんな本が発表されましたか。
52 エホバの霊的イスラエル人の残りの者たちのこの非常に幸福な大会における特筆すべき出来事の一つは,5月28日,金曜日,「解放」と題する新しい出版物が協会により公にされたことです。この本は,その中に含まれていた霊的啓発のため,エホバの民の間に興奮を引き起こすものとなりました。それはそれ以前の出版物が行なわなかったことを成し遂げました。すなわち,啓示 12章の女によって象徴されている神の組織を際立たせ,神の組織とサタンの組織との対照を顕著にさせました。これは,当時まで聖書研究の標準手引きとして用いられてきた「聖書研究」(1886-1917年)七巻に代わる,一連の書物の最初のものでした。次の年には「創造」(1927年)が出版され,以後,「和解」(1928年),「政府」(1928年),「生命」(1929年),「光」(二巻,1930年),「立証」(三巻,1931,1932年),「保護」(1932年),「備え」(1933年),「エホバ」(1934年)と続いて今日に至っています。
53,54 (イ)1926年のロンドン大会においてどんな拡大の業が取り決められましたか。(ロ)さらに,どんな年刊出版物が刊行されることになりましたか。
53 さらに,大英帝国の首都で開かれた1926年のこの大会で,ものみの塔協会の会長は経験のある人たちを外国における奉仕の地位に割り当てました。その中には,当時英国の植民地であったインドのボンベイに新しい支部を設立するために派遣された二人の人も含まれていました。(「国際聖書研究者協会年鑑」,1926年版権取得,90ページ)彼はまた,協会の年ごとの報告を本にして出版する取り決めを設けました。やがて,顕著な年であった1926年のエホバの民の王国の活動を記録にとどめるため,「国際聖書研究者協会年鑑及び日々の聖句と注解」(320ページ)が出版されました。1907年の出版以来,クリスチャンの日ごとの崇拝に用いられてきた「日々の天のマナと誕生日の記録」は,その時から使用されなくなりました。新しい日々の聖句と注解が,ものみの塔聖書冊子協会により出版される毎年の「年鑑」に掲載されるようになって今日に至っています。
54 過去半世紀の間,「年鑑」は一度も欠かさずに毎年出版され,王国のこの良いたよりを宣べ伝えるエホバのクリスチャン証人の全世界に及ぶ活動を詳細に報告しています。―マタイ 24:14。
55 どんな建築計画が残りの者の幸福を増し加えましたか。
55 ロンドンの国際大会でエホバの民の幸福な前途の展望に貢献したもう一つの重要な事がありました。全世界で拡大を見ている証言の業の必要にこたえるため,ものみの塔聖書冊子協会はニューヨークのブルックリンに八階建ての独自の工場を建設することを考慮していたのです。1926年7月23日,そのための用地がついに購入されました。そして冬の季節に入りましたが,協会の工場の建築作業は続けられました。
56 その工場は何の中心的存在となりましたか。
56 1927年2月,ブルックリン本部の職員たちが特別に設計された広々とした工場と事務所の建物に移転した時,大きな喜びが沸き上がりました。こうして1927年2月1日号の「ものみの塔」誌および1927年2月9日号の「黄金時代」誌の発行者のページには,発行者の住所が,ニューヨーク,ブルックリン,アダムス街117番地,と記載されました。後にこの工場は拡張が必要となり,ものみの塔聖書冊子協会と関係を持つ全地の32の印刷工場の中心的存在となりました。全地に散在するこれらの印刷工場から今日までに出版された聖書研究の文書は膨大な量に上ります。それにより霊的パラダイスが拡大されました。
57 残りの者はどれ程の期間続く幸福に浴することになりましたか。
57 1926年は,1,335日の終わりを画する幸福の最高潮として真に注目すべき年でした。ずっと待ち望んで1,335日の終わりに達したダニエルの「民」に属する者たちは,幸福に浴することになったからです。その幸福は,激しさを増す迫害や,第二次世界大戦(1939-1945年)およびその後の世界の紛争にもかかわらず,減少するどころか,持続し,充実して来ています。特にこの印づけられた年である1926年から,わたしたちの主イエス・キリストの神また父を崇拝する,献身し,バプテスマを受けた者たちは,霊感を受けた詩篇記者の言い表わした楽園<パラダイス>の幸福を味わっています。詩篇記者はこう述べました。「幸いなるかな,自分の神をエホバとする国民は,神がご自分の相続財産として選ばれた民は」― 詩 33:12; 144:15後半。
58 それらすべての「日」の後に,ダニエルはどんな分を受けますか。
58 預言者ダニエルは,自分の神であるエホバに属すクリスチャン証人のこの幸福を見る特権も,それに浴する特権をも得ませんでした。彼はそれを期待しないようにと告げられました。神のみ使いは彼にこう告げたからです。「そしてあなた自身は,終わりに向かって進め。あなたは休みに入る。しかし,日々の終わりにあなたの分のために立つことになる」。(ダニエル 12:13)今日に至る2,500年以上の間,ダニエルは墓の中で死の眠りに就いて休んでいます。やがて彼は復活して立ち,自分が霊感を受けて驚くべき預言をしたそのエホバ神のメシアによる王国の下で自分の分を受けることでしょう。(ヘブライ 11:33-40)そればかりか,ダニエルだけでなく,アブラハム,イサク,ヤコブ,モーセその他古代のすべての忠実な預言者たちが自分の「分」のために立ち,死の眠りから覚めて「定めなく続く命へ」入れられ,来たるべき世界政府の下で『全地の君』として奉仕する機会を得るその神の定めの時が近づいているのです。―詩 45:16。ダニエル 12:2。