あなたは神の崇拝を第一にしていますか
1 あらゆる国の人をまき込もうとしているどんな流れが存在していますか。それは人々にどんな考え方をさせますか。
「新聞,雑誌,ラジオ,テレビを通じて宣伝される国家主義は,あらゆる国において人々を押し流さんばかりに勢いを増しています。国境や検閲の壁によって人々は自分の国のことだけを考え,国家を偶像にして崇拝するようになっています。このように統制された思想は,あらゆる人の心に影響を与えずにはおきません。
2 アメリカナ百科事典の言葉からもわかるように,国家主義にはどんな危険がありますか。
2 アメリカナ百科事典に次のことが出ています。「国家主義は政府また民間の宣伝によって誘発されたものであることが多い。それは野心的な指導者が自身の目的,あるいは自ら国家の利益と目する事のために利用する意図をもって作り出した特定の意見であろう」a 不合理の項には次の言葉があります。「政府また民間の指導層は,国家主義の持つ不合理な性格を利用して,それを大衆の間にひろめる。極端な愛国主義者には,道理のわからない人々が多い。自由諸国にいてさえ,片寄った新聞だけを読み,盲目で熱狂的な解説者の放送だけを聞いていると,彼らは真実を聞かずに過してしまうであろう。子供のとき,片寄った歴史の本を教えられた人は,国際問題との関連において,自国を見るとき,客観的に公正な目で見ることが難しい」b
3 (イ)時宜を得たどんな質問が出ますか。(ロ)崇拝の問題に関して,聖書にはどんな価値がありますか。
3 これら世俗の観測者の言葉を考えてのち,各自の生活時間の使い方や考え方において国家主義が第一になっているか,それとも神の崇拝が第一になっているかを自問してごらんなさい。聖書を学ぶことの価値を忘れてはなりません。聖書は神のことを教え,どのように神を崇拝すべきかを教え,創造以来の人間の歴史を明らかにしています。聖書は今日の世界の状態をさえ告げ,また神の約束によって私たちの待ち望む,義の住む新しい天と新しい地のことを述べています。(ペテロ後 3:13)ゆえに聖書の著者エホバ神が人間について,また私たちが神に対して持つべき関係について言われる事柄を,考えるべきではありませんか。
4 いま答えなければならない質問を大要しなさい。
4 よく考えてみて下さい。あなたの持つすべてのものは,国から与えられたものですか。太陽,月,星は政府から与えられたものですか。雪をいただく山々,森,肥沃な平野,とうとうと流れる河は,国家の創造ですか。地の緑,新鮮な空気,流れは国の作り出したものですか。岡に立って見渡すとき,目に映るもの,花咲く果樹,穂の波は政府から与えられたものですか。植物を造り,無数の岡の上の家畜を造り出したのは,国家ですか。政府は農地の管理に関係しているかも知れません。しかし天と地を創造したのはだれですか。人間の存在を可能にしたのはだれですか。神が人を造り,生殖の力を授けたのではありませんか。国家はこれらのものに対して何の力もありません。
5 聖書の使徒行伝 17章24節から27節は,地に関する神のみわざをどのように述べていますか。
5 使徒パウロを通して神がアテネ人に言われた言葉を聖書から読んでごらんなさい。「この世界と,その中にある万物とを造った神は,天地の主であるのだから,手で造った宮などにはお住みにならない。また,何か不足でもしておるかのように,人の手によって仕えられる必要もない。神は,すべての人々に命と息と万物とを与え,また,ひとりの人から,あらゆる民族を造り出して,地の全面に住まわせ,それぞれに時代を区分し,国土の境界を定めて下さったのである。こうして,人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば,神を見いだせるようにして下さった。事実,神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない」― 使行 17:24-27。
6 イエスは,彼をおとしいれようとした偽善的なパリサイ人に何と答えましたか。
6 神は私たちに「命と息と万物」を与え,また,「ひとりの人から,あらゆる民族を造り出して……下さった」のです。それは国家やカイザルのなし得ることではありません。イエス時代の高慢な宗教家であったユダヤのパリサイ人は,ローマの国家に反対する言葉をイエスに言わせてイエスをおとしいれようとしました。イエス・キリストは真理を公に語る人として知られていました。イエスは神のことばを常に語ったのです。そこでパリサイ人は言いました,「『先生,わたしたちはあなたが真実なかたで,だれをも,はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで,真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところでカイザルに税金を納めてよいでしょうか,いけないでしょうか。納めるべきでしょうか,納めてはならないでしょうか』。イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた,『なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい』。彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた,『これは,だれの肖像,だれの記号か』。彼らは『カイザルのです』と答えた。するとイエスは言われた,『カイザルのものはカイザルに,神のものは神に返しなさい』」― マルコ 12:14-17。
7,8 (イ)イエスは合法的な政府に反対しませんでしたが,しかし何を認めていましたか。(ロ)エホバ神は偉大な創造主であるゆえに,私たちは再び何を自問しなければなりませんか。
7 イエスは政府に反対せず,税金を払うことにも反対しませんでした。しかし支配者は,神に返すべきものがあることを認めなければなりません。すべてがカイザルのものではないのです。 人を創造して地の上に住ませたのはエホバです。そのことを忘れないで下さい。「われわれのかたちに,われわれにかたどって人を造り,これに海の魚と,空の鳥と,家畜と,地のすべての獣と,地のすべての這うものとを治めさせよう」と,全能の神は言われ,創造された男女に対しては次のように言われました。「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と,種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう」― 創世 1:26,29。
8 人類にこのすべてを与えたのはエホバ神です。諸国家が形成される前,そして国家主義思想の生まれる前から,このすべては豊富に存在していました。それでもう一度尋ねます。あなたは神の崇拝を第一にしていますか。それは当然のことです。
9 イエス時代のユダヤ人は,ローマの国家主義にどう影響されましたか。
9 19世紀前,ローマの支配下にあったユダヤ人は国家主義的であり,自分たちの神エホバとみ子イエス・キリストを明白に拒絶しました。ユダヤ人がイエスを捕えてピラトにひき渡してのち,次のような出来事がありました。ピラトはイエスを群衆の前にひき出して言いました,「見よ,これがあなたがたの王だ」。「すると彼らは叫んだ,『殺せ,殺せ,彼を〔杭〕につけよ』。ピラトは彼らに言った,『あなたがたの王を,わたしが〔杭〕につけるのか』。祭司長たちは答えた,『わたしたちには,カイザル以外に王はありません』」。(ヨハネ 19:13-15)これらのユダヤ人は極端に国家主義的な精神を示しました。彼らは自分たちの神を捨て,忘れてしまい,真理を語ったみ子を拒絶しました。
10 (イ)それにもかかわらず,神の愛はどのように示されましたか。(ロ)キリストの追随者はどんな目にあうことがありますか。
10 しかし彼らの行いがどうあろうと,人類に対する神の愛は変わりませんでした。「神はそのひとり子を賜わったほどに,〔人類の〕世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである」。(ヨハネ 3:16)カイザルをはじめ,どんな国の支配者にしても,永遠の生命を与えることのできた者はありません。3年半の宣教期間中,イエスが伝えたのは,神の国によって全人類に及ぶ生命の音信でした。しかしユダヤ人の中で国家主義的な考えを抱いた者たちは,耳を傾けませんでした。彼らは神の国と少しでもかかわり合うのを拒絶しました。聞いて信じた人々はイエスの音信をとりあげ,どんなに不利な状態の下にあっても,神の国の福音を伝道しました。遂に政府はそれに反対しました。イエスは,その追随者になる人々がどんな目にあうかを十分に前以て警告し,次のように言われました。「人々はあなたがたに手をかけて迫害をし,会堂や獄に引き渡し,わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。それは,あなたがたがあかしをする機会となるであろう」― ルカ 21:12,13。
11 国家主義よりも神の崇拝を第一にした一人のユダヤ人は,何と述べていますか。
11 ユダヤ人もローマ人も,クリスチャンの伝えた福音を受け入れませんでした。しかし生まれたユダヤ人でも使徒パウロは,国家主義よりもキリスト教と神への崇拝を第一にしました。自分の生命をエホバ神のみ手に委ねたパウロは,次のように言うことができました。「喜んで自分の弱さを誇ろう。だから,わたしはキリストのためならば,弱さと,侮辱と,危機と,迫害と,行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら,わたしが弱い時にこそ,わたしは強いからである」。(コリント後 12:10)パウロはそのなすべきわざを成し遂げました。永遠の生命は国家や支配者に奉仕することから得られるのではなく,エホバ神がご自身の方法に従って与えて下さるものです。パウロはその事を知っていました。「わたしは道であり,真理であり,命である」と言われたイエスの言葉を,パウロは信じていたのです。―ヨハネ 14:6。
死をおそれず
12 国家を崇拝しないために死に直面する人々にとって,聖書はどのように慰めとなりますか。
12 国家を崇拝してそれを拝まなかったために殺されたクリスチャンは少なくありません。パウロもローマにおいて首を斬られたと伝えられています。クリスチャンは死をおそれません。生命の与え主は神であることを知り,またイエスの次の言葉を知っているからです。「からだを殺しても,魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ,からだも魂も地獄〔ゲヘナ,文語〕で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」― マタイ 10:28。
13 (イ)良い政府はなぜ必要ですか。(ロ)それが国家の崇拝を意味しないことを,ペテロその他の使徒たちはどのように示しましたか。
13 政府は必要であり,人々に奉仕して善を行ないます。しかし圧迫を加えて,人々を苦しめることもあります。世界人口が32億を越える今日,良い政府はとくに必要です。しかし人々は政府を崇拝すべきですか。人は他の何にもまさって政府に忠誠をささげるべきですか。人間の法律が神の律法と矛盾するとき,どうすべきですか。使徒たちはユダヤ人の議会に対し,「人間に従うよりは,神に従うべきである」と答えました。使徒たちはエホバ神に献身していました。そのために支配者は「使徒たちを……むち打ったのち,今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたし」ました。そのあと使徒たちは何をしましたか。「毎日,宮や家で,イエスがキリストであることを,引きつづき教えたり宣べ伝えたりした」。(使行 5:29,40-42)ゆえに政府は必要なものではあっても,人が真理を語るのを妨げることはできず,またそうする権利を持っていません。真理はすべての人にとって良いたよりなのです。
14-16 (イ)国家主義的な感情はどのように芽ばえますか。(ロ)何世紀にもわたってどんな結果が見られましたか。
14 しかし国家主義はどこから始まるのですか。人間の集団たいていは家族的な集団の内部には,生活を共にしていることから団体意識が生まれます。そこには同じ習慣,同じ生活の仕方がはぐくまれます。団体に対する忠誠,互の福祉に貢献することが要求されます。人々が愛し合い,互の交わりを楽しみ,互の福祉に関心を払うのは,決して悪いことではありません。自分と同じく隣人を愛するのは神の教えです。
15 しかしこのような集団が大きくなると,往々にして国家主義的あるいは愛国主義的な考えを鼓吹する者が現われ,自分たちは他の集団にまさると思い込ませます。侵略や征服の背後にはこの考え方がひそんでいます。聖書に従って生きようとする人があっても,その自主的な考えは無視され,独裁者への忠誠が強制されます。旗とか像あるいは集団の理念の象徴を崇拝することが要求されます。こうなると,国家主義的な考えは行き過ぎたと言わなければなりません。神をうやまう人は,エホバが「ひとりの人から,あらゆる民族を造り出し」たことを知っており,ゆえに象徴物による国家の崇拝に同調しません。すると大多数の行き方にならわない少数者は迫害されます。イエスと使徒たちは少数者ではあっても正しかったのです。
16 言語,民族,宗教,領土,支配体制,経済的要因も,国家主義を生み出す要素となっています。世界史が物語っているように,多くの国家集団は小さな集団から形成されました。大洪水後,すべての人種は,ノアとその3人の息子セム,ハム,ヤペテから出たのです。「この三人はノアの子らで,全地の民は彼らから出て,広がったのである」と,聖書に明白に述べられています。(創世 9:19)はじめの家族的集団は部族集団に発展し,やがて都市が形成されました。ニムロデの国はこうして出来たのです。(創世 10:9,10)大国が他の国々を征服して領土を拡張することは,何世紀にもわたって見られました。エジプト,アッシリア,バビロン,メデイア,ペルシャ,ギリシャ,ローマの世界強国が登場しました。ローマ以後にも,いろいろな国が勢力をのばしました。アフリカの一部を征服しようとしたイタリーのムソリーニがいます。彼は,全ヨーロッパ,アジア,アフリカを征服しようとしたヒトラーと結びました。ヒトラーは世界の支配者となることを望んだのです。ヒトラーは何と多くの人を殺したのでしょう。諸国家の征服に乗り出したヒトラーの野心が挫折したのち,国の独立を求める動きは盛んとなり,愛国主義と指導者に対する忠誠がうたわれてきました。
17 第二次世界大戦後における国家主義の発展を述べなさい。
17 とくに1914年以来,何時でもニュースとなってきたのは「闘争」です。侵略的な国家主義者は特定の権利や領土を要求しています。新しい国家が誕生しています。過去4年間にアフリカではおよそ24の新しい国家が形成されました。第二次大戦後,アフリカに出来た新しい国は24を数えます。c アメリカナ百科事典によれば,「第二次世界大戦後においても,国家主義は世界において主要な役割をはたしてきた。ヒトラーのやり方を更に発展させたのがスターリンである。彼はファシスト・ナショナリズムのかっこうな弟子であった」。d のです。更に国家主義に関してアメリカナ百科は次のことを述べています。「かつては絶対の忠誠というものは,宗教の中で求められた。今日では国家がそれに代わっている」e
18,19 (イ)国家主義を定義しなさい。(ロ)国家主義が行き過ぎると,どんな結果になりますか。
18 1962年12月7日付タイム誌に次のことが出ています。「中世の封建君主は,国家にではなくて王に忠誠をささげた。侵略者である英国の王たちに組して戦ったフランスの貴族は敵国への協力者とは見なされず,忠実な進貢者と見られた」。歴史家のカールトン・ヘイズは,次のように書いています。「国民感情は古くから存在していた。愛国心は小国家に対するものでも大帝国に対するものでも,昔から存在した。しかし愛国心と国民感情を融合し,国家的愛国主義が他のあらゆる忠誠心に優先すること,すなわち国家主義はきわめて現代的なものである」。
19 「国家主義者は,彼らの信条に善悪二つの種が宿されているのを知るに至った。国家は国民から絶対の忠誠を要求し,他民族に対する自国の優越性を主張し,国民性と民族に誇りを抱かせた。このような信念の行き過ぎが第一次世界大戦に役割をはたした。また多くの人を殺し,世界を恐れさせたナチスも国家主義を悪用した」。
20 国家主義はどのように至上の忠誠を要求するものとなりますか。
20 ローマカトリックの著述家であるカールトン・ヘイズは,「国家主義という宗教」の10頁に次のことを書いています。「どんな感情にも,ある程度の国家主義が含まれ得る。国あるいは国家に対する忠誠心は,家族,教会,人類,国際主義などに対する他の忠誠心によって左右され得る。ところが国家主義になると,他のあらゆるものに優先して,絶対至上の忠誠心を要求することがある。たいていこれは,国家に対する熱情と宗教的情熱とがまぜ合わされた結果である。こうして国家主義そのものが宗教ないしは宗教に代わるものとなる」。
キリスト教と国家主義
21,22 (イ)キリスト教は国家主義と両立しますか。(ロ)キリスト教国は両者を無理に融合しようとして,何をしましたか。それはどんな結果になりましたか。
21 しかしキリスト教と国家主義は相容れないことに注目して下さい。キリスト・イエスが両者の融合をはかった事は一度もありません。しかしキリスト教国のカトリックおよび新教各派は何をしていますか。彼らは国家主義に賛同し,国家に全幅の支持を与えています。宗教指導者は,政治家のために運動するだけでなく,自ら政治上の職に立候補します。戦時の宗教指導者は若者を戦場にかりたて,同じ宗派の信者が互に敵となって戦うようなことになっても頓着しませんでした。しかし彼らが信仰しているはずの聖書は,殺してはいけないと命じているのです。
22 これら宗教組織の教職者はどんな者になっていますか。また教区民をどんな者にしましたか。イエス・キリストの追随者ヤコブは次のように述べました。「不貞のやからよ。世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである」。(ヤコブ 4:4)だれに対して忠誠を表わすかが問題です。人は一人の主人に忠実で他方を憎むか,あるいは一方を憎んで他方を愛するか,そのどちらかです。イエスは明白に述べました,「だれも,ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し,あるいは,一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは,神と富とに兼ね仕えることはできない」。(マタイ 6:24)あなたはクリスチャンですか。では生活の中で何を第一にしていますか。何を第一にするかは人の自由です。しかしクリスチャンが国家よりも創造主に仕えることを選ぶならば,それを罪に定めたり,罰する権利が他の人にありますか。
23 イエスとその弟子たちのように,クリスチャンはエホバのみ心を行なうことに対してどんな態度をとりますか。
23 エホバのみ心を行なうために献身したクリスチャンは,エホバが教えられる通りの事を行ないます。エホバは,文字に書かれたみことば聖書によって,ご自身とみ心を啓示されました。聖書に親しめば親しむほど理解にすすみ,何をすべきかが明白となります。イエスや使徒たち,初期クリスチャンはローマに敵対する立場をとりませんでしたが,しかし自ら仕えることを選んだエホバの側に固く立ちました。その神はエホバでした。他の人すなわち大部分の人はカイザルを選びました。それは人々の自由です。しかし神を信じ,崇拝する少数者をなぜ迫害するのですか。
24 神に対する忠節との関連において,隣人愛の意味を説明しなさい。
24 自分があくまで忠節をささげるものは何か,この問題を決定しなければならない時がだれの生活においても一度は来ます。エホバに忠実であるという事は,隣人に対し,あるいは自分の国に対して非友好的な態度をとる事ではありません。私たちは天の父と共に隣人を愛さねばなりません。イエスはそのように教えました。(ルカ 10:27)しかしそれは私たちも,隣人の通りに行うべきだという意味ではありません。山上の垂訓の中でイエスは次のように教えています,「『隣り人を愛し,敵を憎め』と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである。しかし,わたしはあなたがたに言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ。こうして,天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は,悪い者の上にも良い者の上にも,太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らして下さるからである」。(マタイ 5:43-45)ですから敵でさえも愛することができますが,それはその悪にならうという意味ではありません。
歴史上の例
25,26 神と国家のいずれに忠節かという問題の例を求めて,歴史のどの時期を振り返ってみますか。そこに出てくるのはどんな人物ですか。
25 ここで過去をふり返り,紀元前617年に目を移してみましょう。その年,バビロンの王ネブカデネザルは多くのイスラエル人をバビロンに捕えて行きました。ネブカデネザルはイスラエル人のうちで王の家に属する者の中から特定の者を選び,宮廷において特別な訓練を授けさせることにしました。容姿が美しく,すべての知恵にさとく,知識があって思慮深い者たちが選ばれました。彼らは王の宮に仕える者となるのです。これらの若者にカルデヤ人の文字と言語を学ばせることになりました。彼らを養うため,「王は王の食べる食物と,王の飲む酒の中から,日々の分を彼らに与えて,三年のあいだ彼らを養い育て,その後,彼らをして王の前に,はべらせようとした」としるされています。―ダニエル 1:1-5。
26 選ばれた者の中に,おそらく14歳から18歳までの4人の若者がいました。すなわちダニエル,ハナニヤ,ミシャエル,アザリヤです。彼らはみなユダ族のものでした。興味深いことに,これらの名前にはそれぞれ意味があります。ダニエルは「神は裁き主」,ハナニヤは「ヤハは恵み給う」,ミシャエルは「神になる者があろうか」,アザリヤは「ヤハは守り給う」という意味です。彼らの名前を変えたネブカデネザルの意図は,彼らをその神からひき離して,ヘブル人の考え方よりもカルデヤ人の考え方をするように仕向けることであったに違いありません。ダニエルの名は,「ベルの君」あるいは「主の導き手」を意味するベルテシャザルに変えられ,ハナニヤの名はシャデラクに変えられました。その名の意味は不明ですが,一説によれば「アク(月の神)のしもべ」を意味します。ミシャエルの名はメシャクと変えられました。その意味は不明ですが,一部の伝説によれば,それはバビロニアの神の名前です。アザリヤの名は,「ネゴ〔マーキュリー〕のしもべ」を意味するアベデネゴに変えられました。こうして彼らはエホバ以外の神のしもべにされようとしたのです。名前が変わったために,彼らの考えも変わりましたか。
27,28 (イ)異教の名を与えられたこれらの人々は,神の崇拝に関して態度を変えましたか。(ロ)彼らは,食物に関してさえも自分たちの神の律法に従うことを,どのように示しましたか。どんな結果になりましたか。
27 名前を変えられ,王から目をかけられたために,これらの若者が気をよくしたという事はありません。彼らは全能の神エホバに献身していました。バビロンに捕われの身ではあっても,彼らは神のことばにしるされた律法に従って生きることを望みました。「ダニエルは王の食物と,王の飲む酒とをもって,自分を汚すまいと,心に思い定めた」。(ダニエル 1:8)ダニエルは3人の仲間と共に,ただ野菜を食べさせ,水を飲ませてほしいとしきりに願いました。ダニエルは,食物を供給した家令を納得させるのに骨折りましたが,遂に家令は10日のあいだ,このような簡素な食物を与えることに同意しました。ダニエルと3人の若者は申命記 6章4節から7節の言葉を思い出していたのでしょう。「イスラエルよ聴け我らの神エホバは唯一のエホバなり 汝こころをつくし精神をつくし力をつくして汝の神エホバを愛すべし 今日わが汝に命ずる是らの言は 汝これをその心にあらしめ 勤めて汝の子等に教へ 家に座する時も路を歩む時も寝る時も起る時もこれを語るべし」。―文語
28 彼らは十戒また食物に関するエホバの戒めを知っていました。そしてモーセの次の言葉を心におさめていたのです。「イスラエルよ,いま,わたしがあなたがたに教える定めと,おきてとを聞いて,これを行いなさい。そうすれば,あなたがたは生きることができ……よう」。(申命 4:1)彼らは禁ぜられていた汚れた食物を忌避しました。おそらくは偶像にささげられた肉を食べ,ぶどう酒を飲むことを拒絶して,彼らは野菜を食べました。そして「十日の終りになってみると,彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく,また肉も肥え太っていた」のです。(ダニエル 1:15)ダニエル,ハナニヤ,ミシャエル,アザリヤを養っていた家令は,これを見て喜びました。また彼らはエホバの恵みを得ました。「この四人の者には,神は知識を与え,すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した」― ダニエル 1:17。
29,30 政府内に得た地位と贈り物のゆえに,彼らはエホバ神に対する忠節の心を変えましたか。
29 3年間の訓練を経て彼らはカルデヤ人の言語その他の教えられた事柄をすべて学びましたが,自分たちの神を忘れず,またユダにいたときエホバの律法に関して教えられた事を忘れませんでした。王の前に連れ出された時にも,彼らは恐れませんでした。神の助けを得てダニエルは夢を解き明かし,王から沢山の贈り物を与えられ,バビロン全州の総督となり,バビロンの知者を統轄する者の長となりましたが,それでもうぬぼれず,エホバへの忠実を固く守っていました。
30 このような高い地位に上ったダニエルの願いをいれて,王は「シャデラクとメシャクとアベデネゴを任命して,バビロン州の事務をつかさどらせた。ただしダニエルは王の宮にとどまっていた」。(ダニエル 2:49)これら4人のユダヤ人は離ればなれになることなく,自分たちの崇拝を一緒に守っていました。それでも彼らは任ぜられた務めをはたしました。彼らはバビロンのしもべだったからです。しかしこの4人の若者は広い知識を持ち,重い責任を委ねられていたにもかかわらず,国家主義者となって国家を崇拝するようなことをせず,また神への愛を忘れませんでした。返すべきものよりも多くのものを国家に返すことを,彼らは拒絶しました。そのような事をすれば,神に返すものがなくなります。彼らは神のものを国家に返すことをしません。
31 これら4人のヘブル人は,何時かはどんな試練に会いますか。それに関連してどんな疑問が生じますか。
31 エホバ神のしもべは,何時かは必ず試練に直面します。イエスが言われたように,エホバのクリスチャン証者はキリストのゆえに反対や迫害を受けます。これら4人のヘブル人にとっても同様でした。忠実と献身をためす試練が何時かは臨むでしょう。彼らは神に対して忠実ですか,それとも国家に対して忠実ですか。国家を崇拝して神を否認しますか。生命が危うくなれば,国家を崇拝しますか。聖書のダニエル書 3章はそれに答えています。
問題に直面する
32 この問題はバビロンにおいてどのように発展しましたか。
32 ネブカデネザル王は,金の巨大な像を作らせました。高さ60キュビト(27メートル),幅6キュビト(2.7メートル)に及ぶこの像は,バビロンの南およそ10キロにあるバビロン州ドラの平野に建てられました。「ネブカデネザル王は,総督・長官・知事・参議・庫官・法官・高僧および諸州の官吏たちを召し集め,ネブカデネザル王の立てたこの像の落成式に臨ませようとした」。(ダニエル 3:1,2)この中には,バビロン州の官吏であったシャデラク,メシャク,アベデネゴも含まれていました。
33 (イ)3人のヘブル人に関連して,悪魔は何を企てましたか。崇拝を命じた王の言葉は,どのように述べていましたか。(ロ)「我らの国旗」と題する冊子から引用された,どんな興味深い言葉が注の中に述べられていますか。
33 これは3人のヘブル人に対するサタン悪魔の計略であって,バビロンの真の神であるサタンは,国家または像であると旗f であるとを問わず国家の象徴を拝ませようとしたのです。金の像はバビロン帝国の象徴でした。ネブカデネザルの征服した国々において支配者に任命された者はすべて集まり,この像をふしおがむことになっていました。ユダヤ人,アッシリア人,エジプト人その他ネブカデネザルの征服したすべての人に,バビロンの国家主義が強制されたのです。彼らは集まりました。「時に伝令者は大声に呼ばわって言った,『諸民,諸族,諸国語の者よ,あなたがたにこう命じられる。角笛,横笛,琴,三角琴,立琴,風笛などの,もろもろの楽器の音を聞く時は,ひれ伏してネブカデネザル王の金の像を拝まなければならない。だれでもひれ伏して拝まない者は,ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる』と」。(ダニエル 3:4-6)像を拝め,国を崇拝せよとの命令です。それは国家主義にほかなりません。すべての人,地位の上下を問わず支配者たちは,イエスがカイザルと呼んだもの,あるいはその像を崇拝しなければなりません。それは国家主義です。
34,35 3人のヘブル人は問題に直面してどうしましたか。また自分たちの神のどんな戒めを心に留めていましたか。
34 ところが見てごらんなさい。3人の人が立っています。彼らはひれふしていません。想像できますか。彼らは王の令命に従ってドラの平野にまでやって来ました。しかし拝んでいません。なぜですか。彼らは最後の一線まで来ました。彼らは他の人々と共に集まりました。そして試練が臨んだのです。3人は正しい決定を下しました。3人のユダヤ人シャデラク,メシャク,アベデネゴは,モーセに告げられたエホバの言葉を思い起こしました。
35 「我は汝の神エホバ汝をエジプトの地その奴隷たる家より導き出せし者なり 汝わが面の前に我の外何物をも神とすべからず 汝自己のために何の偶像をもきざむべからず又上は天にある者下は地にある者ならびに地の下の水の中にある者の何の形状をも作るべからず 之を拝むべからずこれに事ふべからず我エホバ汝の神はねたむ〔専心の献身を求める〕神なれば我をにくむ者にむかひては父の罪を子にむくいて三四代におよぼし,我を愛しわが誠命を守る者には恩恵をほどこして千代にいたるなり,汝の神エホバの名をみだりに口にあぐべからずエホバはおのれの名をみだりに口にあぐる者を罰せではおかざるべし」― 出エジプト 20:1-7,文語。
36 彼はだれにより頼んでいましたか。
36 3人のヘブル人はこの戒めを理解していました。そして自分たちの神に専心の献身をささげていました。それで人間の作った像や象徴にひれ伏して崇拝することをしません。彼らは自分の生命を愛し,神の救いを信じていました。しかしたとえ生き延びることがなくても,死を恐れる必要はありません。彼らは死者の復活を信じていたからです。3人の行いを知ったネブカデネザルは激怒し,調査を命じました。
37 3人が王の前に連れてこられたとき,事態はどのように発展しましたか。
37 3人はネブカデネザルの前に連れてこられ,王から次のように問われました。「シャデラク,メシャク,アベデネゴよ,あなたがたがわが神々に仕えず,またわたしの立てた金の像を拝まないとは,ほんとうなのか」。(ダニエル 3:14)自分の信任するしもべが王の命令に従わず,「ひれふして拝むだけ」の簡単なことをしないのは,王にとって甚だ遺憾でした。そこでネブカデザルは,考え直すことをうながして次のように述べています。「あなたがたが,もし,角笛,横笛,琴,三角琴,立琴,風笛などの,もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して,わたしが立てた像を,ただちに拝むならば,それでよろしい。しかし,拝むことをしないならば,ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい,どの神が,わたしの手からあなたがたを救うことができようか」― ダニエル 3:15。
38 考え直して拝むようにと言われたとき,3人のヘブル人は迷いましたか。王に何と答えましたか。
38 3人のヘブル人は一瞬といえども迷いませんでした。その心はすでに定まっていました。若い時から,そして王の私設の学校に養われていた時から,彼らは自分たちの仕えるべき神を知っていました。食物に関するエホバの律法を破らなかった彼らが,偶像崇拝に関するエホバの律法を破りますか。そこで直ちに「シャデラク,メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った,『ネブカデネザルよ,この事について,お答えする必要はありません。もしそんなことになれば,わたしたちの仕えている神は,その火の燃える炉から,わたしたちを救い出すことができます。また王よ,あなたの手から,わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても,王よ,ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず,またあなたの立てた金の像を拝みません」― ダニエル 3:16-18。
39 神の清い崇拝を擁護して,同様な答えをしたのはだれですか。
39 信仰! 忠実! このような力強い決定は以来どこで聞かれましたか。サタンがイエスに崇拝の行為をさせようとした時のことを,思い起こして下さい。イエスも答えをためらいませんでした。「そこでイエスは彼に言われた,『サタンよ,しりぞけ。「あなたが崇拝しなければならないのは,あなたの神エホバであり,あなたは彼のみに聖なる奉仕をささげねばならない」と書かれている』」― マタイ 4:8-10,新世。
忠実な者は救われる
40-42 ネブカデネザルの眼前に展開した劇的な出来事を述べなさい。火の炉に関する出来事の最後の結果は何でしたか。
40 3人のヘブル人がどの神を崇拝しているかを,ネブカデネザルは十分に承知していました。しかし縛られて炉に投げ込まれるばかりの3人は,死に直面して忠実をまげますか。国家を拝んで国家主義的になりますか。二人の主人に兼ね仕えようとしますか。国家に返すべきでないものを国家に返しますか。
41 3人は,からだを殺しても魂を殺すことのできない者を恐れませんでした。むしろ「身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれ」て,今日の真のクリスチャンによい手本を残しました。(マタイ 10:28,文語)彼らはネブカデネザルが激怒し,その顔色の変わるのを見ました。7倍も熱くした炉に3人を投げ込めと,王は命じました。彼らを炉に投げ込んだ者たちは,炉の非常な熱さで焼け死んでしまいました。
42 その時ネブカデネザルの見たものは彼を驚がくさせました。急いで立ち上った王はこう言っています,「われわれはあの三人を縛って,火の中に投げ入れたではないか」。「王よ,そのとおりです」と,彼らは答えました。驚いたネブカデネザルは次のように言っています。「しかし,わたしの見るのに四人の者がなわめなしに,火の中を歩いているのが,なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ」。そこでネブカデネザルは火の中の3人に呼びかけ,出てくるようにと告げました。全く驚くべきことに,火の中から出てきたシャデラク,メシャク,アベデネゴを見ると,火は彼らの身にはなんの力もなく,その頭の毛は焼けず,その外套はそこなわれず,火のにおいもついていませんでした。この異常な経験にも,彼らは忠実を証明しました。―ダニエル 3:24-27。
43 エホバの救う力を立証するどんな言葉を,ネブカデネザルは次に述べましたか。
43 ネブカデネザルはこの事に大きく心を動かされました。それで次のように述べています。「シャデラク,メシャク,アベデネゴの神はほむべきかな。神はその使者をつかわして,自分に寄り頼むしもべらを救った。また彼らは自分の神以外の神に仕え,拝むよりも,むしろ王の命令を無視し,自分の身をも捨てようとしたのだ。それでわたしはいま命令を下す。諸民,諸族,諸国語の者のうちだれでも,シャデラク,メシャク,アベデネゴの神をののしる者があるならば,その身は切り裂かれ,その家は滅ぼされなければならない。このように救を施すことのできる神は,ほかにないからだ」。(ダニエル 3:28,29)「このように救を施すことのできる神は,ほかにない」ことを,あなたはいま信じていますか。
[脚注]
a アメリカナ百科事典1956年版,第19巻755頁。
b 同756頁。
c 1963年12月24日,フォーリン・レター(1964年5月22日号「目ざめよ!」29頁)
d アメリカナ百科事典第19巻755頁。
e 同756頁。
f 国防省情報教育局の出版した冊子「我らの国旗」1頁に次のことが出ています。「我々の国旗の起源をたずねるのは,すなわち我が国の起源をたずねることである。新国家建設を目ざしてこの大陸に集まった多くの国の人々からこの国が誕生したように,星条旗も遠い昔の,定かではない幾つかの起源から発して,建国後間もない合衆国の国旗に制定された。
「星は天を表わし,人間が太古の昔から望み見てきた神聖な目標を表わす。しまは太陽から発散する光の象徴である。天体を崇拝した古代エジプトおよびバビロンの昔から,コルテス配下のスペイン征服者の用いた12の星の旗に至るまで,星としまはいろいろな国旗に使われてきた。それはオランダ国旗,17世紀の西インド会社の旗さらにヨーロッパ,アジア,中南米の一部の国々の旗に用いられている」。
32頁に次のことが書かれています。「ワシントン,1959年12月28日,国防長官。「我らの国旗」― 国防関係の出版物は,兵役につくすべての人の益をはかって発行されている。トーマス・S・ゲイト(署名)。ワシントン25D・C,国防省情報教育局」。
[197ページの図版]
「わたしたちはあなたの神々に仕えずまたあなたの立てた金の像を拝みません」。―ダニエル 3:18。