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自分の霊 ― どのように制御できますかものみの塔 1981 | 3月15日
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に遅い者は言い争いを静める」という箴言は何とよく現実に当てはまった言葉でしょう。(箴 15:18,新)自分の霊を制することのできない人は確かに『火に油をそそぎ』,問題を複雑にするのに対して,柔和な霊を示す人は問題を静めます。「答えが柔らかであれば激怒を遠ざけ,痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす」― 箴 15:1,新。
自分の霊を制するなら,本当に有益な結果を刈り取ることになります。それによって悪い結果を避けられるだけでなく,他の人々と仲良くやってゆくことも学べます。また,霊的な兄弟たちを信頼し,兄弟たちに確信を抱くようにもなります。その方が兄弟たちの弱点を繰り返し並べ立てるよりもはるかに良いのではないでしょうか。兄弟たちの良い特質を探し,それに見倣う喜びがあります。その結果,他の人たちはわたしたちに一層親しみを感じ,わたしたちも他の人たちに一層の親しみを感じるようになるでしょう。そうなればますます愛に満ちた雰囲気がかもし出されるに違いありません。
実際のところ,一群の人々が何かの目的をもって集まると,その人たちはある種の「霊」,つまり支配的な傾向を示します。(フィレモン 25)その霊が人を築き上げ励ますものであるか,消極的で気落ちさせるものであるかは,主にその集団の中の個々の人にかかっています。世界各地の幾万もの会衆にいるエホバの証人は,一般に,他の人々を引き付ける健全な霊を示しています。
すでにエホバの証人になっている人は,自分の交わっている会衆の健全な霊に貢献することを目標にしてはいかがですか。自分の霊を制し,温かくて友好的な,人を強めるような態度で他の人々に接するなら,それができます。そうすれば,霊的兄弟姉妹たちの間に,幸福な家族の霊を広めるのに寄与することになります。こうして惜しみなく与えるとき,霊を制する面で自分も助けられるというおまけまで付いてきます。立派な霊は人から人へと伝わり,寛大さは寛大さを生むからです。賢人の述べる通り,「寛大な魂は自分も肥え」るのです。―箴 11:25,新。
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悔い改めを示すことがすべての人に求められるものみの塔 1981 | 3月15日
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悔い改めを示すことがすべての人に求められる
ヨエルの預言は,神のみ前に清くあることの大切さを力強く示しています。イスラエル人は重大な罪を犯していたので,身に災いを受けないために悔い改める必要がありました。悲しげな様子をしているだけでは不十分でした。エホバ神が願っておられたのは,彼らが罪を心から認めることでした。預言者ヨエルは次のように言明しています。「あなた方の衣ではなく,心を引き裂き,あなた方の神エホバに帰れ。主は情け深く,憐み深く,怒るのに遅く,愛の親切に富んでおられ,その災いのために必ずや悔いられるからである」― ヨエル 2:13,新。
イスラエル人はすべて罪人でしたから,年齢にかかわりなく,だれもが神殿に行ってエホバ神のみ前に身を低くしなければならず,幼児でさえ例外ではありませんでした。また,結婚の日の喜びを,神にゆるしを求める祈願の妨げとしてはなりませんでした。ヨエルの預言はこう述べています。「民を集めよ。会衆を神聖にせよ。年寄りたちを集めよ。子供たち,乳房を吸う者たちを集めよ。花婿はその奥まった部屋から,花嫁はその婚姻の間から出よ」。(ヨエル 2:16,新)人は,これらの聖句の精神に沿い,創造者のみ前に清くあることを生活の中の最重要事とすべきです。
乳飲み子は生まれながらに罪を持っていますから,親には,神のみ前でふさわしい立場を保つ重大な責任があることになります。なぜなら,それによって,幼い子供は神聖なもの,清いものとみなされるからです。―コリント第一 7:14と比較してください。
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