決定の谷で諸国民に一致して立ちむかう
「群衆また群衆がさばきの低地にいる。エホバの日がさばきの低地に近いからである」。―ヨエル 3:14,新世。
1 なぜ何時かは決定を下さねばなりませんか。だれがそうすべきですか。
何時か決定を下さなければなりません。有能な裁き人が判決を下すと共にそれを執行しなければなりません。今は不決断を許さない時です。地上の事態が手に負えなくなるまで,放置することはできません。さもないと,どうしようもないほどに分裂した諸国民が全人類にどんな災害をもたらすか分かりません。ただ決定を下し,力と権威をもってそれを実際に行なうことが必要です。人間の常識から見ても,それは明白な事柄です。
2 なぜ多くの人は心配し,希望を見失っているのですか。なぜキリスト教国に希望をかけることはできませんか。
2 私たちは「諸国民が悩み……おじ惑」っている時代に住んでいます。諸国家およびその政治,経済,軍事および宗教上の顧問も,この困難な事態の拾収に当たり得ないことは否定できません。多くの人々はまじめに心配し,また希望を失っています。それは人々が人間的に物事を見るからです。人間自身は無力なものです。人間は自分を救う力のないことを何度も示してきました。人類がキリスト教国に希望を託すことはもはやできません。一度はキリスト教国に頼ったものの,その期待は失望に終わったからです。いまやキリスト教国自体が全人類の滅亡をおびやかしています。―ルカ 21:25,新口。
3 人間を愛する人々はなぜもはや失望すべきではありませんか。この地球の制御はなぜ困難ではありませんか。
3 しかしながら,真実に人間を愛する人々にとって,失望を感ずる必要はもはやありません。時は来て,最終的な決定がすでに下されたのです。全宇宙の偉大な支配者にとって,世界の事態は手に負えないものではありません。全宇宙の偉大な支配者の許しがなければ,事態は今のようにはならなかったことでしょう。物事が今までと同じように何時までも続いて,遂に人間が最悪の事をしてしまうのは,その許し給うところではありません。それで人類を苦しめている事柄をことごとく終わらせることを決定されたのです。その決定を実行に移す時は近づいています。比喩的に言えば,諸国民はその決定が近く執行される,さばきの谷にいます。その義の定めを執行するにあたって,宇宙の小部分に過ぎない地球を制御するのは,いとも容易なことです。その事を行なわれるのは全能の神なる創造主,ただおひとりエホバという名を持ち給うおかただからです。―ヨエル 1:15。イザヤ 40:28。
4 世界の事態を正すために,エホバはなぜキリスト教国を用いませんか。
4 世界の事態を正すために,キリスト教国を用い給うことは絶対にありません。キリスト教国は神とかかわりを持つと主張しますが,その主張は実際にはどんなものですか。キリスト教国は聖書を1150以上に及ぶ国語と方言に翻訳しました。これらの翻訳の多くには多かれ少なかれ,創造主のお名前エホバが出ています。また創造主の聖なるお名前をおさめたこれら聖書の翻訳は,キリスト教国の手によって何億冊も配布されてきました。しかしキリスト教国は,聖書にふさわしく生きませんでした。片方の手では聖書を人類に差し出しながら,他方の手には弾道ミサイルに積んだ核爆弾を持っているからです。
5 キリスト教国はどのようにエフライムの支族に似ていますか。エホバはキリスト教国をどのように扱いますか。
5 キリスト教国は,聖書に出てくるエフライムの支族に似ています。この支族がイスラエルの国民を世の人々との交わりに誘い込んだように,キリスト教国はクリスチャンではない人々と交わってきました。そして自らこの世の諸国民の一部となりました。(ホセア 7:8-11)キリスト教国は,100に及ぶあらゆる種類の国が加盟している国際連合の創立者であり,そのおもな支持者です。キリスト教国がこれら諸国家にまさるところはひとつもありません。むしろ彼らが全世界に配布した聖書に照らしてみるとき,キリスト教国は諸国民よりも大きな悪を重ねてきました。世界の事態を正しくするために,エホバ神がキリスト教国を用いられなかったこと,また今後も用いられないことは全く当然です。エホバ神の定めは,キリスト教国を他の諸国家と同じく,むしろみまえにおけるその責任に応じて厳しく扱うことです。
6 (イ)キリスト教国自身,何を読むことによって神のなさる事を知り得ますか。神はキリスト教国がそれを読んで知るだけにまかせましたか。(ロ)ではキリスト教国が災に感ずるものは何ですか。
6 キリスト教国が今でも配布している神ご自身の本すなわち聖書は,キリスト教国に対して神のなさることを告げています。事実,聖書を読むならば,キリスト教国は「さばきの低地」すなわち谷でご自身のさばきを執行されるとき神が何をされるかを知ることもできます。しかしキリスト教国とこの世の他のすべての国々にご自分の決定を告げるため,聖書に従う真のクリスチャンであるご自分の証者を遣わされました。このようにしてエホバは,キリスト教国に対して警告を与えてこられました。従って知らないという言いわけは,絶対に立ちません。聖書の頒布者がキリスト教国の内外に聖書を配布すること自体は,キリスト教国にとって苦しみとはなりません。しかしエホバが,ご自分のさばきを宣明する油そそがれた証者を遣わされたこと ― これがキリスト教国にとって災,耐えられない苦しみとなってきました。聖書はこの災を預言していたのです。
象徴的ないなごの災
7 かつてだれのみがエホバの律法と戒めを持っていましたか。不従順になるとき,彼らはその土地にどんな災が臨むことを知らされましたか。
7 神がゆえなくして災を下すことはありません。19世紀前までは,エルサレムすなわちシオンに都を持つユダヤ人が神の選民でした。彼らは十戒に述べられた神の律法またモーセや他のユダヤ人預言者を通して与えられたそのほかの律法を持つ唯一の国民でした。そのすべては創世紀からマラキ書に至る霊感された聖書の本の中におさめられています。申命記と呼ばれるモーセの5番目の本の中で,エホバ神は古代イスラエルに対して,その国民が神の戒めを守らないなら,のろいを受けるようになると告げられました。この災はのろいの中のひとつでした。「あなたが多くの種を畑に携えて出ても,その収穫は少ないであろう。いなごがそれを食いつくすからである。あなたがぶどう畑を作り,それにつちかっても,そのぶどう酒を飲むことができず,その実を集めることもないであろう。虫がそれを食べるからである。あなたのもろもろの木,および地の産物は,いなごが取って食べるであろう」。―申命 28:38,39,42,新口。
8 預言されたこの種の災で最悪のものは何でしたか。それを招いた原因は何ですか。
8 預言されていたいなごと虫による災のうち,最悪のものはエホバの預言者ヨエルの警告した災です。エホバ神は,当然の理由がご自身の民の側になければ,この災を送りません。そのわけでエホバはご自身の民に敵対していると,ヨエルの預言の中で言われています。今日,神の民と主張するキリスト教国の人々は,ここで真剣に考慮しなければなりません。
9 ヨエルとはだれでしたか。彼はどんな警告の叫びをあげましたか。
9 しかしこの預言者ヨエルとはだれでしたか。エホバの証者のひとりでした。事実,ヨエルの名は「エホバは神である」という意味です。ヨエルは自分の名の示す通り,エホバが神であるという事実を証言しました。エホバはこのヨエルを用いて,迫ってくる災の模様をご自分の民に告げ,またどうすれば神に願ってこの災をとどめることができるかを告げられたのです。エホバの代弁者としてヨエルは(ヨエル 2:1,2)次のように述べています。「汝らシオンにてらっぱを吹け我聖山にて音高くこれを吹鳴らせ国の民みなふるひわななかんそはヱホバの日きたらんとすればなりすでに近づけりこの日は黒くをぐらき日雲むらがるまぐらき日にしてしのゝめの山々にたなびくが如し」。何という警告のおたけびでしょう。
10 エホバの日にエホバは何をもってご自分の民に臨まれますか。神がそれをもたらす結果は何ですか。
10 この「エホバの日」にエホバは荒廃をもたらす大軍をひきいてこられ,ご自分の民にこの大軍を攻めかからせます。「ヱホバその軍勢の前にて声をあげたまふ其軍旅はなはだ大なればなり其言を為とぐる者は強しヱホバの日は大にして甚だ畏るべきが故に誰かこれに耐ふることを得んや」(ヨエル 2:11)しかしこの場合にエホバの軍勢,「軍旅」は全く異常な種類のものです。後に神ご自身がその何であるかを説明されています。「わたしがあなたがたに送った大軍,すなわち群がるいなご,とびいなご,滅ぼすいなご,かみ食らういなごの食った年をわたしはあなたがたに償う」。(ヨエル 2:25,新口)このような昆虫の大軍が,人間を直接に殺すことはありません。しかし結果は大軍が土地を横切ってあらゆる食糧を徴発し,土地をはだかにし,風景を害し,木を枯らせてしまうのと同じです。その後から襲う飢えとききんのために,無数の人々が死ぬことでしょう。
11 ユダヤ人はどれだけの間,ヨエルの預言の成就を待ちましたか。だれがその成就したことを述べましたか。何時?
11 このようにかみ食らう昆虫の大軍が何年にもわたってイスラエルの土地を襲い,またシオンすなわちエルサレムに侵入したという記録は聖書にありません。しかし聖書は,とびいなご,滅ぼすいなご,かみ食ういなごの災に関するヨエルの預言が,どのように成就するかを示しています。何百年もの間,ユダヤ人はヨエルの預言の成就を待ち望んでいました。そして33年の春,シャボスすなわちペンテコステの日にエルサレムで,ユダヤ人のクリスチャン,ペテロが立って,神の御霊のあらたな霊感の下にこの預言を適用しました。ペテロは,ヨエルの預言しかも昆虫の災を預言している同じ第2章から引用しました。ペテロは,「その後」エホバがあらゆる種類の人に御霊をそそぐと述べたヨエル書 2章28-32節を引用したのです。御霊を受けた人は,若者も老人も,男も女も,奴隷も自由人も,すべてエホバの名によって預言しました。エルサレムに集まったイエス・キリストの忠実な弟子たち120人に神の御霊がそそがれて,奇跡的に外国語で語ったペンテコステの日に,ヨエルの預言が成就したとペテロは言明しました。―使行 2:1-21,33。
12 ヨエルの預言のその部分を成就して,エルサレムで何人の改宗者が生まれましたか。
12 神の霊で油そそがれたこれら120人のクリスチャンの弟子たちが「神の大きな働き」を外国語で語った結果,約3000人のユダヤ人と改宗者がキリスト教に改宗し,水の洗礼を受けました。その後改宗した人の数は,エルサレムすなわちシオンにおいて,たちまち5000人に増加しました。(使行 2:11,41,47,新口; 4:4)しかしこの預言のうち,いなごの災に関する部分はどうなりましたか。
13 洗礼者ヨハネの食物は,ヨエルの預言の成就と関係がありましたか。ペンテコステのその出来事のあとで何が起きましたか。
13 洗礼者ヨハネとイエス・キリストの伝道した4年間に,文字通りのいなごが襲って土地を荒野のように荒廃させたことはありませんでした。たしかに洗礼者のヨハネはユダヤの荒野でいなごを食物にしましたが,それは独居性のもので,災となるような大群ではありません。(マタイ 3:1-4)イエス・キリストは死んで復活を受け,天の御父によって天に呼び戻されたとき,聖霊を受けてペンテコステの日,それをエルサレムの弟子たちにそそぎました。そのあと何が起こりましたか。ユダヤ人の宗教指導者たちとその追随者は災を受けたのです。文字通りのいなごではなく,象徴的なクリスチャンのいなごによる災です。聖霊によって油そそがれたイエス・キリストの弟子たちは,エルサレムの至るところで,預言するわざを行ないました。すなわち神の御国とクリスチャンに反対するユダヤ人の「曲った時代」の滅びを伝道したのです。
14 これらの象徴的ないなごはどこで伝道しましたか。彼らは何によって力づけられましたか。
14 彼らはエルサレムの崇拝の家すなわち宮で伝道しました。また人々の家で伝道しました。これら何千人によるクリスチャンの信者は,神の霊に満たされて,毎日その事をしたのです。(使行 2:40,46,47; 3:1から4:2)彼らをおさえることのできるものは何もありません。彼らは神の霊に動かされて町中を行きめぐりました。エホバ神の御使でさえ,祭司や他の宗教指導者の抗議を物ともせずに進むように彼らをうながしたのです。(使行 4:31; 5:12-20)悔い改めないユダヤ人にとって,これはエホバからの何と大きな災だったのでしょう。
15 ヨエルは宗教指導者に何をするようにと告げましたか。しかし彼らの町と宮はどうなりましたか。そしてなぜ?
15 ヨエルの預言は,襲いかかる災を目前にして何をすべきかを宗教指導者に告げていました。「ヱホバに事ふる祭司等は廊と〔宮の〕祭壇の間にて泣て言へヱホバよ汝の民を赦したまへ汝の産業を恥辱しめらるゝに任せこれを異邦人に治めさする勿れ何ぞ異邦人をして彼らの神は何處にあると言しむべけんや」(ヨエル 2:17)しかし当時のユダヤ人の祭司は,キリストを通しエホバの御名を呼んで救われることを拒絶しました。ゆえに西暦70年に滅びが臨み,ローマの軍隊はエルサレムと宮を滅ぼしてユダヤの土地を荒廃させました。生き延びたわずかなユダヤ人は奴隷となって散らされ,「彼らの神は何処にある」との質問に直面することになったのである。
16,17 (イ)これらの宗教指導者は苦痛を感じていることをどのように示しましたか。災がやんだかどうかを何が物語っていますか。(ロ)どんな災さえも,これほどまでに彼らを悩まさなかったでしょうか。それは何のしるしでしたか。
16 イエスの使徒たちが先頭になって進めた伝道活動は,祭司や仲間の宗教指導者にとって大きな災でした。これについて聖書は次のように述べています,「彼らを〔捕え〕連れてきて,議会の中に立たせた。すると大祭司が問うて言った,『あの〔イエスの〕名を使って教えてはならないと,きびしく命じておいたではないか。それだのに,なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を,はんらんさせている。あなたがたは確かに,あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと,たくらんでいるのだ』」。これに対し,ペテロと仲間の使徒たちはエホバの真の証者であることを示して次のように答えました,「人間に従うよりは,神に従うべきである。…わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた,その証人である」。(使行 5:27-32,新口)使徒たちはむちで打たれたのち,釈放されました。それから使徒たちは何をしましたか。使徒行伝 5章42節は,次のように答えています。「そして,毎日,宮や家で,イエスがキリストであることを,引きつづき教えたり宣べ伝えたりした」。
17 エホバのクリスチャン証者は公に,また家から家に伝道してその教えをエルサレム中にはんらんさせました。文字通りのいなごの災もこれほどまでにはユダヤ人の宗教家を悩まさなかったでしょう。この象徴的ないなごの災は,後に彼らの宗教制度に臨んだ実際の滅びを予告するものでした。
現代の災
18,19 (イ)神は今日,地上に物質の宮また都を持つ必要がありません。それはなぜですか。(ロ)キリスト教国は何の現代的な対型であると主張していますか。しかしどんな面でその対型となっていますか。
18 エルサレムすなわちシオンはその宮と共に西暦70年に滅びました。しかしエホバ神は,イエス・キリストを隅のかしら石とし,その忠実な弟子たちを「生ける石」の建物とする霊的な宮をお持ちになっています。(コリント前 3:16,17。エペソ 2:20-22)神のこの霊的な宮には,クリスチャン使徒と預言者から成る二次的な基礎があります。同じくキリストの霊的な「花嫁」である神の新しいエルサレムも「小羊〔イエス・キリスト〕の十二使徒」を基礎にして建てられています。(ヨハネ 3:28-30。黙示 21:2,9-14,新口)従ってエホバは物質の宮また都を地上にもはや必要としません。今日の宗教界において,キリスト教国は現代において昔のエルサレムすなわちシオンに相当するものと主張しています。しかし現在のキリスト教国は,1世紀のエルサレム(シオン)の如き不忠実なエルサレムに相当するものです。当時のエルサレムは,ろばに乗って入城したイエス・キリストを拒絶し,城壁の外でイエスを殺させました。それからイエスの弟子たちを迫害しました。―マタイ 21:1-16; 23:37-39。
19 いま「組織制度の終結する時」にあたって現代のキリスト教国は神に属すると主張するシオンすなわち「聖なる山」でありながら,ヨエル書 2章1-3節の預言的な警告に耳を傾けることを拒絶しています。
20 (イ)従ってキリスト教国には同じく何が臨まなければなりませんか。(ロ)これがキリスト教国に臨むことを,黙示録はどのように示していますか。
20 キリスト教国は名前だけの神の民です。ゆえにイエスの使徒時代の地上のエルサレムすなわちシオンと同じく,キリスト教国こそ,象徴的ないなごの災から苦しみを受ける今日の宗教組織なのです。ヨエルの預言があらかじめ告げた災は,その宗教組織の上に来なければなりません。「組織制度の終結する時」であるいま,象徴的ないなごの災があることは,聖書の最後の本の中に預言されています。黙示録と呼ばれるこの本は,ローマ人が不忠実なエルサレムを滅ぼしてから約26年後に,使徒ヨハネによって書かれました。ゆえにこの黙示録はすでに滅ぼされた不忠実なエルサレムに臨む事柄ではなく,不忠実なエルサレムの現代的な対型であるキリスト教国に臨む事柄を,象徴的な言葉で述べているのです。黙示録は「すぐにも起るべきこと」を告げ,「時が近づいているからである」と告げています。(黙示 1:1-3,新口)9章には象徴的ないなごの災が描かれています。これは神の宇宙的な戦争が「さばきの低地」で行なわれる前にキリスト教国を襲う最後の三つの災のうちの最初のものです。黙示録 9章1-11節の中でヨハネはヨエルの預言から多くの表現を借りて次のように述べています。
21 ヨハネは天から何が落ちるのを見ましたか。これはだれを象徴していますか。
21 「するとわたしは,一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に,底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。そして,この底知れぬ所の穴が開かれた。すると,その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり,その穴の煙で,太陽も空気も暗くなった」。聖書の中で神の不忠実な僕を象徴する落ちる星は,夜間,視界から消え去ります。しかしこの星はそうではありません。これは神の忠実な僕を祝福し,「この世の支配者」サタン悪魔のしもべたちの上に神のさばきを執行するために御国の力と栄光をもって再び来られた主イエス・キリストを象徴するからです。―黙示 22:16。
22 「底知れぬ所のかぎ」を考慮するとき,どうしてこれは正しい考え方ですか。
22 19世紀前に死んで葬られたとき,イエスは死の底知れぬ所へ行きました。(ロマ 10:6,7)全能の神は3日目に底知れぬ所からイエスをよみがえらせて,閉じることも開くことも自由な「底知れぬ所の穴を開くかぎ」を与えました。ゆえに黙示録 1章18節において,復活ののち栄光を受けたイエスは,ヨハネに与えられた幻の中で次のように述べているのです。「わたしは死んだことはあるが,見よ,世々限りなく生きている者である。そして,死と黄泉〔死んでいる人類の共通の墓〕とのかぎを持っている」。
23 1919年にイエス・キリストがそのかぎを使うことはなぜ必要でしたか。またどのようにそれを使いましたか。
23 ヨハネは黙示録の幻の中で,神の霊的な宮にある主イエス・キリストを見ました。現代の成就において,第一次世界大戦の苦しみのさなかにあった1918年,主イエス・キリストは,クリスチャンの弟子と唱えるすべての人々を試みるためにエホバ神と共に霊的な宮に来られました。あの危機をはらんだ1918年の間,エホバのクリスチャン証者の敵は,戦時の法令と当時の熱狂的な愛国主義,宗教的な憎しみに乗じ,証言のわざを抑圧して中止させ,死んで埋葬されたかのような状態に証者を陥れました。しかし長い間ではありません! 1919年の春に「底知れぬ所の使」王イエス・キリストはかぎを用いて,この霊的な無活動の穴から,油そそがれた追随者の残れる者を解放し,神に奉仕する力を再び与えたのです。それは火のような神のさばきを宣べ伝えるべき時でした。底知れぬ所が開かれたときに立ちのぼった煙は,その事を示しています。
24 「額に神の印がない人たち」とはだれですか。彼らはどのように害を受けますか。
24 そこでヨハネは述べています,「その煙の中から,いなごが地上に出てきたが,地のさそりが持っているような力が,彼らに与えられた。彼らは,地の草やすべての青草,またすべての木をそこなってはならないが,額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと,言い渡された」。このような人々は神の霊によって印を押されていない,従って神の御霊の実を生み出していない偽りのクリスチャン,偽りの霊的イスラエル人です。底知れぬ所の煙の中から出てきたいなごによって表わされている,エホバの油そそがれたクリスチャン証者は,それらの人々に痛み,さそりに刺された時の焼けるような痛みを与えます。どのようにですか。これらの「いなご」の宣べ伝えるさばきの音信が痛みを与えるのです。
25 1919年以来,象徴的ないなごはこれらの人々に対して何をするため出て行きましたか。それは致命的なものでしたか。
25 ヨハネは更に次のように述べています,「彼らは,人間を殺すことはしないで,五ヵ月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は,人がさそりにさされる時のような苦痛であった」。いなご(シストセルカ〔尾の分かれた〕グリガリア)の寿命は約6ヵ月です。従ってその期間だけ,害を与えることができます。1919年,神への奉仕のために再び生気を与えられた象徴的ないなごは,大戦後の世界へと飛び出して行きました。しかし彼らを迫害する者,神の霊によって印せられていないキリスト教国の教職者を殺すためではありません。彼らは神のさばきの音信を宣明するために出て行きました。しかしキリスト教国の宗教指導者はそれを喜びませんでした。彼らはさそりに刺された時のような激しい痛みをおぼえたのです。激しい痛みではあっても,それは必ずしも命取りになるものではありません。―コリント後 10:3-6。
26 エホバの証者はどれだけの期間,苦しみを与えるこの音信で刺すことを許されていますか。教職者は何時この苦しみから解放されますか。
26 エホバの油そそがれたクリスチャン証者の残れる者は,どれだけの期間,この苦痛を与える音信で宗教指導者を刺すことを許されていますか。ハルマゲドンの神の戦いの前,そして彼らが生きている間です。それはいなごに与えられた5ヵ月によって象徴されています。エホバの油そそがれた残れる者は,神の音信を伝道するゆえに彼らを迫害する者たちを神にかわって滅ぼすことを許されていません。従って宗教指導者は生き延びて,神のさばきの音信から苦痛を受けます。このさばきの宣明に耐えるよりも死んだほうがましであると,教職者が考えないわけではありません。使徒のヨハネは彼らのことを次のように述べています。「その時には,人々は死を求めても与えられず,死にたいと願っても,死は逃げて行くのである」。神がさばきを執行して,これら偽善的なクリスチャン教職者を死にわたすことは,ハルマゲドンの宇宙的な戦争の始まるまで延期されます。
27 ヨハネはいなごの様子をどのように描写していますか。これによれば1919年,残れる者は何のために導き出されましたか。
27 これらの象徴的ないなごはどんな姿をしていますか。ヨハネはこう述べています,「これらのいなごは,出陣の用意のととのえられた馬によく似ており,その頭には金の冠のようなものをつけ,その顔は人間の顔のようであり,また,そのかみの毛は女のかみのようであり,その歯はししの歯のようであった。また,鉄の胸当のような胸当をつけており,その羽の音は,馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響のようであった。その上,さそりのような尾と針とを持っている。その尾には五ヵ月のあいだ人間をそこなう力がある」。この描写から,エホバの油そそがれた証者の残れる者は1919年,戦い,すなわち霊的な戦いのために導き出されたことが分かります。この戦いはその年に始まり,普通にハルマゲドンと呼ばれる「全能の神の大なる日の戦闘」の始まる時まで続きます。(黙示 16:14-16)従って彼らは馬に似ているのです。聖書時代に馬は戦いのために用いられました。「戦いの日のために馬を備える」と箴言 21章31節は述べています。
28 いなごの頭にある冠,女のかみの毛,鉄に似た胸当ては何を示していますか。
28 頭にある金の冠のようなものが示しているように,象徴的ないなごは王の戦士です。神の霊によって油そそがれた彼らは「キリストと共同の相続人」であり,キリストの千年の御国における冠とくらいを分かち与えられています。(ロマ 8:16,17,新口。ルカ 22:28-30。黙示 3:11,21)キリスト教国に対するこの霊的な戦いの期間,これらの象徴的ないなごは,「人間の顔」によって示されているように理知を持つ人間に過ぎません。散髪の施設を持たなかった戦場のヘブル人の戦士のように,彼らの髪の毛は女の髪の長さにまでのびてたてがみのようになり,勇ましさにかけてはさながらししのように見えます。(歴代上 12:8)「その歯はししの歯のようであ」るのは当然です。それで彼らは,キリスト教国に対する神の刑罰を告げる強いさばきの音信という固い食物すなわち肉を食べることができます。(ヘブル 5:12。コリント前 3:1,2)神と神の義を愛する器官である心,従って恐れを知らない勇敢な彼らの心はあたかも,つらぬくことのできない鉄の胸当てで守られています。それゆえに彼らは愛と勇気を決して失いません。
29 象徴的ないなごはどのようにすさまじい音を立てますか。またどれだけの期間,印を持たない人々を苦しめることを許されますか。
29 1000マイル以上も飛ぶ羽を持ったいなごの大群のように,彼らが一致してたてる音は,ひづめの音を高く鳴らして戦場に突進する一隊の馬車のひびきのようです。それは猛烈な音です。象徴的ないなごはあたかも家の屋根から叫ぶように,彼らの伝道する区域の遠く広く,神のさばきの音信を伝えます。敵を恐れて声を低くし,その音信をささやくようなことはしません。エホバの宣戦の布告を声高く伝えなければなりません。音信に刺された人々がどんなに苦々しく感じても,その音信は神からのものです。ハルマゲドンの始まるまでの短かい期間,いわば「五ヵ月」のあいだ,象徴的ないなごはさそりのような尾,「御霊の剣」である神の言葉を用いて,神のさばきが向けられた人々を刺さなければなりません。いま感情を気にすることは神の御心ではありません。敵を暴露して,来たるべきさばきを知らせなければなりません。―エペソ 6:17。
30 象徴的ないなごの王はどなたですか。ヘブル語とギリシャ語のその名前は何を意味し,また示していますか。
30 象徴的ないなごは王イエス・キリストに従わなければなりません。ヨハネは次のように述べています。「彼らは,底知れぬ所の使を王にいただいており,その名をヘブル語でアバドンと言い,ギリシャ語ではアポルオンと言う」。復活を受けて天にあるイエス・キリストは「死と黄泉とのかぎ」を持つ「底知れぬ所の使」です。ハルマゲドンの宇宙的な戦争の終りに,イエス・キリストはサタン悪魔と悪鬼どもを捕えて,死の如き無活動の底知れぬ所に投げ込みます。(黙示 20:1-3)人間となって地上に来た時のイエスはヘブル人でした。そしてエホバのさばきの王なる執行者であるいま,滅びを意味するヘブル語のアバドンの名で呼ばれています。(ヨブ 26:6; 28:22; 31:12; 12:23; 14:19)霊感されたクリスチャン聖書の原語すなわちギリシャ語の類似の称号アポルオンは,破壊する者という意味です。この名がはっきりと示すように,イエスはまず敵のただ中で支配し,エホバの正義のさばき,エホバの審判を執行して敵を滅ぼすため,神の右の手にあるくらいにつきます。―ヤコブ 4:12。
31 (イ)どんな点で証者はいなごのように前進しますか。これはどんな性質の表われですか。(ロ)何が彼らを一致させますか。
31 「さばきの低地」でさばきが執行される前にさばきの音信を宣べ伝えなければならない象徴的ないなごは,イエス・キリストを王にいただいています。しかしイエス・キリストは目に見えません。文字通りのいなごに王がないのと同じく,彼らにも見える王はありません。「いなごは王がないけれども,みな隊を組んでいで立つ」。群をなして,すなわち隊を組んで前進するので,いなごは「小さいけれども,非常に賢い」と言われます。(箴言 30:24,27,新口)象徴的ないなごであるエホバの油そそがれた証者も,それぞれの会衆に従って分けられ,一致して前進します。しかしそれはいなごの本能によるのではありません。それは神の霊によって与えられた天的な知恵の賜物です。また神が位につけた天の王イエス・キリストを指導者としてその後に従うゆえに,彼らは印せられていない人々を一致して攻撃します。(黙示 7:2-8; 9:4)喜んで,また従順に彼らは王イエス・キリストの命令に従います。象徴的ないなごの「かみの毛は女のかみのようである」という事実も,この事を表わしているように思われます。女の長い髪は自然にそなわっている従順のしるし,権威を上にいただいている事のしるしだからです。―コリント前 11:10,15。詩 110:3。
とどめることも食いとめることもできない
32,33 (イ)ヨエル書 2章は,災をもたらすいなごを何と述べていますか。どんな面で彼らは強力ですか。(ロ)これは油そそがれた残れる者についてどのように真実でしたか。
32 象徴的ないなごの一致は,ヨエル書 2章2-11節にいっそうくわしく述べられています。その中で彼らは人々であると述べられています。実際にヨエルの預言の成就において象徴的ないなごは人々のことです。「数おほく勢さかんなる民むれいたらんかゝる者はいにしへよりありしことなく後の代々の年にもあることなかるべ火彼らの前を焚き火焰かれらの後にもゆその過ぎざる前は地エデンの如くその過ぎししのちは荒はてたる野の如し此をのがれうるもの一としてあることなし」。
33 いなごは小さな昆虫ですが,大群となって移動するときには強力です。群れをなして数の多いことと,一団となっているために大きな力を発揮します。その数がきわめて多いため,群れをなしたいなごは何平方マイルにもわたって地をおおい,大きな滝の音にも似たうなりをあげて飛びます。そして文字通りに日をさえぎって地上に大きな影を投げかけます。1919年以来の象徴的ないなご,キリストの御国の共同相続者の油そそがれた残れる者についても同じことが言えます。そのひとりびとりは小さく,取るに足りませんが,崇拝と行動において一致するとき,彼らは「ヱホバの御霊によりて能力身に満ち」,力の強い者です。―ミカ 3:8。
34 象徴的ないなごの侵入の前に,火が彼らの前を焼くとはどういうことですか。
34 いなごは夏の暑い月に襲います。同じく象徴的ないなごの大群が襲って「われらの神の刑罰の日」を告げる前には,神の民と自称するキリスト教国の人々に対してエホバの怒りが燃えます。(イザヤ 61:2)エホバが「焼きつくす火」のように怒りを持たれることには当然の理由があります。1919年,キリスト教国は第一次世界大戦によって人命と財産を破壊したうえに,エホバの油そそがれた証者の伝道した神の御国を拒絶して,「地上における神の御国の表現」とうたわれた国際連盟を支持したからです。―申命 4:24。ヘブル 12:29,新口。
35,36 (イ)いなごの侵入の後,炎がどのように彼らのうしろに燃えますか。(ロ)象徴的ないなごはキリスト教国に対し,その前途に影響するどんな知らせを伝えましたか。
35 まず,エホバの象徴的ないなごの軍勢は,神のさばきの音信を携えてキリスト教国を横切ります。そのあと,王イエス・キリストのひきいるエホバの天使の軍勢がキリスト教国を一掃して焼きつくし,灰のほかには何も残さないでしょう。象徴的ないなごの侵入が始まる前にキリスト教国の土地は宗教的なエデンの園のように見えました。キリスト教国には教会会議,カトリック行動,国際共産主義を食いとめる国家主義運動,政治国家との結びつき,その言うところの地上における神の御国の表現があります。
36 エホバの「いなご」の大群が全世界にわたり一致して侵入を始めるまでは,前途は有望に見えました。聖書の預言から彼らはキリスト教国に次のことを知らせました。すなわち全能の神はハルマゲドンの戦いでキリスト教国を荒廃させて荒野のようにし,すべてのものを焼きつくしてしまうという事です。彼らの過ぎ去ったあと,キリスト教国には何の明るい希望も残りませんでした。特に彼らが家から家に訪問して人々の手に渡した聖書の文書は,キリスト教国に対して少しの希望も与えていません。「いなご」の大群が過ぎて,全地の諸国民に前以て知らせを与えたのち,エホバ神ご自身が天の軍勢を用いてキリスト教国と戦い,そのエデンの如き様を打ちこわして荒れ地のようにしてしまうでしょう。彼らはその事を預言しました。
37 1925年,「ものみの塔」はハルマゲドンがどんな戦いであることを明らかにしましたか。
37 ハルマゲドンにおいてエホバが戦われることに注意をうながした音信そのものから,現代におけるいなごの災の実際に始まった時を知ることができます。エホバの証者が発行し,配布する公の雑誌「ものみの塔」の,1925年7月15日号(英文)に,「残れる者」と題する記事が出ました。この記事の中ではじめて,ハルマゲドンは「世の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような大きな患難」と呼ばれる単なる混乱の時ではなく,資本家階級と労働者階級との間の無政府的な闘争でもなくて,天と地にあるサタン悪魔の全制度に対するエホバ神の戦いであることが明らかにされました。「大いなる戦い」という副見出しに続いて44,45節には次のように書かれています。
暗黒の勢力が主に挑む最後の大いなる戦いの時は近い。この事は多くの聖句に照らして明らかである。(黙示 17:14; 16:13-15。マタイ 24:21,22)それは全能の神の大なる戦いである。預言者はこれを何回も「主の日」と呼んでいる。預言者イザヤはイスラエルの忠実な者,すなわち残れる者級に次のように呼びかけている。「主は言われる,『あなたがたはわが証人,わたしが選んだわがしもべである……あなたがたはわが証人である』と主は言われる。『わたしは神である』」。(イザヤ 43:10,13)……悪魔とその制度は残れる者に戦いをいどむために出てゆく。(黙示 12:17)そのことから見て,この戦いにおけるサタンのおもな目的が,いま地上にある「約束のすえ」を滅ぼして神の名誉を人々の前で失墜させるにあることは明らかである。……
63節は次のことを述べています。
……この終りの時における暗黒の勢力との戦いにおいて,なお更そうである。これはキリストの忠実な追随者の戦いではなくて主の戦いである。残れる者を構成する忠実な者たちは次の意味でこれにあずかるであろう。すなわち彼らは歌うことを命ぜられている……我らの力は主にあり,主の喜びは我らの力なりと」。
38 報告によれば1925年,何人が記念式にあずかりましたか。その翌年,「救い」という本はハルマゲドンについて更に何を述べましたか。
38 その年(1925年),キリストの死の記念にあずかった残れる者は,9万434人であったと報告されています。(1925年9月1日号「ものみの塔」(英文)263頁)その翌年(1926年),残れる者は「神の救ひ」と題する本の中でハルマゲドンの戦いについていっそう深い理解を与えられました。「最後の戦ひ」と題するその本の第12章は30頁にわたってハルマゲドンを克明に描写しています。318頁には「之は神の戦ひである」との,心を躍らせる言葉があり,323頁にはまた次のことが述べられています。「聖徒は実戦には参加しないのである。此の戦ひは全能の神ヱホバの戦ひであって,其の指揮者は神の愛子…イエス・キリストである…斯してイエス・キリストは…戦ひ,神の受膏者なる聖徒達の為に戦ひ,神の聖名の為に忠実な証言を為す聖徒たちを擁護されるのである。斯くして…サタンの帝国は地から絶滅した。神ヱホバの聖名は擁護された」。
39 「救い」はおもな出版物としてどこで発表されましたか。その時,エホバの証者は初めて何をしましたか。
39 「神の救ひ」と題するこの本は1926年の5月に発表されました。5月の最後の週に英国のロンドンで開かれたエホバの証者の国際大会において,この本は発表された出版物のうちのおもなものでした。この時はじめて,エホバの証者はロンドン大会の会場から往来に出て道行く人々に聖書の冊子をすすめました。
40 (イ)従って象徴的ないなごの災は何時始まりましたか。だれが苦痛を感じ始めましたか。(ロ)苦痛を与えるこの音信は,どれだけの期間,伝えられるはずでしたか。このわざに携わる残れる者の人数の減少はどのように補われてきましたか。
40 この記念すべき年となった1926年,ヨエルと黙示録に預言された象徴的ないなごの災が始まったのです。エホバの油そそがれた残れる者の宣明したさばきの音信からさそりに刺されたときのような痛みを受けて,キリスト教国の宗教指導者は特別な苦しみを感じ始めました。ハルマゲドンにおけるエホバの戦いを告げ,神がキリスト教国とサタンの残りの世界を滅ぼすことを告げるこの音信は,1926年の文字通りの5ヵ月間だけ伝えられたのではありません。その宣明は今日に至るまでつづけられ,ますます強力に行なわれつつあります。これらの象徴的ないなごは,生きている限り,そしてハルマゲドンの時まで証言をつづけ,宗教的な偽善者と神に敵対する地上のすべての者に対し神の刑罰の音信を宣明して苦痛を与えつづけます。1931年以来,地上にまだ残る油そそがれた残れる者の人数は減っています。しかしその時から何十万人という,神を恐れる羊のような人々が象徴的ないなごに加わって,さばきの宣明を始めました。これらの人々は救いを求めてエホバの御名を呼ぶことを始め,イエスと同じく神に献身して水の洗礼を受けます。
41 このいなごの大群を前進させる力は何ですか。彼らはどのように恐れを知らないことを表わしましたか。
41 エホバ神の御霊は,この増加した象徴的ないなごの群れの背後にあります。モーセの時代に古代エジプトを襲った災が風に乗って来たように,御霊は彼らを前進させます。「ヱホバが東風をおこしてその一日一夜地にふかしめたまひしが東風朝におよびていなごを吹きたりて」(出エジプト 10:13)象徴的ないなごは恐れを知らず,勇気に満ちていました。それは彼ら自身によるのではなく,神の御霊の働きによるのです。それで恐れることなく戦場に走り入る馬のように,この霊的な戦いに飛び込んで行きました。あらゆる宣伝の手段を用いて,彼らは神の御国のよいたよりを知らせ,キリスト教国とその国際的な同盟諸国に対して,エホバの刑罰の日を警告することに力を傾けてきました。
42 その恐れのないことと宣明の与える影響を表わすために,ヨエルはどんな象徴を用いましたか。
42 ヨエル書 2章4-6節はこの人々のことを述べています。「そのかたちは馬のかたちのようであり,その走ることは軍馬のようである。山の頂でとびおどる音は,戦車のとどろくようである。また刈り株を焼く火の炎の音のようであり,戦いの備えをした強い軍隊のようである。その前にもろもろの民はなやみ,すべての顔は色を失う」。
43 (イ)象徴的ないなごは音信を宣べ伝えるとき,どのように整然と行動しましたか。またその災の結果はどんなものでしたか。(ロ)残れる者が「勢さかんなる民」であるという事実は,1931年以来どのようにいっそう真実になりましたか。
43 神の宇宙的な戦争の音信を告げる彼らは,「ハルマゲドン」という聖書の言葉を,人々の口にのぼるほど有名にしました。隊伍を組んだ兵士のように整然と,彼らはキリスト教国に対するエホバの宣戦布告をその領土の至るところに伝えました。いなごの大群は災をもたらします。それで一致して襲うこの象徴的ないなごは「災をわめく者」と呼ばれました。しかしその断固としてやめない事と恐れを知らない事自体,キリスト教国と同盟諸国に滅びが臨むたしかなしるし,また証拠となっています。1931年まで油そそがれた残れる者は預言的に「勢さかんなる民」と呼ばれました。しかし地上の楽園の永遠の生命を求める何十万人の献身した人々が残れる者に加わった現在,これは何と強い群衆なのでしょう! 黙示録 7章9節はこの後者の人々を「あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから」出てきた「数えきれないほどの大ぜいの群衆」と述べています。今までのところその国々の数は181に達しました。
44,45 (イ)大きな害を与えるいなごの移動を食いとめることについて,何と言われていますか。ヨエル書 2章7,8節はこの事実をどのように描いていますか。(ロ)いなごの害と戦うために最近,諸国家の形成した同盟も,どんな侵入を食いとめることができませんでしたか。
44 ミシガン大学の動物学教授が1960年5月12日付ニューヨーク・タイムズ・マガジンに執筆した「大災害となるいなごの移動を食いとめることのできる天敵は知られていない」と述べています。(96頁)象徴的ないなごについても,これは真実であることに注意して下さい。ヨエル書 2章7,8節(新口)は次のように述べています。「彼らは勇士のように走り,兵士のように城壁によじ登る。彼らはおのおの自分の道を進んで行って,その道を踏みはずさない。彼らは互におしあわず,おのおのその道を進み行く。彼らは武器の中にとびこんでも…」。
45 1960年,英国とフランスを含むヨーロッパ,中東,アフリカ,東南アジアの諸国は国際連合の農業食糧機構を通して同盟を形成し,昔からのいなごの害をなくすため一致した運動に乗り出しました。しかし国々がこの運動にどれほどの成果をあげたにしても,全能の神エホバが国々に送った現代の象徴的ないなごの侵入を食いとめることはできませんでした。
46 自己防衛のために築かれた壁は,この侵入を前にしてどうなりましたか。
46 身を守るためのどんなに高い法律の城壁が築かれても,これらのいなごはたとえ国の最高法廷に上告することになろうと,その壁をよじ登ってきました。彼らはこのような壁を乗り越え,前進をつづけました。キリスト教国を守るため,ナチズム,ファシズム,カトリック行動の築いた壁,そしていまロシアの共産主義の壁も,エホバの「いなご」の軍勢の前には役立ちませんでした。
47 音信を携えて前進するとき,象徴的ないなごはヨエルの描いた行進の仕方にどう従いますか。「やいば」もどのように彼らの前進を阻止できませんでしたか。
47 このさばきの音信の宣明に反対する敵に対し,エホバの証者は地下に潜っていても地上にいても次のように言います,「人間に従うよりは,神に従うべきである…わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた,その証人である」。(使行 5:29-32,新口)彼らは神の音信を携え,隊伍を組んで前進します。そして道を踏みはずすことなく王イエス・キリストに従い,互いに押し合って邪魔をすることなく,助け合い,協力し合って進みます。敵の剣に倒れて殺される者,また刑務所,収容所,強制労働キャンプに入れられる者,僻地に追放される者があっても,他の者たちはその持つ自由を用いて活動をつづけ,隊伍を乱しません。
48,49 (イ)彼らはどこへ侵入しましたか。それはだれの手本にならったためですか。(ロ)ヨエルの描写の中でこれはどのように示されていましたか。だれの戦いの叫びに従って前進が行なわれますか。
48 町々,村々そしてキリスト教国のよい所とするあらゆる首都に,彼らははいって行きます。彼らを近づけまいとする障壁にもかかわらず,彼らはそれを貫いて人々の家に行きます。それは「公衆の前でも,また家々でも」伝道して教えた1世紀の使徒のいなごに従うからです。(使行 20:20,新口)ヨエル書 2章9-11節は更に次のように述べています。
49 「彼らは邑をかけめぐり石垣の上に奔り家によぢ登り盗賊のごとく窓より入るそのむかふところ地ゆるぎ天震ひ日も月も暗くなり星その光明を失ふ〔なぜならいなごの大群が飛んでくると天体の光をさえぎります〕ヱホバその軍勢の前にて声をあげたまふ其軍旅はなはだ大なればなり其言を為とぐる者は強しヱホバの目は大にして甚だ畏るべきが故に誰かこれに耐ふることを得んや」。
50 この音信はキリスト教国の前途に何を投げかけますか。キリスト教国はなぜエホバの日に耐えることができませんか。
50 エホバの刑罰を告げるさばきの音信は,昼も夜もキリスト教国とその同盟諸国に明るい希望を与えません。その前途は暗黒に閉ざされています。神の聖なる御名を冒とくし,汚し,非難した者に対して刑罰の執行されるエホバの大いなる,恐るべき日に,キリスト教国は耐えることができないでしょう。エホバの力は強く,象徴的ないなごの軍勢の宣べ伝える預言の言葉をなし遂げるからです。
さばきの谷における壊滅
51 (イ)エホバの民に対するどんな命令から見て,これは肉の戦いではなくて霊的な戦いですか。(ロ)キリスト教国と他のすべての国家に対する神のご命令はどんな種類のものですか。
51 このすべては,見えると見えないとを問わずサタン悪魔の制度に対する霊的な戦いです。それは肉の武器を用いて戦うものではありません。エホバの油そそがれた霊的イスラエルの残れる者と,その献身した仲間である,あらゆる国民から出てきた「大ぜいの群衆」には,エホバの次の命令が与えられています。すなわち彼らは「つるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまとし」,国は国にむかって,つるぎをあげず「もはや戦いのことを学ばない」ということです。(イザヤ 2:2-4,新口)しかしキリスト教国と他のすべての国々に対するエホバの御命令は平和なものではありません。それは戦いをいどませるものです。エホバは象徴的ないなごの大群を通してヨエル書 3章9-11節の言葉を言われます。「もろもろの国民の中に宣べ伝えよ。戦いの備えをなし,勇士をふるい立たせ,兵士をことごとく近づかせ,のぼらせよ。あなたがたのすきを,つるぎに,あなたがたのかまを,やりに打ちかえよ。弱い者に『わたしは勇士である』と言わせよ。周囲のすべての国民よ,急ぎ来て,集まれ」。
52 諸国民は実際にはだれに敵対していますか。彼らはどれだけの兵力を結集しなければなりませんか。
52 諸国家は神の御国の音信を無視して,国際連合制度の内外で自国の主権のために戦っています。諸国家は実際には神に敵対しているのです。彼らはいま最後の決定的な戦いの備えをしています。兵力を総動員しなければなりません。弱い者も不適格者も,説得して戦いに加わらせなければなりません。
53 戦いが近づくにつれて,私たちはエホバに何を祈りますか。
53 「全能の神の大なる日の戦闘」の近づくにつれて,戦いに参加しない傍観者の私たちはヨエル書 3章11節の言葉を祈ります。「ヱホバよ汝の勇士をかしこに降したまへ」。エホバはキリストと天使たちをかしこに下すことを約束されています。
54 (イ)諸国民はどこに来るようにといどまれていますか。その場所の名前はどうして適当ですか。(ロ)1919年以来,エホバはご自分の民に対する諸国民の力をどのように除きましたか。そしてなぜ今彼らを遣わしましたか。
54 ヨエル書 3章12節(新口)はサタンの世に対するエホバのさばきの音信を次のようにつづけています。「もろもろの国民をふるい立たせ,ヨシャパテの谷にのぼらせよ。わたしはそこに座して,周囲のすべての国民をさばく」。この戦いの谷は「ヨシャパテの谷」とよく名づけられています。ヨシャパテの名は「エホバはさばき主である」との意味だからです。またこの象徴的な戦いの谷において,エホバはさばき主の座につかれ,献身した神の民,忠実な証者を迫害して散らした周囲のあらゆる国民に対してさばきを執行されます。1919年以来,エホバは,霊的すなわち宗教的なとらわれから,まず残れる者,その後には「他の羊」の「大ぜいの群衆」を解放して一致させ,一人の羊飼イエス・キリストの下にあるひとつの群れにされました。(ヨハネ 10:16)エホバはいま象徴的ないなごの一致した軍勢として彼らを諸国民につかわし,「全能の神」であるエホバに対して戦うよう諸国民にいどまれます。
55 (イ)戦いの始まるとき,比喩的に言ってエホバの証者はどこにいますか。(ロ)比喩的に言えば,諸国民は何を生み出しましたか。ヨシャパテの谷は何のために好適ですか。
55 ヨエル書 3章13-17節の預言から見ると,この宇宙の戦いがまさに始まろうとするとき,私たちはエホバのさばきの執行される低地すなわち谷にいます。谷を見おろす山の頂きにエホバの一致した証者は立ち,なりゆきを見守ります。諸国民に告げ知らせる彼らのわざは忠実になし遂げられました。諸国民は苦い野性のぶどう,最悪の実である「肉の働き」を生み出したに過ぎないぶどうの木の茂みです。土地をふさぐぶどうの木のように,彼らは切り倒されて土地をあけなければなりません。悪のぶどうの実をつけたその巨大な枝は,切り落とされねばなりません。ヨシャパテの谷は,巨大なぶどうの酒ぶねとして適当な場所です。ゆえに諸国民をその中に投げいれなさい! 神は天使にむかって呼ばれます。
56,57 (イ)エホバは天使たちにむかって何を叫ばれますか。そしてなぜ?(ロ)エホバはどこから声をはなたれますか。エホバのご命令と共に,谷の中では何が始まりますか。
56 「鎌をいれよ穀物は熟せり来り踏めよ酒搾はみちかめは溢る彼らの悪大なればなりとかまびすしかな無數の民審判の谷にありてかまびすしヱホバの日審判の谷に近づくが故なり日も月も暗くなり星その光明を失ふヱホバ シオンよりよびとゞろかしヱルサレムより声をはなち天地を震ひうごかしたまふ然れどヱホバはその民の避所イスラエルの子孫の城となりたまはんかくて汝ら我はヱホバ汝等の神にして我聖山シオンに住むことをしるべしヱルサレムは聖き所となり他国の人〔敵対する諸国民〕は重ねてその中をかよふまじ」。―ヨエル 3:13-17。
57 踏みつぶされるために集められた諸国民に対して,さばき主のエホバがさばきを執行するときは,昼も夜も全く暗い時となるでしょう。天の住み家シオン,すなわち天のエルサレムからエホバが戦いの声をはなたれるとき,その震動によって天地も震い動かされます。エホバは王イエス・キリストに対し,その足台とされた敵を踏むように命じます。王は天使の軍勢と共に巨大なぶどうの酒ぶねに踏み込むように,さばきの谷に踏み込みます。踏みつぶせ! キリスト教国を含む諸国民を踏むことが始まります。「ヨシャパテの谷」「さばきの谷」は「全能者なる神の激しい怒りの酒ぶね」となります。王なる御子イエス・キリストは先頭に立って踏みます。「彼は…全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む」と黙示録 19章15節(新口)は述べています。
58 殺りくはどのぐらい大きなものですか。黙示録 14章20節はこれをどのように描いていますか。
58 全人類の歴史の中でも,これほど大勢の人間が殺されたことはありません。人間の生命を表わす血は流れ出て大きな河のようになります。黙示録 14章20節(新口)はこの恐ろしい光景を次のように描いています,「そして,その酒ぶねが都〔神の制度〕の外で踏まれた。すると,血が酒ぶねから流れ出て,馬のくつわにとどくほどになり,一千六百丁〔二百マイル〕にわたってひろがった」。
59 (イ)だれの生命の血はそこで踏まれて流されませんか。(ロ)どんな事実を彼らは知ると,エホバは言われますか。彼らはそれをどのように知りますか。
59 エホバのさばきは完全に執行されます。諸国民とその悪のぶどうは踏みつぶされてしまい,地は清められて正義の人が楽しんで住むところとなります。すべての人がその象徴的な酒ぶねの中にいるのではありません。すべての人が踏まれてその生命の血を流すのではありません。エホバを避け所,よりどころとした人々がいます。エホバが王イエス・キリストによってその人々の敵また神ご自身の敵を酒ぶね,すなわち「さばきの谷」で踏みつぶすとき,彼らは安全に守られます。保護されるこれらの人々は,霊的イスラエルの残れる者と,救われるために残れる者と一致してエホバの御名を呼び求める献身した仲間の人々すなわち「大ぜいの群衆」です。(ヨエル 2:32)彼らは,エホバから次の預言的な言葉を告げられている人々です。「かくて汝ら我はヱホバ汝等の神にして我聖山シオンに住むことをしるべし」。彼らは息をのみ,畏怖の念をもって安全な高処からさばきの谷を見おろして,エホバのすばらしい勝利を目撃します。エホバはキリストにより,サタンの見える制度の結束した諸国民のすべてに対して勝利を得ます。
60 それゆえに神の勝利を見て私たちは何をしますか。しかしその時まで,私たちは命令に従って何をしますか。
60 宇宙至上権を立証するエホバの勝利を見て,私たち証者は喜びの声をあげてエホバの賛美を歌い,常に,またとこしえまでエホバを私たちの神と認めます。エホバの戦いと大いなる勝利の時は近づいています。その時まで私たちに対するエホバのご命令は,私たちがエホバへの奉仕に一致を保つことです。神の刑罰の日を宣べ伝えつつ,またキリストの御国による永遠の救いの良いたよりを伝道し教えつつ,私たちはこのことをします。
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神の救ひ
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「このように,これらはみなくずれ落ちていくものであるから,神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは,極力,きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には,天は燃えくずれ,天体は焼けうせてしまう。しかし,わたしたちは,神の約束に従って,義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」。―ペテロ後 3:11-13,新口