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神からのつゆのごとく諸国民の中にあって獅子のごとくものみの塔 1962 | 5月15日
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のひきいる現代のアッスリヤによる最終的な攻撃は,全能の神によって許可されるときに必ず行なわれるでしょう。そのとき,私たちはもっともきびしい信仰と献身の試練を受けるでしょう。私たちはいま信仰を持たねばなりません。しかし,そのときはどうですか。私たちはその時にも信仰を持ちます。
30 ミカ書 5章8,9節は,私たちがそのとき勇気を持つことをどのように保証していますか。
30 ミカ書 5章8,9節(新口)は,このことを私たちに保証して,次のように述べています,「またヤコブ〔あるいはイスラエル〕の残れる者が国々の中におり,多くの民の中にいること,林の獣の中のししのごとく,羊の群れの中の若いししのようである。それが過ぎるときは踏み,かつ裂いて救う者はない。あなたの手はもろもろのあだの上にあげられ,あなたの敵はことごとく断たれる」。
31 (イ)ベツレヘムから出た支配者は,獅子のようなアッスリヤの侵略者に,どのように匹敵しますか。(ロ)1919年以来,エホバの民は諸国民の中にあって,どのように獅子のようでしたか。将来,私たちは心をどのように保ちつづけねばなりませんか。
31 現代の全体主義的な「アッスリヤ人」は,昔のニネベによって予影された獅子の首都から来ます。(ナホム 2:11,12)しかし,私たちの指導者は,ベツレヘムから出た支配者で,ダビデよりも偉大な王です。ダビデは,羊飼の少年であったとき,エホバの援助により獅子を殺しました。(サムエル前 17:34-37)私たちの支配者は,「ユダ族のしし,ダビデの若枝」であって,恐れを知りません。(黙示 5:5,新口)1919年以来,霊的イスラエルの残れる者,「残っている者たち」は,諸国民の中にあって獅子のようでした。彼らはキリストを通して述べられたエホバのいましめを恐れずに守り,『全国民へのあかしとして,設立されたエホバの御国の良いたよりを全地』に伝道しました。預言的な「北の王」と「南の王」の両方からの憎しみや,反対,および迫害をうけても,彼らは意気そそうしませんでした。(ダニエル 11:40-45)あらゆる国,支族,国民および言語から来た,献身して洗礼を受けた幾十万という人々も残れる者と共になり,エホバの御霊により獅子のごとき勇気と不敵さを示しました。将来,恐ろしい敵の策略や数で私たちの心がふるえあがることのないようにしましょう。
32 (イ)だれたちにとって,「エホバの日」は,おそろしいものですか。(ロ)ミカ書 5章9節によると,私たちは何に励まされて前進しますか。前進するにつれて,私たちはますますどのような者になりますか。
32 私たちが間もなくエホバの大いなる日にはいるとき,私たちの敵共は恐れを感ずるでしょう。なぜなら,エホバは私たちに対してではなく,彼らに対して滅びのさばきを執行するからです。敵共を打ち破る彼の勝利の御手は高くあげられ,彼に敵対する者はひとりのこらずたち切られるでしょう。すると,恐れを持たぬ残れる者とその仲間の者たちの手も,敵共に対する勝利を得て高くあげられ,私たちの敵共もみな切りたたれることになります。私たちは勝利に励まされて,御国奉仕にいっそう前進して行きます。私たちは,「ユダの族の獅子」の導きの下にすべての国民の中で御国奉仕をします。「私に従いなさい」と彼は言います。彼に従うことにより,私たちの数は露の玉のごとくもっと多くなり,多数の国民の中にあって,エホバ神からのさわやかな祝福となります。かくして彼らにエホバの正義の新しい世における永遠の生命を得させます。
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教師と生徒を教育するものみの塔 1962 | 5月15日
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教師と生徒を教育する
オハイオ州に住むあるエホバの証者は次の報告を寄せてきました。「ある日のこと,学校の先生から電話がかかってきました。8歳になる私の息子が学校中の子供を混乱させているから,直ぐに学校まで来てほしいとのことです。学校に行って話を聞くと,息子がクラスメートに,神のお名前はエホバであることを話したということでした。そこで私は,神が御名を持たれる理由,御名がヘブル語聖書中に6000回以上出ていることを先生に説明し,最後に詩篇 83篇18節を読みました。それ以来,先生はクリスチャンの信仰について息子に沢山の質問をしています」。
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