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ハルマゲドンの苦難のもとでもエホバにあって歓喜するものみの塔 1974 | 3月15日
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ができます。昔の活動を再びよみがえらせるのです。
36 (イ)クシャンの天幕が危害を感じ,ミデアンの天幕の布が激しく揺れるということによって何が例証されていますか。(ロ)そのような者たちは歓喜するどんな人々の中に入っていませんか。
36 ハバククの神が何ものも抗しがたい力で押し進みつつその途上で行なう事がらは,その報告を聞く者,エホバとその選ばれた民に友好的でない者たちすべてを恐怖に陥れます。その例示として,ハバククはクシャンとミデアンの地の天幕生活者たちを用います。これらは密接な関係を持つ,もしくは互いに隣り合う地域です。ミデアンの地はアカバ湾の東方にあり,約束の土地に向かうイスラエル人の直接の進路には当たっていませんでしたが,それでもミデアン人たちは動揺し,天幕の布さえその中に住む者たちの動揺のゆえに揺れ動くほどでした。預言者ハバククは「危害を持つもの」がクシャンの天幕の上にあるのを見ました。天幕居住者たちは,贖い取られた民を伴うエホバの通過がクシャンに住む者たちにはなんら良いものを意味しないことを感じ取りました。彼らを悩ます緊張感や重苦しい気持ちは彼らを害し,苦しめ,不安な状態に陥れました。ハルマゲドンにおけるエホバの進軍の知らせを聞いて苦痛や動揺感に悩む者たちの中にいることは明らかに良いことではありません。そうした者たちは,そうした状況のもとで,たとえ苦難があってもエホバにあって歓喜する人々の中には入っていません。
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個人的な苦難があっても歓喜できるのはなぜかものみの塔 1974 | 3月15日
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個人的な苦難があっても歓喜できるのはなぜか
1,2 (イ)ハルマゲドンのさいに歓喜できるのはどんな人とされますか。(ロ)ハバククは水に対して発揮されたエホバの超人間の力についてどんな描写をしていますか。
ハルマゲドンの時,そのさいに臨む個人的な苦難に面しながらもなお歓喜できるのは祝福された人々です。ハバククは自分の預言的な祈りをさらに続け,ついにそうした歓喜の理由を明瞭にしています。ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」に入るさいのエホバ神の偉業についてさらに描写しつつ,預言者はこう語ります。
2 「エホバよ,あなたの怒りが燃えたのは川に対してなのですか。川に対してなのですか。それとも,あなたの激しい憤りは海に対するものですか。あなたは馬に乗って行かれたからです。あなたの戦車は救いでした。あなたの弓は覆いを除かれてあらわになります。諸部族の立てた誓い,それが述べられたことばです。(セラ)。あなたはさらに,川をもって地を裂かれました。山々はあなたを見,激しい痛みを持つようになりました。水を含む雷雨が通って行きました。水の深みはその響きをたてました。その手を高くもたげました。太陽と月は立ち止まりました。その高大なるすみかに。あなたの矢は光のごとくに進みつづけました。あなたの槍の電光は輝きとなりました」― ハバクク 3:8-11,新。
3 エホバは,紀元前1513年と1473年に,海や川のようなものさえその進路を阻むものとはなりえないことをどのように実証されましたか。
3 山のような障害物もエホバの行進を押しとどめることができないだけではありません。渡り越すことができないと思える川や海も押しとどめることができないのです。紀元前1513年,紅海はそのことを学び知りました。その時,エホバは紅海の水を東から西に二つに分け,解放されたご自分の民を無事にシナイ半島側の岸に渡らせました。紀元前1473年には,洪水期のヨルダン川が同じことを教えられました。その時,全能者なる神は北から押し寄せる流れを切り断って川床を干し,将軍ヨシュアの率いるご自分の民にそこを渡らせて,ついに約束の土地に足を踏み入れさせました。行く手を阻む水に対するこうした処置のゆえに,預言者が,怒りや激しい憤りは川や海に対するものであったのかと尋ねるのはもっともなことでした。エジプトのファラオとその戦車や騎兵たちは紅海を渡ろうと企てながら水にのまれたのに対し,エホバとその天軍はいわば軍馬に乗って突き進み,進行を妨げるように見える川や海の中をさえかき進んだのです。エホバの象徴的な戦車は,その御者を水の深みに運んだのではなく,乗り手を救いへ,勝利へと運びました。
4 エホバはどのようにして水の流れで地を裂き,水の深みをしてその「手」を高くもたげさせることができますか。
4 エホバの霊的なイスラエルの油そそがれた残れる者にとって,これは信仰を大いに鼓舞するものではありませんか。今日のそれらの人々も,古代イスラエルの諸部族と同じように,エホバに対する誓いのもとにあります。それは,み子イエス・キリストを仲介としてエホバに対する新しい契約に入っているからです。彼らは,裁き人バラクや女預言者デボラの時代になされたように,瞬間的な洪水によって地を裂き,敵する者たちをそれにのみ込むことも創造者にとって意のままであることを知っています。上なる空からの水は雷雨として降り注ぐことができます。上から落ちる水とは対照的に,地下の深みの水は噴き出させることができます。それは,水の深みがその手を高くもたげ,敵を滅ぼすために一役買っているかのようです。―ハバクク 3:9,10。
5 ハバクク 3章11節はエホバの光り輝く戦闘の武器をどのように描き出していますか。
5 山々が激しい痛みを持つかのようにもだえる時,エホバは超人間の武器を携えた戦士としてご自身を現わします。その死の投げ矢やそれを推進する道具は単なる人間製の矢や弓ではありません。それらは,弓覆いや矢筒の中にあるかのように,覆われたり隠されたりしているのではありません。とどろく雷鳴や鋭い雷光も神の武器倉の中に入っています。神の持つ死の手だてがその敵に対してひらめくとき,その光は昼も夜もきわめて強烈であり,自然の太陽や月は光明として自分が不要であると感じるかのようです。それは,太陽や月が「立ち止ま」って,光を携えるものとしての機能を果たさず,ただまばゆいばかりに輝くエホバの射出具に照明力を発揮させているかのようでしょう。光を放ちながら高速で飛ぶ滅びの射出具の,畏怖を感じさせるような光景に加えて,槍のようなエホバの大型の武器がすじを描いて空中を走り,その電光によって明るさを増し加えます。そうした戦闘行動が,エホバとその民に敵する者たちに与える精神的な影響について想像してください。
その戦争はだれの救いのために行なわれるか
6 ハルマゲドンにおいて救われる者たちについて,諸国民はどんなことを警告として聞くべきですか。
6 地の諸国民は警告として聞きなさい。彼らが幾十年にもわたって「あらゆる国民の憎しみの的」としてきた人々,その人々をこそエホバはハルマゲドンで救い,一方諸国民自身は,エホバの愛する者たちを憎んだことのゆえに苦しみを身に受ける結果になるのです。預言者ハバククは,霊感のもとにその点を明らかにし,こうことばを続けています。「糾弾しつつあなたは地を行進してゆかれました。怒りをいだいてあなたは諸国民をからざおで打ち進まれました。そしてあなたは,ご自分の民の救いのため,あなたの油そそがれた者を救うために出て行かれました。あなたは邪悪な者の家からその頭たる者を打ち砕かれました。土台はその首のところまでむきだしにされました。(セラ)」― ハバクク 3:12,13,新。マタイ 24:9。
7,8 (イ)この救いは,宗教上のどんな大きなできごとののちに起こりますか。(ロ)地上のどんなものを保護するためにエホバはこの救いをもたらされますか。そして,諸国民をどのように扱われますか。
7 こうして,エホバ神の崇拝者たちは,ハルマゲドン
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