忠節な制度と共に預言する
1 (イ)私たちが神に忠節をささげるとき,何にも忠節をささげることが必要ですか。(ロ)人々は,どんな宗教的な制度に忠節をささげるので,神への忠節をささげていませんか。
天と地を創造して組織した神に忠節を保つためには彼の制度に忠節を保たねばなりません。今日,ある宗教的な制度に忠節を保つなら,神に忠節を保つことであると考える人は大ぜいいます。しかし,彼らはこのことについて間違います。私たちの時代中に生ずると預言されたものの中に,「神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる」人々や制度があります。(テモテ後 3:1,4,5,新口)これらのものは宗教的な主張をし,神に献身している振をします。彼らは司祭,司教,助祭,牧師,および神学博士として任命されている人々のとり行なう宗教的な儀式をします。同時に彼らは物質的なものを求め,霊よりも肉の思いをみたして,彼らが神の真の制度でないことを表わします。彼らはこの世の快楽やスポーツ,ゲーム,およびばくちを愛し,その生涯中に敬虔の実を示しません。彼らの行動は,おもてむきに敬虔そうな振をしても,実際はそうでないことを示します。彼らは偽りの制度に忠節であっても,「主イエス・キリストの父なる神」に忠節ではありません。(エペソ 1:3,新口)彼らは神に偽る宗教制度,すなわち神がご自分の制度として所有せられない制度に忠実です。
2,3 (イ)神はどの制度に忠節を保てと私たちに命じていますか。19世紀前のどんな日は,私たちのためにこのことを決定しましたか。(ロ)その日,クリスチャン会衆は,私たちが忠節をささげねばならぬ制度であると,どのように示されましたか。
2 神は見える制度に聖霊を注ぎ,忠節をささげよと私たちに命じました。いまから19世紀以上のむかし,西暦33年のペンテコストの祭の日に,エルサレム内のユダヤ人の会衆は,彼らこそ神の見える制度であると考えました。この理由のため,それより52日前のこと彼らの祭司や宗教指導者たちは,ローマ総督ポンテオ・ピラトをしてイエス・キリストを罪を犯した奴隷のごとく杭に釘づけさせました。しかし,五旬節のその日に生じたことは,彼らの考えが正しいかをはっきりあかしするものでした。イエス・キリストの弟子たちは,次のことを証言しました。すなわち彼は死んで3日目に死人の中からよみがえらされ復活後の40日間弟子たちにしばしば現われたこと,および彼らはイエスの昇天したのを目撃した,ということです。ユダヤ人の制度から排斥されたこれらの弟子たちは,エホバ神の目に見える新しい制度でしたか。ペンテコストの日は,権威のある仕方でその問題に判定を下しました。
3 その日,神の聖霊は神の是認した会衆の上に注がれました。エルサレムの宮で五旬節<ペンテコスト>を祝っていたユダヤ人の会衆の上にではなく,宮の外の一軒の家の2階に集まっていたイエス・キリストの弟子たちの上に注がれました。120名の弟子たちは,みな聖霊にみたされ,神のすばらしいことについて異言で語りはじめました。それより以前のこと,エホバ神がナザレのイエスに聖霊を注がれたとき,神は天から「これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である」と言われました。同じく,神がエルサレムにあったその最初のクリスチャン会衆の上に聖霊を注がれたとき,神は彼らを是認してユダヤ人のエルサレム会衆を捨てたということをはっきり,目に見えるさまで示すものでした。ユダヤ人のエルサレム会衆は,イエス・キリストを殺したことについて共同の責任を持つものでした。その時以来,エホバの崇拝者がどの制度に忠節を保たねばならぬか,疑問の余地はなくなりました。それはクリスチャン会衆であって,ユダヤ人の宗教制度ではありません。
4 それはどんな預言を成就しましたか。2階の部屋にいた者たちは,どのように預言しましたか。
4 聖霊が注がれて,さまざまな影響が表われたことは,神の預言を奇跡的に成就しました。油注がれた者のひとりで,その日聖霊にみたされた使徒ペテロは,それがヨエル書 2章28-32節の成就であると語りました。その聖句は次のようです,「私は霊をすべての種類の人に注ごう。あなた方の息子,娘は預言し,若者たちは幻を見,老人たちは夢を見るであろう。そして私の男女の奴隷たちに霊を注ごう。……エホバの大いにして恐るべき日の来る前に。だれでもエホバの御名を呼ぶ者は救われる」。(使行 2:1-21,新世)その理由の故に,エルサレムの2階にいた人々は預言しました。すなわち神のすばらしいことを語って他の人々に聞かせました。
5 ペテロの言葉は,御霊の注がれた者たちがその部屋いた120名に限られたかどうか,どのように示しましたか。
5 御霊の注がれることは,エルサレムの2階にいた120人に限定されていませんでした。神は,天で彼の右に居られたイエス・キリストを用いて聖霊を注いだとペテロは語りました。数千人のユダヤ人は,その奇跡についてペテロの語った説明を聞きました。もし彼らがヨエルの預言通り聖霊を得たいとのぞむなら,悔い改め,イエス・キリストの名によって水の洗礼をうけ罪のゆるしを願わねばなりませんでした。そうしてこそ始めて,彼らは「聖霊の賜物を受け」たのです。―使行 2:2-40,新口。
6 聖書の記録によると,御霊はどのようにひきつづき注がれましたか。これは今世紀までもつづきましたか。
6 約3000人の有罪なユダヤ人と改宗者たちは悔い改めて,イエス・キリストの名によって洗礼をうけました。そして,その日,最初の120人の場合と同じく,彼らも聖霊をいただきました。それから約3年半の後,一群れの無割礼のイタリア人は,ペテロの伝道の言葉を聞いて,信者になり,聖霊を受けて異言で預言し始めました。(使行 10:1-46)それから16年の後,すなわちペンテコストから19年後の西暦52年,使徒パウロは小アジアのエペソにいた12人の信者たちに伝道して彼らもイエス・キリストの名によって洗礼を受けました。その後,彼らの上に手を置いて,聖霊は彼らに注がれ,彼らは異言で預言し始めました。(使行 19:1-7)したがって,ヨエルの預言の成就として,聖霊が注がれて預言が語られたことは,西暦33年のペンテコストの日にみな達成されたと考えるべきではありません。それは長年月のあいだつづきました。それでは,聖霊が注がれて預言を語ることは,この20世紀までつづけられてきましたか。そうです。このことを調べることによって私たちはいまどの制度に忠節をささげ得るかどうかをたしかめることができます。
7 預言によると,私たちはどんな日に生活していますか。キリスト教国は,エホバの来たるべき日に安全ですか。
7 聖書の預言の見地に立って,西歴1914年以来の世界の出来事を観察するとき,私たちが,預言された「末の日」に生活していることは間違いのない事実です。いまから19世紀のむかし,エルサレムに宮と祭司たちを持っていた国家的なユダヤ人制度にとって,それは「末の日」でした。キリスト教国の只中で第一世界大戦の始まった西暦1914年以来,神の霊的なイスラエルと称しているキリスト教国は「末の日」にはいっています。それで昔のエルサレムの場合と同じく,キリスト教国にも「エホバの大いにして恐るべき日」がのぞむにちがいありません。悪い組織制度全部がひじょうな艱難の中に滅亡してしまうとき,キリスト教国は「安全」でしょうか。安全ではありません。なぜならキリスト教国はエホバの御名を呼ばないからです。キリスト教国の心は,エホバの御名を恐れるべく統一されていません。キリスト教国は無神論の共産主義を恐れることに一致しています。
8 キリスト教国の教会が私たちの忠節を受けるにふさわしいかどうかを決定する場合,奇跡的な異言を語ることが,その判断の規定になりますか。
8 それでは,献身して洗礼をうけた真のクリスチャンたちは死にいたるまで,キリスト教国,カトリック,および新教徒の宗教的な教会に忠節を保たねばなりませんか。その答えは,次の問を発するときに得られます,これらの制度は神の是認された宗教制度であるという五旬節的な証拠を持っていますか。キリスト教国のいわゆる五旬節派教会のように異言を語らねばならない,という意味ではありません。今日,奇跡的に異言で語ることでは験されません。異言で語る賜物は,キリストの12使徒のいるところ,あるいは彼らが手を置いたときに与えられました。したがって,異言を語る,あるいは解釈するという奇跡的な賜物は,使徒パウロの述べたごとく,12使徒の死と共に過ぎ去りました。(使行 8:14-19; 19:1-7。コリント前 13:1,6-11)パウロの時代のクリスチャン会衆では,神の御霊は八つの奉仕をしました。その八つの奉仕の表の中で,パウロは預言を第2番目,異言で語ることを第8番目,つまり最後に置いています。―コリント前 12:27-31。
9 ヨエルの預言は神の御霊が注がれて生じたどんな効果に言及しましたか。だれが,また何人がこのことに参加することができますか。
9 次の事実を見のがしてはなりません。末の日についてのヨエルの預言があらかじめ告げていたのは,異言で奇跡的に語ることではありませんでした。それは神の聖霊が注がれて預言することでした。この特定な預言は,霊感をうけた特別な預言の賜物ではありません。その賜物は,すべてクリスチャンがあずかり得たものではないのです。それは「神のすばらしいこと」を公に宣明することであり,この種の預言には五旬節以来神の御霊をうけてすべての人があずかることができました。―使行 2:5-11。
10 (イ)今日,預言するということに関して,私たちはキリスト教国の教会につきどんな質問をするべきですか。(ロ)今日,預言すべき「神のすばらしいもの」とは何ですか。
10 私たちは聖書に「末の日」としてしるされている時に生活しています。(使行 2:16,17)したがって,今日のキリスト教国の宗教制度を調べるにあたっては,果たして彼らがエホバ神の御霊をイエス・キリストを通して注がれているかどうかを調べるべきです。そのことを証明する事実として,彼らは前もって告げられた通り預言していますか。任命されている牧師だけでなく,会衆の全員が預言していますか。西暦33年ペンテコストのときに預言され,伝道されたすばらしいものと同じく,今日預言されねばならぬ「神のすばらしいもの」とは何ですか。西暦33年のペンテコストのとき,使徒ペテロは,殺されて復活をうけたイエスが天の神の右で主なるキリストになられたと伝道しました。今日,神の御霊の力の下に預言せねばならぬ「神のすばらしいもの」は私たちの語る言葉ではなく,聖書の預言の語るものでなければなりません。
11 マタイ伝 24章14節によると,今日預言すべき「神のすばらしいもの」とは何ですか。
11 イエス・キリストが人間としてこの地上におられたとき,この末の日について預言し,また私たちが「組織制度の終り」に住んでいることを示す証拠について預言しました。彼はいろいろの証拠について語りましたが,その中で次のことを語られました。「そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:3,4,14)したがって今日預言せねばならない「神のすばらしいこと」とは異邦人の時(「諸国民の定められた」)の終わった西暦1914年以来,神の御国に関することです。そのとき神は約束された御国を誕生させて主なるキリストの手中にゆだねました。新しく生れた御国は,サタン悪魔と悪鬼共に対してただちに戦争をはじめ,彼らを天からこの地近くに追い落としました。そして,エホバ神は迫害をうけていた地上の証者たちを復興させて,あらゆる時代中最大の御国証言を始めさせました。次に,エホバ神は御座の前に「大いなる群衆」を集め始めました。彼らは,新しく設立された御国を支持して宣明する者たちです,特に聖書の最後の本である黙示録の中には,それに関係する他の多くのことも述べられています。
12,13 (イ)牧師たちは,前もって告げられた預言をしているかどうかについて,どう答えますか。このことは聖霊について何を証明しますか,(ロ)それでは,なぜ牧師の制度は救われる制度ではないのですか。
12 これらは「神のすばらしいもの」です。しかし,キリスト教国の宗教制度とその牧師たちは,このように預言されたものについて預言していますか。彼らは,この組織制度の終りは近いと知って,御国のこの良いたよりをすべての国民への証として全世界に伝道していますか。五旬節<ペンテコスト>の日以来使徒や仲間の信者たちは「公衆の前でも,また家々でも」伝道し預言しました。彼らはそのような伝道と預言のわざをしていますか。(使行 20:20; 2:46; 5:40-42)彼らが口頭で告白する言葉,また印刷した出版物の中で告白する言葉は,「いいえ」と答えます。それでは,預言的な聖句に照らして見るとき,彼らが失敗していることは何を証明しますか。こうです,聖霊は彼らの上に注がれておらず,また聖霊の使命は,彼らによって果たされていないということです。
13 彼らは神の御霊のみちびきを受けておらず,マタイ伝 24章14節のイエスの預言を成就していません。そしてこのもっともすばらしい時,神の御国の伝道に最適な世界状勢の只中で,神の御国の伝道をしていません。このわけで,彼らは神の是認を受けることができないでしょう。彼らの制度は救われないでしょう,「人は心で信仰を働かすことにより義とせられ,口でもって公に言い表わして救われるのである」。(ロマ 10:10,新世)このことは,個人について言えるだけでなく,制度についても言えます。人の前で神の御国を告白しない制度はイエス・キリストの仕えている神の御国によっても告白されず,認められないでしょう。―マタイ 10:32,33。
14 今日,キリスト教国が人々に与えていないものは何ですか。それで,キリスト教国には,私たちから何を受けるにふさわしくありませんか。
14 ごちゃまぜの宗派を持つキリスト教国は,今日の世界の人々に真実の安全な指導を与える制度ではありません。その制度に私たちの忠節をささげても,神への忠節を実際に表わすことにはなりません。神に忠節を保っている制度を見出すため,別のところをさがさねばならないでしょう。
15 ヨエル書 2章28,29節を成就するものとして,今日神に忠節を保つ制度は,何をしているにちがいありませんか。
15 私たちのさがさねばならぬその制度は,この「末の日」に神の御霊の注がれている証拠を示さねばなりません。それは,あらかじめに告げられた預言のわざを行ない,『全国民へのあかしとして神の御国のこの良いたよりを全世界で伝道』しなければなりません。あらかじめに告げられたごとく,この伝道または預言は,制度内のあらゆる種類の人も,男も女も,息子も娘も,老人も若人も,男のしもべも,女のしもべも,御霊の注がれたすべての人によって行なわれています。
16 (イ)このことについて,1914-1918年の記録はだれを指していますか。(ロ)イエスは,マタイ伝 24章45-47節の中で,この級をどのように示しましたか。この級の任命には,何がふくまれましたか。
16 1914年に異邦人の時が終わって以来,特に1918年に第一次世界大戦が終わって以来,全世界の人々が研究して偏見のない客観的な結論に達するために記録がつくられました。その記録は,エホバのクリスチャン証者たちの油そそがれた残れる者をさし示しています。「組織制度の終り」に関する証拠についての預言の中で,イエスは,この油をそそがれた残れる者が「忠実にしてさとい奴隷」忠実な僕級であると預言しました。イエスが再臨されるとき,この忠節なしもべ級は時機にかなった霊的な食物を供給しています。また,地上にある王の品物の管理を彼らに命じます。(マタイ 24:45-47)この任命の中には,前もって告げられた御国伝道をすることもはいっています。特に1919年以来,油注がれた残れる者は御国の伝道を行いました。また今でも行なっています。
17 今日,だれが神の任命した制度を認めましたか。彼らはこの事実についてどんな証拠を示していますか。
17 すでに181の国々において,144の言語で御国の証言を受けた幾十万という人々は,神の定め給うた制度を認めました。その制度は神の御国に忠節を保っていますので,クリスチャンがそれに忠節,支持,および協力を与えるのはふさわしいことであります。いま全国民から来た幾十万という人々はそうしており,まず神の御国と義を求めよというイエスの助言に従っています。このことを証明するため,彼らは洗礼をうけて神への全き献身を象徴しました。そして,残れる者と共々に良いたよりの預言すなわち伝道に真心こめて参加しています。―ゼカリヤ 8:20-23。
18,19 (イ)神の注ぐ御霊は,彼の是認する制度が預言することに何を生じさせますか。(ロ)ゼカリヤ書 13章2,3節は,このことにつき何と述べましたか。
18 霊的なイスラエルの残れる者の上に神の聖霊が注がれると,神の真理の預言すなわち伝道だけがなされるのです。イエスはかつてそれを「真理の御霊」と語りました。(ヨハネ 15:26)真理の神の御霊は,神の是認する忠節な制度によって伝道される事がらを清めるものです。彼の御霊は,宗教の仮面にかくれて偽りを預言したり,偽りや間違いを伝道することを許さないでしょう。神の復興された忠節な残れる者とその忠節な仲間たちの制度内に,そのような清めのわざが行なわれています。そのことはゼカリヤ書 13章2-6節の預言の中にあらかじめ告げられており,その2節と3節は次のように述べています。
19 「万軍のヱホバ言たまふ其日には我地より偶像の名を絶のぞき重ねて人に記憶らるゝこと無らしむべし我また預言者およびけがれの霊を地より去しむべし 人もしなほ預言することあらば其生の父母これに言ん 汝は生べからず 汝はヱホバの名をもていつはりを語るなると 而してその生の父母これが預言しをるを刺ん」。
20 前述のことは,何を預言的に示しましたか。私たちの心の状態が何でなければならぬと,これは示しますか。
20 これは忠節について預言的に示したものです。この「末の日」にエホバが御霊を注がれた油注がれた残れる者の制度内にいる者は忠節を保っています。その御霊は,エホバ神と,キリストなるメシヤの御国に対する忠節の霊です。それは最高の神の宇宙至上権を擁護して,支持する霊です。したがって,油をそそがれた残れる者たちは,その忠節が生来の人間関係よりも重んぜられねばならぬことを認めます。それは,両親に対して,あるいは子供に対して,または親密な血肉の親族に対して抱く自然の愛情よりも強いものでなければなりません。神と御子イエス・キリストの御国に対する忠節については,私たちの心に分裂があってはなりません。妥協があってはなりません。
21,22 (イ)マタイ伝 24章14節に関連して,子供たちは献身した両親にどうそむきますか。(ロ)そむく子供に対して献身した両親の処置はどのようなものでなければなりませんか。
21 イエスの預言が明白に示すごとく,いまこそ神の御国の良いたよりをあらゆる場所で,あらゆる言語で伝道するべき時です。これこそいましなければならぬ預言の最中心事です。それでは,神の目に見える制度内の家族の息子が御国についてのこの伝道に反対するならどうするべきですか。もし息子が御国の音信に反対のことを宣明したり,預言したりし制度内の他の者に悪い影響をおよぼし,しかもエホバの名によってこのことをするなら,どうするべきですか。献身して,洗礼を受けた父母は何をするべきですか。彼らは子供を甘やかすことができません。たとえ自分たちの産んだ可愛い子でも大目に見のがすことはできません。
22 息子が偽りの預言をすること,あるいは御国の預言に反対するなら,それは,死にいたる罪であると知らせなさい。自分の息子であろうとエホバの御名によって偽りを語るのはゆるされません。そのような偽りの預言をする子を刺さねばなりません。彼らはその子を霊的に死んだ者と考え,その者との宗教的な交際や交わりを持たず,その預言を拒否しなければなりません。息子がエホバの証者の新しい世の社会から排斥されるのを妨げてはなりません。このときこそエホバの王イエス・キリストの言葉を思い出す場合です,「わたしよりも父または母を愛する者は,わたしにふさわしくない」。―マタイ 10:37,新口。
23,24 (イ)忠節についてのそのような試験は,制度内のだれに対しても行なわれますか。(ロ)ゼカリヤ書 13章4-6節は,そのことをどのように示していますか。
23 しかし,真理と制度に対しての不忠実と不忠を取りあつかうのはいつでも自分の肉親の家族の者であるわけではありません。エホバの復興された残れる者の制度内で密接な友情関係を持つ者も,偽りの不忠実な預言をするでしょう。ゼカリヤ書 13章4-6節は,神の忠節な制度内でそのような事態の結果が何であるかを前もって告げました。
24 こう書かれています,「その日には預言者等預言するにあたりてその異象をはぢん かさねて人を欺かんために毛皮をまとはじ 彼言ん我は預言者にあらず地〔アダマ〕を耕へす者なりすなわち我は若き時より人〔アダム〕に買れたりと もしこれにむかひてしからば汝の両手のあひだの傷は何ぞやと言あらばこれは我が愛する者の家にて受たる傷なりと答へん」。
25,26 (イ)なにが原因で,これらの偽りの預言者たちはまぼろしを恥ずかしく思いますか。その罰はどのように施行されますか。(ロ)そむく者を深く愛する者たちは,何をしなければなりませんか。そして,なぜ?
25 エホバの復興した残れる者の中にいるそのような預言者が,その幻を恥ずかしく思うようになる原因は何ですか。毛衣をつけるたしかな預言者として公に宣伝しようとせず,そのごまかしを容易にするのはなぜですか。不忠実な偽りの預言者たちが叱責を受けるからです。彼らをクリスチャンの仲間として深く愛した人々の家で,彼らは叱責されます。彼らの両親は,おそらく最も彼らを愛する者たちでしょう。昔の神権的なイスラエルでは,そのような偽りの預言者は証者たちの前でさばかれ,あばかれ石で打たれて殺されました。(申命 13:1-11)今日,真のクリスチャン会衆は,偽りの言葉を語り神と神の御国に不忠な行いをすすめる預言者たちを殺すことができません。しかし,会衆は神の御言葉の真理で彼らを霊的に打ち,その心と霊をつよく傷つけることができます。
26 彼らをもっとも深く愛した者こそ彼らを打って傷つけねばなりません。かくして神とその制度に対して第一の忠節を保ち,忠節な目にみえる制度を守ることが必要です。偽りの預言者として恥じを感じさせなさい!「そのような人には注意をして,交際しないがよい。彼ら自ら恥じるようになるためである」とテサロニケ後書 3章14節(新口)は述べています。「勧めなさい……人を教える場合には,清廉と謹厳とをもってし,非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば,反対者も,わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり,自ら恥じいるであろう」とテトス書 2章6-8節(新口)は述べています。この霊的な叱責がきずをつくるならどういうことになりますか。「愛する者が傷つけるのは,まことからであり」と箴言 27章6節(新口)は述べています。
27 そむく者が,そのまぼろしを恥ずかしく思うのは,なぜ良いのですか。恥ずかしく思う彼は,正直に何を告白するべきですか。
27 私たちは,偽りの預言をする彼らを正しい状態に回復させようと努めます。そしてそれらの人々をして,私たちが神の御言葉に忠実を保っていることを証言させるようにしなさい。私たちは神の言葉で彼を打ち,彼を傷つけたのです。彼が神の御言葉と一致しない幻について恥じるようになるのは良いことです。そうすると,彼は神と直接の個人的なむすびつきを持つ特別な預言者の振をして,もはや私たちの中を歩きまわらないでしょう。彼は,なにか新しいもの,ちがったものを預言する特別の預言者があるなどと威張らないでしょう。むしろ,彼は神の注ぎ給うた御霊の影響の下に預言していなかったと認めざるを得ないでしょう。彼は霊的な人ではありませんでした。偽りの預言をした彼は,地的な者,農夫,あるいは子供の頃から買い取られた農夫の奴隷のような地的な「自然人」に過ぎませんでした。彼が信頼に足る預言者であったことは一度もなかったのです。エホバの清められた制度内では彼はまったく成功しないということを認識させなさい。エホバの制度の成員は親しい地的な友以上に神を愛します。
28 それでは,キリスト教国の預言者に対して私たちは,どういう行いをするべきですか。
28 もし私たちがエホバの証者の新しい世の社会内にいる偽りの預言者に反対して彼らをばくろしなければならないのであるなら,神によって任命され,つかわされた者であるかのように,神の御名によって語るキリスト教国の偽りの預言者をもばくろしなければなりません。エホバの証者の新しい世の社会の忠節な制度から偽りの預言者たちを追い出すことにより,これこそエホバの忠節な制度であり,エホバはこの制度を用いてあらかじめ告げた預言のわざをしていることが示されます。
29 (イ)真の預言は,何が表われたものですか。それはどんな人々によって遂行されていますか。(ロ)制度内の各人を一致させると,どんな結果を生じますか。
29 真実の預言は,エホバの御霊の注がれていることを明白に示す証拠です。この預言のわざは,選ばれた少数の者がしているだけでなく,すべての種類の人,全員がしています。これはあらかじめに告げられた通り「御国のこの良いたより」を伝道することです。エホバ神に忠節を保つこの制度内にいて,エホバの御霊にみち彼の定めた預言的なわざをするなら私たちは安全です。エホバ神にむかい私たち各人は,彼の御名を恐れるため私たちの心を統一して下さいと祈るべきです。エホバの御名を恐れて各人の心が統一するなら,制度全部は統一するようになるでしょう。そのとき,制度内にいる者はみな一つの口で語るでしょう。(ロマ 15:6)かくして,私たちは「一つの霊によってかたく立ち,一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられない……彼には滅びのしるし,〔私たち〕には救のしるしであって,それは神から来るのである」。―ピリピ 1:27,28,新口。
30 神に忠節を保つなら,めぐみ深い神は,私たちにどのような処置を取られますか。
30 私たちが神に忠節を保つなら,神も私たちに忠節を保つでしょう。神は私たちの一致した祈りをかなえるでしょう。「わたしに,あなたの恵みのしるしをあらわしてください。そうすれば,わたしを憎む者どもはわたしを見て恥じるでしょう」。(詩 86:17,新口)エホバ神は私たちを用いてあらかじめ告げた預言のわざを完了されます。それは彼らには恥となり,私たちにはめぐみのしるしになります。彼は最後が来るまでご自分の忠節な制度と共に私たちを用いられ,完全に立証されます。―マタイ 24:14。