第11章
テアテラの使いへ
1 テアテラはどこにありましたか。そこではどんな形式の崇拝が行なわれていましたか。
ペルガモンと異なり,テアテラ市では皇帝崇拝は行なわれていませんでした。しかし同市は,ダイアナつまりアルテミスの兄弟である,男神アポロを主神としていただいていました。テアテラ市は,ペルガモンの東南約60㌔の所にあり,使徒ヨハネが囚人として送られていたパトモス島からさらに遠く隔たっていました。西暦1世紀,テアテラには真のクリスチャンの会衆が存在しており,ヨハネは,天的また霊的な光をもって星のように輝くその「使い」へ注意を向けるよう,次の指示を受けました。
2 主イエス・キリストはテアテラ会衆の使いに対しどんなことをほめましたか。
2 「また,テアテラにある会衆の使いにこう書き送りなさい。火の炎のような目を持ち,足は純良な銅のような者である,神の子がこう言う。『わたしは,あなたの行ない,また,あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を,そして,あなたの最近の行ないが以前のものより多いことを知っている。
3 イエス・キリストはテアテラ会衆に対しどんなことを非難しましたか。
3 「『とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称え,わたしの奴隷たちを教えまた惑わして,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる。そして,わたしは悔い改めの時間を与えたが,彼女は自分の淫行を悔い改めようとはしない。見よ,わたしは彼女を病の床に投げ込む。また,彼女と姦淫を犯している者たちが彼女の行ないについて悔い改めないなら,その者たちを大患難に投げ込む。そして,彼女の子どもたちをわたしは死の災厄で殺す。それによってすべての会衆は,わたしが腎と心を探る者であることを知るであろう。そしてわたしは,あなたがたひとりひとりにその行ないにしたがって与えよう。
4 キリストはテアテラ会衆にどんな励ましの言葉を与えましたか。
4 「『しかしわたしは,テアテラにいるあなたがたのうちのほかの者,すなわち,この教えを持たない者すべて,彼らの言う「サタンの奥深い事がら」を知るようにならなかった者たちに言う: わたしはこれ以外の重荷をあなたがたに負わせない。それにしても,あなたがたが持っているものを,わたしが来るまでしっかり守りなさい。そして,征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え,その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。それは,わたしが自分の父から受けたと同じようにであり,わたしはその者に明けの星を与える。耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』」― 啓示 2:18-29。
5 (イ)その音信の中で,主イエス・キリストはどのようにご自分を明らかにしておられますか。(ロ)この時のキリストの姿は,以前,復活後にヨハネに現われた時とどう違いますか。その火のような目,また,「純良な銅」のような足は,何を象徴していますか。
5 ヨハネを通してこの音信を送るかたは,ご自分が神の子であることを明らかにしており,この事実と一致して,神を「自分の父」と語っておられます。彼はその父から,征服を遂げる追随者である「わたしの奴隷たち」と分け合う何かを受けたのです。約二年後,使徒ヨハネはこの点が真実であること,つまり,『イエスが神の子キリストであること,そして,信じるゆえにあなたがたがその名によって命を持つこと』を証明するため,福音書を記すよう霊感を受けました。(ヨハネ 20:31)その63年程前,ヨハネは,復活したイエスが,この啓示の幻の場合とは異なり,弟子たちに見えるよう化肉した様で現われるのを見ました。しかしこの栄光の幻において,神の子は「火の炎のような目」を持って現われます。それは,彼が,人間の視力以上のものつまり,「腎と心」を探り,ご自分の弟子たちが内心では実際にはどんな者であるかを知る能力を持っておられることを,適切に象徴しています。さらに彼は,「純良な銅」,事実,『炉の中で白熱しているときの純良な銅に似た』足をもって現われます。(啓示 1:14,15)これは,神のみ前における彼の清い立場を,なんと輝かしく描写しているではありませんか。
6 (イ)会衆に対するキリストの音信は,なぜ軽々しく受け取ってはなりませんか。(ロ)会衆が愛,信仰,忍耐また立派な行ないを持っていても,何がエホバに対するその立場を汚しているかもしれませんか。
6 したがって,クリスチャンであると主張する会衆へ送られる,復活した,神のみ子からの音信は,軽々しく,また無関心な態度で受け取るべきではありません。星のような監督から,キリストの「奴隷」の最も小さい者に至るまで,会衆の何事も彼の目を逃れることはできません。テアテラの会衆の場合と同じく,栄光を受けた神のみ子は,今日の地上の油そそがれた,ご自分の追随者の残りの者たちから成る会衆の行ない,愛,信仰,奉仕また忍耐をよくご存じです。その会衆が西暦1919年までに明らかにしてきたそうした事柄を,ここで詳細に述べる必要はありません。しかし,会衆がその誉れとしてそうしたほむべき事柄すべてを持っており,その「最近の行ないが以前のものより多い」にしても,会衆および使いのようなその監督の立場は,全体としての会衆の中に何か清くないものが存在することにより,汚れているのかもしれません。その何かとは,性の不道徳,それに偽りの教え,また偶像礼拝かもしれません。しかし悲しいことに,それが捜し出されても清められてもおらず,すべて容認されているのです。
7 (イ)イエスはテアテラの不道徳な女をなぜ「かの女イゼベル」と呼ばれましたか。(ロ)この女は神の会衆の益に反するどんなことを行なっていましたか。
7 残念ながら1世紀テアテラの会衆は,そうした事態に陥っていました。聖書に親しんでいる人にとって,古代イスラエル王アハブの妻である,イゼベルの名ほど不快な響きを持つ名は少ないといえるでしょう。歴史上の人物イゼベルが,エズレルで窓から宦官により放り落とされ,野犬に食いつくされてから(西暦前905年)千年以上も後,テアテラ会衆にそれに匹敵する者がいたのです。炎のような目を持つ,栄光を受けたイエス・キリストが,彼女をその実の名ではなく,「かの女イゼベル」という非難の表現で呼んだのはそのためです。彼女は自分を「女預言者」と呼びましたが,はたしてそうだったでしょうか。せいぜい偽りの女預言者でしかなく,霊感を与える,エホバ神の霊に満たされた預言者ではありませんでした。「かの女イゼベル」は,会衆内の男子の地位を奪い,神のみ子の奴隷たちを教え,「淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせ」ていたのです。これは,崇拝されるべき唯一のふさわしいかたである神に仕える,真の女預言者の行動とはどうしてもいえませんでした。
8 (イ)古代のイゼベルとはだれですか。なぜ彼女はそれほど忌まわしい人物でしたか。(ロ)彼女に匹敵する1世紀の人物は,なぜ一層憎むべき存在でしたか。
8 キリスト時代以前のイゼベルは,異教フェニキアのシドンの王,エテバアルの娘でした。彼は,バアルの妻で偽りの女神アシュタルテに仕える祭司でもありました。(列王上 16:31)イゼベルは夫のアハブ王を唆し,北のイスラエル王国にバアル崇拝を持ち込み,その崇拝のために神殿を建立させました。彼女は,王宮の食卓で400人の偽りの預言者をもてなしていましたが,その外にも,バアルの預言者450人がアハブの王国で公式に認められていました。(列王上 18:19から19:2)王妃イゼベルはまた,イスラエル王国で淫行と魔術を行なうことで有名でした。(列王下 9:22-37)野心に燃えた,彼女の娘アタリヤは,殺害の手段を講じてユダ王国の王位を奪い,約7年間統治しました。(列王下 11:1-20)王妃イゼベルは,古代の背教したイスラエルにあって憎悪すべき存在でしたが,それに匹敵する1世紀のイゼベルすなわち,イエス・キリストが「かの女イゼベル」と呼ばれた者は,なお一層憎悪すべき存在でした。それは偽りの女預言者として,クリスチャン会衆の中で同様に不道徳かつ偶像礼拝的な役割を演じたからです。
「かの女イゼベル」の場合
9 栄光を受けたイエス・キリストが,あわれみをもって「かの女イゼベル」に悔い改めの時間を与えておられる間,彼女は自分のよこしまな行為を広めるためにどんな論議を用いていましたか。
9 「かの女イゼベル」が,「テアテラの会衆にある使い」によってさえ容認されていたので,栄光を受けたイエス・キリストは,彼女が性的魅力を用いて会衆内に邪悪な歩みを推し進める,その巧妙な手段を悔い改めるよう,時間を与えておられました。彼女は,キリストの「奴隷たち」のある者を次のように説き伏せていたものと思われます。つまり,会衆の最近の行ないは以前のものより多いのだから,自分と淫行を犯しても,あるいは,偶像に犠牲にされた物を食べることにより,間接的に偶像礼拝を行なっても構わない。キリスト教を広める努力の面で非常に良い奉仕の記録を持っているのだし,キリスト教を宣べ伝える活動における彼らの記録は,いかなる道徳上の違犯行為も偶像礼拝との妥協も相殺してしまう,と。不忠実な預言者バラムは,女の性的魅力を用いて,イスラエル人を淫行と偶像礼拝に陥れる方法をモアブのバラク王に教えましたが,それと同じく「かの女イゼベル」も,自分の性的魅力に偽りの教えと預言を結び付け,テアテラのクリスチャンを淫行と偶像礼拝に陥れようとしました。(啓示 2:14)彼女は,彼らの良心をなだめる方法を教えたのです。
10 現代における神の民の会衆に,「かの女イゼベル」に該当する者が現われたかどうかを示しなさい。
10 同様に,20世紀におけるキリストの油そそがれた残りの者の会衆内でも,悪魔サタンは女の性的魅力によりクリスチャンを堕落させようとしました。時には無害と見える女性をも用いました。今世紀,「かの女イゼベル」に特に該当するような個々の女は出ておりません。というのは,今日のわたしたちは,古代テアテラの会衆のような特定の会衆を扱っているのではないからです。しかし記録を調べて見ると,女の影響力を用いて真のクリスチャン会衆内に悪い結果をもたらすという面で,悪魔サタンは後れをとっていないことが分かります。この点サタンは,キリスト教世界でたいへん成功を収めているからです。不道徳や偶像礼拝にかかわる悪行を悔い改めなかった者たちには,悲惨な結果が臨んでいます。
11 (イ)イエス・キリストは,現代の会衆における「かの女イゼベル」に対しどんな行動を取られましたか。(ロ)この点に関し,使徒パウロのどんな助言が強調されましたか。
11 栄光を受けたキリストは,今日における「かの女イゼベル」のような者たちを,19世紀前のテアテラ会衆における,不道徳と偶像崇拝を行なった偽りの女預言者同様,嫌悪されます。「火の炎のような」彼の目は,そうした自称クリスチャンに敵対して燃えます。1918年春,ご自分の天の父と共に霊的神殿に来て以来,彼は,「巫術者にむかひ姦淫を行ふ者にむかひ偽の誓をなせる者にむかひ……速に證を」なすことにより,マラキ書 3章1-5節の預言の成就にあずかって来られました。彼は,ご自分の油そそがれた残りの者たちの会衆が,イゼベルのような自称クリスチャンの女性に気をつけるよう,注意を喚起しておられるのです。性的魅力により人をたぶらかし,不品行や種々の偶像礼拝に関して,誤った考えを男子に導入する女たちがひそかに入り込むのを警戒するよう,キリストは彼らの良心を非常に敏感にされました。また,彼らを保護するため,使徒パウロが霊感の下に述べた立場の正しさが,さらに重視されるよう取り計らわれました。「わたしは,[会衆内で]女が教えたり,男の上に権威をふるったりすることを許しません。むしろ,静かにしていなさい」― テモテ第一 2:12。
12 (イ)「信仰の家の者のための日々の天のマナ」と題する本はどんな本でしたか。(ロ)「マナ」の本の編集者による改訂の申し出はなぜ退けられましたか。その代わり,今日に至るまで何が出版されてきましたか。
12 この問題に関して,クリスチャンの良心が敏感にされて行く過程を示す一つの例があります。1905年a,「信仰の家の者のための日々の天のマナ」と題する本が,あるクリスチャン婦人によって出版されました。これはものみの塔聖書冊子協会により配布され,国際聖書研究者たちが朝の祈祷,また特に,水曜日の夜に行なわれた祈りと賛美とあかしの集いで何年も使用しました。その本は,誕生日を記録したり,仲間の聖書研究者のサインや住所を書くのに使われました。1926年ごろ,その本の編集者は,「マナ」の本を改訂して,内容を新しくすることを申し出ました。しかしその申し出は,テモテ第一 2章12節に照らして退けられました。その代わり,同年,日々の聖句と注解を載せた,国際聖書研究者協会の最初の「年鑑」が,ものみの塔聖書冊子協会の会長と協会の執筆陣によって用意され,1927年に用いるため世界各地の会衆に紹介されました。その翌年から毎年新しい「年鑑」が出版され,今日に至っています。
13 イエス・キリストは「かの女イゼベル」にどんな警告を与えましたか。
13 聖書にも教会史にも,テアテラ会衆の「かの女イゼベル」が悔い改めたことを示す記録はありません。実際に彼女が悔い改めなかったのであれば,栄光を受けた「神のみ子」が,彼女に警告した次の言葉をいつ,どのように実行に移されたか,わたしたちには分かりません。「彼女は自分の淫行を悔い改めようとはしない。見よ,わたしは彼女を病の床に投げ込む。また,彼女と姦淫を犯している者たちが彼女の行ないについて悔い改めないなら,その者たちを大患難に投げ込む。そして,彼女の子どもたちをわたしは死の災厄で殺す。それによってすべての会衆は,わたしが腎と心を探る者であることを知るであろう。そしてわたしは,あなたがたひとりひとりにその行ないにしたがって与えよう」。(啓示 2:21-23)これは決して単なる脅しではありませんでした。
14 キリスト・イエスは現代,イゼベルのようなタイプの女が「病の床」に投げ込まれるよう,どのように取り計らっておられますか。悔い改めないなら,彼らは最後にどうなりますか。
14 この警告は,わたしたちの時代に対し,また「ほどなくして必ず起きる事がら」に関し,預言としての意味を持っています。(啓示 1:1)19世紀前の諸会衆の場合と変わりなく,今日の「すべての会衆」も,1918年以来,霊的神殿におられる,栄光を受けた「神のみ子」が,『腎と心を探り』,あなたがたクリスチャン「ひとりひとりにその行ないにしたがって」与えるかたであることを知らねばなりません。イゼベルのようなタイプの自称クリスチャンの女たちは,神の天のみ子により,情欲をこうこつとさせる不倫な性交の床にではなく,悔い改めないため,「病の床」に投げ込まれています。今日までそれは,不道徳で偶像礼拝をするそうした女たちを真のクリスチャン会衆から排斥する,という処置によってなされています。その女たちが身を横たえるには,それは決して幸福な宗教上の床とはいえません。それは,排斥された状態で肉体が死ぬ時に到来する,全き消滅の前触れつまり,霊的死を意味するからです。それ以前に,宗教的な大いなるバビロンの滅び,または,「全能者なる神の大いなる日の戦争」に巻き込まれるなら,神の手にかかって永遠の刑の執行を受けるでしょう。
15 (イ)不道徳な女たちと関係を持った,悔い改めない自称クリスチャン男子の前途には,何が待ち受けていますか。(ロ)その者たちは,たとえ不道徳にいざなわれたのであっても,悔い改めないなら苦しみにあいますか。
15 「彼女と姦淫を犯し」,罪ある者となる自称クリスチャンの男たちは,「彼女の行ない」を悔い改めないため,当然「大患難」に投げ込まれます。不道徳で,偶像礼拝を行なう女たちと同様,その性的魅力と人をたぶらかす論法に屈した者たちも,会衆から取り除かれます。そうすることにより,会衆から非難と堕落の要素が除去されるのです。(コリント第一 5:1-13)霊的に言って,これは彼らに「大患難」を意味してきました。しかし,さらに悪い事態が直前に待ち受けているのです。ハルマゲドンにおける全能の神の戦争に突然襲われるなら,彼らは神の手によって処刑され滅びに行く事態を免れることはできません。(啓示 16:14-16)『世のはじめから今に至るまで起きたことがないような大患難』が突発する時,彼らは滅びに直面します。永久的に神に「選ばれた者」であることを証明しないからです。その選ばれた者たちのために,患難の日は短くされることになっています。(マタイ 24:21,22)イゼベルのような自称クリスチャンの女たちに唆され,この汚れた世と不道徳な関係を持つようになる者でさえ,遅くともハルマゲドンにおいて滅びを受けるでしょう。彼らはこの世の友であり,神の敵であるからです。―ヤコブ 4:4。
16 (イ)「彼女の子どもたち」はどのように「死の災厄」によって殺されますか。(ロ)これはひゆ的な意味ではどのように適用されますか。
16 彼女の淫行の子である,「彼女の子どもたち」は,「死の災厄」で殺されることになっているので,その命の見込みは貧弱なものといわねばなりません。(啓示 2:23)その災厄は,霊的な死をもたらす災厄かもしれません。文字どおりのそうした不倫な,クリスチャンに反する性関係から生まれた子どもたちの霊的遺産は確かに乏しく,また,とこしえの命の希望を持つ,真のクリスチャンとして養育される見込みも望み薄です。霊的に病んだ状態にとどまっているなら,そうした子どもたちは最後には霊的な死と永遠の滅びを受ける危険にあります。これは,「かの女イゼベル」である偽りの女預言者の宗教上の弟子となっている,「彼女の子どもたち」にとっても,なんら良いことの前兆とはなりません。淫行や姦淫を犯す女の道は,死と滅びに至ります。―箴言 7:6-27。
反イゼベル
17 忠実な者たちは,イゼベルの教えや「サタンの奥深い事がら」をどのように避けますか。
17 テアテラ会衆の時代と同じく,今日,『[かの女イゼベルの]この教えを持たない者……「サタンの奥深い事がら」を知るようにならなかった者たち』がいることは明らかです。油そそがれた残りの者の忠実な者たちは,良心を偽善的になだめ,自己欺まんへ導く悪魔的な推論を認めません。「サタンの奥深い事がら」を個人的な経験のために試そうとして,そうした事柄の知識を得ようとしたりはしません。むしろ,神が聖霊を通して自分たちに啓示してくださる,「神の奥深い事がら」に関心を抱くのです。―啓示 2:24。コリント第一 2:10-13。
18,19 (イ)「わたしはこれ以外の重荷をあなたがたに負わせない」,とのイエスの言葉にはどんな意味がありますか。(ロ)キリストの勧告は,西暦1世紀のクリスチャンにあてられた,エルサレムの統治体の手紙とどのように調和しますか。
18 1919年以降のそうした忠実な油そそがれた弟子たちに対し,栄光を受けた,神のみ子は,「わたしはこれ以外の重荷をあなたがたに負わせない」と言われます。それゆえ彼らは,キリストの教えを他の人に宣べ伝えるというような,クリスチャンの業を外面的に行なうことに関して立派な記録を示せさえすれば,献身したクリスチャンが時として性の不品行やある種の偶像礼拝にふけっても霊的な害はないとする,人を唆す,「かの女イゼベル」の論議に決してだまされません。そのような霊的な誘いに抵抗する「重荷」また義務が,忠実な者たちに課せられているのです。それは,1世紀のエルサレム会議の定めの中にある,異邦人のクリスチャンに与えられた指示の範囲に含まれています。それは(一部)次のとおりです。
19 『使徒や年長者の兄弟たちから……諸国民からの兄弟たちへ: あいさつを送ります。……聖霊とわたしたちとは,次の必要な事がらのほかは,あなたがたにそのうえなんの重荷も加えないことがよいと認めました。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行から身を避けていることです。これらのものから注意深く離れていれば,あなたがたは栄えるでしょう』― 使徒 15:23-29。
20 (イ)キリスト教世界の僧職者たちは,どのように「かの女イゼベル」と同じ不道徳な立場を取っていますか。(ロ)僧職者のそうした立場に対し,真のクリスチャンはどんな立場を取りますか。
20 今日わたしたちが,エルサレム会議の定めにめいりように述べられている事柄を無視する,キリスト教世界の僧職者たちに同調することができないのは,こうした重大な理由によるのです。それら僧職者は,自ら同意する成人同士の同性愛の生活には何か美しいものがあり得る,また,婚約者が結婚前に性関係をもったり,独身者が試験結婚をしたりするのは有益であり,道徳上不適当ではないと公言することにより,やはり神のみ子の警告の言葉を無視しています。そのような僧職者は,教派や宗派にかかわりなく,19世紀前のテアテラ会衆内の「かの女イゼベル」と同じ不道徳な立場を取っているのです。わたしたちは,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンに滅びが臨む時,「かの女イゼベル」のように神の裁きの執行を受けたいとは思いません。むしろ,神のみ子が,ご自分の忠実な追随者としてのわたしたちに課される「重荷」を負います。わたしたちは聞く耳をもって,霊が諸会衆に言うことを聞きたいと思います。キリストのような純粋さと義にかたく付き,イエスの言われた,「わたしが来るまで」,その態度を守るのです。
鉄の杖で民を牧す
21 (イ)栄光を受けた主イエス・キリストは,世に対して霊的勝利を得る者たちにどんな報いを差し伸べておられますか。(ロ)彼らがその前途の征服に携わることはなぜ可能ですか。
21 テアテラ会衆への特別な音信の中で,油そそがれた残りの者たちの成員すべては,征服者となるよう励まされています。「そして,征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え,その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。それは,わたしが自分の父から受けたと同じようにであり,わたしはその者に明けの星を与える」。(啓示 2:26-28)忠実な油そそがれた者たちは,肉体で地上にいる間に,敵である世とその邪悪な事物の体制に対して霊的な征服を遂げます。しかし,そうした征服者の前途には,別の征服が待っているのです。それは,ハルマゲドンでの「全能者なる神の大いなる日の戦争」における,現在の事物の体制の文字どおりの滅びを意味します。(啓示 16:14,16)どのようにですか。戦争が始まる前に,死者からの復活があることによってです。
22 (イ)啓示 14章13節の聖句の助けを借りて,西暦1918年以降に死ぬ油そそがれた残りの者たちに何が起こるかを説明しなさい。(ロ)彼らは地的な労からは休みますが,『彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って行きます』。どのようにですか。
22 霊的神殿におけるキリストの目に見えない臨在が1918年春に始まって以来,忠実を証明して死んで行く,キリストの追随者の油そそがれた残りの者の成員たちは,死の眠りに就くことはありません。肉体で死ぬとその直後に即時,霊の復活を受け,神殿におられる,神の天のみ子に加わります。こうして彼らは,神殿における神のみ子の臨在以前に死んだ,忠実な油そそがれた弟子たちには該当しない意味で,「幸い」な者となります。後者の場合は,死の眠りに就き,死者から天の命へ生き返るよう命令する,神殿からのみ子の声を待たねばならなかったからです。(ヨハネ 5:28,29)地的な労からは休むとはいえ,「彼らの行なったことはそのまま彼らに伴って」天の領域へ行きます。(啓示 14:13)地的な労を通して,彼らは諸国民に「神の〔報復〕の日」をふれ告げましたが,復活させられて霊の状態にある今,その神の報復の執行にあずかるのです。(イザヤ 61:1,2〔新〕)神のみ子は,彼らに「諸国民に対する権威を与え」ます。彼らはその権威を地上で持ったことは一度もありませんでした。
23 (イ)神のみ子はどんな権限を父から与えられましたか。(ロ)啓示 2章26,27節のキリストの約束が成就すると,ハルマゲドン前に復活させられる油そそがれた者たちにとって,事態はどのように逆転しますか。
23 このように神のみ子は,彼らがご自分の権威に共にあずかることを許されます。彼はご自分の天の父から,詩篇 2篇7-9節の預言の言葉を成就させる特権を与えられました。「われ詔命をのべんエホバわれに宣まへり なんぢはわが子なり今日われなんぢを生りわれに求めよ さらば汝にもろもろの国を嗣業としてあたへ地の極をなんぢの有としてあたへん 汝くろがねの杖をもて彼等をうちやぶり陶工のうつはもののごとくに打砕かんと」。これと一致して使徒ヨハネは,新しく誕生した神の王国に関し,新しく誕生したその王国が「あらゆる国民を鉄の杖で牧する」と述べています。(啓示 12:5)この世の諸国民は野獣のように,キリストの羊の小さな群れ,つまりその王国の共同相続者たちをえじきにしてきました。しかし今度は,逆の事態が生じます。ハルマゲドンの戦争以前に復活させられる「小さな群れ」の各は,キリストと共に「鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれる」のです。諸国民を打ち砕くことは,ダニエル書 2章44節の王国に関する輝かしい預言の成就に寄与します。
24,25 (イ)ハルマゲドンを経て地上にとどまる油そそがれた残りの者たちは,諸国民を打ち砕く業に加わりますか。それともどうしますか。(ロ)油そそがれた残りの者がその時どんな立場を取るかを示す古代の例があります。どんな例ですか。
24 数少ない油そそがれた残りの者たちは,ハルマゲドンの間,地上で保護されますが,彼らは,地上における悪魔の,目に見える組織の崩壊を速めたり,増大させたりする目的で,なんらかの暴力行為に加わるようなことはしません。神のみ子と復活させられた忠実な追随者たちが,鉄の杖で民を牧し,彼らを陶器師の単なる粘土の器のように打ち砕き始めるまで,それら地上で保護される者たちは,神のメシアによる王国の地的な敵に臨む,差し迫った神の裁きの執行をたゆまずふれ告げるのです。そして,目に見えない天からの破壊の業が始まると,彼らは預言者モーセの次の言葉のとおりにします。彼は,エジプトの激しい追っ手の軍に迫られ,恐怖心に駆られて紅海を渡ろうとしていたイスラエル人にこう語りました。「汝ら懼るゝなかれ立てエホバが今日汝等のために為たまはんところの救を見よ」。(出エジプト 14:13)彼らは,忠実な王エホシャファトの時代にエルサレムが敵の連合軍に襲われた時,その場にいたご自分の崇拝者たちにエホバの預言者が語った言葉を心に留めます。それは歴代志略下 20章14-17節に記録されています。
25 『此大衆のために懼るゝ勿れ慄くなかれ汝らの戦に非ずエホバの戦なればなり……この戦争には汝ら戦ふにおよばず……汝ら惟進みいでて立ち汝らとともに在すエホバの救を見よ』。
26 それにもかかわらず,ハルマゲドンを地上で生き残る残りの者は,啓示 2章27節の約束が自分たちに成就したと感じます。どのようにですか。
26 ハルマゲドンで邪悪な諸国民を滅ぼすため,「鉄の杖」が天から振り下ろされるのを地上で安全に目撃するのは,保護される残りの者たちにとって,『鉄の杖で民を牧す』業に直接加わるのと同じことです。こうして彼らは,啓示 2章27節の約束が自分たちに成就したと感じ,満足し歓喜することでしょう。―詩篇 149:5-9。
明けの星の賜物
27,28 (イ)ハルマゲドン後まで地上に生き残る残りの者に対し,啓示 2章28節のイエスの約束はどのように成就しますか。(ロ)「輝く明けの星」が何かを明らかにする上で,聖書はどのように助けとなりますか。
27 器のような諸国民を打ち砕く事態を生き残り,保護される残りの者たちは,やがて地上の歩みを忠実に終え,それ以前に復活させられた王国の相続者たちすべてと共に,復活を受けた神のみ子が征服を遂げる追随者の各に与えられた次の約束の成就を享受します。「わたしはその者に明けの星を与える」。(啓示 2:28)彼らはその象徴的な「明けの星」が,栄光を受けた神のみ子ご自身であることを知っています。なぜなら,彼はこの驚くべき啓示の終わり近くで,使徒ヨハネにこう言われたからです。「わたしイエスは自分の使いを遣わし,諸会衆のためこれらのことについてあなたがたに証しした。わたしはダビデの根また子孫であり,輝く明けの星である」。(啓示 22:16)聖書預言は,神の選ばれた民の王たちを天の星になぞらえました。それは,使いにも似た,アジアの七つの会衆の監督たちが,神のみ子の右手にある七つの星になぞらえられたのと同じです。(啓示 1:16,20)それより15世紀前,王統「ダビデの子孫」としてのイエスに関し,次の預言がなされました。
28 『ヤコブより一箇の星いでんイスラエルより一篠の杖おこり……権をとる者ヤコブより出で遺れる者等を城より滅し絶ん』― 民数 24:17-19。
29 (イ)古代バビロンの王によって表象された悪魔サタンは,「輝く明けの星」の上にどのように自分の座を据えることを望みましたか。(ロ)西暦1914年以降,悪魔のこの野心に関して実際には何が起こりましたか。何が悪魔と悪霊を待ち受けていますか。
29 古代バビロンの王によって表象された悪魔サタンは,この「輝く明けの星」の上に,自分の天の座を定めることを望みました。彼は,バビロンの王が西暦前617-607年の間,星のような,エルサレムの王たちの上に自分の地的な座を定めたことを思い起こしました。バビロンの王はそうするにさいし,エルサレムの二人の王を流刑に処してバビロンに送り,彼らの王座のあった都エルサレムを滅ぼしました。これはすべて,明らかにされていた彼の決意を果たすものとなりました。『われ天にのぼり我くらいを神の星のうへにあげ 北の極なる[エルサレムの]集会の山にざすべし』。(イザヤ 14:4,13。列王下 24:10から25:21)西暦1914年以来,これと反対のことが悪魔サタンにすでに起こりました。というのは,彼は天から放逐され,地球の近辺に投げ落とされたからです。目に見える彼の地的組織がハルマゲドンで滅ぼされた後,サタンと悪魔は封印され,底知れぬ深みの中で鎖につながれます。彼らはその場所で,「輝く明けの星」が,解放された人類に対する千年間の統治を成功させた後にもたらす滅びを待つのです。(啓示 12:3-13; 20:1-10)その時,「明けの星」はなんと明るく輝きわたることでしょう。
30 栄光を受けた,神のみ子は,ご自分の会衆の忠実な征服者の各に,どのように「明けの星」を与えられますか。
30 これらのことすべてを考えると,栄光を受けた神のみ子は,ご自分の会衆の忠実な征服者の各に,どのように「明けの星」を与えられるのでしょうか。明らかに,ご自身を与えることにより,つまり,彼らをご自分との最も親密な関係に迎え入れることによってです。その結果,彼らは,天の被造物の他のだれも享受することのない,親密な関係を得るのです。このようにして彼らは,神のことば聖書の預言の中でこの「明けの星」に関して予告されていた多くの特権を,彼と分かち合います。彼と共にその仲間の征服者はとこしえに輝き,エホバに栄光をもたらすのです。―ダニエル 12:3。マタイ 13:43。
31 「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」,とイエスが言われるのはなぜですか。
31 このような壮大な約束を考慮すると,神のみ子がテアテラの会衆の使いに対する音信を次の知恵の言葉で閉じたのは,非常に適切なことであるといわねばなりません。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」― 啓示 2:29。
[脚注]
a 1905年11月15日号の「ものみの塔」誌(英文),346ページの発表をごらんください。