-
ほかの何をしているときでも宣べ伝えなさいものみの塔 1974 | 7月1日
-
-
の関心を呼び起こしたのは,あなたの良い模範であったかもしれず,あなたの訪問あるいはあなたが書いた手紙であったかもしれません。実際には別の人がその聖書研究を司会して彼らの関心と知識をさらに深めたかもしれませんが,その「推薦の手紙」を書くことにはあなたも貢献しているのです。ほんとうに神の民は全部,エホバの証人に奉仕者の資格が十分ある証拠として,近年バプテスマを受けたクリスチャンとなった人びとを指摘することができます。―コリント第一 3:7。コリント第二 3:1-6。
23 なぜエホバの証人は,宣べ伝えるわざを生活のなかで最優先させますか。彼らが宣べ伝えるわざに成功する秘けつは何ですか。
23 年齢や性や教育的背景の別なくすべてのクリスチャンが伝道すべきことは,神のご命令であることをわたしたちは知りました。また,宣べ伝える者としてのわたしたちの成功は,神への愛の強さ,信仰の質,そして同胞に対する愛の深さにかかっていることもわかりました。また,宣べ伝えるための多くの機会が開かれていること,そして結果がすぐに表われないように思えても落胆すべきでないことに気づきました。忍耐と,共同社会のなかでの忠実な模範はその実を刈り取ります。エホバの証人が過去幾年にもわたって行なってきた宣べ伝えるわざの結果は彼らにとって励ましとなり,エホバのみ名にとっては誉れとなっています。ですから,良いたよりを宣べ伝えるわざにおいて何をしていても,そのりっぱなわざを続けてください。
-
-
神はどのような神殿の中に見いだせるかものみの塔 1974 | 7月1日
-
-
神はどのような神殿の中に見いだせるか
宇宙の主権者は,地上の人間がご自分に近づくためのはっきりとした道を明確に指定しておられます。これは論理にかなったことであり,当然のことです。低い立場にある,被造物である人間が,なんの許しもなく,また正しい態度や作法もわきまえずに宇宙の主権者の前に出られると考えるのは道理に合いません。
神に近づくことは可能です。ある人々が唱えるように,神は「死んでいる」のではありません。つまり,引き下がって人間を全く放置し,わたしたちの問題を聞いたり人間のために何か行なったりすることをしなくなっておられるのではありません。イエス・キリストの一使徒はこう言明しました。「[神は]定められた時と人びとの居住のための一定の限界とをお定めになりました。人びとが神を求めるためであり,それは,彼らが神を模索してほんとうに見いだすならばのことですが,実際のところ神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」― 使徒 17:26,27。
神は遍在しているのではありません。つまり,同時にすべての場所に,すべてのものに浸透する霊として存在しているのではありません。すべてのものが神の一部を成しているというのでもありません。神はすべてのものを創造されたのです。神は人格的存在者ですから,そのおられる場所があります。それは神の住まれる場所であり,そこで神に近づくことができます。その住まいは天に,つまり目に見えない領域にあります。―マタイ 6:9。
神は特別の取決めを設けられましたが,それはご自身の便宜のためではなく,神に近づこうとする人間の便宜のためです。神はそのためにご自分の天の住まいのさまを変更されました。み使いたち
-