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あなたの時間またはあなたの金銭?ものみの塔 1961 | 9月1日
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それをなんと惜しみなく与えたことでしょう。「このように,あなたがたを慕わしく思っていたので,ただ神の福音ばかりではなく,自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに,あなたがたを愛したのである。兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち,あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って,日夜はたらきながら,あなたがたに神の福音を宣べ伝えた」。だからこそパウロはこう言ったのです,「堅く立って動かされず,いつも全力を注いで主のわざに励みなさい」。―テサロニケ前 2:7-9。コリント前 15:58,新口。
これこそまさにエホバの証者の見方です。給料を払う牧師級を設けぬことによって費用を最少限に保つので,お金の問題はあることはあっても時たま発表されるだけです。しかしエホバの証者は,時間に非常に重点を置きます。各証者は,毎週五つの,1年に260の会衆の集会に出席することを励まされており,また個人的な,家族的な聖書研究に時間を用い,野外奉仕にも同じほどの時間をささげます。会衆の伝道者は,1ヵ月に平均10時間を,そのような福音伝道に用います。彼らは,自分自身のために「時を生かして用い」ることを心得ています。―エペソ 5:16,新口。
そればかりか,各奉仕者の前には,開拓者,特別開拓者または宣教者となって,1ヵ月に100時間から150時間を伝道にささげるという目標が置かれているのです。事実ものみの塔協会は,もし奉仕者のまえに,多くのお金を与えるという道と,多くの時間を与えるという二つの道が開かれているなら,ぜひ,より多くの時間を与えることができる道を選ぶことを最初から強調してきました。そうすることによってその奉仕者は,イエスとその使徒たちの足跡に,より密接に従って,まず神の「御国を求め」ることになります。―マタイ 6:33,新口。
この道を追い求めた結果,エホバの証者の新世社会は,急速に拡大する社会となったばかりでなく,非常に強いものとなりました。なぜなら,それを構成する各人が,他の人々に伝道し,教える場合,必ず彼ら自身に益があるからです。「物惜しみしない者は富み,人を潤す者は自分も潤される」と書かれているからです。同時にそのことは,幸福な人々の社会をつくるのに貢献します。「受けるよりは与える方が,さいわいである」からです。―箴言 11:25。使行 2:35,新口。
ですから,夫,妻,両親,特に献身したクリスチャンたちは,天が下にはよろずのことに時があることを忘れないで下さい。お金を与えることは称賛に価することです。しかし,時間を与えるという自分の義務をお金に肩代わりさせることがないようにしましょう。「あなたの手に善をなす力があるならば,これをなすべき人になすことをさし控えてはならない」。自分の真の幸福のためと,他の人の最善の福祉のために,自分の時間を与えましょう。―箴言 3:27,新口。
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報いられた忠実ものみの塔 1961 | 9月1日
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報いられた忠実
トリニダードからの報告
エホバに対する忠実は,いろいろ異なった面で報いられ,忘れられることがありません。50年を全時間奉仕にささげ,その中の30年をナイジェリアで過ごして,いまはトリニダードに住んでいるブラウン兄弟は,つぎのような電報を受け取りました。「ナイジェリア連邦政府は,ラゴスにおける独立祝賀祭に貴下と御夫人をご招待することを光栄と致します。御都合はいかがでしょうか。……往復の旅費およびナイジェリアご滞在中の生活費,交通費は政府が負担致します……署名,ナムジ・アジキウ,上院議長,国会議事堂,ラゴス,ナイジェリア」。ブラウン兄弟は,ナイジェリアにいる間に,現在のナイジェリアの最初の総督となった人の親しい友人になっていたようです。そして,その人は,ナイジェリアでの同兄弟の熱心な宣教活動を忘れていなかったので,帰ってきて旧交を温めるよう招待したわけです。もちろん彼は,むかしのすべての神権的な友だちは言うまでもなく,1951年に彼がナイジェリアを離れた後真理の知識をもつようになった多くの新しい人と会うことを楽しみにしています。―1961年のエホバの証者の年鑑より
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