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翻訳聖書 ― どれを選んでも構いませんかものみの塔 1979 | 11月15日
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の翻訳は,そのような者がすでに『自分の報いを受けている』とすることで満足しています。しかし,ギリシャ語の動詞アペコーは,「新世界訳」の伝えるとおり,はっきりした考えを表わす言葉です。つまり,それらの者たちは,「自分の報いを全部受けているのです」。(マタイ 6:5)それらの者たちは人間からの賞賛を求めており,彼らが受けるのはそれだけです。イエスの言葉は実に鋭いものではありませんか。
1611年のジェームズ王欽定訳は,三つの異なったギリシャ語,ハデス,ゲヘナ,タルタロスの訳語として「地獄」という語を常に用いています。現代の翻訳は大抵これらの語を訳し分けてはいますが,「新世界訳」ほどには一貫していません。ギリシャ語から音訳されたハデスという語の字義通りの意味は,「見えない所」です。使徒 2章27節に示されているとおり,ペテロによるこの語の用法は,それがヘブライ語のシェオル(人類共通の墓)と同義語であることを示しています。一方,エルサレムの南西に位置するヒノムの谷を表わすゲヘナは,永遠の滅びを象徴します。タルタロスという語は,ペテロ第二 2章4節に一度だけ現われる,堕落したみ使いである霊にだけ当てはめられています。
多くの誠実な人々にとって,「地獄」という語は,人々が受けた宗教教育のゆえに感情のからむ問題となっています。ギリシャ語の簡明で正確な訳は,偽りの教えを除き去ります。しかし,すべての翻訳者がそれを望んでいるわけではありません。マタイ 7章13節の次のような意訳にもそれがうかがわれます。「狭い門を通ってはいりなさい。地獄に至る門は広く,そこに至る道は易しく,そこを旅する者は多いからです」。(「福音聖書」)ここで,「滅び」を意味するギリシャ語アポレイアに対して,「地獄」という訳語を当てると,かなりの誤解を招きます。字義通りの「新世界訳」の厳密な訳はあいまいな点をすっかり払い去り,こう述べています。「狭い門を通ってはいりなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通ってはいって行く者は多いからです」。(啓示 9章11節で,ヘブライ語「アバドン」と共に音訳されているギリシャ語の「アポルオン」の用法と比較してください。各々,「滅び」,そして「滅ぼす者」を意味しています。)
パウロは,コロサイにあるクリスチャン会衆に手紙を書き送った際,「正確な知識」と「自分の理解に対する十分な保証という富」を持つことの必要性を説きました。(コロサイ 2:2)「新世界訳」は,読者を,神の霊感によって記された原典にできるだけ近づけようと試みました。それは真剣な研究に値するものです。エホバの証人は,自分たちの集会で,その公の伝道活動で,また欠くことのできない個人研究のためにこの翻訳聖書を活用できることに感謝しています。そうです,どの訳の聖書を用いるかは本当に重要なことなのです。
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聖書に記されている,神のお名前ものみの塔 1979 | 11月15日
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聖書に記されている,神のお名前
神の固有のお名前(“yhwh”に相当するヘブライ語の子音で書き表わされるが,日本語では普通“エホバ”と書かれている)が,新約聖書と呼ばれる書物にも本来含まれていたとの結論を指し示す証拠が増大しています。この点に関する,別の学術雑誌に掲載された記事を要約して,最近の一出版物は次のように述べています。
「クリスチャン時代以前にさかのぼる,旧約[聖書]のギリシャ語[写本]の中で,神の名(yhwh)は,これまでしばしば考えられてきたこととは異なり,“キリオス”[主]という語で置き換えられてはいなかった。普通には,テトラグラマトンがアラム語ないし古代ヘブライ語で書かれていた。……もっと後代になってから,“セオス”[神]や“キリオス”などの代用物がテトラグラマトンに取って代わった。……新約[聖書]の場合にも,同様の経過をたどったと考える根拠は十分にある。すなわち,神の名は旧約からの引用や旧約との関連で,新約の中にも本来書き表わされていたが,時たつうちに,それは代用物に取って代わられたということである」。―「新約摘要」1977年第3号,306ページ。
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