『死後の生存』についての聖書的研究 その2
3回にわたるこの記事の,その1の部分で過去および現在の世紀に心霊的または霊媒的な神秘の行がなされていることが確認され,キリスト教国や異教国の軍事,民事,宗教指導者たちもそれらの行に頼つていることが分りました。ある人々は,指導者たちがそのような行をしていると知つて,驚きをすら感じています。この世の歴史および聖書の歴史から見るとき,古代の指導者たちも,見えざる霊の力に頼つて,慰めや,事前の情報や,導きを求めていたことが分ります。そのような心霊現象に会うとき,敏感な器具を用いて注意深く調査する現代科学者も,なんらの説明を与えることができません。急速に広まつている現代の宗教,霊媒術は,それらの見えざる力とは,かつて地上に住んでいて,それから死亡した男,女,子供たちの「不滅の魂」であると,主張しています。聖書は,霊媒術者の唱えるそのような主張とは,全く反対の立場をとり,人間の魂が死ぬということを,いつも一貫して教えています。
1 人間の魂が死ぬということを,どんな聖句は,はつきり述べていますか?
さて,人間の魂は死ぬと,はつきり断言している多くの聖句は何処にありますか? 民数紀略 23章10節(新世)で,予言者バラムはヱホバ神からの霊感をうけてこう言いました『私の魂が義しい人の死と同じように死にますように。私の終りが義しい人と同じようでありますように。』魂が死ぬということについての他の聖句(新世)は,次のようです。『あなたは私たちの魂を死から救わねばならない。』『私たちの魂は,あなた方の代りに死ぬであろう。』(ヨシュア 2:13,14)『ゼブルンは魂を死なせる程の民であつた。』(シシ 5:18)『彼の魂は死なんばかりに悩んだ。……サムソンは語つて,「私の魂はペリシテ人とともに死のう」と言つた。』(シシ 16:16,30)『そして,彼(予言者エリヤ)は,自分の魂の死ぬことを願い始め,こう言つた「もはや事足りました。ヱホバよ,私の魂を取つて下さい。私には,先祖よりも勝れているところはありません。」』(列王紀略上 19:4)また『彼らの魂は,若くして死に絶え,その生命は汚れたる者と同じ。』(ヨブ 36:14,ヤング訳,ドーエイ訳,ロザハム訳,リーサー訳)『こは,これらの魂を死より救い,饑饉たるときにも世にながらえめしんがためなり。』(詩 33:19)『彼らの魂を死よりまぬかれしめず,そのいのちを疫癘にわたし。』(詩 78:50)『なんぢは,わが魂を死よりたすけいだしたまいき。』(詩 116:8)『彼はおのが魂をかたぶけて死にいたらしめ』(イザヤ 53:12)『なんぢらすこしの麦のためすこしのパンのために吾が民の前にて我を汚し,かの偽言を聴きいるる吾が民に偽言を陳て死ぬべからざる魂を死なしめ,生くべからざる魂を生かしむ。』(エゼキエル 13:19,欽定訳)『罪を犯せる魂は死ぬべし。』― エゼキエル 18:4,20。
2,3 (イ)『死んだ魂』という言葉は,なぜ正しくて,しかも聖書的ですか?(ロ)人間の魂が死ぬということは,クリスチャン・ギリシャ語聖書(または『新約聖書』)の中で,いつも教えられていますか? どのように?
2 しかし,死んだ魂ということを聞いたことがありますか? 聖書は,そのような言葉を用いています『あなた方は死んだ魂のために,自分の肉に傷をつけてはならない』(レビ 19:28,新世)『死んだ魂のために,あなた方は身を汚してはならない。死んだ魂のところに近づいてもならない。』(レビ 21:1,11,新世。また22:4)『世を離れてヱホバに仕えている間中,死んだ魂のところに来てはならない。』(民数記略 6:6,新世。また5:2; 6:11; 9:6,7,10)『人間の魂の屍に触れる者は,七日間汚れる。』― 民数紀略 19:11,また13,新世。またハガイ書 2章13節を見なさい。そこでは,ネペシ(『魂』)は,たいてい『屍体』と訳されています。
3 聖書は矛盾していません。すべての聖句は,魂が死ぬことをはつきり述べています。それで,魂が死なないとか,魂は不滅性を持つているなどという聖句がひとつも無いのは全く当然です。しかし,ある人はこんな風に言います。すなわちこれらの聖句はみな昔のヘブル語聖書から取られたものであつて,はたしてクリスチャン,ギリシャ語聖書の中で人間の魂死滅が教えられているであろうか? マタイ伝 10章28節で,イエスは『体を殺しても,魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。』と言いませんでしたか? たしかに,イエスはそう言われました。しかし,彼は又こう言われました『私の魂は,悲しみのあまり死ぬ程である。』(マタイ 26:38。マルコ 14:34)『彼らは死の危険にもかかわらず,その魂(または死に至るまでの魂)を愛さなかつた。』(黙示 12:11,新世,欄外)『海の中に造られた生き物の三分の一は,その魂が死んだ。』(黙示 8:9,新世)『あらゆる生きている魂は海の中で死んだ。』(黙示 16:3,新世)そして,イエスの弟子であるヤコブはこう書きました『罪人をその迷える道より引き回す者は,かれの魂を死より救い。』(ヤコブ 5:20)それで,イエスと彼の弟子たちは,人間の魂の死滅を信じていました。
4 キリスト教国の牧師は,なぜマタイ伝 10章28節の後半の部の引用を大抵省略するのですか?
4 教師は人間の魂が不滅であつて,滅亡することがないという教えを裏づけようとして,マタイ伝 10章28節の初めの半分だけを引用します。なぜ? なぜならば,その節の後半で,イエスは言葉をつづけてこう言われています『むしろ,体も魂も地獄で亡ぼす力のあるかたを恐れなさい。』そのことは,すなわち人間の体と人間の魂をゲヘナで亡し得る全能の神を恐れよ,ということです。『地獄』と誤訳されたギリシャ語のゲヘナは,英文欽定訳で『地獄』と訳されているギリシャ語のハーデス,そしてタータロスと同じではありません。
5 イエスの場合に,予言者イザヤによつて書かれた予言(イザヤ 53:9)はどのように成就しましたか? それには,どんな象徴的な意義が伴つていましたか?
5 殺されたイエスはハーデスすなわち人類の普通の墓に入れられたのであつて,ゲヘナに入れられたのではありません。イエスの体は,アリマタヤの金持ヨセフの墓に埋葬されました。彼は,復活の資格を持たない呪われた罪人のようにゲヘナの中に投げられませんでした。ゲヘナとは,エルサレム城壁の西南にあつたヒンノムの谷のことです。(使行 2:27-32)イエスの宗教的な敵が,もし彼の死体を入手したなら,まずエルサレムの城壁ごしにゲヘナに投げ入れてしまい,硫黄を混合した消えざる火で,焼きつくしてしまつたことでしよう。あるいは又,途中の突き出しの上に追い落してしまい,火の熱をうけながら,虫や蛆の餌食にさせてしまつたでしよう。蛆は,イエスの体を食べつくしてしまい,ただ食べられない骸骨が残るまでは尽きないことでしよう。それらの宗教家たちであるイエスの敵は,イエスがハーデスから復活するのを全く欲しなかつたのです。それで,総督のポンテオ・ピラトに願い出て,石でふさがれていた墓に封印を貼つてもらい,かつイエスの体が外に出ないようにするため,見張の兵士たちを配置したのです。しかし,イエスは死人からの復活をうけるのにふさわしい方でしたから,それを象徴するにふさわしい記憶の墓の中に彼は横たえられたのです。一方,全能の神がゲヘナでその魂と体を亡す人々は,死人からの復活を決してうけず,かくして神の正義の正しい世では魂としてふたたび生きることはありません。神は彼らの魂を亡ぼしますが,その意味はゲヘナの状態にいる者たちに対して,二度と生命を楽しむようなあらゆる機会をことごとく亡してしまい,決して生命に戻さないということです。神はイエスの犠牲の死の恩恵を彼らに適用しません。―マタイ 27:57-66; 28:1-4,11-15。使行 4:1,2。イザヤ 53:9。マルコ 9:43-48,新世。ヤング訳。モハット訳。
6 人間の魂が死滅するということは,イエス,ペテロ,そしてパウロのどんな言葉の中に,はつきりと述べられていますか?
6 人間の魂は,死ぬものであつて,亡びるものであり,かつ殺され得るものであると,イエスは教えました。彼はこう言いました。『安息日に良い業をするのは正しいことか。それとも害を加えるのは正しいことか。魂を救うことは正しいか。それとも魂を殺すことは正しいか。』(マルコ 3:4。ルカ 6:9,新世)『ロトの妻を忘れてはならない。誰でも自分の魂を保とうとする者は,それを失うであろう。しかし,自分の魂を失う者は,それを保つであろう。』(ルカ 17:32,33,新世,ロザハム訳欄外)『自分の魂を愛する者は,それを失い,この世で自分の魂を憎む者はそれを保つて永遠の生命を得るであろう。』(ヨハネ 12:25,新世)モーセは申命記 18章15-19節でイエスのことを予言していたと,使徒ペテロは示し,こう言いました『実際,その預言者の声に聞き従わない魂は,民の中から全く亡ぼされてしまうであろう。』(使行 3:22,23(新世)さらに,ヘブル書 10章39節(新世)には,こう書かれています。『私たちはひるんで亡びをうける者ではなく,信仰を持つて魂を生き長らえさせる者である。』
7 人間の魂は全能の神により亡ぼされるということを更に示すものとして,ヘブル語聖書中の際立つどんな聖句は,イエス,ペテロ,そしてパウロの言葉と全く調和していますか?
7 イエスや弟子たちは,魂についてそのように述べています。それは,ヘブル語聖書と全く一致するものです。ヘブル語聖書の中には,イスラエルの審判人ヨシユアがヱホバの刑執行者の行を為し,約束の地にいた異教の住民たちをどのように亡したかが書かれています。『ヨシユアはマッケダを捕え,……その王とその中にいるすべての魂を亡びに渡し,……ヱホバは又リブナとその王をイスラエルの手に付した。彼らはそれと,その中にいるすべての魂を剣の刃で撃ち殺した。生き残つた者はひとりもいなかつた。』(ヨシユア 10:28,30,32,35,37,39; 11:11,新世)モーセは,又,敵であるミデアン人を亡した後のイスラエルの兵士にむかい,こう言いました。『魂を殺した者および殺された者に触れた者は,みな身を清めねばならない。』(民数紀略 31:19,新世)賢人はこう言いました。『女と姦淫をおこなう者は,智恵なきなり。之を行う者はおのれの魂を亡し。』(シンゲン 6:32)他の聖句を引用することもできましよう。しかし,もう十分引用されました。これらの聖句により,人間の魂が全能の神とその刑執行者によつて亡ぼされるということについては,昔のヘブル語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書の両方とも,良く一致していることが分ります。
8 霊媒術の差しのべる慰めが偽りであるということについて,遺族たちをどのように聖書的に確信させることができますか?
8 あらゆる矛盾を押しのけて,いまやどんな大事実がはつきり示されますか? こうです,人間の魂には死後の生存がないということです。それで,使徒パウロは次のように語つているのです。つまり,もしイエス・キリストを最初とする死人の復活がないなら,『キリストにあつて死の眠りについた者たちは,朽ち亡びる。もしこの世の生命だけで,私たち(クリスチャン)がキリストに望みを置くなら,私たちはすべての人の中で最も憫むべき者である。しかし,いまやキリストは死の眠りについた者の初穂となつて,死人から甦えされている。一人の人により死は来たのであるから,死人の復活も一人の人を通して来る。アダムにあつてすべての者が死んでいるごとく,キリストにあつてすべての者は生かされる。』(コリント前 15:18-22,新世)『死後の生存』と復活とはちがうものです。実際のところ,死後の生存がないために,死人の復活がなければならないのです。死後の生存がないため,人間の魂は不滅でなく,また人間の中にある霊に個性というものはありません。墓にいる死人は死んでいるのであつて,神の新しい世で再び生きるためには,死の状態から復活されねばなりません。それで,霊媒術の一番の基礎は偽りのものであり,生者と死者とのあいだの連絡通信というようなものはありません。かくして,霊媒術が遺族にさしのべる慰めは,偽りのものであり,かつ欺瞞のものです。霊媒術は,人々を欺きます。霊媒術は人々を危険の状態に入れます。なぜなら,それは人間が堕落して罪をうけたことを否定し,罪の罰である死を否定し,かつ人類の罪を取り除いて罪のゆるしを得させるキリストの贖の犠牲の必要性を否定しているからです。また,現在の悪い組織制度を亡して,死人を復活する神の御国の必要を否定しているからです。神の御国は,新しい正義の世にある地的パラダイスで,復活されたそれらの人々を助けて永遠の生命を得させるでしよう。
正体を間ちがえる
9 人間の目に見えない者共と連絡する霊媒術者の実験は,たしかにあると認めるにしても,その実験は,なぜ人間の魂の『死後の生存』を証明しませんか?
9 といつて,このことは,霊媒術者が人の目に見えない霊界と連絡をしていない,ということではありません。また,人間の目に見えないところから言葉が聞えたり,将来のことについて予言が的中したり,普通の手段ではとうてい得られないような知識が表明されたり,物体が超自然の運動をしたり,霊媒の体から出るエクトプラズムが人間の形になつたり,または他の実験のような正真正銘の諸現象がないなどと,いうのではありません。霊媒術者は,主としてそれらの諸現象によつて,自分たちの信仰や教えを得ているのです。そのような実験や観察された諸現象は,たしかにあるものを証明しています。何を証明していますか? 理智を持つ霊者のいる見えざる霊界を証明しています。しかし,『死後の生存』とか,死者と生者とのあいだの連絡通信ということは決して証明されません。このことから,霊媒術はその識別を間違えたことになります。つまり,霊媒とかその他の手段を用いて連絡をとる霊界の者たちについて,霊媒術者はその正体を識別するのに間ちがえているということです。霊界のそれらの者は,かつては地上にいたが,今は死んでいる人間の魂であると,霊媒術者は考えています。霊者たちは,自分の目的を果すため,その正体を表わさず,他の者であるかのような振をします。
10 霊媒術者と連絡通信をなし,死んだ人間の魂のような振をするそれら見えざる者共とは,誰ですか?
10 それでは,霊媒術者と連絡通信をするこれらの霊とは誰ですか? 死んだ人間の不滅の魂とか,又は霊ではありません。それらの霊が,死んだ人間の目に見えない生ける魂のような振をして,ごまかしたり欺いたりしていることから,噓を為す霊にちがいありません。彼らは悪鬼共であつて,聖書の言う『偽りの占い』とか『偽りのしるしと不思議』をなす者共です。―エゼキエル 13:6,7,9。テサロニケ後 2:9,新世。
11-13 反逆の王サウロが,エンドルの霊媒のところに訪問したことについての聖書の記録は,どんな事実を示していますか?
11 しかし,霊媒術者は反対を申し立てて,聖書の中にも,死者と生者のあいだに連絡通信がなされたことの記録が書かれているではないか,と言います。すなわち,イスラエル人とその敵ペリシテ人とのあいだに戦争がなされる前,忠実な予言者サムエルとイスラエルの王サウロのあいだに連絡が取られたではないかと,言います。
12 すべての事実を集めて,その事実から霊媒術者の反対を調べるために,新世訳による聖書の記録をここに記します。
『さて,サムエルは死んで,イスラエルはみなこれを悲しみ,サムエルの町であるラマに彼を葬つた。サウロは,霊媒や易者たちをその地から取り除いた。
『そうしている中に,ペリシテ人は集合して来り,シユネムに陣を取つた。それで,サウロはイスラエルをことごとく集めてギルボアに陣を取つた。サウロがペリシテ人の陣を見たとき,彼は恐れを感じ,その心は大いにふるえた。サウロはヱホバに問うてみたが,ヱホバは答えられず,夢によつても,ウリムによつても予言者によつても答えられなかつた。ついにサウロは僕たちに「霊媒の女を探せ。そのところに行つて尋ねよう。」と言つた。僕たちはサウロに言つた「見なさい。エンドルに霊媒の女がいます。」
『それでサウロは変装して,他の衣服を身に着けて出かけた。二人の人とともに,夜の中に女のところについた。サウロはこう言つた「私のために,霊媒術による口寄をしてもらいたい。そして,私の述べる人を呼び出してもらいたい。」しかし,女はこう言つた「あなたはサウロの為したことを良く御存知です。サウロは霊媒や易者たちをこの地から断つてしまいました。それなのに,なぜそのような罠をしかけて,私を殺そうとするのですか」それを聞くと,サウロはすぐにヱホバを指して誓つた。「ヱホバは生きておられる。このことについて,あなたは決して罪にあわないであろう。」これを聞いて,女は言つた「誰を呼び起しましようか?」「サムエルを呼び起せ」とサウロは言つた。女が「サムエル」を見たとき,大声で叫び,サウロに向つて「あなたは他ならぬサウロであるのに,なぜ私を欺きましたか」と言つた。しかし,「恐れなくてもよい。しかし,何を見たか?」とサウロは尋ねた。女はサウロに言つた「神が地からのぼるのを見ました。」「その形はどんなであるか」とサウロは尋ねた。「ひとりの老人で袖の無い衣服を身に着けています。」と女は答えた。サウロは,それが「サムエル」であることを知つて,顔を地に伏して拝した。
『そして「サムエル」はサウロに言つた「なぜ私を呼び起して,私をわずらわすのか?」 サウロは答えて,こう言つた「私は非常に困つています。ペリシテ人は私に対して戦争を起し,神も私から離れてしまい,予言者によつても,夢によつても私に答えてくれません。それで,あなたにお願いして私のするべきことを教えて頂きたいのです。」
『そして,「サムエル」は言つた「ヱホバもあなたから離れて,あなたの敵になられたのに,なぜ私に尋ねるのか。ヱホバは,私を通して語られた通りのことを必ずするであろう。ヱホバは,あなたの手より国を裂き離ち,ダビデに与えるであろう。あなたはヱホバの言葉に従わず,またアマレクに対するヱホバの烈しき怒りを行わなかつた故に,ヱホバはこのことを今日あなたに行うのである。そして,ヱホバはイスラエルをもあなたともとどもにペリシテ人の手に渡すであろう。あなたとあなたの子たちは,明日私とともにいるであろう。ヱホバはイスラエルの陣営をもペリシテ人の手に渡すであろう。」
『これを聞いて,サウロは地に倒れ,「サムエル」の言葉のために非常に恐れた。それに,一日一夜食物を取らなかつたため,力を失つた。女はサウロのところに来て,彼が甚しく恐れているのを見て言つた。「あなたの仕女は,あなたの言葉に従い,生命をかけてあなたの言われる通りにいたしました。それで,いまはあなたの仕女の言葉に従つて下さい。あなたの前に一口のパンを供えますからどうぞ食べて下さい。帰途につくときには,力が得られることでしよう。」』― サムエル前 28:3-22,新世。a
13 霊媒術者は「さあ,サムエルは死んだ後でも現われた,と聖書は述べているではないか」と言います。しかし,聖書はそう述べていますか? いいえ,そう述べてはいません。聖書の記録によると,サウロはこの時に何も見ていません。霊媒が自分の神秘力によつて何かを見たのです。サウロの気持は,まつたく女に依存していましたから,このときの霊媒術は旨く行われたのです。「しかし,霊媒が見て,サウロ王に話したものは,サムエルではなかつたか」と霊媒術者は言います。そうです。でもサウロは,それがサムエルであるようにと信じたく思つていた矢先きであり,その容貌や類似を聞いて,すぐに欺かれてしまつたのです。
14-16 (イ)経験を積んだ実験者たちも,どんな識別の問題が未解決であると,認めていますか?(ロ)サウロ王の場合,正しい聖書の原則はどのように適用されて,この問題が解決されますか?
14 似ているからと言つて,正真正銘のその人であるとは言えません。他の大切な事も考えるべきです。1954年のライフ誌に出版された「イー・エス・ピー・ピー・ケー。そしてピー・エス・アイの例」という記事の中で,有名な心霊現象研究者アルドウス・ハックスレイは,108頁でこう述べていました。
『将来,ピー・エス・アイを研究する者たちの持つ別の問題は,死後に人間が生きているか否かの問題である。……身元を間違えたための煩わしい裁判事件が,時折り法廷で問題になつている。……旅券,社会保証票,そして指紋ですら捏造される。そして,世界のどこかでは,その人と生き写しのような人がいるのである。(スターリンとヒツトラーは6人またはそれ以上の影武者を持つていたと言われる)現在,この地上にあつて,身元をはつきり科学的に証明することが,そんなにも難しいものであるなら,霊媒の口を通して語る人が,実際間ちがいのないその人であると証明するのは,どれ程難しいことであろうか。そして,その正確さに多少のちがいはあろうとも,霊媒の潜在意識にある分裂意識によつて,イー・エス・ピー(超感覚知覚力)の手段を用いて必要な資料を集め,それを劇的に現出させた人ではないと,証明するのは極めて難しいものである。』それから,前アメリカ大統領ハリー・エス・トルーマンの写真と芝居の影法師役者アービング,フィッシャーの写真をならべて,その記事はこう言つています。『誰が誰だか分りますか? ……人の顔つきや体つきも模造することができる。それであるから,ある特定の死人が,霊媒を通して降神会中に話をするなどと主張するのは,到底でき得ないものであると,著者ハックスレイは指摘している。』
15 著者のアルダウス,ハックスレイや他の心霊研究者たちにとつて,これらのことは『昔からあつて,いまだに解決されない問題』です。しかし,神の御言葉である聖書をかたく信じるなら,このサウロ王と霊媒のことは,解決されている問題です。サウロは,以前にヱホバの予言者たちを殺しませんでしたが,霊媒や易者たちをイスラエルの地から亡してしまいました。サウロ王は霊媒を欺いて正しくない霊媒術を行わせましたが,それと同じくその霊媒にひとりの神が地よりのぼつてくるのを見させた霊は,死んだサムエルの生前の容貌を模造して,霊媒とサウロを欺きました。サムエルが死んだ時に,生前着ていた袖の無い上衣をこの地に残したか,又は,その上衣を着たまま墓の中に埋葬されたことでしよう。その霊は,袖の無い上衣のことをどこから知りましたか? 霊はサムエルの年老いているということだけでなく,その上衣についても見せかけました。その霊媒に働きかけた見えざる霊は,サムエルが生前どんな衣服を身につけていたか,サムエルは以前不従順なサウロ王に何を語つたか,又サムエルは死ぬまでサウロ王を見ようとしなかつたこと,そしてサムエルは死ぬときにどんな様子であつたかを知つていました。(サムエル前 15:35)それで,その霊はそれらのことを容易に見せかけることできたのです。イスラエルの軍隊がペリシテ人に敗北して,サウロとサウロに従つていた彼の息子たちが戦場で死んだのは,はたして翌日すなわち『明日』であつたか,どうかについて,聖書の記録ははつきり述べていません。『あなたとあなたの子たち』という霊の言葉は,必らずしもサウロの息子全部を意味しませんが,サウロと共に陣営にいた息子たちのことを指します。そのひとりであるイシボセテはその戦で死なず,サウロの後継者になつてしばらくのあいだ支配しました。(サムエル前 31:1-7。歴代志略上 9:39; 10:2-6)ヱホバはサウロに反対しており,かつサウロは霊媒に物を問うたことによりヱホバの怒りを更に増して,死に定められてしまい,戦のときにヱホバからの援助は得られないということを,その霊は知つていました。それで,その霊はサウロの敗北と,彼の死および彼の息子たちの死をたやすく予言することができたのです。
16 その霊の予言が的中しようと,しなかろうと,その霊は『偽りを語る霊』です。それは,ヱホバに仕えた忠実なサムエルのような振をなし,死んだ者は死んでいるのではなく,かつ生者は死人と語り得るという偽りを行うことにより,ごまかしの欺詐に基いて予言したからです。サムエルはそのとき,死んでいて,ただ神の新しい世にあつて復活をうける希望だけしか無かつたのです。サウロが,アマレク人とその家畜全部を亡ぼせというヱホバの命令に背いたため,ヱホバはサウロをはつきり棄てました。そして,サムエルはそれ以来サウロと交渉を持つのを拒絶しました。サムエルはまた霊媒となんらの関係をも持たなかつたのです。それですから,罪に定められた霊者に,死後のサムエルを強制して,彼が生存中にしようとしなつたことをさせるのは,決してできないことです。さらに,女の霊媒に死人を呼び起す力はありません。このことを為し得るただひとりの方は『死人を生かし,無いものをあるもののごとくに呼ぶ神』です。(ロマ 4:17,新世)『ヱホバは殺し,生かし,シォール(人類の普通の墓)に下し,また上らせる方であられる。』(サムエル前 2:6,新世)ヱホバは罪に定められた霊媒を用いて,死せるサムエルを呼び返すようなことをいたしません。
17,18 サウロの経験と,その経験を取り上げて『死後の生存』を証明しようとする霊媒術者の空しい努力から,他のどんな正しい結論が得られますか?
17 サウロ王はヱホバの命令に背いて反逆しました。そのことは,霊媒術を行うのと同じことです。サムエルはサウロにこう語りました『反逆することは占いの罪と同じく,僭越に行うことは,霊力とテラピムを用いるのと同じである。あなたはヱホバの言葉を棄てたために,ヱホバもあなたを棄てて王にならせない。』(サムエル前 15:22,23,新世)しかし,サウロ王は霊媒に物事を問い,霊媒術に全く依存しましたから,死をうけるのは当然なことです。彼は霊媒を通して偽りを語る霊と連絡しましたが,サムエルとは連絡できませんでした。それで,歴代志略上 10章13,14節(新世)は,こう述べています『かくて,サウロは,ヱホバの言葉に背いて行い,また霊媒に頼つて物を尋ねたその不従順さのために死んだ。彼はヱホバに尋ねなかつた。故に,ヱホバはサウロを死なせ,国をエッサイの子ダビデに与えた。』
18 霊媒術者たちは,サウロの経験を取りあげて,これこそ死後にも生存があり,かつ死んだ者は,霊媒を通して幽界から地上の生者たちと連絡通信をなし得ると示す聖書的な証拠であると主張しますが,いまやその主張はみじめにも失敗しています。
19-21 著名な霊媒術者の述べるどんな言葉は,死んだ人間の魂から得られると偽りにも主張される通信が疑わしいもので欺きものであると,はつきり表わしていますか?
19 霊媒術者自身も,連絡をする霊たちが偽りを言い,欺きをするのを認めています。リシは自著の本の162頁にある『有難迷惑な霊たちの妨害』という見出しの後に,こう告白しています。
『我々の霊の友と会話を交えようとしているとき,ときどき有難迷惑な霊たちがまぎれこんでくる。その霊たちは,他のものの話を妨害し,また人体化することもある。これは,ある実験者にとつて大へんな障害であつて,時にはあの世からのこの困つた妨害のためにひどい迷惑を感ずることがある。彼ら実験者たちにとつて,不可見界には良い導きがないため,全くの無力であり,どうにもしようがないようである。熱心な人々は,有難迷惑な訪問者たちを取り除こうと願つている。しかし,いくら語つてみようとも,または祈つてみようとも,あの世の住人にはなんの影響も及ぼすことができない。その妨害は,どうも霊の考えを伝える者たちを苦しめるためのようである。』
20 しかし,英国の心霊研究家,故アーサー・コーナン・ドイル卿は,偽りを語ろうとする霊たちの傾向について,もつと露骨に述べています。彼の本である『新しい啓示』(英文)の72頁で,ドイル卿は霊たちについて,こう語りました。
『我々は不幸にも,悪いいたずら好きな理智者のするひどい冷淡な嘘と取組まねばならない。事態を調査した人は,みな故意の欺瞞に会つたことと思う。それらの欺瞞は,ときおり真実の良い連絡通信に混り込んでいるのである。』
21 カイロのイブラヒム大学の科学部にいる物理教授,エジプトの霊媒術者アリ・アブデル・ガリル・ラデイは,霊たちの真実の正体を恐れつつ,その著『見えざる世界』(英文)の277,287,289頁で,次のように言つています。なお,これはアラビヤ語から翻訳したものです。
『現われる霊たちは,面倒をひき起す者,偽り者,そして恐らくは死んだ人間の霊のように振舞つて,その声で語り,その形に現われ,そしてその様子通りになる悪鬼共であろう。……それで,霊たちが形を現わして語る意見は,疑わしいものと言うことができる。そのあるものは正しいが,しかし多くは間ちがつている。……蜃気楼のような欺瞞の現象が科学には満ちていることを忘れてはならない。喉の渇いている人は,蜃気楼が水だと考えて走つて行くものである。霊たちが私たちに話しかけるということについての真理を,なぜ調査しないのか? 私は霊たちが悪鬼であると思う。そして私も,霊媒者たちにも確かではない。』
22 霊媒術者の主張を正しく理解するために,どんな基礎的な偽りと真理を記憶せねばなりませんか?
22 それで,著名な霊媒術者自身の口やペンからも,霊媒術に不利な証言が言われています。良い霊と悪い霊がいて,霊媒術はただ良い霊とだけ連絡したいというような心細い議論を申し立てて,霊媒術を守ろうとしても無益なことです。霊媒術は大きな噓偽,つまり死後に生存があつて,人間の魂は不滅であるという偽りに基いています。それで,その偽りに基いて,霊媒術者と連絡通信したいと思い,そしてその偽りを真のように見せかける霊はみな悪い霊にちがいありません。すなわち,神と神の言葉に偽りを述べようとする悪鬼共です。クリスチャン使徒パウロは『すべての人が偽り者であつても,神を真としなさい。』と書いています。(ロマ 3:4,新世)霊媒術者や偽りを語るこれらの霊たちと連絡するすべての人にも,その言葉は適用します。
変貌は人体化でしたか?
23-25 変貌はなぜモーセとエリヤの霊媒的な人体化でありませんでしたか? 実際に,変貌は何でしたか?
23 霊媒術者は,しつように喰い下つて,諦めず,こう言います。『高い山で行われたイエスの変貌は,モーセとエリヤが死から戻つたことではないのか? そして,イエスは夢現の状態にいた3人の使徒ペテロ,ヤコブ,そしてヨハネを霊媒に用いて,それら死んだ予言者たちの形を現わさせたのではないか?』 この言葉に答えるため,ルカ伝 9章28-36節(新世)に書かれている正しい記録を読んでみましよう。『彼はペテロとヨハネとヤコブを連れて,祈りをするため山に上られた。彼が祈りをしていると,顔の様子が変つて,その衣服は眩くばかりに輝いた。また,見よ! 二人の人がイエスと話をしていた。モーモとエリヤである。彼らは栄光につつまれて現われ,イエスがエルサレムで成就すべきその死について語つていた。さて,ペテロとペテロと共にいた者は,非常な睡気を感じていたが,目を覚ましてイエスの栄光とイエスと共に立つているふたりの人を見た。ふたりの者がイエスから別れようとしたとき,ペテロはイエスに言つた「師よ,私たちがここにいるのは良い。私たちは三つの幕屋を立て,一つはあなたに,ひとつはモーセに,そして一つはエリヤのためにしよう」ペテロは,自分の言つていることが分らなかつた。ペテロが話をしている中に,雲が起きて彼らを守るかのように覆つた。彼らは,雲の中に入つたとき,恐れを感じた。そして,雲の中から声がして「これは私の子,選ばれたるものである。彼に聴け」と言つた。声が起きたときに,イエスはひとりだけであつた。しかし,彼らは口を閉じ,当時の誰にもその見たことを語らなかつた。』
24 これは,エクトプラズムをつくつて,死んだ予言者であるモーセとエリヤの体を表わさせたものではありません。エクトプラズムは,イエスからも,ペテロからも,ヤコブからも,またヨハネからも出ていません。彼らははつきりとした意識を持つていて,何が行われるかを観察していました。なぜなら,霊たちの述べる言葉の予言をかたくするのではなく,聖書の予言をかたくするため,この変貌の証者になるべきだつたからです。ペテロ自身もこう告白しています『あなた方に私たちの主イエス・キリストの力と臨在を知らせたが,それは巧みな作り話を用いたのではない。私たちはイエスの御威光の目撃者である。イエスは父なる神からほまれと栄光をうけたが,そのときおごそかな栄光のうちに次のような御声がかかつた。「これは私の愛する子,私の認める者である。」この言葉は,私たちがイエスと共に聖なる山にいたとき,天から確かに聞えた言葉である。それであるから,予言の言葉はもつと確実なものとなつた。あなた方が,予言の言葉に注意を払うことは良いことである。』(ペテロ後 1:16-19,新世)霊媒術が行われて,モーセとエリヤの体が現われたのではありません。両者は死んだ魂であつて,死人から復活される時は,まだ来ていなかつたからです。―ヘブル 11:23-29,32,38-40。
25 山上の変貌は幻でした。丁度,使徒ヨハネが変貌を目撃して約60年後に見た幻と同じようなものです。その幻は,あまりにも真実なものであつたため,ヨハネは幻の中に出てくる人々と話をしました。(黙示 1:1,2; 5:4,5; 7:13,14)イエス御自身も,それは予言的な幻であると語られました。その幻の中で,モーセとエリヤは,イエスが特定の業を行うために持つ職務を象徴しました。使徒マタイは,変貌が幻であると証明して,こう書いています。『彼らが山から下るとき,イエスは彼らにこう命ぜられた「人の子が死人の中より甦えされるまで,この幻を何人にも告げてはならない。」』(マタイ 17:9,新世)霊媒術者たちが,イエスの変貌を用いて,自分たちの教えを支持しようとすることは,全く禁ぜられるものです。
26,27 イエスとその忠実な弟子たちが悪鬼共を追いだしたことは,なぜ霊媒術の主張を証明しませんか?
26 変貌のおきたその山から降りて来てすぐ後に,イエスは悪鬼の憑いた狂気の子供を癒しました。このことについて,聖書にはこう書かれています。『イエスはそれを叱りつけた。すると悪鬼は出た。子供はその時から癒された。』(マタイ 17:14-18,新世)このことは,変貌が,悪鬼によつて行われる霊媒術とはなんの関係がないという証拠を増し加えるものです。
27 イエスは霊媒では決してありません。イエスは,悪鬼すなわち汚れた霊の勢力に従つたことは一度もありません。イエスの宗教的な敵は,イエスは汚れた霊である悪鬼に憑かれていると非難しました。(ヨハネ 7:20; 8:48,49,52; 10:20,21)しかし,イエス自身悪鬼を追い出し,また弟子たちに悪鬼を追出す力を与えました。(マタイ 10:1,8。ルカ 9:1; 10:17-20)イエスは『悪鬼共の支配者』であるベルゼブルの力によつて悪鬼を追い出すのだ,と彼の敵たちは言いました。しかし,イエスは答えて,もしそうならばサタン自身分裂していて,その国は立ち行かないであろうと言いました。すると,霊媒や偽りの宗教の祭司たちが悪鬼を祓い清めるとき,神が彼らを用いて悪鬼を追い出すのですか? いいえ,そうではありません。サタンがそれらのものを用いて,そうさせているのです。サタンがそれらのものを用いているといつても,自己分裂しているわけではありません。なぜなら,これらの霊媒や偽りの祭司たちはサタンの側について,その行う不思議な業によつてサタンの国とサタンの宗教的な偽りを支持しているからです。あたかもイエスの名を魔術の名のように,取り扱つて,イエスの名によつて悪鬼を追い出したところで,それらの霊媒や偽りの祭司たちが神に反対する『不法の働き人』であるには変りありません。(マタイ 7:21,23,新世。使行 19:11-16)しかし,イエス自身はサタンの側につきませんでした。彼は地上にいる時,サタンの最大の敵であり,彼が教えて伝道したものは,サタンの偽りとその国に全く反対するものでした。それで,イエスが悪鬼共を追い出したのは,サタンの敵,『神の指』によつて為したのであり,神の真理と御国を支持するものでした。(マタイ 12:22-30)イエスの忠実な弟子たちも神の力によつて悪鬼を追い出したのであり,悪鬼の力によつたのではありません。昔の第1世紀に,そのようなことをする力は,聖霊の奇蹟的な『賜物』でした。しかし,キリストの12使徒が死んでからは,その賜物は忠実な弟子たちの中で無くなり,又今日の弟子たちはその賜物を持ちもしなければ,用いることもしません。―コリント前 13:8-11。
28 イエスの行つたいろいろな行為は,なぜ間ちがいにも『霊媒的な浮揚』と言われるのですか?
28 イエスは悪鬼たちとなんらの関係をも持つていません。悪鬼自身もその事実を認めました。ひとりの悪鬼は,大声で叫びました。『ナザレ人イエスよ,私たちとどんな関係があるのか? あなたは私たちを亡しに来たのか? あなたが誰であるかを知つている。あなたは神の聖者である。』イエスは『それを叱つて「黙りなさい。そして彼から出なさい。」と言つた』。悪鬼たちがイエスについて証言するのを,イエスは許しませんでした。聖書にこう書かれています。『彼は多くの悪鬼を追い出した。しかし,悪鬼が彼のキリストであるのを知つていたために,悪鬼の語るのを許されなかつた。』(マルコ 1:23-25,34,新世)あるとき,イエスはガリラヤの海を歩いて,嵐にもてあそばされていた弟子たちの船のところに行きましたが,それは霊媒的な浮揚ではありません。(マタイ 14:24-32)イエスが洗礼をうけて神の聖霊で充たされ,そして40日を荒野で過したとき,悪魔サタンはエルサレムの宮のところで,イエスを誘惑して,浮揚を行わせ,ユダヤ人たちを胡魔かして自分の側につけさせようとしました。宮の頂きのところで,悪鬼共の支配者はイエスにこう言いました『もし神の子であるなら,ここから身を投げてみよ,聖書に「神は御使たちに命じて,あなたを守らせるであろう。」「御使たちは手であなたを運び,あなたの足が石に当ることはないであろう。」と書いてある。』しかし,イエスは,聖書を引用しつつ,その誘惑を拒絶しました『あなたの神であるヱホバを試してはならない。』(ルカ 4:1,9-12,新世)イエスが死から復活して40日目にオリブ山より昇天したことは,霊媒的な浮揚ではありません。それは彼が天に戻つたのであり,罪深い人類のために人間としての犠牲の価値をたずさえて天的御父の御前に入ることでした。―使行 1:9-12。
聖書に対する偽りの非難
29,30 霊媒や,その他あらゆる種類の霊媒術を行う人々は,古代イスラエルに与えられたヱホバのいましめの中で,どのように罪せられましたか?
29 このように,聖書は霊媒術者の主張を支持しているという偽りの非難をうけています。人間を保護して,真理の正しい導きとなるため,聖書は霊媒術を曝露し,その正体は悪魔崇拝であると示しています。それで,イスラエル人に与えられたヱホバ神の律法は,生者と死者との連絡ができるように見せかけた霊媒と関係を結ぶのを禁じたのです。こう命じていました『霊媒に頼つてはならないし,易者に相談してもならない。彼らの汚れをうけないためである。私はあなた方の神ヱホバである。』どんな種類のものであろうと,霊媒術に頼つたイスラエル人は殺されました。『霊媒に頼り,易者に依存して,汚れた交りを持つ者に対し,私は顔を必らず向けるであろう。その者を民の中より断ちなさい。』霊媒術者は,石打ちされて殺されました『男でも女でも,霊媒の術を行い,占いをする者がいるなら,必らず殺すべきである。すなわち,石打ちして殺さねばならない。彼らの血は彼らに帰すであろう。』― レビ 19:31; 20:6,27,新世。
30 『あなた方の中に,息子娘をして火の中に通らしめる者がいてはならない。また,占いをする者,魔術を行う者,しるしや法術に頼る者,禁厭をかける者,霊媒や易者に頼る者,死人に問う者がいてはならない。これらのことを行う者は誰でもヱホバに憎まれる。ヱホバ神は,これらの憎むべき事柄のために,それらの者をあなた方より追い払つておられる。あなた方は神ヱホバの前にあつて汚れの無いものでなければらない。あなた方が追い出しているこれらの諸国民は,魔術を行う者や占いをする者に頼つていたが,あなた方の神であるヱホバはそのようなものをひとつとしてあなた方に与えてはいない。』それで,そのようなものに頼るならば,来るべきメシヤである大いなるモーセ,すなわちイエス・キリストを受け入れることは決してできません。―申命 18:10-19,新世。
31 たとえ予言が的中しようとも,昔のイスラエルの民は,なぜそれらの予言を無視して,排斥せねばならぬと,ヱホバより警しめられましたか?
31 しかし,霊媒や星占いや,ウイヤ板やコックリ板を用いる者が占いを立てて,その占いが的中するならば,どういうことになるでしようか? たとえ,そうなつても,霊媒術が正しい宗教になるわけではありません。なぜ? それは,ヱホバ神のいましめに全く逆うことであり,かつそれら霊媒の事柄に依存する者たちは,隠れた智識を知らしめ,将来について予言するという神の正しい手段に頼らないからです。霊媒術はまた,ヱホバが神であることをくらまし,死人についての大きな嘘を支持しています。それですから,間ちがいに導くものです。神の律法はこう命じています。『予言者あるいは夢見る者が,あなた方の中に起きて,あなた方にしるしや前兆を与え,しかもそのしるしや前兆が的中し,そしてその者が「あなた方の知らない他の神々に従つて,その神々に仕えよう」と言つた場合に』どうなるでしようか?『あなた方はその予言者または夢見る人の言葉に聴き従つてはならない。なぜならあなた方の神であるヱホバは,はたしてあなた方がすべての心とすべての魂をかたむけてあなた方の神ヱホバを愛しているか否かを知ろうとしてあなた方を試しているのである。……,そして,その予言者または夢見る人を必らず殺さねばならない。その者は,エジプトの地からあなた方を導いて,奴隷の家からあなた方を贖つたヱホバ神に反逆の言葉を語り,ヱホバ神の命じた道からあなた方を背かせるからである。あなた方は,あなた方の中より悪を取りさらねばならぬ。』(申命 13:1-5,新世)たとえ占いが的中するとしても,もしそれがあなたをして唯一の生ける真の神ヱホバから背かせるものなら,それはあなたに油断させて間ちがつた悪い方に導き,生命と真理の源である神よりあなたを引き離すものです。それは,あなたをして『偽りの父』すなわち『悪鬼共の支配者』である悪魔サタンの勢力下に置かせるものです。―ヨハネ 8:44,新世。
32 見えない悪しき霊者と義しい霊者を信ずることは,なぜ合理的であり,しかも聖書的ですか?
32 ヱホバ神はこれらの悪鬼共が誰であるかを知つておられます。ヱホバ神は悪鬼共がどのように働いて,その犠牲者に亡びをもたらすかを知つておられます。ヱホバ神は御自分の書かれた御言葉の中で,御自身の民,およびこれらの悪しき見えざる理智から身を救おうと欲する人々に警告を述べておられます。悪鬼共の存在を信ずるのは,迷信ではありません。悪鬼共の存在を信じ,霊界を信ずるのは,なにもキリスト教的であるだけでなく,また科学的なことです。霊界には見えざる創造者,すなわち霊である神が住まわれております。この測り知れない広大な霊界の中で,神御ひとりだけがおられるということはありません。45億年の年数を持つこの見える宇宙を創造される時よりもずつと昔に,ヱホバ神は最初の創造物をつくられました。それは霊的な創造であつて,愛せられた『ひとり子』すなわち『あらゆる創造の最初に生まれた者』であつて,その方は御予定の時になつて地上に降り,『人間キリスト・イエス』になりました。(ヨハネ 3:16。コロサイ 1:15,新世。テモテ前 2:5)それから,ヱホバはその者を用いて,他の理智ある創造者をつくり,霊的な創造者,すなわち栄光を持つ完全にして聖なる御使たちにしました。人類の永遠の住家であるこの地球が創造されたときに,『よろこびの声をあげた』のは,これら霊の『神の子』でした。(詩 104:4; 103:20。ヨブ 38:4-7)それで,この物質の宇宙ができる以前に,霊界は存在していました。素晴らしく設計された目に見える創造は,大いなる霊者,すなわち創造者であられるヱホバ神の存在と,力と,理智を証明するものです。唯物的な科学者たちは,神に信仰を持ちませんが,その言い訳はできません。『神の見ることのできない性質,すなわち永遠の力と神なることとは,世の創造の時以来,造られたものによつて理解することができ明らかに見られるのであるから,彼らは言い逃れることはできない。』― ロマ 1:20,新世。
33,34 霊界とそこに住む者たちについての私たちの信仰は,なぜ霊媒術の『死後の生存』という理論と混同してはなりませんか?
33 人類は霊媒術によつて,霊界の存在を証明する必要はありません。霊媒術が人類を欺こうとしているものは,霊たち,すなわち死んだ人間のいわゆる『不滅の魂』が霊界に住んでおり,人類は死んだ後でも生き続けるという信仰なのです。そのような信仰は,おそらく東洋から来たものでしよう。しかし,それは人類になんらの啓発と光を与えていません。かえつて,真理に対する人間の心を暗ましています。西洋はそのような暗みの下にいるため,光をすこしも与えていません。『死後の生存』という教えは,光りではありません。それで,ショウデスモンドがその本『我らは死なず』(英文)の中で次のように述べているのは,残念ながら全く間ちがつているものです『欧州は霊的な飢餓に瀕しているものの,東洋に光を求めない。光はもはや東洋から来ないで,西洋から来るのである。東洋は,かつて暗やみの世界に与えた光に無関心でいるわけではないが,いまでも世界の光である。それを究極的に分析するとき,「生存」の光と呼ばれるであろう。』『生存』の教理を持つ霊媒術は,キリスト前2370年のノアの日の洪水以後に,生じたのです。
34 最初の人間アダムは,霊界の存在していることを知つており,また自分は霊者によつてつくられたということを認識していました。そして,エデンの園にいた自分の妻エバにもそう教えました。ヱホバ神は見えないところからアダムとエバに話をされ,御自分の御意を知らしめたために,彼ら両人は霊界の存在を知つていました。彼らはヱホバの声を聞きましたが,それは霊媒の手段によつたのではありません。そして彼らもヱホバと話をしました。彼らは死んだ人と話をしているのではないということを知つていました。アダムとエバの前に,死んだ人はいません。彼らはエデンのパラダイスから追い出されるまで死人と話をせず,霊界にいる生ける者と話をしました。ノアとその7人の家族は,全世界を覆つた大洪水を生き残りましたが,彼らも霊界の存在を知つていました。生き残るために方舟をつくり,そしてその中に入れという教えがノアに来たのは,人間の目に見えない霊界からでした。洪水の後に,神は見えないところから彼らに話され,彼らを祝し,かつ教えを与えました。霊媒術は霊界を示して,説明し,または証明するどころか,かえつて霊界についての事実を曲げており,人間を悪く導いて悪鬼共に服従させています。―創造 5:32より9:17。
悪鬼共をつくつた者は誰か?
35-37 (イ)どのように,そして何時嘘を言う霊たち,すなわち悪鬼たちは始まりましたか?(ロ)最初の悪鬼は誰でしたか? 彼は全能の神を無視して,どのような行をしましたか?
35 読者の中には,ひとつの疑問を生ずる方もおられるでしよう。モーセは申命記 32章4節(新世)で,次のようにヱホバ神を讃えています『ヱホバは磐であられ,彼の業は完全,彼の道はみな公正であられる。ヱホバは誠実の神であられ,悪いところなく,全く正義公正な方であられる。』それで,ヱホバ神が悪鬼共の創造者であるわけがありません。それでは,悪鬼共はどうして存在するようになりましたか? モーセの歌の次の節は,解答の手がかりを与えるものです。『彼らは自ら悪を行つて亡びをもたらしたのであり,神の子たちではない。欠点は彼ら自身にある。邪悪な曲れる時代の者たちである。』(申命 32:5,新世)つまり,こういうことです。現在の悪鬼共は自分自ら悪鬼になつたのであり,その欠点は彼ら自身にあつて,もはや神の子たちではないということです。聖書は彼らのことを『汚れたる霊』と呼んでいます。(マタイ 10:1; 12:43。マルコ 1:23,26,27。ルカ 4:33,36。使行 5:16; 8:7)しかし,ヱホバ神は,初め清い霊,天的な子,霊の家族に属するものとして彼らを創造しました。彼らは不滅なものに創造されず,死に得る者としてつくられました。そして,神の清い,聖なる霊の子としているならば,永遠に生き得る機会が与えられていたのです。もしそうでないなら,現在かなり多くいる悪鬼共は,けつして亡ぼされることがなく,宇宙からなくなることはないでしよう。
36 自ら悪鬼になつた最初の者は,『悪鬼共の支配者』になり,他の御使である霊どもをも悪鬼にいたしました。(マタイ 12:24そしてマルコ 3:22,新世)彼は神に反対した最初の者であり,神を誹謗して嘘を語り,欺瞞の行をしてその犠牲者を龍のように呑んだことから,4つの特別な不名誉な名称がつけられました。すなわち,サタン,悪魔,原なる蛇,そして龍です。(黙示 12:9; 20:2,新世)この第3番目の名称は,エデンの園にいて,エバに話しかけた蛇と結びつくものです。『巧猾な蛇はエバをだました。』(コリント後 11:3,新世)その蛇に憑いて,話をさせ,そしてエバを惑したのは,サタン悪魔でした。なぜなら普通の蛇には話をすることも,誘惑の行をすることもできないからです。その蛇を操つたその見えざる者は,自ら悪鬼サタンになりました。彼は神に反対して神に誹謗を加えました。この見えざる霊者は,神の完全にして聖なる霊的な子として創造されました。エデンの楽園<パラダイス>の園とその中に住む人間と接触するようになつてから,彼は自分が偽りの神になつて,人類を支配することができると知りました。(エゼキエル 28:13-17)彼の心はその創造者に反逆し,そして計画を立てて行動を始めました。彼は自分の形を現しませんでしたが,エデンの園にいた蛇を用いました。男のアダムに向つてではなく,女のエバに向つて,彼は蛇を通して語り,エバを自分の側に入れて神に反逆させ,次にエバを用いてアダムに働きかけ,同じく神に反逆させようとしました。
37 『蛇は女に言い始めた「園にあるすべての木から喰べてはならないと神が言つたのは真であるか?」 これに対して,女は蛇に(とりもなおさず,悪魔サタンに)言つた「園にある木の果実を私たちは喰べることができる。しかし,園の中央にある木(善悪を知るの木)の果実を食べることについては,神はこう言われた『あなた方はその果実を食べてはならない。手を触れてもならない。というのは,おそらくあなた方が死んでしまうからである。』」これに対して,蛇は女に言つた「あなたは決して死なないであろう。それを食べたその日に,あなたの目は必らず開き,また必らず神のようになつて,善と悪を知るようになると,神は知つているからである。」』― 創世 3:1-5,新世。
38,39 エバに向い,その創造者ヱホバについて噓の言葉を蛇は言いましたが,それからどんな結果が生じましたか?
38 この言葉を述べたサタンは嘘を言いました。サタンは神を噓言者,欺瞞者と呼び,神は全能者でなく,その律法が背かれても罰することができない,と言いました。サタンはアダムとエバに死後の不滅を約束しませんでしたが,しかし禁断の木の果実を食べたところで彼らは死なないと言いました。木の果実を食べることだけで,死ぬようなことはなく,それに神は死の刑罰を行うことをしないであろう。むしろ,彼らは神のようになるであろう。それは死んでからの死後の生存のときではなく,彼らが人間として生きている時である。アダムとエバは,神のようになるが,それは神と同じく不滅性を持つというのではなく,ただ自分自身の増し加つた知識によつて善と悪を知り,そして神の支配や決定に従わなくても,自分自ら善と悪を決定することができるであろうと蛇は言つたのです。エバは真の神の言葉に従わず,むしろ蛇の言葉を聞きましたが,それは死んでから霊の世界に入り,エデンのパラダイスで知つていたものよりも,もつと多くのものを知り得るという考えによるのではなく,かえつて,人間のままで生き続け,そして知識を増して,自分自身の独立した決定をつくろうという考えによつたのです。エバはその木の果実を食べました。それから,自分の持つ力を用いて夫のアダムを誘い,その木の果実を食べさせました。彼らの目は開いても,ただ自分たちの裸の恥を見るのみでした。彼らは最高の智恵を持つ神のようには感ぜず,むしろヱホバ神を恐れ,ヱホバ神から隠れようとしました。地上のパラダイスで人間のまま永遠に終りなく生き得ると期待はしたものの,実際には彼らは生き続けることのない死の宣告を神からうけ,エデンのパラダイスから追放されました。
39 アダムとエバだけが死の宣告をうけたのではなく,反逆の霊者悪魔サタン,すなわち原の蛇も死の宣告をうけました。その頭は神の選びし女の裔の足下に打ち砕かれるでしよう。このことから,反逆をする以前のサタンのような霊者,つまり聖なる御使たちは,不滅でなく,死ぬものであるということが分ります。聖なる御使が永遠に生きられるかどうかは,彼らがまつたく神に従うか否かによつたのです。それで,人間が霊界と連絡通信をするといつても,それは霊者が不滅であるとか,人間の魂が不滅であるということを証明しません。―創世 3:15。
40 悪鬼共は果して不滅ですか? なぜ?
40 悪しき霊である悪魔サタンは,アダムとエバが死んだ後にも生き続けました。悪魔サタンは,神のゆるしをうけて現在でも生きています。そして,誰が宇宙を支配するか?という大論争の解決を待つています。ヱホバ神は,御自分が宇宙を運行させてその法則を指示し,かつ何が善であり何が悪であるかを決定する方であると,証明するでしよう。神の女の裔に従う,クリスチャンたちにむかい,神はこう言われました。『平和を与える神は,間もなくサタンをあなた方の足下に打ち砕くであろう。』(ロマ 16:20,新世)神は栄光を与えられた御子イエス・キリストを用いて,原の蛇サタンとその裔を打ち砕くでしよう。この忠実な御子は,アブラハムの子らと同じように人間になつたとき,蛇によりその踵を砕かれたからです。このことを証明するものとして,聖書にはこう書かれています『「子ら」が血と肉とにあずかつているので,イエスも同様に同じものを備えておられる。それは死をもたらす手段を持つ者,すなわち悪魔を,御自分の死によつて亡し,死の恐怖のために一生涯奴隷となつていた者たちを解き放つためである。たしかに,イエスは御使たちを助けられず,アブラハムの裔を助けておられる。』(ヘブル 2:14-16,新世)神は,その女の裔を死人の中から復活させて砕かれた踵を癒し,彼を霊界に復帰させて,不朽と不滅のむくいを与えました。(テモテ前 6:15,16)しかし,悪しき霊であるサタンは,不滅ではありません。
41 (イ)どんな聖書の記録は,長なる悪鬼の名前を示していますか?(ロ)霊媒的な行をする人間に対して,聖書はどのように警告していますか?
41 聖書の中で,悪魔サタンという名前はノアの日の洪水以前には述べられていません。ヨブ記の中で,始めてその名前が出てきます。洪水から何世紀も経つて後に,予言者モーセは,そのヨブ記を書いたようです。霊媒とか死人に問うということは,洪水後に始めて存在したようです。モーモを通して与えられた神の律法は,悪しき霊の手先たちに頼つてはならぬと警告しました。『あなた方の中に,……霊媒や易者に頼る者,死人に問う者がいてはならない。』(申命 18:10,11,新世。またレビ 19:31; 20:6,26)洪水の後,これら悪鬼の宗教は,ノアの曾孫であるニムロデの立てたバビロンの都とともに始まりました。(創世 10:8-10)予言者イザヤは,バビロンにむかつてこう言いました。『子を失い,寡婦となるこの二つのこと一日のうちに俄になんぢに来らん。汝おおく魔術をおこない,ひろく呪詛をほどこすと雖もみちみちて汝にきたるべし。今なんぢ少きときより勤めおこないたる呪詛とおおくの魔術とをもて立ちむかうべし。あるいは益をうることあらん,あるいは敵をおそれしむることあらん。なんぢは謀略おおきによりて倦み疲れたり。かの天をうらなう者,星を見るもの,新月をうらなう者,もし能わばいざ立ちて汝を来らんとする事よりまぬかれしむることをせよ。』(イザヤ 47:9,12,13)聖書の最後の本は,現代のバビロンがなぜ古代バビロンのように亡びなければならぬかを予言して,こう言つています『あなたの商人共は地上で最高位の者であり,その霊媒的な行によつてすべての国民は惑わされたからである。』― 黙示 18:23,新世。
42-44 他の不従順な霊者たちは,何時そしてどのように,その最初の長なる悪鬼に従いましたか?
42 『悪鬼共の支配者』であるサタンに従う他の悪鬼たちは,いつ存在しましたか? 聖なる御使たちがエデンの園でサタンとともに反逆したとか,あるいはその後間もなくして反逆したなどという聖書の記録は残つていません。しかし,他の霊者共が神に背き,サタンに真似る悪鬼となり,蛇の『裔』に何時なつたかについて,聖書の記録ははつきりと示しています。それは何時でしたか? 少くとも,ノアの日の洪水前120年の中です。モーセによつて書かれた霊感の記録は,こう述べています『さて,人は地でその数が殖え始めた時,娘たちが生まれるようになつた。神の子たちは人の娘に注目し,その美しいことを見た。神の子たちは,娘たちを選んで自分の妻にした。その後ヱホバは言われた。「彼もまた肉であるから,私の霊は人に対して無限に働かないであろう。したがつて,彼の日は百二十年となるであろう。」当時,地上にはネピリムがいた。そして,その後神の子たちが人の娘たちと関係を持ち続けて,娘たちが息子たちを生んだ時,それらの者はその世界にあつて力ある者であり名ある者であつた。次にヱホバは,人の悪が地に大きく,又人の心の図る考えは,いつも悪であるのを見られた。』― 創世 6:1-5,新世。
43 『人間の娘たち』と結婚したこれらの『神の子たち』は,神が地を創造する基を置かれたとき,よろこびの歌を歌つて,叫びをあげた神の霊的な子たちでした。(ヨブ 38:4-7)『蒼天にてたれかヱホバに類うものあらんや。神の子のなかに誰がヱホバのごとき者あらんや。』(詩 89:6)b それで,モハットは創世記 6章2,4節をこう翻訳しています『御使たちは人の娘の美しいのに注目して,娘を選んで結婚した。(この時にネピリム巨人が地に起きた。その後でも御使たちが人間の娘たちと交接して子供たちが生まれるときにネピリム巨人が起きた。それらの者は,昔有名な英雄たちであつた。』この創世記 6章4節のところについて,ギリシャ語七十人訳のアレキサンドリヤ写本も『神の子たち』とは言わず,『神の御使たち』と言つています。
44 これら『神の子たち』が誰であるかについての説明は,偽りなエノク書のシラボニック訳とは全く関係のないものです。
45,46 それら不従順な霊者たちは,地の住民の中で,どのような行をしましたか? どんな結果が生じましたか?
45 人間の娘たちと結婚して,性関係を結ぶために,『神の子たち』は,人間として男の形を取らねばならなかつたのです。妻といつしよに生活して,その生活を夜昼楽しみ,かつその子たちを育てるために,それらの『神の子たち』である御使たちは,その結婚生活を続けるあいだ人間として形を表わしていなければなりませんでした。大洪水の時まで,彼らはなんらの妨害をも受けずにこの人間の形に現われた状態を続けていたようです。彼らは,この期間中,神より受けた霊界の義務を怠り,ただ肉慾を充すのに没頭していました。これは神への不従順であります。しかも,義務を怠るということだけではなく,霊のものである御使が人間と交つて子孫を生むということは神に背くものです。創造者ヱホバは,人間種族がまつたく人間であつて,御使と女の不釣合な結合によつて生ずる混血種族であつてはならないという目的を立てられました。アダムの妻エバをアダムの脇の助骨からつくつたのは,その理由によるのです。神は,地的被造物すべてに対し,各々の類はその類の中に,止まるよう定めました。(申命 22:9-11。創世 1:11,12,21,24,25)それで,これら不従順な神の子たちは,自然の道に反する混乱をひき起し,かつ人類に関する神の律法に反する業をいたしました。御使は,霊界で『娶り嫁ぎしない』し,また御使の子たちを産むこともないと,イエス・キリストは説明されました。―マタイ 22:30,新世。
46 そのような自然の道に反する結婚から生ずる子供たちは,『ネピリム』と呼ばれる畸形の混血児であるのは当然です。イスラエル人は,カナンの地にいた巨人たちをネピリムと思い,実際にその巨人たちを『ネピリム』と呼びました。(民数紀略 13:33)彼らは不従順の子であるため,悪しき者たちです。彼らは生殖力を持たない混血児であるため,家族をつくることができず,乱暴な行をして知られるようになりました。そして,一般の人々に,暴力で地を充すという模範を残し,かつ人々の心に図る思いをいつも悪に向けました。彼らは『力ある者』つまりギボリムと呼ばれ,『その時の世』にあつて,世俗的なものでした。―創世 6:4,新世。(次号で完結します)
[脚注]
a この問題については,『宗教は人類のために何を成したか?』の148頁から153頁を見なさい。
b アメリカ訳は,この節の最後の部分を『天的生者のうちで誰が主のようであろうか?』と訳し,モハットは『どの御使が永遠者と比較し得ようか?』と訳しています。
[457ページの囲み記事]
『もろもろの国よ,なんぢらヱホバを讃めまつれ,もろもろの民よなんぢらヱホバを称えまつれ,そはわれらに賜うそのあわれみはおおいなり,ヱホバの真実はとこしえに絶ゆることなし。ヱホバをほめまつれ。』― 詩篇 117篇