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良いたよりを伝える ― 12月に王国宣教 1985 | 12月
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良いたよりを伝える ― 12月に
1 12月中の証言は,この世の休日の季節であることに加えて厳しい冬の気候ゆえに,ある地方においては特別な挑戦となることが少なくありません。あなたはそれらの挑戦に応ずる備えをしていますか。
2 あなたの地方の気候が12月に厳しくなるとしたら,あなたはその事情を克服して,『自分の奉仕の務めを十分に果たす』ため何ができるでしょうか。休日を守っているかもしれない人々に良いたよりをどのように提供できるでしょうか。
かぎ
3 良い判断と積極的な態度がかぎとなる要素です。気候が厳しければ,ふさわしい身なりをすることによって奉仕に十分備えてください。冷たい風の吹きぬけるようなアパート群の区域ではなく,少し暖かい区域をお年寄りなどのために準備している会衆もあります。区域によっては,訪問した理由を説明するため少しのあいだ中に入ることができるかどうか家の人に尋ねるとよい所もあるかもしれません。
休日の証言
4 もちろん12月は,この世の休日の季節となります。ある人々は,宗教的な事柄についていつもより会話する傾向にあるかもしれません。わたしたちはそのことを十分に活用し,恐らく次のような考えを含めることができます。「わたしたちは1年のこの時期に,多くの方々が宗教に関連したことに特に関心を持っておられることに気づいています」。次のように尋ねることができます。「今日あなたの周囲で,人々は神についてほとんど考えていないと思われませんか。[答えてもらう。]なぜだと思われますか」。家の人の答えを待ってから,話し合いを続け,「創造」の本を提供することができます。
5 休日は世俗の仕事や学校から解かれて自由な時間をもたらし,良いたよりを広める一層の機会も開けます。長老たちは,それらの日に野外奉仕の特別な取り決めを設けたいと思うことでしょう。しかしながら,休日の朝早くわたしたちが訪問するなら,遅くまで眠っていたいと思う人々を煩わせることになるかもしれないという点を覚えておくのはよいことです。通常よりもいくらか遅く家から家の活動を始めるのは賢明かもしれません。人々があなたも休日を楽しむように望む場合,休日に対する人々の態度に関して不必要に反対するのは賢明でないことも覚えておいてください。その点についてどう思うかを特に尋ねられるなら,正直に,そして敬意をこめて答えることができます。「聖書から論じる」の出版物の221-223ページにある情報は役立つに違いありません。
6 12月の雑誌の日に,「ものみの塔」と「目ざめよ!」の12月号の優れた記事を提供する機会をも有することでしょう。前もってこれらの雑誌を読み,記事に十分通じることにより,訴える仕方でそれらを提供するようになれます。
7 気候や休日の土地の習慣により特別な問題がもたらされるかもしれませんが,エホバの民はそれらによって良いたよりを熱心に伝えることをためらうことはありません。12月中わたしたちは,エホバの奉仕において多くのことを成し遂げ,エホバの恵みによりさわやかにされることを願っています。―マタイ 25:21-23。
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りっぱな土のような人は実を結ぶ王国宣教 1985 | 12月
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りっぱな土のような人は実を結ぶ
1 1986奉仕年度最初の月である9月に合計13万9,851件の家庭聖書研究が報告されました。この数は前月の8月を約1万件も上回るものです。新奉仕年度をこのような良い報告をもって始められたことをうれしく思います。しかしながら,この数をこれまでの最高数である1985年5月の家庭聖書研究の数と比較してみると1万件以上の減少となっています。この間に何があったのでしょうか。
2 考えられる一つのことは,血に関する忠誠の問題が日本で初めて大きく報道されたことによる影響です。悲しい経験をした当の家族は忠誠をりっぱに保ちましたし,大勢の研究生も信仰を強められて行動に移りました。そのことは圧倒的な伝道者増加数に表われています。しかし,ごく一部の研究生は自ら動揺したり,親族や友人その他からの反対が増し加わったりして聖書の研究をやめてしまったのかもしれません。
3 研究生を失うことを残念に思わない人は一人もいませんが,過度に落胆する必要はありません。わたしたちは人々を分ける業の一端にあずかっているのです。(マタイ 25:31-46)そして,その分ける業において責任を執っておられるイエス・キリストは次のことを予告なさいました。
4 「人が王国の言葉を聞きながらその意味を悟らない場合,邪悪な者がやって来て,その心にまかれたものをさらって行きます。これが道路のわきにまかれたものです。岩地にまかれたもの,これはみ言葉を聞き,喜んですぐにそれを受け入れる人のことです。けれども,自分に根がなく,一時は続きますが,み言葉のために患難や迫害が生じると,すぐにつまずいてしまいます。……りっぱな土の上にまかれたもの,これはみ言葉を聞いて,その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び,ある者は百倍,ある者は六十倍,ある者は三十倍を生み出すのです」― マタイ 13:19-23。
5 神の言葉の真意を悟る余裕のない人は,ちょっとしたことで動揺してしまい,まかれた神の言葉を容易に奪い去られてしまいます。また,み言葉の意味を悟り,喜んで受け入れるものの,親族や友人,宗教組織などからの激しい反対ゆえにつまずいてしまう人もいるのです。では,わたしたちのなすべきことは何でしょうか。
6 前述のイエスの言葉は二つの事柄を示唆しています。その一つは,わたしたち自身がりっぱな土のような人であることを実証するために実を結び続けることです。このことは特に「王国の言葉」を言い表わすことによってなされます。昨奉仕年度中に日本だけでも,家から家の伝道,再訪問,家庭聖書研究そして非公式の証言などの機会に「王国の言葉」を語るため4,648万時間以上が費やされ,実が結ばれました。その中には,1年間に誕生した1万人以上もの新しい伝道者の報告が含まれているのです。
7 イエスの言葉から学べるもう一つのことは,りっぱな土のような心の持ち主を見いだすために努力を払う必要性です。言うまでもなくこのことは家庭聖書研究によってなされます。人は,王国の言葉を聞き,学んで理解し,しっかりと根をおろしてから成長し,やがて実を結ぶことにより,自分がりっぱな土のような者であることを示すのです。この事実は,わたしたちに特権と祝福をもたらすと共に,ある種の責任を課すものともなります。わたしたちは,常に家庭聖書研究の機会を人々に差し伸べているでしょうか。そうすることにより,自分の心がどのような種類のものかを明らかにする機会を人々に与えているでしょうか。
8 あなたが奉仕に費やす時間のうちの半分を教える業,つまり再訪問と聖書研究にあてるように勧められています。家から家の伝道や非公式の証言の機会に直接聖書研究を勧めることに加えて,再訪問活動を勤勉に行ない,忍耐強く家庭聖書研究を取り決める努力を払いましょう。1985年3月号「王国宣教」の折り込みを復習し,再訪問に関する提案を綿密に実行して,一歩一歩家庭聖書研究の取り決めに向かって進んでごらんください。研究の増加を目標にした奉仕の友の取り決めを設け,互いに助け合い,双方が一つずつの新しい研究を持てるように励んでごらんください。奉仕監督はこの面で貢献することができます。
9 そのようにして,わたしたちすべてが「百倍」あるいは「六十倍」また「三十倍」を生み出すことができますように。
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