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宗派の合同は神の是認を得るかものみの塔 1963 | 10月1日
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れた招待や,英国国教会,世界教会会議,ルーテル世界連盟,80以上の国の351の非カトリック教会を代表するグループからオブザーバーを招待したことからわかるとおり,これは変化ののろい教会の伝統のなかにおける合同への動きである」。4
合同の神学の風潮にかぶれた宗教雑誌「ザ・クリスチャン・センチュリー」―「非宗派的週刊誌」と称えていたが,それが変って「全キリスト教会週刊誌」と呼ぶようになった ― は,次のように述べている。「この会議は,われわれの時代の最も重要な宗教的出来事となるかも知れない。…第二バチカン会議は,全キリスト教会運動を拡張した。…世界〔教会〕会議が成功したために,法王は予想外に早くカトリック会議を開くことができた」。5
プロテスタントがカトリック会議に深い関心をもっていることは,監督派の教会,連合長老教会,ルーテル教会,ギリシャ正教などの指導者たちが,その会議のために祈るように教会員にすすめているのをみてもわかります。カナダの聖公会の監督E・S・リードは,彼のグループに,「忠実な聖公会の会員の皆さん,神が法王の公会議をご自身の栄光のためにお用いになるように祈ってください」とうながしています。
こうして宗教指導者は宗教の合同を話題にのぼらせ,また法王の召集した会議のために祈ることをすすめています。ですから真のクリスチャンが,あらゆる宗教を合同することにかんして神がどんなお考えをもっておられるかを,神の御言葉である聖書から学ぶのは時宜を得た行いです。
宗教合同に対する神の見方
イスラエル人は昔神の民でした。ですから,神はイスラエルを他の宗教と合同するように導かれたか,という質問をしてみるとよいでしょう。聖書の記録によると,神は彼らを他の宗教と融合させるどころか分離させておられます。神はご自身の民をエジプトから,またエジプトの偶像崇拝から救い出されました。イスラエル人が約束の地にはいったとき,全能の神は,カナン人の宗教に近よらないように彼らに指示されました。したがって聖書にはつぎのように記録されています。
「エホバまたモーセに告げて言たまはく。イスラエルの子孫に告て言へ我は汝らの神エホバなり。汝らその住をりしエジプトの国に行はるるところの事どもをならひ行ふべからずまた我が汝等を導きいたるカナンの国におこなはるるところの事どもをならひおこなふべからずまたその例に歩むべからず。汝らは我が法を行ひ我が例をまもりてその中にあゆむべし我は汝等の神エホバなり」。―レビ 18:1-4。
イスラエル人がこの戒めにそむいて,異教と親しくしはじめたとき,神は怒りを示されました。「われまたいひけらくわれ汝らの前より彼らを追ふべからずかれら反て汝等の肋を刺すいばらとならんまた彼らの神々は汝らのわなとなるべし」。―士師 2:3。
神は初期クリスチャンに対してもやはり同じみこころをもっておられました。彼らは偽りの宗教,すなわち他のすべてのグループとの合同を避けねばなりませんでした。真のクリスチャンが他のグループと,またパリサイ人のように同じ真の神エホバを崇拝すると主張したグループとすら,合同してならないことは,イエス・キリストもはっきり述べられました。神の御子は言われました。「わたしの天の父がお植えにならなかったものは,みな抜き取られるであろう。彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら,ふたりとも穴に落ち込むであろう」。それらの宗教指導者たちの言伝えは,「神の言」を無にしたとイエスは説明されました。ですから真のクリスチャンは,そのような宗教を避けねばなりません。パウロものちに,「少しのパン種でも,粉のかたまり全体をふくらませる」。―マタイ 15:13,14,6。ガラテヤ 5:9,新口。
真のクリスチャンは,神の御言葉を無にするような人間の言伝えを大目にみることはできません。にもかかわらず,キリスト教国における現在の合同運動は,クリスチャンに矛盾した教義 ― その多くは間違いに相違ない ― を黙許することを要求します。最近,世界教会会議ニューヨーク事務所の事務長の職から引退したサムエル・マックレラ・カバート博士は,次のように述べています。「問題は,相違を保持しうる合同教会ができるかどうかということである」。ということは,神が虚偽を,小さな虚偽すら許されると独断的に考えていることになります。しかし,キリストの使徒は,それとは反対に,「あなたがたは,少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを,知らないのか」と言っています。―コリント前 5:6,新口。
神は人々を分類されている
そればかりではありません。神が王イエス・キリストをとおして人々を分けておられるときに,どうして宗教指導者たちが,あらゆる宗教を合同することに対して神の恵みを期待できますか。
イエス・キリストは,羊とやぎとのたとえ話の中で,この終りの時代に行なわれる広範囲な分けるわざを預言されました。「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき,彼はその栄光の座につくであろう。そして,すべての国民をその前に集めて,羊飼が羊とやぎとを分けるように,彼らをよりわけ,羊を右に,やぎを左におくであろう」。―マタイ 25:31-33,新口。
したがって諸国民はいま,ある者は羊級に,ある者はやぎ級に分けられています。「滅びにいたる門は大きく,その道は広い。そして,そこからはいって行く者が多い」というイエスの言葉から,大多数の人はやぎ級に分けられていることが明らかです。(マタイ 7:13,新口)ではどうして,ほんとうに羊級の人々が,明らかにやぎ級であることを示している人々と合同することなど,考えられるでしょうか。神が分けられるものを人間が一つにできますか。
といっても,神が真のクリスチャンの一致を支持されないというのではありません。たしかに支持はされますが,教理の純粋さを犠牲にしてまで支持されるのではありません。神は,唯一の真の宗教 ― 矛盾した教理や言伝えで堕落しない以前の,初期クリスチャンたちの純粋の宗教を中心にした崇拝をするためのクリスチャンたちの一致は支持されます。神の聖なる御言葉にもとづいた,神の御国を中心にしたキリスト教を神は支持されます。それこそ神の定められた宗教一致への道であり,エホバの証者の新世社会が選んだ道です。詳しいことは,1962年10月8日号の「目ざめよ!」の「初期キリスト教と現代の宗教」をごらんください。それには初期クリスチャンたちの崇拝にかんする事実および,今日だれがそれと同じ崇拝を行なっているかが説明されています。
神が人々を分けておられる以上,あらゆる宗教の合同を支持されることは決してありません。神が支持されるのは,唯一の真の宗教と,残りの宗教を,合同するのではなく,全部抜き捨てることです。そのことは,神の戦いであるハルマゲドンで行なわれるでしょう。それは,『天の父がお植えにならなかったものが抜き取られるときです』。―マタイ 15:13,新口。
参照
1 1963年1月4日号の「タイム」。
2 1962年12月6日付のニューヨークタイムス。
3 「聖書研究」第6巻181-183頁。
4 1962年10月6日号。
5 1963年1月2日号。
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その祈りは聞かれたものみの塔 1963 | 10月1日
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その祈りは聞かれた
◆ アメリカ,マサチュセッツ州のあるエホバの証者の経験。「先日,私が一軒の家をたずね,聖書の話を始めると,出て来た婦人はにこにこして,『あなたはエホバの証者ですか』,と聞きました。それに私が同意すると,彼女は私が家の中にはいることを求め,ちょうど自分は,エホバの証者が来てくれるようにと祈っていたところです,と言いました。彼女がちょうど祈りを終えた時,ドアのベルが鳴って,私がそこにいたというわけです。この経験の要点は,私が自分の車をおりた時には,特にその家に行くつもりはなかった,という事です。以前に私はその家で,男の人に二冊の雑誌を配布したことがありましたが,その男の人はそれほど興味を持っていませんでした。でもちょうどそこで車を下りた時,ふと,たずねてみようかなという気持がおきたのです」。
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