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恐れずにハルマゲドンに立ち向かう雄々しい者でありなさいものみの塔 1983 | 1月1日
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19 目覚めていることと信仰にしっかり立つことのほかに,わたしたちは「人」としてどんな面で成長する必要がありますか。その源となるのはどなたですか。
19 自分の特権と機会に目覚め,『信仰のうちにしっかりと立つ』のはわたしたちの責任です。エホバはわたしたちが,神に属し神に献身した人として弱くなってはならないと戒めておられます。この価値ある目的のために,わたしたちは使徒パウロが述べた「力強い者となりなさい」という時宜にかなった訓戒に留意する必要があります。(コリント第一 16:13)脇道にそれることなく,わたしたちの王イエス・キリストを通してエホバに頼り,またエホバに祈ることにより,わたしたちはそうすることができ,またそのようにします。イザヤ書 40章29節にはこう記されています。「神は疲れた者に力を与えておられる。活動力のない者にみなぎる偉力を豊かに与えてくださる」。ハルマゲドンにおける神の勝利を目撃したあと,わたしたちは,紅海でファラオの軍勢が覆されてから歌われたモーセの次の歌に和する特権にあずかれますように。「エホバは雄々しい戦人[人に相当するヘブライ語は,イーシュ]。……わたしの力,わたしの偉力はヤハ。わたしの救いとなってくださるからだ」― 出エジプト記 15:3,2。
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読者からの質問ものみの塔 1983 | 1月1日
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読者からの質問
■ ヨハネ 1章21節に述べられているように,バプテスマを施す人ヨハネをエリヤであると考える人がユダヤ人の中にいたのはなぜですか。
イエスがバプテスマを受ける前に,ヨハネがバプテスマを施していた,ヨルダンの向こうのベタニヤに幾人かの祭司やレビ人がやって来て,ヨハネに向かって彼がキリストなのかどうか尋ねました。ヨハネがそうではないと答えると,彼らはこう尋ねました。「では何ですか。あなたはエリヤですか」― ヨハネ 1:19-28。
それらのユダヤ人たちはどうしてヨハネが9世紀ほど前に死んだヘブライ人の預言者エリヤかもしれないと考えたのでしょうか。それは,エリヤの時代とヨハネの宣教の始まった時とのほぼ中間の時代に語られた一つの預言のためです。神の預言者マラキは次のように予告しました。「見よ,エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日の来る前に,わたしはあなた方に預言者エリヤを遣わす」。(マラキ 4:5)ユダヤ人の中には,この預言を神がエリヤを復活させることによりエリヤが肉体で戻って来ることを意味するものと理解していた人がいたようでした。その時ヨハネはエリヤが身に着けていたような毛衣を着,皮帯を締めて登場したのです。(マタイ 3:4。列王第二 1:8)そしてヨハネは,エリヤがそうであったように,悔い改めを呼び掛ける神の音信を宣明する点で率直でした。それで,彼らはヨハネがエリヤであるかどうか尋ねたのです。
それに対してヨハネは,「そうではありません」と答えました。確かに,ヨハネは依然として死の眠りに就いていたヘブライ人の預言者エリヤその人ではありませんでした。事実,(ヨハネの父親になった)ゼカリヤに対して,一人のみ使いがヨハネはユダヤ人をエホバへ立ち返らせるために「エリヤの霊と力」をもって仕えるであろう,と告げました。(ルカ 1:17)ヨハネがエリヤになるわけではありませんが,ずっと昔に死んだ預言者エリヤが成し遂げたのと同様の業を行なうでしょう。
このことと調和して,イエスはヨハネを念頭に置いて後日こう語られました。『エリヤはすでに来たのですが,人々はそれを見分けなかったのです』。(マタイ 17:12)イエスはヨハネがマラキ書 4章5節の預言を成就したという意味で,そう言われたのです。ヨハネはメシアの前に道を備えました。しかし,ユダヤ人の大半はその役割を果たした人としてヨハネを受け入れることはありませんでした。さらに,ヨハネ 10章41節には,「確かに,ヨハネはただ一つのしるしも行なわなかった」と書かれていますが,元の預言者エリヤは八つのしるしつまり奇跡を行ないました。
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