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神の真理はわたしの命を救ったものみの塔 1972 | 4月15日
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のひとりとなっています。わたしは,確かに神がそのふたりの証人を遣わしてくださったのだと思います。なぜなら,彼女たちが携えて来てくれた真理はわたしの命を救ったからです。―寄稿
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読者からの質問ものみの塔 1972 | 4月15日
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読者からの質問
● ヨブ記 28章5節の「地その上は食物を出し其下は火に覆へさるるがごとく覆へる」という句は,溶解状態にあるとされる地球内部のことをさしますか。―キプロスの一読者より
そうではありません。文脈から明らかなとおり,この句は,地下の宝をさがす人間の努力に関係しています。(ヨブ 28:1-4)地上では農夫がのどかに土を耕し,種を植え,生長する作物の世話をし,こうして地は食物を産します。ところが地下では,人間は猛威をふるう火のそれにも似た影響をもたらす不穏な「覆えす」わざをします。坑夫は地のふところから貴重な石や鉱物を苦労して掘り出します。
注目すべきこととして,ヨブ記 28章5節の幾つかの翻訳には多少の相違があります。たとえば欽定訳(英文)では,「地はその中よりパンをいだし,その下はあたかも火のごとくに掘り返さる」となっています。中にはこの翻訳に基づいて,この火は人間の掘り出す貴重な石や鉱物の輝きを意味しているとする注釈者もいます。しかし,その「火」は人間の行なう採掘作業をさすと考えるほうが文脈にもっとよく合いますし,現代の多くの翻訳とも合致します。
地に秘められた宝を人間は努力を惜しまず掘るとはいえ,そうした自然界を探索しても真の知恵を見いだしてはいません。(ヨブ 28:1-12)そうした知恵を見いだすには,神にたよらねばなりません。ヨブはこう結論しています。「見よ〔エホバ〕を畏るゝはこれ智慧なり 悪を離るゝは明哲なり」― ヨブ 28:28。
● 配偶者の同性愛行為は,罪のない他方の配偶者にとって離婚の聖書的理由となり,再婚の自由を与えるものとなるでしょうか。―アメリカの一読者より
同性愛は神の是認を得るのを妨げるものとして聖書では明確に非とされています。(コリント前 6:9,10)しかし罪のない他方の配偶者が同性愛行為を犯した配偶者から法的に離婚したのち,聖書的に再婚できるかどうかは,離婚と再婚にかんして聖書が述べる事柄に基づいて決定されなければなりません。
山上の垂訓の中でイエス・キリストはこう言われました。「淫行の故ならで其の妻をいだす者は,これに姦淫を行はしむるなり。また出されたる女を娶るものは,姦淫を行ふなり」。(マタイ 5:32)その後ある時,イエスはパリサイ人に言われました。「おほよそ淫行の故ならで其の妻をいだし,他に娶る者は姦淫を行ふなり」― マタイ 19:9。
したがって,罪のない他方の配偶者に再婚の自由を与える離婚のための唯一の理由となるのは「淫行」であることがわかります。
淫行ということばのギリシア語はポルネイアです。それは既婚者同士,あるいは未婚者同士の不義の性関係を示すことばです。古代ギリシア人はまれには,このことばを男女間の不義な性関係以外の行為をも意味するものと解していたようです。しかしイエスが,マタイ伝 5章32節と19章9節で用いたポルネイアの語の意味は,文脈を考慮して確定しなければなりません。
マタイ伝 5章と19章の中では,「淫行」ということばは夫婦間の不貞,あるいは配偶者以外の他の人との不義の関係という限定された意味で用いられていることに注目しなけばなりません。山上の垂訓の中で離婚の問題を取り上げる直前にイエスは,「すべて色情を懐きて女を見るもの[つまり既婚者]は,既に心のうち姦淫したるなり」と指摘されました。(マタイ 5:28)したがって,そののちイエスが,淫行を犯す女のことに言及されたとき,聞き手はそのことばを相対的な意味,すなわち既婚婦人の売春あるいは姦淫を意味するものとして理解したことでしょう。
マタイ伝 19章の文脈はこの結論を確証しています。イエスはヘブル語聖書に基づいて,男はその妻と「一体」になると指摘し,ついでこうつけ加えられました。「神の合せ給ひし者は人これを離すべからず」。(マタイ 19:5,6)さて,同性愛行為では性器が不自然な方法,本来の意図に全く反する仕方で用いられます。同性の二人は,アダムとエバの場合のように,互いに補い合う者ではありません。同性の二人は子孫をもうけるために「一体」になることは決してできません。さらにつけ加えると,人間が動物と交接する場合,二つの異なった種類の肉のからだが関係しています。使徒パウロはこう書きました。「凡ての肉,おなじ肉にあらず,人の肉あり,獣の肉あり,鳥の肉あり,魚の肉あり」― コリント前 15:39。
同性愛や獣姦はいずれも嫌悪すべき性的倒錯ですが,そのいずれも結婚のきずなを断ち切るものでは
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