「敵意の的」イエスはエホバが神であることを擁護する
「罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを,思いみるべきである」― ヘブル 12:3。
1 イエスは大いなるヨブであると言えるのはなぜですか。
ヨブの名には「敵意の的」という意味があります。a 試練を経験した時のヨブはいかにも敵意の的であったではありませんか。ヨブはサタンおよびバビロン化した友人たちの敵意を浴びました。さて,このできごとのすべてはちみつな預言劇であり,一次的には大いなるヨブであるイエス・キリストに成就しています。しかし,このことの教訓的な証拠を検討する前に,イエス以前の5世紀間における,パレスチナおよび周辺の異教世界の宗教事情について調べることが必要でしょう。その500年の間に,サタンはきわめてこうかつな宗教上の諸勢力と混乱的な教義とを生み出しました。それは,約束の「すえ」が地上にいつ現われても,その者を極度の試練に会わせるためでした。(創世 3:15)これから先に見るとおり,完全な人間イエスは大いなるヨブ,すなわち大いなる「敵意の的」以上のものになることができました。エホバ神が至上の神であることを立証するために,イエスは罪人の反抗を耐え忍ばれました。―ヘブル 12:3。
イエスの到来にそなえて宗教事情をととのえる
2,3 (イ)パレスチナとバビロンの2ヵ所にユダヤ人の中心地ができたのはなぜですか。(ロ)ユダヤ人の宗教はどのように広がりましたか。それは何を中心にしていましたか。
2 聖書および一般の歴史から見て明らかなごとく,紀元前607年から537年にバビロンに流刑になったユダヤ人のうち,紀元前537年あるいはそれ以後にエルサレムに帰還し,ゼルバベルの指揮のもとに真の崇拝の再興と宮の再建に加わった者はごく少数です。(エズラ 2:1,2)何年かのち,ネヘミヤはエルサレムの城壁を再建し(ネヘミヤ 7:1),エズラは再建された宮で日毎に仕える祭司を配置して,それぞれエルサレムの再興に加わりました。(エズラ 7:1-7)エズラはまた神聖なヘブル語聖書の信頼できる写本を整え,流布に備える大きな仕事を率先して行ないました。しかしながら,流刑の身にあったユダヤ人の大部分はバビロニアにとどまることを選びました。そのユダヤ人たちは国の各地に分散させられてはいましたが,物質的には安定した地位を得ていました。b バビロンに残留したこれらのユダヤ人はアブラハム,モーセ,また預言者などのまことの宗教をあるかたちで保存しました。これはヘブライズムとも呼ばれます。
3 紀元前5世紀以後,バビロニアやパレスチナのユダヤ人の中には貿易や商業に携わる者が多くいました。そうしたユダヤ人は家族や親族を連れてメソポタミヤ,エジプト,ギリシヤ,ローマ,そしてやがては地中海全域に移住し,異邦の大都市にある外国人居留地に住みました。すなわち,ユダヤ人社会は,今日におけると同じく,当時の文明世界全域に拡大したのです。こうしたユダヤ人が携えて行ったものは,儀式や犠牲のためではなく,祈りと研究のために集まり合う習慣,つまりヘブライ流の宗教でした。その宗教生活の中心となったのは簡素な会堂です。当初,この種の会堂は「ベス ハ・ケネセット」(祈りの家),もしくは「ベス ハ・ミドラシュ」(研究の家)と呼ばれていましたが,c 後年にはギリシヤの影響を受け,ギリシヤ語でシナゴグと呼ばれるようになりました。d
4 イエスの宣教に先だってユダヤ人の舞台はどれほど広げられていましたか。
4 こうしてユダヤ人は拡大する異邦世界に自分たちの宗教を「輸出」していたのです。やがてパレスチナ外部の「植民地」に居留するユダヤ人は人口において本土のユダヤ人を大幅に上まわり,四散したユダヤ人(ダイアスポラ)として知られるようになりました。これがすなわち「離散している」ユダヤ人です。(ヤコブ 1:1)これは結局は数世紀をかけた大宣教活動となり,ユダヤ人は自分の宗教を異邦人に伝えることになりました。「シナゴグは数十万の帰依者を集め」て改宗者を作ったと,ヨセハスは書いています。e (マタイ 23:15)3年に一度ずつユダヤ人と改宗者の男子はエルサレムに巡礼し,そこでの祭りに臨みました。f ヨセハスの記録によるとある年の過越には270万以上の男子が集まりました。g ギリシヤ化したユダヤ人フィロはこのできごとについて記述する中で,エルサレムを「一国民ではなく万国民の」都としています。h こうした事情を考慮するなら,「敵意の的」となるイエスのために舞台が世界に広げられていたことを理解できます。
ヘレニズムの内的な影響
5,6 (イ)ヘレニズムとは何ですか。(ロ)それはどのようにパレスチナに「輸出」されましたか。(ハ)ユダヤ人はどんな肉欲的な影響を受けていましたか。ユダヤ人の宗教は影響を受けましたか。
5 次に,こうしたクリスチャン時代以前のユダヤ人の宗教が,東洋のバビロン的宗教思想に染まったいきさつを調べましょう。これは一つにはユダヤ人のバビロン捕囚が直接の原因でしたが,東洋化したギリシヤ人の微妙な影響も見のがせません。往時のギリシヤ人はヘレヌスと呼ばれました。それゆえ,ギリシヤ人の文化および宗教はヘレニズムと呼ばれるようになりました。昔のギリシャの哲人の多くは事実上,ヘレニズムの「預言者」であり,各派の思想は異教ヘレニズムの諸教派をなすものでした。ヘレニズムには幾つもの教派がありましたが,その特徴は美術,音楽,舞踏,からだの鍛練,競技,官能的な生活,肉体に幸福を求めること,物質主義,霊魂の不滅,万神の崇拝など,「肉の欲」(ヨハネ第一 2:16)に訴える事柄でした。ギリシヤ化したアレキサンダー大王が当時の世界を征服した時,「ギリシヤ人はそれまでの東方征服者と異なり,被征服民を居住地から追い立てるかわりに,自分の国そのものを征服地に移した」。i それで,ユダヤ人と同じようにギリシヤ人も自分のヘレニズム文明を諸国に輸出したのです。たとえば,アレキサンダーおよびその後継者のこうした政策にしたがって,ユダヤ地方にもデカポリス(10の町)と総称されるギリシヤ人の都市,10が建設されました。(マタイ 4:25。マルコ 5:20; 7:31)これはユダヤ人の結束を破ることを目的にしており,ヘレニズムの誘惑的な雰囲気もしくはこの世の霊をかもし出しました。(コリント第一 2:12)運動競技,美的感覚,洗練された優美さ,形の美しさなどを売り物にするこれらの都市は,ユダヤ人の若者にとってあこがれのまとでした。j こうしてギリシヤの作法,ギリシヤのことば,ギリシヤ風の考え方などがパレスチナにはんらんしました。
6 しかし,こうしたヘレニズム風の文化および宗教は,すでにアレキサンダーのペルシャ征服以来,東洋ないしはバビロニアの影響を受けていました。k 「東洋の思想と混交した〔ヘレニズム〕は官能主義と理性主義の不純な成長という姿になりさがった」。l パレスチナのユダヤ人および離散したユダヤ人の双方に言えることですが,「ユダヤ人は徐々に,しかし着実に,周囲の宗教思想を同化するようになり,そうした思想を加味して聖書を解釈するようになった」。a こうしてヘブライズムは背教の度合をいっそう強くしたユダヤ教となり,非聖書的な規定や伝統を多く集めるようになりました。(ガラテヤ 1:13。マルコ 7:13)ついでわたしたちは,ユダヤ教がバビロン化した証拠,および,それがイエスの時代までに幾つもの教派に分裂したことについて調べましょう。
ユダヤ人はバビロン思想をとり入れる
7 バビロニア人は自分たちの神をどんなことばで呼ぶようになりましたか。
7 まず,バビロンの神々の中でマルズク(メロダク)が「神々の長者,最古参者」,つまりバビロンの主神とされていたことに注意してください。(エレミヤ 50:2)b マルズクの由来はニムロデにまでさかのぼります。「ニムロデ……に最も結びつくのはバビロンの主神マルズクである。ニムロデはおそらくバビロンの建設者であったのであろう。アッシリアの神アッシュールが……アッシリア帝国の建設者と目されるのに似ている」。c 紀元前8世紀のイザヤの時代よりずっと前に(イザヤ 46:1),バビロンでは主神マルズク(メロダク)を単に「主」もしくはバールという一般的な称号で呼ぶ習慣が発展していました。これは古代の異教徒カナン人の習慣に似ています。(士師 2:11-13)「マルズク……はバビロン市の守護神であり,マルズクの神殿はエサジラと呼ばれた……マルズクの名は後年に総称的なベル,『主』という称号に置きかえられ,やがてベルと言えば一般にマルズクをさすようになった」d ― エレミヤ 51:44。
8 ユダヤ人は神を称号で呼ぶこのバビロニア人の習慣から影響を受けましたか。
8 バビロン捕囚後のユダヤ人がこの習慣にならい,自分の神を呼ぶのに固有の名エホバを使わず,単に「主」(アドナイ)と呼ぶようになったことは周知の事実です。そして,ユダヤ教のソヘリムはイエス以前のバビロン化時代に,ヘブル語聖書原本中の神の名「エホバ」(יהוה)を134カ所にわたって「主」(אדני)という語に置きかえ,この背教的な,セボレテ的な習慣をさらに進めました。e こうしてユダヤ教下のユダヤ人がサタンに巧みに動かされて,神を単に称号で呼ぶバビロニアの習慣のセボレテに従い,まことの神の御名を隠すにいたったいきさつを知ることができます。神をエホバと呼ばず,主という一般的な称号を使うことによって,まことの神との暖かく,親しみのある関係は失われました。
9,10 (イ)エホバのまことの崇拝者がエホバをさして主ということばを使う場合にはどんな敬けんな方法に従いましたか。(ロ)エホバ神の至上権を認めたネブカデネザルのことばについて注目すべきことは何ですか。
9 アブラハムの時代から預言者の日に至るまで,昔の,真のエホバの崇拝者が神を主(アドナイ)と呼ぶ場合には,いつでも同じ文脈の中に神の御名を用いました。f 「エホバ」の語なしに主(アドナイまたはアドン)ということばだけを使った場合もありますが,それは異教の名目的な神々や主に対するエホバの至上性を示す場合(申命 10:17。ヨシュア 3:11,13)か,あるいはエホバ神だけが「ハ・アドン」すなわち唯一まことの主として示されている場合です。g イザヤはシボレテつまり正しい言いかたでこう述べています。「エホバわれらの神よなんぢにあらぬ他の主ども〔アドニム〕さきにわれらを治めたり〔バアルヌ〕,されどわれらはただなんぢによりてなんぢの名をかたりつげん」― イザヤ 26:13,文語。
10 さらに,ヘブル人の真のエホバの崇拝者は「ハ・エローヒーム」すなわち「唯一まことの神」という表現を使いましたが,バビロニア人は他の異教徒と同じく,自分たちの主神をさしてこのような専一的な表現は使いませんでした。ネブカデネザルはヘブル人の神エホバが真実の神であることをやむなく認めましたが,その時にも「ハ・エローヒーム」というヘブル語の表現を用いず,単にアラミヤ語の神,「エラハ」(限定詞)ということばを使っています。―ダニエル 3:28,29。
11 ユダヤ人がバビロン的な宗教思想を受け入れていたことの証拠をさらにあげなさい。
11 バビロニアの「三神一体の概念」はエジプトの勢力をとおしてユダヤ人に伝わりました。h 「霊魂の不滅」に対する信仰はバビロンとギリシヤからユダヤ教にはいりました。「アレキサンドリアのユダヤ人だけでなく,パレスチナのユダヤ人も,〔紀元前〕2世紀には霊魂不滅の教義を受け入れた」。i これはさらに,2世紀までに,「からだの復活」という信仰に導かれました。これは霊魂が住む場所を常に得るためのものと考えられました。j 例をあげて説明すれば,イエスの到来以前に一ユダヤ人が書いた外典「ソロモンの知恵の書」は,たましいと肉体との分離に関する,ギリシャの哲人プラトンの思想を提出しています。(1:4; 9:15)また肉体以前に存在するたましいが肉体にはいるという,ギリシヤの予定説も提出されています。(8:19,20)人の将来の命はメシヤによってではなく,知恵によってもたらされます。(8:13)また「知恵の書」にしたがえば,人間は不滅不朽のものとして創造されました。(2:23; 6:19; 12:1)ヘーデスは不義のたましいが苦しむ所であり(1:14; 2:1),人間にとって賢明なのは今快楽の日を送ることであるという,ギリシヤの考えも取り入れられています。―2:7-9。
ユダヤ教の派閥的な圧力グループ
12-14 ユダヤ教の圧力グループ三つについて,一つずつ説明しなさい。
12 異教世界からの種々のあいまいな教義を取り入れるかどうかによって,ユダヤ教は幾つかの教派に分裂するようになりました。こうした教派は宗教面だけでなく,政治の面においてもそれぞれに勢力をもつグループとなりました。この時期に発展したのはサドカイ派です。サドカイ派は「祭司階級の多くを含み,以前のヘレニストたちの見解を継承していた……彼らは実質的には唯物主義者であった。人々の待望するメシヤを期待せず,理性の働きを信頼した。彼らの独立独歩の態度,律法を字義どおりに行なおうとする厳格さ,復活の否定などはストア派〔ギリシャ哲学の一派〕の精神を反映している」。k
13 エッセネ派はヘレニズムの清教徒とも言うべき流れを汲んでおり,ピタゴラスに従って,「からだとたましいの二元論的な教義のほか,肉体の浄化,沐浴の実行,血のささげ物の拒否,独身のすすめ,〔事実上,去勢された者のようになること〕」などに重きを置いていました。l
14 スクライブス(法学者)も一派または一党をなしていました。スクライブスは早くはハシディム(信心深い人々)の仲間でした。また律法の学者であったため,モーセの律法を厳格に主張し,ギリシヤのことばやギリシヤ風の考え方に大いに反対していました。a
15-17 ほかの三つの圧力グループについて興味ぶかい点をあげなさい。
15 クリスチャン時代以前に出た別の教派はパリサイ派です。パリサイ派の人々は自らをハブヘリムすなわち「隣人」と呼んでいました。隣人と称することによって,「〔パリサイ派〕は人々に対する影響力に由来する権力を強く」していました。b ついでながら,この点を考慮するなら,イエスがパリサイ人に語られた「良きサマリヤ人」のたとえをさらに深く理解できます。イエスはこう尋ねられました。「この三人のうち,だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。(ルカ 10:25-37)パリサイ人はモーセの法律に付け加えられたユダヤ教の言い伝えを堅く守りました。そして,天使や霊者の存在を信じ,「からだの復活」を主張しました。(使行 23:6-8)c 人間のたましいは不滅であり,悪人はヘーデスで苦しむというのもこの派の教えでした。ヨセハスはそのことをこう書いています。「〔パリサイ人は〕たましいはすべて不滅であると考えている。善人のたましいだけが別のからだにはいり,悪人のたましいは永遠の罰を受ける」。d
16 もう一つの圧力グループはヘロデ党と呼ばれ,ヘロデに従う人々の集まりでした。(マタイ 22:16)ヘロデ党は国家主義的なグループであり,ローマの配下に行なわれるヘロデ家の統治を支持していました。e
17 サンヘドリン自身も,その全体が一つの圧力グループとなっていました。サンヘドリンは祭司および前述の党や派の指導者で構成されていたからです。以上がイエスの宣教開始までに形を整えていた教派的な圧力グループです。
大いなるヨブの登場
18,19 イエスと昔のヨブとの顕著な類似点をさらにあげなさい。
18 ヨブのドラマの規模の大きな成就はイエスの時代に始まりました。大いなるヨブとなり,ヨブの名があらわした「敵意の的」の中心となられたのはイエスご自身です。順序は必ずしも同じでありませんが,イエスの地上の宣教活動中に起きたことの一つ一つが,ヨブにあったできごとの直接の成就となっていることはむしろ驚嘆に価します。さらに,イエスは十分な知識をもつ完全な人でしたから,活動を許されたサタンの手および配下のバビロン化した圧力グループからもたらされる幾多の圧迫に対して,より強固な態度をとることができました。顕著な証拠をとりあげ,イエスが御父エホバ神の至上権を堂々と擁護されたさまを見るのは有益です。
19 イエスは西暦29年にヨルダン川で神の聖霊によって油を注がれ,将来,王になるべき者としての任命を受けました。これによってイエスは全地と地上の富と生き物すべてに対する所有権をもつことになりました。また,完全な人間であったイエスは,たとえ不完全な女を妻にしたとしても,完全な子供を持つことができました。なぜなら,完全さは母親ではなく,父親によって決定されるからです。このことは完全な父親エホバが,不完全な母親マリヤを用いて完全な男子イエスを誕生させられたことにも示されています。こうしてイエスはヨブの10人の子供が表わしたことの成就として,全地に完全な人間を住まわせることができました。しかし実際には,エホバ神がイエスに地上の人間の妻を与えられず,かわって子供に相当するものを与えられました。エホバが与えられたのは忠実な弟子という「子ら」でした。イエスは,地上の父親が自分の子供にするように,この忠節に従う人々を教え,その世話を見ることができました。イエスについては次の預言がありました。「みよ我とエホバが我にたまひたる子らとはイスラエルのうちのしるしなりくすしきかたなり」― イザヤ 8:18,文語訳。ヘブル 2:13。マルコ 10:13-16。
イエスはエホバが神であることを擁護する
20 サタンはイエスを初めにどのように試みましたか。結果はどうでしたか。
20 ヨブの場合と同じように,悪魔サタンはイエスに定められた地上の富とイエスの霊的な子供たちを永遠に奪い取ろうとしました。しかし,ヨブの場合に背後に隠れて姿を現わさなかったサタンが,今自ら現われ,「的」の中心である人間イエスに対する「敵意」を直接に表わし始めます。サタンはそのために荒野のイエスに直接近づき,三度誘惑します。サタンは(1)物質主義,(2)名誉,(3)エホバの神権の否定という三つの点でイエスをじかに試みます。イエスはこれら根本的な試みの一つ一つに勝利をおさめられます。イエスはいつでも,エホバの正式なお名前の出ている聖句を使ってサタンを撃退されました。(マタイ 4:1-11)たしかに,大いなるヨブ,イエスは初めからエホバの神権を正しく擁護されました。
21 イエスの場合に,ヨブが子供を奪われ,ヨブの妻が弱くなったことに相当するものは何ですか。
21 イエスの宣教の3年目(西暦32年)の過越の少し前に,サタンは多くの弟子をイエスから離れさせました。これはヨブが10人(完全数)の子供を奪われたのに似ています。ヨハネによる福音書 6章66節から68節に記録される場合のように,イエスは宣教活動の途上に弟子と称する人のある者を失ったことがあります。それでもイエスには真実の子供のような弟子が残っていました。その弟子たちはイエスが裏切られ,ゲッセマネの庭で血にうえた敵に渡された苦しみの晩までイエスに従っていました。しかし,その重大な晩にイエスは弟子のすべてを失ったのです。これはヨブの完全な数の子供によって表わされたことであり,またゼカリヤ書 13章7節にも預言されていました。(マタイ 26:31)まず使徒であるイスカリオテのユダがイエスを裏切り,イエスは残りの11人の使徒でなく,ご自分だけが捕えられることを求められました。しかし人を恐れた11人の使徒すべては(すべての弟子を代表する)イエスを敵の手に見捨てたまま勝手に逃げてしまいました。(マタイ 26:56)あらかじめイエスが『あなたがたはわたしをひとりだけ残す』と言っておられたとおりです。(ヨハネ 16:32; 18:8)しかしこれは敵の「時,また,やみの支配の時」でした。―ルカ 22:53。
イエスは罪人のように圧迫される
22 イエスはあたかも罪人のようにどのように圧迫されましたか。
22 物質主義的なイスラエルのユダヤ人にとってイエスは非常に貧しい人に見えました。「イエスはその人に言われた,『きつねには穴があり,空の鳥には巣がある。しかし,人の子にはまくらする所がない』」。(マタイ 8:20)また昔のヨブの場合と同じように,ユダヤ人にとってイエスは罪人のように見えました。ある時パリサイ人は,「あの人が罪人であることは,わたしにはわかっている」と言いました。(ヨハネ 9:24)また,ユダヤ人にとって,イエスは病を知っている人のように思われました。「彼は侮られて人に捨てられ,悲しみの人で,病を知っていた」。「彼は,わたしたちのわずらいを身に受け,わたしたちの病を負うた」。(イザヤ 53:3。マタイ 8:17)人々に敵対されたヨブは町から追放された者としてやむなく「灰の中に」すわりました。これは町の城門の外のごみ捨て場です。「ヨブが門外のこやしの山(灰,ヨブ 2:8)にすわったというのがヨブの絶望を表現するものでないことは明らかである。町民に押し出されたためにやむなくそうしたのである」。f 驚くべきことに,大いなるヨブのイエスも仲間のユダヤ人からのけ者にされました。それで聖書はこうしるしています。「だから,イエスもまた,ご自分の血で民をきよめるために,門の外で苦難を受けられたのである。したがって,わたしたちも,彼のはずかしめを身に負い,営所の外に出て,みもとに行こうではないか」― ヘブル 13:12,13,ローマ 15:3,詩 69:7-9もごらんください。
圧力グループからの敵意
23 ヨブの3人の友に相当するのは何ですか。どのように?
23 今サタンは数世紀をかけて整えた圧力グループをイエスに敵対させました。これは長く,きびしい苦難であり,エホバに対するイエスの忠誠を破らせ,神の権威に関する論争においてエホバを負かすためでした。イエスの時代において,ヨブの「三人の友」に相当するのは,幾つにも分かれたユダヤ教の教派すべて,およびその弟子となった人々です。これらは本来なら,イエスの仲間となり,エホバの神権と聖書の真の教えとを擁護すべき人々でした。しかし,これら偽りの教えの媒介者はサタンに用いられ,イエスに苛酷で粗暴な教義上の攻撃を加えることになりました。3は聖書的には強調の意味を含む数字であり,教義の面でバビロン思想に染まったイエス時代のこれら教派の全面攻撃をよくあらわしています。イエスはこれらの圧力グループと全部で約40回の論争をしておられます。サドカイ人と2回,ヘロデ党の者と2回,サンヘドリンの議員と5回,法学者と8回,間接的にエッセネ派に対するもの1回(マタイ 19:12),そして主要教派であったパリサイ人とは33回です。
イエスの答えは神を立証する
24 イエスの答えに示された真理のことばを幾つかあげなさい。それはヨブの答えと似ていますか。どのように?
24 党派心の強い人々の,敵意を含んだ攻撃的な質問に対するイエスの答えには,多くの新しい真理が含まれており,それは真の宗教としてのキリスト教を強くする結果になりました。ヨブと同じように,イエスは,誠実さを試みられているのは罪人だからであるという偽りの非難を否定されました。(ヨブ 10:14,15。ルカ 5:30。ヨハネ 8:46; 9:24)またイエスは人間が死ぬべきものであり,死んだ人間には眠った者のように意識がないことを簡明に示して,人間に不滅のたましいがあるとするバビロン的な偽りの教えに反対されました。この点でもヨブと同じです。(ヨブ 7:9,17; 10:18。ヨハネ 11:11-14)またヨブと同じく,イエスはたましい,つまり個人の復活のあることを教えられ,パリサイ人が誤って教えた「からだの復活」を否定されました。(ヨブ 14:7,14,15。ヨハネ 5:25,28,29)ヨブと同じく,イエスは,将来の命が肉体のわざや律法の行ないではなく,合法的なあがないによってもたらされることを教えられました。(ヨブ 19:25,26。マタイ 20:28)以上は宗教的な反対者に対するイエスの反論と昔のヨブの反論との相似例を幾つかあげたにすぎません。
25 イエスが反対者に加えた逆襲の例をあげなさい。
25 主要な反対者であったパイサイ人に対するイエスの逆襲の一例をあげましょう。金持ち〔ダイブス〕とラザロに関する巧みなたとえ話の中で,イエスはパリサイ人を金持ちになぞらえておられます。(ルカ 16:14,19-31)「金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら,目をあげると,アブラハムとそのふところにいるラザロとが,はるかに見えた」。これは,「こじきのラザロ」で表わされるような貧乏人が行くと,パリサイ人が偽って教えてきた所にパリサイ人自身を置くたとえでした。しかしこれは,たましいを苦しめる黄泉(ヘーデス)もしくは地獄の存在をイエスが教えたという意味ではありません。イエスご自身は実際にヘーデスないしは「地獄」に行きましたが,そこで苦しみは受けませんでした。イエスは3日目にそこから出され,今では「死と黄泉とのかぎ」を持っておられます。それは神の定めの時に他のすべての者をそこから解放するためです。(詩 16:10。使行 2:30-32。マタイ 16:18。黙示 1:17,18)したがって,聖書のヘーデス,シェオール,また「地獄」とは死人の墓一般のことであり,人はそこから復活します。g 今日でもバビロン化した宗教教師の多くはこの金持ちとラザロのたとえ話を使って地獄の火の教理を弁護していますが,前述のことは彼らの論を無効にします。
26 深まる敵意をあびながら,イエスは神の権威について何を明らかにされましたか。
26 敵意はさらにつのりました。パリサイ人は,イエスが「悪霊のかしらベルゼブル」によって奇跡を行なっていると唱えました。(マタイ 12:24)イエスに敵対した人々は自らを制することができず,イエスを殺そうとしたことが何度もあります。h ついでエホバの神権およびだれが真の霊の父親であるかに関する中心的な問題が出されます。自分の霊の父親がエホバであるかあるいは悪魔であるのかを決定しなければなりません。「神があなたがたの父であるならば,あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者,また神からきている者であるからだ……あなたがたは自分の父,すなわち,悪魔から出てきた者であって,その父の欲望どおりを行おうと思っている」。(ヨハネ 8:42,44)イエスはパリサイ派その他の人々を強いことばで公にとがめて,この点をさらに明らかにされました。「偽善な律法学者,パリサイ人たちよ……へびよ,まむしの子らよ,どうして〔ゲヘナ〕の刑罰をのがれることができようか」。(マタイ 23:29,33,〔文語〕)こうして,これらの人々は『へびのすえ』であり,神の女のすえであるイエスのきびす」を砕くために出てきた者であることが暴露されました。―創世 3:15。
イエスはエホバの御名を使う
27 イエス時代の宗教論争において神のみ名はどのように扱われましたか。
27 ヨブの3人の友だちはヨブと対照的に話の中で神の名を一度も使いませんでした。イエス時代の諸教派の指導者も同じです。たくさんの質問をしましたが,その中で彼らは神の名エホバを一度も使いませんでした。四福音書を見るとイエス自身が神の名を使った例が25回出ています。i ユダヤ人と異なり,イエスは神の名を発音しないで「主」の語で置きかえるというバビロン的な習慣に束縛されていませんでした。事実イエスは弟子たちに御名を教えられその点でイエスはきわだっていました。―ヨハ 17:6,26。
28,29 (イ)中立的な傍観者エリフに相当するのは何であると考えられますか。それを裏づけるものとしてどんなことがありますか。(ロ)エホバはどんな確証を与えられましたか。
28 火のような3年半の間,「敵意の的」イエスは罪を犯さず,エホバのつかわされた命の君として忠実な態度をまげませんでした。(使行 3:15)それでは,エリフのように,偏見のない中立の立場から,イエスとユダヤ教諸教派の指導者と,そのいずれが正しいかを見きわめたのはだれですか。(ヨブ 32:2,3)イエスの復活から50日後,西暦33年の五旬節に設立された新しいクリスチャン会衆の統治体がその役をしました。ヨブの時代のエリフは語り始める前にエホバの霊に満たされました。(ヨブ 32:9,18-20)同じように,五旬節の日に神とそのみ子イエス・キリストについて弁明したペテロその他の使徒たちは,まず神の聖霊に満たされ,神のみたまに導かれて語りました。一同は神が真実であられ,イエスがキリストであり,天に高められたことを示しました。―使行 2:22-37。
29 もう一つの類似点があります。エホバはヨブに対してつむじ風の中から語られましたが,イエスに対しては三度にわたって天から直接に語りかけました。3は強調の意を含み,三度声があったことは,エホバがイエスを正式の代表者として是認しておられることの確証となりました。―マタイ 3:17; 17:5。ヨハネ 12:28。
敵意の絶頂 ― 回復
30 敵意の絶頂としてどんなことがありましたか。イエスはどう応じられましたか。
30 敵意が絶頂に達したのはサタンの全勢力が注がれた時であり,この時イエスは刑柱上で死にました。サタンは今,すえのきびすを砕いたのです。(創世 3:15)ほかの人の墓に横たわっていた間,イエスはまさにすべてのもの ― 子どもと資産 ― を奪われた状態にありました。しかし,エルサレム城外の刑柱上での死の瞬間に至るまで,イエスはヨブのごとく「神に向かって愚かなことを言」いませんでした。(ヨブ 1:22)「父よ,わたしの霊をみ手にゆだねます」,そして,「すべてが終った」と言って息をひきとったイエスの心と口びるに罪は少しもありませんでした。―ルカ 23:46。ヨハネ 19:30。
31,32 (イ)ヨブの回復とイエスの回復の類似点をあげなさい。(ロ)このドラマはイエスの場合にどんな幸いな結末を見ましたか。
31 ヨブは最後に2倍の資産と10人の子供を持つに至りましたが,イエスも奇跡的な復活によって生命を回復し,「万物の相続者」となりました。(ヘブル 1:2)ヨブの元の妻にはあらためて10人の子供が生まれましたが,このドラマの1世紀の成就としては,天から聖霊をそそいだイエスによって代表される,神の妻のような組織の助けによって,西暦33年の五旬節およびそれ以後に,霊の子どもたちがたくさん生み出されました。彼らは神がイエスに与えられた「子ら」です。(イザヤ 8:18。ヘブル 2:10-13)ヨブは悔い改めた3人の友のために祭司となり,犠牲と祈りをささげました。(ヨブ 42:8)このことも1世紀に起きました。すなわち,少数ながら悔い改めたユダヤ教の祭司はへりくだって信仰をもち,西暦33年五旬節以後にイエスの贖いと祭司職から恩恵を受けるようになりました。―使行 6:7。
32 さて天と地の,神の全家族が登場するこの壮大なドラマの結末において,至上の神であられるエホバは,サタンおよび全被造物にむかって,『全宇宙にイエスのごとき者あらざるなり』と言うことができます。(ヨブ 2:3)こうしてエホバは,ご自分の神権を立証したイエス・キリストを最も幸いな者とされました。わたしたちもイエスはいつまでも幸いな者であると断言します。(ヤコブ 5:11)この終わりの時代にあって「敵意の的」となる人々の幸いな結末については,次号の「ものみの塔」誌をごらんください。
[脚注]
b ノーマン・ベントウイッチ著「ヘレニズム」18頁。アメリカ・ユダヤ出版協会1919年刊行。
c 同書19頁。
d 同書117頁。
e 同書,143頁。
f 同書,41,115頁。
g フラビウス・ヨセハス著「ユダヤ人の戦争」第6巻9章。
h 「ヘレニズム」41頁。
i ノーマン・ベントウイッチ著「ヘレニズム」(1919年)45頁。
j 同書,49頁。
k 同書,55頁。
l 同書,80,83頁。
a 同書,129頁。
b ジョン・マクリントックとジェームス・ストロングの「聖書,神学ならびに教会文書の百科辞典」(1891年),第6巻118頁。
c 国際標準聖書辞典2147頁。
d 同書,371頁。
e 新世訳の付録1452,1453頁参照。
f 創世 15:2,8。申命 3:24; 9:26。サムエル下 7:18,19,20,28,29。列王上 2:26; 8:53。ネヘミヤ 8:10; 10:29。詩 8:1,9。イザヤ 51:22。文語訳。
g 新世訳付録1453,1454頁参照。
h 「ヘレニズム」65頁。
i ノーマン・ベントイッチ著「ヘレニズム」(1919年)149頁。
j 同書,150頁。
k 同書,103,104頁。
l ノーマン・ベントウイッチ著「ヘレニズム」(1919年)108頁。
a 同書,93頁。
b 国際標準聖書辞典2361頁。
c 「ヘレニズム」150頁。
d 国際標準聖書辞典2363頁。「ものみの塔」1953年,462頁。
e 国際標準聖書辞典,1383頁。
f H・L・エリノン著「悲劇から勝利へ」(1958年)26頁。
g 「新世界訳聖書」1963年版の付録3570-3572,3586頁。
i 新世訳1961年版付録1454,1455頁。