全能の神が諸国民を笑うのはなぜか
「天に座しておられるかたは笑い,エホバは自ら彼らをあざけられるであろう」― 詩 2:4,新。
1 神はいまどんなことを行なわれますか。そのことと関連して,わたしたちについてどんな質問が生じますか。
あなたは大笑いすることがありますか。笑う能力は,人間と獣や鳥,魚などの動物とを区別する数多くの特徴の一つです。人間は創造者のなされる事柄の一つを行なえるように創造されました。それは笑うことです。今は神が笑う時です。神はあなたを笑っておられますか。それとも,あなたは神とともに笑っていますか。自分がそのどちらであるかをどのように知ることができますか。あなたの創造者である神を笑わせ,その大笑いを招くのはいったいなんですか。神がわたしたちを笑うことは何を意味していますか。わたしたちの創造者に笑われるかわりに,どうすれば,いま神とともに大いに笑って,世界情勢のゆえに起きがちな悩みをぬぐい去ることができますか。
2,3 諸国民が世界情勢や将来の見通しを笑いごととしていないのはなぜですか。
2 地上の諸国民で現在の世界情勢と将来の見通しを笑いごとと考える者はひとりもいません。(今日見られる)経済上の繁栄が絶えず脅かされ,貧弱な土台のゆえに著しく不安定な現状にあって,あなたは笑いますか。いえ,笑えますか。政府を運営する費用および国の債務が増大している時に笑えますか。密接に結び合わされた一つの巨大な家族として仲よく暮らすことのできない国がふえています。国家グループは互いを疑い,互いに張り合い,敵視し合って軍備を整え,互いを圧迫し,また当惑させ,そして互いに偵察し合い,相手側より優位に立とうとしています。こうした現状で笑えますか。人々の不満は増大し,政府は国民を治めるのに苦慮しています。また,公職にある人々の正しさは信頼できず,官公吏の忠節心も頼りにできません。そのうえ,正当な権威に対する畏敬の念は衰え,暴力に訴える傾向は強まり,犯罪の行なわれる率はいよいよ高まっています。こうした時点にあって,あなたは笑えますか。
3 諸国家の政府にとって貧困に対処する戦いは困難の度を深め,他方,文字どおりの戦争の武器はいよいよすご味を増しています。そして報復攻撃を受ける恐れ,文明と地上の全住民の滅亡を恐れるという理由だけで,かろうじて核戦争が抑止されているのです。宗教上の抑制力はもはや人間に悪行を思いとどまらせる力となっていません。こうした事態を笑って済ませることができますか。決してできません。客観的に見るとき,この事態のすべてはまさに笑いごとではありません。
4 諸国家をこうした事態に陥れたのはだれですか。しかし,こうなる必要が全くなかったのはなぜですか。
4 徹底した唯物主義者であろうとなかろうと,すべての人は諸国家がこうした事態に自ら陥ったことを認めねばならないでしょう。今日に至るまでの人類の歴史がそのことを告げています。しかし,こうなる必要は全くなかったのです! なぜですか。なぜなら,世界的な解決策が設けられ,提出されてきたにもかかわらず,諸国家はそれを受け入れず,唯一ののがれる道を拒絶してきたからです。もし事態がこれほど深刻でなかったとすれば,むしろおかしいと言えるでしょう。
5 このようなわけで,諸国民はその歩み方においてどうして愚かだったと言えますか。
5 諸国民がとってきた歩みは賢明なものではありません。彼らは自分たちの問題の解決を自らに求めており,天に求めることをしません。自分たちの中にいる賢人,政治家,外交官などの知恵に頼ります。では,1969年の今までに彼らはどこに導かれましたか。戦争だけでなく,他のさまざまの強力な手段による自滅の瀬戸ぎわに臨んでいるのです。しかし彼らはあと戻りしようとは考えていません。彼らはあまりにも高慢で,かつ,うぬぼれており,また自らの国民としての身分や主権にこだわりすぎ,あまりにも悪ずれし,またあまりにも「現実的」であるため,目に見える有形のもの以上を見て,必要な助けを得ることができません。そして,創造された物を頼りとし,それを創造されたかたに頼ろうとはしません。諸国民が創造者を信じていることを示すものが何かありますか。創造者が無視されています。しかし全宇宙の完全な秩序を保ち,地上のわたしたちの益を図ってこられたのはそのかたなのです。全宇宙に比べれば,その一部分であるこの地球はなんと微小な存在でしょう! したがって,きわめて当然のことながら,創造者の正し得ないほどの大問題がこの地上に生ずることは決してありません。
6 諸国民が将来創造者に対する信仰を突然いだくようになりますか。しかし創造者に関して何を信ずるのが道理にかなっていますか。
6 この頭脳時代の諸国民は唯物論的な科学を自らの神としているため,目に見えない全能の神を信じません。今その神を信じていないとすれば,最悪の事態が訪れて,自らの無能さと現代科学の無力さを余儀なく認めさせられる間近な将来に至って,諸国民が突然に信仰をいだくと期待できますか。それでも,地球とその上に住む人間との創造者が人間の苦悩の解決策,しかも唯一の適切な解決策を備えておられると考えるのは,まさに道理にかなったことです。事実,創造者であられるまことの神は,唯一の必要な解決策を備えておられます。諸国民はそのことを知る方法を少なくとも19世紀にわたり手にしてきました。
7 この場合,神と人間がそれぞれ独自の意志を行なうという共存はなぜあり得ませんか。
7 しかし諸国民が神のご準備をひたすら退けている以上,その結果として何を期待することができますか。それは,諸国民が創造者なる神に敵対し,神と,人類種族を救う神の方法とに逆らって戦うということだけです。このことは,キリスト教国によって「神の子」と唱えられている一賢人が19世紀前に述べた次の定めに基づいています。「我とともならぬ者は我にそむき,我とともに集めぬ者は散すなり」。(マタイ 12:30)自分勝手な計画を好んで選び,神の取り決めを退ける人は,どうして神の御心を行ない,また,神とともに平和裏に働けるでしょうか。そうすることはできません。この場合,神と人間がそれぞれ独自の意志を行なうという共存は決してあり得ません。人間は例外なく,神の御心によって支配されます。ゆえに,利己的な人間が行なえるのは,神から離れて物ごとを行ない,神と意見を異にし,実際に神に敵して戦うことだけです。利己的な人間は,自分にとって何が最善かをより良く知っていると見なし,神よりも賢く,能力のまさった者として自分を高めています。人類の歴史と経験はこれが事実であることを証明しています。
8 人類の一般の歴史と,神の霊感の下にしるされた歴史の本である聖書とをどのように比べることができますか。
8 人類の一般の歴史は,霊感を受けないこの世の人々の手で書きしるされてきました。そうした人々は,人類の聞き従うべき警告を与えるため,神が自ら霊感を与えた人間に正確な歴史を書きしるさせてこられたことを指摘しません。しかし,この種の歴史,すなわち神の霊感を受け,また神への奉仕に携わる忠実な人々によって書かれた歴史は確かに存在します。それは神聖な経典,つまり聖書です。聖書は人間に関する歴史の本でもあり,19世紀前に至るまでの神と人間の交渉を明らかにしています。また,その後いまに至るまで,そして将来千年間にわたる神と人間の交渉についても預言しています。創造者であられる神が幾千年にわたる人類史上で行なわれた事柄を知るのは人間にとってきわめて重要なことです。文字になったみことば聖書が詳細に述べているのはこの点です。世の一般の歴史書はこのことをしておらず,神のかわりに人間を高めています。
9 聖書の重要な価値は,どんな驚くべき事実のうちに宿されていますか。わたしたちはどうすれば神の笑いものにならないで済みますか。
9 聖書は創造者なる神が個々の人間や家族そして国民全体とそれぞれ交渉を持ってこられたことを明らかにしています。聖書は過去の死んだ歴史,今日まで19世紀を経て墓の中で朽ち果てた過去の歴史の本ではありません。それとは逆に,聖書はその巻頭からいつも前途を論ずる本でした。それは,これが神の預言の本として傑出したものだからです。将来に関する直接の預言に加えて,聖書にしるされている過去のできごとの多くは,現代のものをも含め将来のできごとを預言的に表わす例ですから,記録されているのです。この注目すべき事実の中に,聖書の持つ重要な価値が宿されています。聖書こそ今日のわたしたちがあえて見過ごしたり,押しのけたりしてはならない本です。諸国民はそうしたために自らに混乱を招きましたが,わたしたちはこの論議に際して,そうすることを勧めません。預言のしるされた霊感による聖書を無視するのではなく,それに注意を払うことによって,わたしたちは自らを神の笑い草にしないようにします。神はいま世界の諸国民を笑っておられますが,わたしたちは神に笑われないようにするのです。
全能の神は過去にも笑った
10 19世紀前,神が諸国民を大いに笑った時,当時の世界で顕著な存在となっていたのはどの都市ですか。どの地域の一部の人がその時を変化の時と考えましたか。
10 19世紀前のこと,全能の神は当時の諸国民を大いに笑いました。それは当時までの人類史上,神に対する人間の最大の戦いに関してでした。それはわたしたちの時代にかかわる預言的な意味を持っていますから,いま,聖書の記録からそのできごとを調べ,20世紀の現代史における一連のできごとと照らし合わせてみましょう。現代の場合と同様に,イタリアの都市ローマは西暦1世紀当時のニュースの中で大きな役割を演じていました。しかし,ローマ・カトリック制度の世界的な領域を支配するバチカン市は,当時のローマには存在しませんでした。異教を奉ずるローマ皇帝が依然として宗教界の最高僧院長であり,特にこの時,最高僧院長であった皇帝は,西暦14年8月19日に死んだアウグスッス・カエサルの後継者であるチベリウス・カエサルでした。それは変化の時でした。当時のローマ帝国東部に位置し,地中海に接する一地域の少数の一グループの人々にとっては少なくともそう思えました。そして確かに変化が起きました。それはわたしたちの時代にまで影響を及ぼすものでした。
11 その時,どこで,また,だれによって新しい政府が宣明されはじめましたか。
11 その中東の荒野から新しい政府を宣明する声が起こったのです。それは荒野の一住人の声でした。その者の名前には,「ヤハは恵み深い」という快い意味がありました。(ルカ 1:59-80)その名をヨハネというこの荒野の住人が新しい政府について宣明しはじめたのは,チベリウス帝の治世第15年,つまり西暦29年春のことでした。(ルカ 3:1,2)ヨハネは祭司の子でしたが,ローマ領ユダヤ州の宗教上の中心であるエレサレムの宮で,その父のように祭司として奉仕したとはどこにもしるされていません。ヨハネの神,恵み深いヤハあるいはエホバは,地上の宮での奉仕より重要な仕事を彼のために意図しておられました。エホバ神は,新しい政府の支配者をふれ告げる者またその先駆者として働かせるためにこのヨハネを起こされたのです。それで神のご予定の時が来て,ヨハネは公の舞台に登場し,「天の国が近づいた」と宣明しはじめました。(マタイ 3:1,2,新)それは「天の」国でしたから,現在のわたしたちと同様に当時の人々の必要としていた正しい政府となります。
12 「天の」政府について人々はなんと尋ねますか。しかしバプテスマのヨハネの伝えた「天の国」は何を意味しますか。
12 しかし唯物論を標ぼうする現代の頑固な人々は,「天がどのように統治できるのか」と問うでしょう。しかしそうした人々も聖書を読みさえすれば,「天」が世界をゆるがす仕方で過去にその力を表わしたこと,また,足ばやに迫っている将来に再びそうすることをすぐ理解できるでしょう。人間は重量17トンのロケットを宇宙空間に打ち上げても,ヨハネの語った「天」を支配する力あるいは主権を獲得できません。今日,人間は天について考える際に神のことを考慮に入れませんが,霊感の下に「天」という表現を用いたヨハネは全能の神のことを意味したのです。ヨハネの宣明した「天の国」とは「神の国」のことでした。それゆえにこの国は完全で正しく,良い政府に違いないのです。それゆえにこそ人々はその政府の到来に備えねばなりませんでした。この事実と一致して,全能の神はヨハネをつかわし,全能の神に対する罪の悔い改めの象徴としてからだごと水に浸す浸礼を悔い改めた人々に施させました。―マタイ 3:4-6。マルコ 1:4-15。
13 バビロンのネブカデネザル王は,「天」の支配が独自に運営される現実のものであることをどのように理解させられましたか。
13 ヨハネが布告した「天の国」は単なる想像上の政府では決してありません! それは今日のロンドン,パリ,モスクワ,北京,ワシントン,ローマなどにある政府と同様,独自に運営される能動的な現実の政府です。かたくなな今日の政治支配者はこの事実を認めないかもしれませんが,日ならずして認めざるを得なくなるでしょう。彼らはユーフラテス河畔バビロンの紀元前6,7世紀の皇帝ネブカデネザルと同様,超人間ではありません。しかしバビロニア帝国のこの強大な支配者は卑しめられて7年のあいだ野の獣のようになり,預言者ダニエルが語ったとおり,「天が支配していることを……知(り)」ました。ここにある「天」ということばは至上者を意味しました。というのは,狂気にとりつかれて獣のようになる直前,ネブカデネザルは天からの声を聞き,そうした獣のようなありさまで7年を経たのち,「至上者が人間の国の支配者であり,ご自分の望む者にそれを与えられることを知る」であろうと告げられたからです。ネブカデネザルは奇跡的に回復したのち,この事実を認めました。―ダニエル 4:25-37,新。
14,15 ヨハネが投獄されたのは,「天の国」を伝道したためですか。その後この伝道はだれによって再開されましたか。
14 ヨハネは今日の政治支配者と同様,物事を現実的に見ました。彼は実現不能な他愛もない夢をいだいて人々を誤導していたのではありません。そして,宣明を開始し,バプテスマを施しはじめて約1年後,ガリラヤの領主ヘデロ・アンテパスにより投獄されました。しかしそれは,「天の国」を宣明したためではなく,ヨハネの神エホバの律法に服していると唱えたこの領主に,正しい道徳律を守ることを力説したためでした。(マタイ 14:1-5)当時の強情な政治支配者たちは,たとえ「天の」あるいは「神の」国であれ,それが自分たちの支配する見える地上の国に干渉することはないと考えました。しかしヨハネが公に行なった神の国の宣明は投獄により中断されました。ところがその投獄後,神の国を宣明する仕事は,彼が投獄されるおよそ6か月前にヨルダン川で水のバプテスマを施したひとりの人によって再び始められました。その人はガリラヤのナザレ出身のイエスという名の一大工であり,ヨセフの養子でした。このイエスについて次のように書かれています。
15 「さて彼はヨハネが捕えられたことを聞いて,ガリラヤへ退かれた。そしてナザレを去ったのち,彼は……カペナウムに来て住まれた……この時からイエスは伝道を始めて言われた。『悔い改めよ,天の国が近づいたからである』」― マタイ 4:12-17,新。マルコ 1:14,15。
自らを笑いものとする
16,17 (イ)領主ヘロデ・アンテパスは,イエスを嘲弄したとき実際にはだれを嘲弄していましたか。(ロ)バプテスマのヨハネは,イエスが神の御子であることをどのようにあかししましたか。
16 それから3年ほどのちのこと,領主ヘロデ・アンテパスとその衛兵は,チベリウス・カエサルのかわりに自らを王にしようとしたとの罪を着せられたイエスを嘲弄していました。(ルカ 23:8-12)これは諸国民が自らを笑いものにしはじめていたことを示す証拠の一つにほかなりません。神の御子を笑いものにし,愚弄する諸国民は,実際には自らを笑い草にしているのです。イエスを嘲笑した当時の人々が行なっていたのはこのことでした。バプテスマのヨハネは,ナザレのイエスに浸礼を施した時,このイエスが神の御子であるとの証拠が天から現われるのを目撃しました。後日ヨハネは人々にこう証言しました。
17 「われ見しに御霊,はとのごとく天よりくだりて,その上にとどまれり。我もと彼を知らざりき。されど我を遣し,水にてバプテスマを施させ給ふもの,我に告げて『なんぢ御霊くだりて或人の上にとどまるを見ん,これぞ聖霊にてバプテスマを施す者なる』といひ給へり。われこれを見て,その神の子たるをあかしせしなり」― ヨハネ 1:32-34。
18 (イ)イエスがどんな政治運動をも行なう必要がなかったのはなぜですか。(ロ)カイザルに納める税に関してイエスの敵はどのようにして彼を政治にかかわらせようとしましたか。
18 その事実を証しするものとしてバプテスマのヨハネはイエスをさして,まわりの人々に「みよ,これぞ世の罪を除く神のこひつじ」と語りました。(ヨハネ 1:29)神の御子イエスは「天の国」の王となるべく神の聖霊によって油を注がれました。また,その「天の国」を宣明して人々に慰めと導きを与えるためにも,その神の霊によって油を注がれたのです。イエスはまさにこのことを行なわれました。(ルカ 4:16-21; 8:1。使行 10:38)彼は国内を行き来して政治的な遊説をし,民衆の支持を得ようとしたことは決してありません。また,そうする必要もありませんでした。メシヤの治める天の神の国の王となるため,天の父エホバ神によりすでに選ばれ,定められ,油注がれていたからです。イエスに敵意をいだいた数多くの宗教上の反対者は,一再ならず彼を世の政治にかかわらせようと企てました。たとえば,神の律法下にあるユダヤ人がカイザルに税を納めるのは正しいかどうかをイエスに尋ねています。彼らは自分たちを支配するカイザルの帝国を憎んでいました。しかしイエスは,「さらばカイザルの物はカイザルに,神の物は神に納めよ」と答えて,革命を意図するような話すべてを巧みに封じ込めました。(マタイ 22:15-22)イエスは他の人に命じたことを自らも行ない,カイザルに属するものとして人頭税を納めました。彼は決して革命を目ざしてはいませんでした。
19 (イ)イエスが3年間にわたって伝道し,教えたのち,ユダヤ人は「天の国」に対する自分たちの態度をどのように表わしましたか。(ロ)イエスが活発な追随者を野外につかわされた仕方は,ご自分が革命を目ざしていないことをどのように示しましたか。
19 イエスご自身が属していた国民は,彼の伝道した「天の国」を支持しましたか。比較的に少数の残れる者を除いては支持しませんでした。幾万人ものユダヤ人および改宗者がイエスの話を聞きましたが,彼を待望のメシヤ,キリストつまり油そそがれた者として信じたのはごく少数の人でした。3年にわたる彼の伝道と教えるわざののち,人々は彼のもとに来て,こう言いました。「いつまで我らの心を惑はしむるか,汝キリストならば明白に告げよ」。しかしイエスは,人々自身に判断させ,問題を彼らの信仰にゆだねました。この時,彼らはイエスを今にも石で打とうとしていました。(ヨハネ 10:22-31)しかしイエスは,ご自分をメシヤすなわちキリストと信じ,かつ従った者たちの中から12使徒を選ばれ,彼らを訓練したのち,つかわして,「天の国が近づいた」と告げさせました。(マタイ 10:1-7,新)後日,ほかに70人の追随者を派遣して同じ音信を宣明させました。(ルカ 9:1-6; 10:1-11)これで神の国の伝道者は合計82人となりましたが,彼らは剣や槍そして弓矢で武装したゲリラ部隊ではありませんでした。なんと不思議なことでしょう! 独立した政府がはたして伝道によってイスラエル国民に導入され,かつ,統治を開始できるでしょうか。考えると,笑わざるを得ないでしょう。
20 ラザロがよみがえらされ,またイエスがエルサレムに堂々と入城したのち,宗教指導者が笑ったかどうかは,どうしてわかりますか。
20 しかし当時それは笑いごとではありませんでした。それはそうした伝道が3年間なされたのちの西暦33年初春のことで,ユダヤ人を治めていたローマ帝国政府はその時までこのイエス・キリストと一群の御国伝道者については何も行なっていませんでした。しかしエルサレムの宗教指導者たちは彼のことで恐れをなしていたのです。その年の過ぎ越しの前のある時,イエス・キリストは驚くべき奇跡を行なわれ,死んで4日間葬られていた男をよみがえらせました。このためにかなりの騒ぎが人々のあいだに持ち上がり,宗教指導者は次のように話し合いました。「われらいかになすべきか,この人おほくの徴を行ふなり。もし彼をこのまま捨ておかば,人々みな彼を信ぜん,しかしてロマ人きたりて,我らの土地と国人とを奪はん」。(ヨハネ 11:1-48)ところがニサン9日つまり過ぎ越しの5日前,イエスは戴冠式に臨むかのようにエレサレムに入城され,歓喜した群衆は『ホサナ,ほむべきかな,〔エホバ〕の御名によりてきたる者』イスラエルの王」と叫びました。イエスがイスラエルのメシヤなる王として民衆からこうした驚くべき支持を受けたために,パリサイ派の宗教家はいっそう動揺し,こう話し合いました。「見るべし,汝らの謀ることの益なきを。みよ,世は彼に従へり」― ヨハネ 12:10-19。
21,22 (イ)宗教指導者はどのようにしてローマ政府をイエスの裁判と処刑に関係させましたか。(ロ)ヘロデ・アンテパスは,イエスの事件が持ち込まれたとき,どう処理しましたか。
21 そこで宗教指導者はニサン14日の過ぎ越しの日にメシヤであるイエスを殺させて,なんとかしようと図ったのです。そして,イエスを死刑に処するための罪状を宗教上の事柄に求め,ついでそれを政治上の事柄に転じさせました。こうして彼らは,パレスチナにおけるローマ帝国政府の代表者たちを問題に関係させました。そしてまず最初に宗教上の事柄でイエスを有罪とし,次にユダヤ州のローマ総督の前に引き出しました。どんな罪状で? 政治的な扇動という罪状でした。告発されたイエスを尋問したローマ総督ポンテオ・ピラトは彼にこう言いました。「我はユダヤ人ならんや,汝の国人・祭司長ら汝を我にわたしたり,汝なにをなししぞ」。(ヨハネ 18:12-35)ポンテオ・ピラトはこの尋問中にイエスがガリラヤ州の出身であることを知りました。当時この州はバプテスマのヨハネの殺害者ヘロデ・アンテパスの管轄下にありました。問題をのがれようと考えたポンテオ・ピラトは,イエスを当時エルサレムに滞在中のヘロデのもとに回しました。
22 イエスを死からよみがえったバプテスマのヨハネと考えたヘロデ・アンテパスはイエスを一度見たいと思っていました。また,イエスが一,二の奇跡を行なうのを見て楽しめるものと期待していたのです。イエスは質問に答えず,また自己弁明を試みることもしませんでした。そして祭司や学者が訴えるままにさせました。それでヘロデはイエスを嘲弄しました。聖書はこうしるしています。「ヘロデその兵卒とともにイエスをあなどり,かつ嘲弄し,はなやかなる衣をきせて,ピラトに返す。ヘロデとピラトとさきには仇たりしが,この日たがひに親しくなれり」― ルカ 23:1-12。
23 それからイエスはどのようにしてローマの兵卒により笑いものにされましたか。
23 そののち,ポンテオ・ピラトが宗教上の圧力に屈し,イエスを刑柱上で殺させるために,部下のローマ兵にわたしたとき,エホバ神のメシヤすなわちキリストはさらに嘲笑され,笑いものにされました。マタイ伝 27章27節から31節は次のように述べています。「ここに総督の兵卒ども,イエスを官邸につれゆき,全隊を御許に集め,その衣をはぎて,緋色の上衣をきせ,いばらのかんむりを編みて,その首にかむらせ,葦を右の手にもたせ かつその前にひざまづき,嘲弄して言ふ『ユダヤ人の王,安かれ』またこれにつばきし,かの葦をとりその首を叩く。かく嘲弄してのち,上衣をはぎて,もとの衣をきせ,〔刑柱〕につけんとてひきゆく」。〔新〕。
24 宗教指導者は刑柱につけられたイエスをどのように笑いものにしましたか。
24 イエスが刑柱にかけられたとき,通りがかりの人々はイエスを引き続き侮辱し,頭を振ってあざけり,笑いものにしました。またこうしるされています。「祭司長らも,また同じく学者・長老らとともに,嘲弄して言ふ,『人を救ひて己を救ふことあたはず。彼はイスラエルの王なり,いま〔刑柱〕より下りよかし,さらば我ら彼を信ぜん。彼は神により頼めり,神かれを愛しまば今すくひ給ふべし「我は神の子なり」と云へり』」― マタイ 27:39-43,〔新〕。
25 宗教指導者は,墓に葬られたイエスに関してどんな手段を講じて今や大笑いするようになりましたか。
25 こうしてメシヤまた神の御子であるイエスは笑いものにされて死にました。彼が死んで近くの墓に葬られた翌日,祭司長およびパリサイ人らは軽べつの念を表わし,墓からイエスのしかばねが運び去られることがないようにしようと企て,ポンテオ・ピラトにこう語りました。「主よ,かの惑すもの生きをりし時『われ三日ののちによみがえらん』と言ひしを,我ら思ひいだせり。されば命じて三日に至るまで墓を固めしめ給へ,おそらくはその弟子ら来りてこれを盗み『彼は死人のうちよりよみがへれり』と民に言はん。しからば後の惑は前のよりもはなはだしからん」。ローマの総督はここでも彼らに都合よく事を運び,墓に封印をして,そばに番兵を配置するように命じました。(マタイ 27:62-66)これで宗教指導者たちは大笑いすることができたでしょう。